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SAD

 トッドとステフが依頼人を連れてバーの奥に設えた個室に入ってからしばらくして、アフリカ系の男が二人、バーの扉を開けた。

 どちらも身長は二メートル近い。太い腕を更に見せつけるように機械化し、黒い肌に彫られた筋電位可変式タトゥーが、体躯以上の威圧感を漂わせる。揃いに刈り込んだ頭髪は、後頭部にアルファベットのSの字が形作られていた。

 体に張り付くようなシャツの腰辺りは不自然に膨らみ、銃を押し込んでいると一目で分かるが、男達はその膨らみを隠そうともしていない。


 客とも分からぬ雰囲気の男達を少しだけ見やるが、マスターはカウンターの中でグラスを磨く手を止める事はない。

 六十の誕生日をとうに過ぎたマスターにとって、この位の来店者は数えきれぬほど見てきている。今更身構えるような事はしなかった。テーブルに座った他の客も慣れたものか、一瞥するだけでまた自分たちの会話に花を咲かせている。


「なあ、この女が来なかったか?」


 男の一人はぐるりと店内を見回すとカウンターに歩み寄り、今では珍しくなった写真を一枚、マスターの眼前に突きつける。写真には肌も露わな服に身を包んだミーナがグラスを片手に微笑み、ツーブロックのドレッドヘアをしたアフリカ系の男の膝に座っている姿が写っていた。


「どこかで見かけたってだけでもいい」


 マスターより頭一つ以上大きな男は、周りに聞こえぬように声を落としているが、有無を言わさぬ調子は抑え切れていない。もう一人の男は周りの客を座った目で見回しながら、銃を仕込んだ辺りに手をやっている。

 マスターはグラスを磨く手を止め、胸の前で店の奥を指さして部屋番号を伝えた。

 写真を見せた男は歯を剥くように猛々しい笑みを浮かべて、もう一人の男を振り返った。


ジャックポット(大当たり)だ。いくぞ」


 薄暗く、人もまばらな店内だからと男達はそれぞれに銃を抜き、足音を潜ませる事もなく大股に奥へと急ぐ。

 マスターは奥を指さしていた手を下ろすと、カウンターの下にあるスイッチを押した。トッド達の入った部屋に繋がる警報器のスイッチだ。

 これから男達がどうなるかを予想し、皺の増えてきた頬にわずかな片笑みが一瞬だけ浮かぶ。




 バーの奥に設えた個室は、二十世紀の良さを残した造りの中に遮音スクリーンや無線通信の遮断システムを備え、おおっぴらに話しにくい事も話しやすいようになっている。

 店員に聞かれる事も(いと)う客もいるので、給仕は全て調度品の中に隠されている自動化されたシステムによって行われる。


 トッドはソファに座ったミーナにブランデーを薦めながら、自分にはジンをストレートで、ステフにはジンジャエールの入ったグラスを前に置いた。


「さ、まずは一口。落ち着いたら、貴女がどのようなトラブルに巻き込まれ、これから俺達の手を借りてどうしたいのか教えて欲しい」


 ステフが自分だけノンアルコールなのに文句を言うが、頭を撫でるように抑えてそれを黙殺する。いやいやをするように手を振り払うステフが、ミーナの隣に席を移すのを止めようとした時に、グラスに入ったブランデーを一口で飲み込んだミーナが重たい口を開いた。


「私は、ある……ギャングに命を狙われています。SADと言うギャングは知っていますか?」


 頷き、「簡単な事なら」と答えるトッドにミーナは続けた。


「私はビーンストークαにいるSADを率いている、ジョン・ロイドという男の――」


 ミーナが横目にステフを見やる。十代前半(ローティーン)の少女の前で言う事か迷っているのだろう。小さく頷いたステフからトッドに視線を戻す。


「彼の、情婦の一人でした。ここで小さくても店をやっていくには、どうしても後ろ盾が欲しくて、三年前に店を開いてすぐに声をかけてきた彼の言葉に……」


 時折言い淀む事もあったが、ブランデーの気付けで促されたミーナは堰を切ったように話しを続ける。

 ミーナ・レッティはセカンドバベルで小さなアクセサリーショップを営む女であり、ロサンゼルスを本拠地とするアフリカ系アメリカ人のギャング、SADの幹部であるジョン・ロイドがセカンドバベルで作った情婦の一人であった。

 ジョンは恋多き男で、身に備えた暴力を背景に何人もの女を侍らせていた。女に飽きれば手放すが、もし怒らせればSADの収入源の一つでもある、娼館へと送られる事になる。しかもその際には収入源の一つである合成麻薬を使い、廃人すれすれの中毒にした上で使い捨てる。

