前編
「もう止めるのだ」
そう叫んだのはこの国の王太子ゼルオスト・バドレスです。
「なぜ、そこの女は私を見て笑ったのよ。このくらい当然だわ」
そう反論しているのは、王太子殿下の婚約者でファレアス公爵家のリリーナ様です。
え、私は誰かって。
それは、先ほどリリーナ様の護衛騎士に殴られて床に倒れているセレディア男爵家の娘でチッタです。
一応いっておきますが、私は掲示板を見ていただけでリリーナ様がいたことすら気付いていませんでした。
二人が言い争っているすきに王太子殿下の側近である、アントワ様が私を助け起こし医務室に連れて行ってくださいました。
リリーナ様がこの学園に入学されてからこの手の騒ぎが頻発しています。
しかし、最大派閥の筆頭である公爵家の令嬢と渡り合えるのが王太子殿下しかいないためなかなか解決しません。
医務室で治療を受けていると王太子殿下がやってきました。
「すまない、おそらく数日は腫れが引かないでしょう、しばらく学園を休んだらどうですか。こちらで必要な手配はしておきますよ」
流石心優しい王太子殿下です。
「お心遣いには感謝いたしますが、明日から王宮官吏の推薦に必要な試験がありますので学園を休んでいられません。お許しください」
私はリリーナ様を見て笑っていたのではなく掲示板に張り出された官吏の募集要項を見て笑っていたのです。
目標のためにも少し顔が腫れているくらいで休んでいられません。
「そ、そうか・・これからも励むように」
王太子殿下はやや驚いたみたいですが、私を励ましてくれました。
よし、明日からも頑張りましょう。
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試験も終わり私の顔の腫れも引いてきたころ、突然に殿下がやってきました。
どうやら先日の試験結果を見て、私を側近に誘いに来たようです。
殿下の側近といえばエリートコース間違いなしなのですけど、女性の側近は殿下のマイナスにしかならないのでやんわりとお断りをしました。
命令ではなかったのできっぱりと断っても良かったのですが、貴族社会の底辺である男爵家の私は強気に出られなかったのです。
これが失敗だったのでしょう、それからたびたび私のところに殿下がいらっしゃるようになりました。
「ほう、そなたもその本を読んでおるのか」
殿下、こんな人目のあるところで話しかけないでください
「ごきげんようゼルオスト殿下、リシミューの一般政治論は応用範囲が広く大変気に入っております」
私は社交用の笑みを貼り付けて殿下に微笑みます。
「そ、そうか・・・ま、これからも励むように」
殿下を見送った後は読書を続けます。
しかし、殿下はなにをしに来たのでしょか?
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しくじりました。
こうなる可能性を理解していたので絶対にあわないよう心がけていたのですが、呼び止められてしまっては逃げることもできません。
「あら、こんなところに子供が紛れ込んでいるわ」
リリーナ様は私を見下ろしながらそう仰いました。
確かに私は十四歳には見えず、下手をすると十歳くらいに間違われることがありますけど。
「申しわけございません」
私はとりあえず謝る。
反論して相手を余計に刺激するようなことはしない。
「邪魔よ」
突き飛ばされた私は転んでしりもちをついてしまう。
「廊下の壁沿いを歩いていた私が邪魔なんて、リリーナ様は大変ふくよかでいらっしゃる」などと思いはしたが当然口には出さなかった。
立ち上がろうとしたとき、すっと手が出てきて私を起こしてくださいました。
「ゼルオスト殿下ありがとうございます」
最近殿下との遭遇率が異常です。
もしや殿下は私のストーカではなかろうか、などという不敬も考えたりしました。
まあ、文武両道、眉目秀麗の殿下がちんちくりんの私などを気にしているなどありえない話です。
「大丈夫か、何処か痛いところはないか?」
本当に殿下は女性に優しくていらっしゃる。
「少し転んだ程度です。大事ございません」
私はいつも通りに社交用の笑みを浮かべる。
「そ、そうか・・あの者のことはいずれ私が何とかしてみせる。それができたら私の望みを一つ叶えてはくれまいか?」
「わたくしにできることであれば何なりと」
男爵家にできることなど高が知れているけれど、我が家の王家への忠誠は本物なので断ることなどありえません。
