片言
ここまで摩天楼への着地と一声の咆哮以外に大きな動きはなかった。とは言っても、その出現自体が一つの大きな波瀾だった。
羽ばたきの一つで道行く車輌が木の葉のごとく宙を舞った。
着地の際には周囲の建物の多くがなぎ倒され、踏み潰され、崩れ落ちた。
止まり木となった摩天楼が潰れなかったのはどういった奇跡の為せる業か知らないが、竜がそこに降り立った、ただそれだけで街は並みの天災とでは比較にならない程の甚大な被害に見舞われていた。
避難命令の発令から都市封鎖までの対応は迅速に行われた。封鎖範囲の広大さを考えればそれは驚異的なスピードで成し遂げられた。避難にあたっては当然パニックもあったが、それが致命的なレベルにまで拡大しなかったのは、竜の足元から帰ってくる者がほぼ皆無だったからに他ならない。何時また竜が動き出すか知れない現状では、救難活動を行うことも出来ず、人的被害の数は杳として知れなかった。
無人の市街地――いや、命知らずなジャーナリストか、恐いもの知らずの火事場泥棒くらい紛れ込んでいそうなものだが。
事実、とあるビルの屋上に一つ、人影があった。白いロングコートが風にはためく。
竜が吹き散らした鈍色の雲は既に再び集い、この街を覆っている。
一雨来そうな空の下、彼はただ押し黙って竜を見詰めていた。もう随分と長い時間そうしていたが、それで何かが得られる訳でもなく、時間の浪費でしかない。それは始めから分かっていたが、彼は今のうちから自分の目で直接竜を見ておくことがどうしても必要なことだと思っていた。それが、恐らく次の仕事にとってとても重要なことになるのだと。
満足感すら得られることのない瞑想にも似た時間は、軍用ヘリの飛来で破られた。降下して来た軍服の女性が声をかけるよりも早く、コートの青年は振り返りもせずに問い訊ねる。
「君は、あれを見て何を思う?」
「……どうにかせねばならないと思います。それは、力ある者の責務かと」
彼女が慎重に選んだ言葉を聞いて青年は小さく笑った。現状を良しとせず、然りとてどうあるべきかには触れない。そんな曖昧な回答が今の彼には心地好かった。何時だって誰だって、そこがスタート地点なのだ。
振り返れば彼女は敬礼のままで待機していた。
「お迎えにあがりました。ご同行願います」
「あぁ」
青年が短く応えた時だった。二人は同時にその気配に気付いた。竜がゆっくりとその首を持ち上げていた。天を突く摩天楼の先端から更に上天を指して、一声。この街に降り立った時よりも長く、そして甲高く吼えた。大気が震え、何処か遠くで建物が崩れる音がした。
「……泣いている?」
青年は竜が伝承にある通りの存在ならば、自分にも出番があるかもしれないと考えていた。国の対応を見ているうちにその可能性は更に高まり、実際にお声がかかるにまで到っていた。
今、彼のスキルが必要とされている。それが果たして竜に通じるものなのか、彼自身にも疑わしかったが、あの鳴き声を聞いて少なくとも何かやりようはあると、確信が持てた。
どうなるかは分からないが、自分がどうにかするのだ。あの竜を。
決意を胸に青年はヘリに乗り込んだ。