 二人の関係は比較的良好で、SADが持つ様々な手によって他のギャングや悪い癖を持つ客から守られ、店の売り上げも彼女一人暮らしていくには十分なほどであった。


 しかしある時、ベッドの上で言われた一言からその関係は変わる。


「彼の売っている麻薬を、うちの店でも売れって……ちゃんと利益は私にも回すって言われたのだけれど――」


 セカンドバベルは名目上どこの国家にも属していないが、その中では各国や様々な企業の話し合いによって作られた法律が存在する。その法律によって麻薬は製造も所持も販売も禁止され、違反者には最高で死刑が待っている。

 もしミーナが言われるままに麻薬を販売すれば、違法行為を犯している事に他ならない。例えそれが脅しによるもので拒否しづらいとしても、減刑はあり得るが相応の刑が待っている。

 特にSADが扱っている合成麻薬はセカンドバベルだけでなく、主要各国でもクラスAの危険度にカテゴライズされる物が多く、減刑されてもかなり長期に渡る懲役刑が待っている可能性もある。


「だから逃げたんだね。危なかったね」


 ステフが横からミーナの顔を覗き込みながら言う。


「前にちょっと貴方たちの話を聞いてたの。もしジョンとの間に何かあったら、その時は話を聞いてみようと思って……」


 小さく微笑むミーナの背をステフはそっと叩いてから撫でる。


「大丈夫だよ。ダディもあたしもミーナを守るって。ね、ダディ?」


 頷いたトッドが口を開きかけた所で、壁に設えられた照明の一つが突如として赤く点滅し始めた。


「失礼っ」


 突如立ち上がったトッドが短く言いながら、テーブルを跨いでミーナに覆い被さり、アロハシャツの懐から小型のガウスガンを抜く。

 トッドの大きな体の下でうずくまるミーナを横目に、ステフは床を強く蹴って飛び上がると、ドアの上の壁に左手の指を食い込ませて張り付いた。ステフの瞳は縦長に絞られ、左手以外からは力を抜いて襲撃に備える。


 連続した火薬の破裂音が響き、銃撃が合成木材で出来たドアを二つにちぎった。照明や壁、ソファが爆ぜるように壊れる中、十数発の銃弾がトッドの背に命中する。

 しかし抗弾性強化皮膚の下にある、積層カーバイトの皮下プレートとそれを包む耐衝撃脂肪層と人工筋肉が、ホローポイント弾を全て食い止める。


 その姿を視界の端に捉えたステフから表情が消える。

 壁に張り付いたまま身を翻し、壊れたドアを蹴り破って廊下に躍り出ると、火薬式マシンピストルの弾倉を替えていた男に空中から右腕を振るう。その手にいつの間にか握られていた単分子の切っ先を持つナイフは、横から男の頸椎を断つように突き刺さる。例えサイボーグであっても、分子間に滑り込む程に鋭利な刃は止められない。

 脊髄を断ち切られた男が崩れ落ちるより先に、ステフは間髪入れずもう一人の男に蹴りを放つ。相棒が殺された事を認識出来ぬまま、男は頭上からの一撃で脳と首に致命傷を負う。


 一撃で一人。

 確実な手応えに、ステフはわずかに獰猛な笑みを浮かべながら視線を走らせた。視界に他の襲撃者がいない事を確認しながら音もなく床に足を着く。


「ダディ!? 大丈夫?」


 着地するが早いか、部屋にとって返した。

 部屋の中は数十発の弾丸で無惨に荒らされていた。

 トッドは埃を払いながら立ち上がって全身に力を込める。すると軽い音を立てて、ひしゃげた弾丸が全て床に落ちる。


「こんなオモチャが効くか――驚いただろうけど、怪我はなさそうで何より。立てるかい?」

「え、ええ……」


 トッドの影で銃弾を免れたミーナに手を差し出して立ち上がらせると、トッドは営業用の笑顔を浮かべる。


「事が前後になったが、ここまでされちゃ俺達も退くに退けなくなった。貴女の依頼、受けさせてもらうよ。料金の説明はまず貴女を当座安全な所へ送りがてらにしようか。何、そう無茶な額にはしないよ」


 ミーナの少し埃を被った顔に、会ってから初めての笑顔が浮かんだ。


 ステフが殺した男達は少々の金銭と銃器の他には、一枚の写真と数本の煙草しか持っていなかった。身分の分かるような物は一切持っておらず、通話用の端末すら持っていない。

 機械化した腕に内蔵している場合、相応の機器がないと内部の情報を引き出せず、そもそも切り取った腕を持ち歩く事になるのでそのままにした。

 分かるのは統一された髪型による、SADメンバーである事の証のみ。彼らは体のどこかにSの字を入れる。それはミーナの証言に寄らずとも、トッドは知っていた。


 トッドはステフが男達を殺した事については何も言わなかった。

 血の繋がらぬ娘は、反撃が凄まじく早く容赦も無い。戦闘用の重サイボーグであり神経節を人工物に置き換えたトッドよりもだ。ステフは謝ったが、トッドは何も言わず頭を撫でてやった。

