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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

なりたい自分になった男

作者: 大橋 秀人

瞬くと、目の前のカップルが手を繋ごうか繋ぐまいかで小さく言い争いをしていた。

高校生だろうか。

制服姿の女の子が、チラチラとこちらを見てくる。

エスカレーターに乗っているのだから視線を逸らすのにも限界があるんだよ。

私は愛らしい二人に言い訳の念を送ることしかできない。

ワンフロア上に辿り着いたタイミングでとうとう男の子が女の子の手を取った。


震災から五年が経った。

私はこの春、ハタチになる。

五年前、私もあんなだったな。

はにかんでも手を離さない女の子を見てそう思う。

地元にできたショッピングセンターに来ていた。

本屋で立ち読みした後、洋服屋でセール品を物色、年末に出店したばかりだという雑貨屋も覗いてみた。

退屈ではなかった。

時間が静かに流れていた。

何も考えないようにしていた。

今日は、何も考えたくない日だった。


銘店で菓子折りを買い、目に留まった花を一束作ってもらった。

―――お前は花が似合う女になれ。

キザったらしく言ったヨシオの顔が思い浮かぶ。


※※※


―――なりたい自分になるんだ

あいつはいつもそればっかりだった。

―――いつも笑顔でいる男になりたい

「そんなの、なれっこないじゃん」

昔から気難しいタチだった私は、あまのじゃくにそんなことを言った。

―――いや、そうか、俺はいつも笑顔の男だ

ヨシオはそう言って実際ニヤニヤして、ほらな、と自慢する。

―――お前もなってみれば?

あいつは本気で後先を考えない奴だった。

「やだ。絶対イヤ」

―――なんで? 笑えって

「面白くもないのに笑えるか」

―――面白くなくても笑うんだよ。そしたら面白くなってくるから

そう言って満面の笑みで食い下がってくるものだがら、根負けして笑顔を零してしまう。

そしたらまた、ほらな、とドヤ顔をするのだ。

ヨシオのドヤ顔はひどかった。

もう本当にドヤ顔だった。

それ以外のナニモノでもないドヤ顔―――。


※※※


違う。

今日は何も考えない日だった。

また意識が過去へ吸い寄せられてしまった。

私は一人、咳ばらいをしてみる。


家を無くした私は、当時の交通手段である自転車もなかった。

だから、久しぶりにバスに乗った。

新しい街並みに私たちの思い出の場所は見当たらない。

待ち合わせ場所の陸橋。

時間をつぶしたカフェ。

買い食いした駄菓子屋。

初めてのデートで行った映画館も、もうそこにはなかった。



海は、形を変えながらもそこにあった。


※※※


中学からの腐れ縁だったヨシオは、学校が変わっても度々私の前に現れた。

―――なんか叫んでみるか。

私はあいつの言葉を無視した。

まだ付き合う前、海に連れ出されていた。

文字通り無理やりに。

手を引かれ、嫌だと言っても放してくれなかった。

当時の私は学生生活の些細なトラブルから人間関係に嫌気がさし、何日か高校を休んでいた。

だからと言って、叫ぶって。

私はその誘いを本気で鼻で笑った。

体育会系じゃないんだから。

かなりひねくれが拗れていたから、何をしても、されても悲観的な自分がいた。

―――海はいいな。

私のことなんか気にしていないようにヨシオは気持ちよさそうに伸びをする。

―――俺が死んだら、骨は海に撒いてほしいな

なんで私にそんなこと。

―――生き物は、最後は海に帰るって言うしな

それ、きっと土じゃない? と思っても言ってやらない。

意地悪できて、私はニヤリと笑んでしまう。

―――なになに、なんか面白かった?

それを見逃さないヨシオはガツガツ来る。

「ばか」

だから端的にそう伝える。

―――ハナから利口にはなりたくないね。

本当は頭がいいのに、あいつは本気気味にそんなことを言って波間に駆け出した。

―――なあ

海に向かっていたから、それが私に投げ掛けられた言葉だとは思わなかった。

―――俺は一人の女を愛し続ける男でいたいんだ

はあ、それで?

