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兄弟とは1番近い他人である。同じ空間で、同じご飯を食べ、同じ親に育てられて、成長する。だから、その存在を兄弟と認識する。
しかし、まったく見たことのないもの同士の兄弟がいたらどうだろう。会ったときに兄弟だと思えるだろうか。答えはノーだ。いくら血がつながっていようと、所詮、他人は他人だと感じるはずである。
では片方だけが兄弟だと認識していたら。
これは僕の今朝の出来事である。
「裕太、起きなさい! 」
父が病気で亡くなってから、僕は母親と2人暮らし。母は仕事が朝早いので、僕も少し早めに起こされる。これが中山家の日常。
僕は眠たい目をこすり、布団からぬけだす。雨戸の隙間から差し込む光は机の上の写真立てを照らす。ドアの向こう側からは階段をのぼる足音が聞こえてきた。一定のリズム、そして聞きなれた僕の家の階段の木の音色が響く。なんだかいつもより少し足音が軽い気がする。
ずっと一緒に暮らしていると、足音だけで誰かわかるようになる。僕も昔は父と母の足音を聞き分けたものだった。そしてその足音はその日の気分もよく表す。いつも優しく、僕には不機嫌なところを見せない母だが、足音がなんとなく重い日もあった。
しかし、今日の母は機嫌がいいのだろう。それは僕にとっても嬉しいことだ。
ガチャ、ドアが開いた。
「おはよう」
僕が声をかけると向こうからもかえってくる。
「おはよう」
こうして母と僕との……。
「……えっ、誰」
知らない人がいた。
僕はもう一度目をこすり、その人を見る。
「えっ、誰」
僕はもう一度呟いた。
そこに立っていたのは僕より少し年上のお姉さんだった。
「ご飯できてるよ。早く降りてきてね」
そう言い残し、その人は階段を降りていく。
「えっ、あ、はい……」
頭が一気に冷めていく。窓には動揺を隠しきれない僕の顔が映っていた。
僕は混乱したまま階段を降りた。
一階に降りると、食卓には色鮮やかな朝食が用意されていた。母と僕と……もう1人知らない人と、テーブルを囲み朝食をとる。
「……あの、母さん。この人誰」
知らない人と家でご飯を食べるなんて違和感がありすぎる。なぜ母はこんなにいつも通りなんだろう。
「何を寝ぼけたこと言ってるの。お姉ちゃんじゃない? 」
姉?僕に姉なんていない。16年間ずっとひとりっ子として生きてきた。
「裕太ー。お姉ちゃんですよー」
そのお姉さんも両手を顔の前でひらひらと振る。
弟のボケに付き合う姉といった感じだ。重い空気が流れているのはきっと僕のまわりだけだろう。2人はニコニコとしている。
どうやら母もこの人も、僕を騙してるわけではなさそうだ。だとしたらいったい……。
朝食後、母が仕事へと出かけるのを見送り自室にあがる。お皿を片付けるのは長年僕の仕事だったが、お姉さんが片付けはじめたので、僕は自分の分だけ流し台へと運び、今日は任せることにした。台所のものの配置は僕よりわかっているようだった。
そして自室で、今の出来事を冷静に考える。
まず考えられるのは、僕は姉を忘れてしまった。つまり記憶喪失になったということ。
……果たしてこれは冷静に考えられているのだろうか。いや、でもそんなことを考えていても仕方ない。お姉さん自体には不思議な点は特にない。現時点で1番可能性が高いのは記憶喪失とであるということだ。その場合は僕は頭を強くうった、もしくはなんらかの病気かもしれない。とも考えられる。明日、念のために病院に行こう。
「行ってきます」
普段は言うことのない言葉である。いつもは僕が鍵を閉めて家を出る。
僕は玄関で靴を履き、教科書の入った鞄を持ち上げる。
「何言ってるの。私も行くわよ」
お姉さんも折り畳み傘を片手に慌ててやってくる。
制服は……僕の高校のものだ。
セーラー服のネクタイは几帳面に整えられている。
同じ高校に通ってるのか。
同じ家から同じ駅へと向かうのだから仕方のないことだが、僕は姉と並んで駅へと歩く。
お隣さんは犬を飼い始めたみたいだ。ワンワンという鳴き声が聞こえる。
通り道で出会うご近所さんに姉は元気に挨拶している。僕ももちろん挨拶はするが、姉は元気そうだ。
電車に乗るとちょうど2人分席が空いていたので並んで座る。
姉と弟というのはこういうものなんだろうか……。少しひっつきすぎではないか。