私の答えを聞くと殿下は大変嬉しそうな顔をして去っていかれました。
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「リリーナ・ファレアス、きさまとの婚約を破棄する」
「ゼルオスト殿下、これはどういうことですの」
あ、それ私も知りたいです。
私は殿下の背になぜかかばわれながら、きょとんとした顔で現状を眺めています。
「きさまの家が今まで犯してきた罪状はすでに露見している。おとなしくしろ」
現状がわからないと思うので説明させていただきます。
どうやら、リリーナ様の家が罪を犯したため殿下と近衛騎士に囲まれて断罪されていらっしゃるようです。
私がなぜここに居るのか、それは私にもわかりません。
なにせ殿下の側近のアントワ様に無理やりここに連れてこられたのです。
殿下は私をリリーナ様の視線からかばって下さっていますが、できれば最初からここに連れてきてほしくなかったです。
「くっ、その女が殿下に何か吹き込んだのね」
え・・・いえ私は部外者ですよ。
「連れて行け」
「おぼえてらっしゃい!」
怒涛の展開についていけない私を残して、どうやら断罪は終わったようです。
「チッタ・セレディア、私との約束を忘れてないだろうね」
ああ、そういえば殿下の望みを叶えないといけないのですね。
「はい、おぼえております」
なにを要求されるのでしょうか、あまり無理は言わないでくださいよ。
「私はそなたが欲しい」
「わかりましたゼルオスト殿下」
そうですか、まだ側近にすることを諦めてなかったのですね。
周囲から歓声が沸き起こる。
確かに女性の側近は珍しいとは思いますけど、そこまで騒ぐことでしょうか?
「うむ、そなたを父上に紹介するため、明日の午後に迎えの馬車を出す。今日は屋敷に戻り明日に備えるように」
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私は屋敷に帰って両親に殿下の側近になることを話しました。
そして今私たちはお母様の実家であるリップス伯爵家に来ています。
それはなぜか・・・私の家には王宮に上がれるようなドレスなどまったく無いのです。
なにせ貴族と言っても領地は村が四つあるだけの貧乏貴族
お父様も若いころに爵位の授与の際に着た服はあるのですけど型が古すぎて使えない、私はドレスそのものが無い、仕方なく衣装を借りに来たのです。
「ゼルオスト殿下も支度金くらい出して準備をさせるくらいの配慮をしてくださればよろしいのに」
リップス伯爵夫人の言葉に私も全面的に同意します。
「ゼルオスト殿下には何かお考えがあるのですわ」
え、同意じゃないのかって、それはあれですよ本音と建前ってことです。
しかしお母様の実家に同じくらいの背格好のご令嬢がいてよかった、いなかったらちょっと裕福な町娘の格好で王宮に出向かねばならないところでした。
「チッタお姉様、王太子殿下の側近になられるなんてすばらしいですわ」
あ、この子はリップス伯爵家の一人娘で、五歳年下のベネット様です。
・・・・聞くな!
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お父様服は何とか手直しが間に合いました。
え、私の服ですか・・・聞くなと言いましたわよね!
それはさておき、迎えの馬車に乗って王宮にやってきました。
元々女性官吏を目指していたのですから、私にとってこれはまたとないチャンスです。
落ち着いて頑張りましょう。
しかし・・・・・
「お父様、右手と右足が同時に出ています。遠き異国の宮殿ではそのような作法も有ると聞き及んではおりますが・・・」
「そ、そうだな・・ちょっと待て」
早くしてくださいお父様、先導の騎士に置いていかれますよ。
「セレディア男爵、そなたはこの件に異論はないな」
「はい、娘がゼルオスト殿下に望まれたことは大変な栄誉と思っております」
国王陛下の言葉に末端貴族は逆らえるはずもないのです。
「そうか、チッタ嬢もよいのだな」
「はい、今のわたくしでは力不足かもしれませんが、ゼルオスト殿下のお力になれるように全力を尽くします」
どうやら陛下と王妃様に認めてもらえたようです。
私たちは別室に案内され宣誓書にサインするように言われました。
側近になるためには宣誓書が必要だったのですね。
私とお父様は緊張で内容をまったく見ていなかったことを後で後悔することになりました。