―――俺は、お前をずっと見守ってるよ

いきなりそんなことを言い放たれて、私はしばらく事態を把握できなかった。

振り向いたヨシオはいつになく真剣な表情だった。

彼が近づいてくるにつれ、言葉の意味が理解できてくると、私はまず、辺りに人がいないか見渡した。

こんな丸聞こえのところで、あんたは何てこと言い出すんだ。

近寄られ、慌てふためいた私は砂に足を取られ、尻餅をついてしまう。

―――だから安心して

あいつは論理を無視した言葉でも、自信満々に口にして手を差し伸べてきた。

でも、その時の私にはなぜだかその言葉が、案外心の奥底に響いてしまったのだった。


※※※


「ごめんください」

住所の書かれたメモを再度確認しながら、玄関の前に立っていた。

立ち並んだプレハブ住宅の中の一つを探すのは一苦労だった。

ここで合っている自信もなかったが、中から人の動く気配がして、もう引き返せないと思った。

「いらっしゃい。迷わず来られましたか?」

優しい言葉で迎えてくれた女性は、返事もろくにできない私を部屋の中へと招き入れてくれた。

「あの、はじめまして。今日はお忙しいのにお時間とっていただいて―――」

「―――ああいいのよ、そんな堅苦しい挨拶なんて」

ここに座って、と言って女性は私の肩にポンと手を置く。

「まじめなのね」

悪意のない声に私のあまのじゃくも作動する気配を見せない。

「あの子が言ってた通りだわ」

持ってきた菓子折りと花を受け取ると、ヨシオの母親は嬉しそうにそんなことを言う。

「私のこと、話してたんですか」

やましいことはなかったのだが、どこか恥ずかしくて彼がどんなことを言っていたのか気になった。

「ええ、それなりに」

含み笑いで返されると気になっても突っ込んで訊けない。

「あの子あんなんだったから、隠し事なんてできないでしょ」

「ですよねー」

私もそれには疑う余地はなかった。


付き合ってからも彼の家を訪れることはなかった。

極度の人見知りだった私が嫌がったのだ。

でも、もし目の前の人が母親なのだと知っていたなら、当時から仲良くできたかもしれない。

そんなことを思って女性を見た。

「あの子、なりたい自分になるってよく言ってたじゃない」

お茶をテーブルに置きながら彼女は言う。

「おウチでも言ってたんですか」

「そうよ? いつもの調子で、自分の目標を宣言するのよ」

イタイ奴だとは思っていたが、ここまでとは。

苦笑しか出ない。

「いつも笑っていたいって」

「言ってましたね」

「人に手を差し伸べられる人になるって」

「そんなことも言ってたんですか」

言いながら、そう言えば私も手を差し伸べられた口か、と思い直す。

「好きになった人を愛し続けるって」

そう言って母親はこちらに笑顔を向ける。

「そんなことまで」

私は恥ずかしさに俯く。

でも、思いのほか当時の情景が蘇り、息苦しくなる。

「・・全部、その通りになっちゃったね」

母親は少しの沈黙の後、嘆息と共にそう呟いた。

そこには色々な感情が含まれているようで、私は返す言葉が見つけられなかった。

「なりたい自分になったんだよ、ヨシオは」

そうして母親は、どこか晴れやかにそんなことを言って彼の遺影に目を向けたのだった。



彼のお墓は高台にあり、津波の被害を免れていた。

母親の話では、入るお墓があるだけマシ、なのだそうだ。

あっけらかんとそんなことを言ってのける彼女に私は少なからず救われた気分になった。

「今日はお別れに来ました」

墓前を前に、開口一番、そんなことを口にした。

母親に聞こえていたが、この人になら聞かれてもいい、聞いてほしいとさえ思えた。

「五年間、考えてた。あなたのこと、私たちのこと。あなたのいない人生をこの先どう生きていけばいいのかを」

トンビだろうか。

見上げると、昼下がりの墓所の上、高いところに一匹の鳥が飛んでいた。


※※※


―――いろんなことを考えて生きていく

「それは嘘だね」

私はヨシオの言葉を真っ向から否定した。

「あんたはモノを考えられないタチだから」

陸橋の中央で、その時はウミネコの群れを見ていた。

「あんたは感じたまま行動するんだよ」

―――そうかな

「そうだよ」

ヨシオは考える素振りを束の間見せ、どうやら諦めたようだった。

―――お前は幸せになる

「いきなりなに」

本当に突然だったから、そう訊かざるを得なかった。

―――幸せだって思えたら、人はみんな幸せだ

そんなバカ丸出しの論理をまじめに彼は言い、バカだと思いながらも私は心のどこかで納得してしまう。

―――そんで、お前が幸せなら、俺も幸せだ

そう言うヨシオを見やると、彼もまたこちらを見て、ニンマリと笑って見せたのだった。


※※※


「ずっと考えてた。でも、答えなんてないんだって思った」

当時の情景が瞼の裏に浮かんでくる。

鮮明に。

私はその時、恋をしていた。

生活は苦しく、迷い続けていたが、疑いようもなく幸せだった。

それは、隣にヨシオがいてくれたから。

「でも、あんたは言ったよね」

墓石に向かって語気を強める。

「あなたは、私が幸せなら自分も幸せだって」

目の前の石は、モノ言わず沈黙を守っている。

「だから、私は幸せになる」

私は宣言した。

「だから、あなたも幸せ」

そして墓石に手を添え、そう告げたのだった。



「もうここへは来なくていいからね」

ヨシオの母親は帰り道、どこから出したかわからない声で呟いた。

「忘れていいから」

彼女はでも、かすかに寂しさを隠しきれない声色を出す。

「いいえ、忘れません」

だから私はそう言っていじわるに笑ってみせる。

こういう顔は得意なのだ。

「ヨシオにはこれからも私のこと、見守っていてもらうんです」

そう、あいつがそう言っていたんだから。

「ずっと私のこと見守ってくれるって言ってたんで」

私がそう言うと、母親は少し驚いた顔をした後、ありがとうと言ってまた肩に手を置いてきた。

「私、まだハタチなんです。これから楽しいことがいっぱい待ってますから」

きっとあいつならこんな風に言うだろう。

そんなことを思って、私は彼女の手を握ったのだった。


高台から海が見えた。

突き抜けるような空の下、海原が遥か遠くまで広がっている。

気持ちのいい午後だった。

傍らを吹き抜ける風が、春を予感させた。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん…。思わず唸ってしまいます。 さすが、大橋さん! matatakiシリーズらしい作品であり、正にスマイルジャパン。 直接的な震災小説ではなく、震災を背景の一つに捉えながら、彼女の思い…
[良い点]  ヨシオさんの言う「なりたい自分」。  まさかこんな形で実現するとは、彼も思ってはいなかったのでしょうか。  それとも、たとえどんな形であっても、「なりたい自分」になることを願っていたの…
[良い点] 読み終わったあと思わず「……ああ」と息が漏れました。 ちょっとの悲しみと、大きなカタルシス。 素晴らしい作品です。 [一言] 彼女が、強くあってくれて良かったと思いました。 きっとそれが、…
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