姉はそうではないんだろうが、僕は1人の女の人として姉を見てしまう。仕方のないことだ。なにしろ今朝出会ったばかりなのだから。そして兄弟であるはずの僕が言うのもなんだが、綺麗な人だ。そのことにふと気づいてしまうと不思議なもので意識がお姉さんから離せなくなる。急に変な緊張を感じ、窓の外へと視線を移す。流れていく景色の上には少し暗めの雲がうっすらと広がっている。なんともいえない空模様だった。
「そういやさあ、あんたテスト大丈夫なの」
姉が唐突に言った。
「まあまあだよ。一応それなりには勉強してるからね」
僕はできるだけ自然な感じで答える。しかし初対面の年上の女の人相手に敬語を使ってはいけないというのは難しいものだ。少したどたどしくなってしまったかもしれない。
「へぇー、裕太がそう言うなんて珍しい。いつもは泣きついてくるのに」
姉の中の僕はどうなっているんだろう……。それにしても、指で頬をつつくのはやめてほしい。顔が赤くなってるのが絶対にばれてる。しかし、気づかなかったのかスルーしたのか
「今回もちゃんと教えてあげるわよ」
そう言ってお姉さんはにこりと微笑んだ。その屈託のない笑顔に見とれてしまった。
「ね、姉ちゃんは自分のテストもあるだろ」
僕は目を下に逸らしながら呟くように言う。
姉ちゃんと呼んだとき、体が熱くなった。……つまりすごく恥ずかしかった。
「私は大丈夫よ。私の成績知ってるでしょ。このままいけば推薦で大学も決まるんだし」
「うん、まあ」
僕は知るはずもないことだったが適当に相槌をうつ。
駅を出てから学校までも当然一緒だった。自然と揃う足音を聞きながら歩く。
「おっす、裕太」
後ろからやってきたのは大輔。
親友は誰かと聞かれれば迷わずこいつの名前をあげる、僕にとってこいつはそういう存在だった。
「おっす」
僕も手をあげて答える。
「お姉さんもおはようございます」
「おはよう、大ちゃん。今日も朝から元気そうね」
えへへと大輔は照れたように笑った。
大輔にもこの人は僕の姉と認識されているようだ。一瞬足を止めた大輔はまた走りだす。
「裕太、悪いけど先行くわ。今日、日直なんだ」
肩から少しずれた鞄を持ち直し大輔は言った。
「そうか。じゃあまたあとで」
僕は手をひらひらと振り駆けていく大輔を見送った。その後ろ姿は間違うはずもない、いつもの大輔だった。
下駄箱で姉と別れる。
「それじゃあな。ね、姉ちゃん」
「うん。バイバイ。今日は用事ないからいつものとこで待っててね」
僕のぎこちない笑顔が困惑の顔に変わる。いつものとこ……一緒に帰るのか。
それにしても、いつもの場所か。普通に考えれば下駄箱前か、校門前だよな。
考え事をしながら歩いていたせいで目の前のドアが開くのに気づいていなかった。
「いてっ」
「あっ、ごめん。……って由梨か」
「何、私ならいいっていうの」
こいつは家が隣で昔から仲がいい。いわゆる幼馴染だ。僕より少し背の低い由梨は女子としては平均くらいだろう。
「悪い悪い。そういうわけじゃなくて……」
「朝から私に抱きついてくるとか結構な挨拶ね。……おはよ」
ちょっと怒っていた由梨の顔がふわっとほころぶ。
「おう、おはよう」
由梨の髪型が変わっている。だからといって褒めてやる気はないが、言うタイミングを逃したな。
自分の席につくとまわりを見渡す。うん、いつも通りだ。黒板には几帳面な字で日付が書かれている。早くもノートを開いて勉強している人、集まっておしゃべりしている人。遅刻ギリギリに教室に入ってくる人。この光景に僕は安堵する。
「それじゃあ、始めるぞ」
ガラガラとドアが開き、担任の先生が入ってきた。先生は真面目でいい人だ。欲を言えばもう少し砕けてくれてもいいのにな、というくらいだ。
授業は滞りなく過ぎていく。なんとなく気が進まなくても外を眺めていれば勝手に時間は過ぎる。電線にとまるカアカアと鳴く2匹のカラスや表を走る無数の車、なんの変哲もないものを見ているのが暇つぶしというものだ。
「なあ裕太、おまえなんか悩み事でもあるのか」
昼食を一緒に食べている大輔が唐突にそう言った。
「そう見えるか」
「いや、悩んでるっていうか考え事をしてるっていうか。なんかぼーっとしてる感じ」
さすが、大輔はよく見てくれている。でもこんなことを話すわけにはいかない。
「そんなことないよ。昨日ちょっと夜更かししてたから寝不足気味なんだ」
僕は適当にごまかした。
「そうか、それならよかった。ゲームでもしてたのか」
「まあそんなとこ」
小さいころから大輔はなんでも僕のことをお見通しだった。もしかしたら今も嘘がばれたかもしれないがそれを受け流してくれるのも僕のよく知っている大輔の優しさだ。