 ガウスガンでもない旧式の銃器、しかもライフルですらないのは一発目の銃声から分かっていた。相手が突入してきた時に撃ち返そうと、暢気に構えていたトッドの失策だ。


「いつも済まんね、マスター。掃除代と修理代はいつものとこに、いずれ、な」


 まだ生き残っていた部屋の端末にそう言いながら、トッドは自分の端末でマスターの隠し口座に迷惑料も加えた金額を即座に振り込んだ。

 金の払いが滞るのは商売に支障を(きた)す。

 よく使う店ともなればなおさらに、支払いはすぐにしておかねばならない。

 その間にステフはミーナの手を引いて、店の一番奥に位置する隠し階段から地上階へと上がっている。このような設備を自由に使えるのも、金払いがよく、マスターに信頼されているからこそであった。


「お前ら、ちょっと早すぎやしないかい? ギャング風情がどんな伝手持ってやがる……」


 倒れ伏すSADの男をつま先で蹴って転がして独り言ちるトッドは、通路の向こうから呼ぶステフの声に考え事をやめると、急ぎ足で後を追った。




 セカンドバベル商業区画の中でも軌道塔を有する中心区画に近いほど、巨大企業が有するビルや地域が増えていく。それら巨大企業同士の干渉帯として協力した国家や中小企業、国連所有の公共施設が存在するように、初期の計画時から設計されていた。

 それほどまでに二十二世紀の現在、巨大企業――その中でも七大超巨大企業(セブンヘッズ)と呼ばれている者達――は、建築の為の技術的特異点の発生にすら関わっている為に地理的・政治的に大きなアドバンテージを持っている。

 その中でも日本を発祥とする七大超巨大企業(セブンヘッズ)の一つ、トミツ技研の息がかかったビルの一つにある料亭の個室で、少女が一人遅めの昼食をとっていた。


 二十人は入れそうな畳敷きの部屋には少女一人しか居らず、歴史的価値もある調度品の数々には、盗聴器の類を仕込まれぬよう細かく検査しているので、外から耳をそばだてる者もない。

 今では少なくなった天然食材を、昔ながらの味を伝える料亭の板長が妥協せずに作り込んだ膳は、大企業の幹部級社員でもおいそれと食べられる味でも値段でもない。


「御馳走様でした」


 黒髪を肩の辺りで切りそろえた少女は箸を置くと口元を拭いて、一つ手を合わせてから小さく頭を下げて礼を口にする。

 人払いもされた部屋にそれを聞く者はいないが、少女は癖として満足した時は礼を言う事にしていた。


 目でも舌でも喉でも昼食を楽しんだ少女は、最後の余韻とばかりに大きく息をついて思考を切り替える。左手の小指に嵌めた指輪型の端末を操作し、投影型スクリーンに目を走らせた。人差し指と親指だけで、スクリーンに残像が出そうな位の早さで様々な情報を次々へと流していく。


 そして指が止まり、ある情報を映し出すとじっとそれを見つめる。形の良い眉をわずかにひそめ、表示されていた連絡先に繋げて、相手が名乗る間もなく尋ねる。


「ごきげんよう。まだこちらに届いていないようですけれど、進捗はどうなっているのか聞いていいかしら」


 通話相手は年上の男だが、全く臆する事はない。立場が上だという事は少女も相手も分かっている。強い口調で再度尋ねるが、芳しい答えは返ってこない。


「こちらの提供した情報には不備も不足もありません。問題は全てそちらの事……何を言いたいか分かって戴けますね」


 並べ始められた言い訳をよく通る声で封じる。


「それがお互いの為です。次は良い返事を待っています」


 通話を切ると小さく鼻を鳴らす。

 黒髪の少女は顔にかかる柔らかい前髪を指先で弄びながら少し考え、別の連絡先に通話を入れる。


「私です。連絡要員を二人、戦闘要員を三人ばかり待機させなさい。車は三台、装備はCランクを基準に各員の裁量で。私はあと三……いえ、四十分ばかりでそちらに到着します」


 手短に言うと通話を切り、卓上に置かれた小さな木彫りの置物を指先でつついて、内蔵された呼び出し機能を起動した。


「食後のデザート、持ってきてください」


 この料亭はデザートも特筆に値する事を少女はよく知っていた。これを食べずに席を立つ事は考えられなかった。

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