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本話はシリアス回となります。
彼女に連れて行かてた先の庭園は、すでに陽は落ちていた。
私たちを照らすのは、近くの王宮の窓から漏れるランプと庭園内に幾つか置かれている背の高いランプ塔の明かりのみだ。
「最近目に余るものがありますわ」
「はぁ」
「あなたご自分の身分をわかっているのかしら」
彼女の後ろをついてここまで来る最中、この人があのダグラス家の令嬢ベニキアさんだと気づき、呼び止められた理由に気づいた。
彼女はフェルナンド様に熱烈に入れ込んでいる一人だ。
私がここ最近フェルナンド様と親しげにしている姿を見て、警告に来たのだろう。
先日フェルナンド様に軟膏を渡した翌日から、なぜか彼は私の前に頻繁に出没し始めた。
従業員の食堂に行くとよく同じ席に座ってくるし、帰りに遭遇して家まで送っていただくこともある。
しきりに話しかけてきて、真剣な視線で見詰めてきて、手を取ったり、触れてくる。
急激に近くなった彼との距離に、私は困惑していた。
そして、甘く疼く気持ちに必死に蓋をする。
令嬢の腕が伸び、手にする扇の先で私の顎を上げさせられた。
「あなたのような貧乏貴族で貧相な方は、フェルナンド様の隣に立つことすら見苦しいことを、お分かりになっていませんこと?」
射抜かれる視線に、顔をそらす。
「フェルナンド様が話しかけてくれるからって、いい気にならないことね。とても見苦しくてよ」
逸らした顔が、再び扇で彼女の方に向けさせられる。
「間違っても、あの方に好かれているなんて、思い上がらないように」
彼女はその言葉を残すと、颯爽と暗闇の中へ立ち去った。
立ち尽くす私の頬に、つと、涙が流れた。
漏れそうになる嗚咽を必死に抑える。
そんなこと、・・・言われなくてもわかっている。
彼に微笑まれるたび、触れられるたび、胸が締め付けられた。
好きなんです、あなたを。
『あの夜』から。
そう言ってしまいたいたかった。
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6年前、パーティーで出会ったあの日、会場に入った瞬間、王子様のような少年が真っ先に目に入った。
興奮して母に問えば、あの公爵家のダーランドの息子だという。
短く切った黒い髪を香油でセットし、銀色の瞳の目が意思が強そうに輝く。形のよい眉と薄い唇。
質の良いシャツと黒の三つ揃いが、彼の品の良さ引き出していた。
無謀にも一言、言葉を交わしたいと思ったが、誰の目にも素敵に映る彼は、すでに美しく着飾った少女達に囲まれていた。それでも、美味しい料理を口にしたり、同年代の少年少女たちと言葉を交わす間も、彼の姿だけは目で私は追っていた。
しかし、母に呼ばれて知り合いの男爵婦人とおしゃべりをしている間に、彼はいなくなっしまい、気を落とした私は、会場の庭に続く扉から月夜の庭を一人眺めることにする。
すると、遠くに青紫の花をつけた植物を見つけて、私は思い切って扉を開けて庭へそっと降り立った。
空は、雲ひとつない綺麗な夜だった。
一直線にその場所へ向かい、しゃがみこみ、見つけた薬草である植物を千切っては、観察していた。
すると、誰かが背中越しに声を掛けてきた。
「何をしているんだ」
恐る恐る振り返ると、あの王子様だった。
一気に緊張が増す。
赤く顔がこの月夜のせいで、分かりませんようにと祈りながら、言葉を搾り出した。
「薬草を、見つけたのでみていたのです」
それが、彼と初めて交わした言葉だった。
彼は、普通の少年であれば眉をひそめる植物の話を、興味深そうに聞いてくれた。
そして、今でも覚えている。
思わず知った彼の本音。
彼の目から溢れた涙。
私を抱きしめる彼の温もり。
私の体を駆け巡る甘く痺れる思い。
パーティーを去り、幾日過ぎてた後も、彼が忘れられなかった。
それが、『恋』だと気づくのに時間は掛からなかった。
再び会いたくて想いを募らせる日々がつづく。
しかし、母が亡くなるのと父の賭け事の問題が重なり、パーティーなんて夢のまた夢の話しになってしまった。
時が経ち、偶然にも、今の研究所に勤めるようになって騎士団の彼に近くなる。
さらに今回のくじ引きで再び出会えたの訳だが、それで、彼をいかに好きか、彼の存在がいかに雲の上の存在何かを思い知らされることになる。
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ようやく止った涙の後をシャツの袖口で頬をごしごしと擦り、庭を出る。
力なく歩く廊下の先から、フェルナンド様が向かってきていた。
どうして、こんなタイミングに会ってしまうんだろう。
できれば今日は会いたくなかったのに。
先ほど、令嬢に言われた言葉が思い出される。
フェルナンド様は立ち止まると、照れたように笑った。
「今日は遅いんだね。王宮の入り口で待っていたんだが、来ないから、研究室に行ってみようかと・・・」
すぐ側で微笑む彼を見上げる。
「どうかした?頬が赤くなっている」
フェルナンド様が、先ほど擦った私の頬を親指でそっと撫でた。
令嬢の言葉が蘇る。
わたしは諦めなければいけない立場の人間なのだ。
でも、諦めるにはフェルナンド様が近すぎる。
こうして彼の体温を感じてしまえるほど近い。
だが、終わりにしなければならない。
「フェルナンド様、その、・・・あの傷の方はいかがですか」
「あ、ああ、もう大丈夫だよ」
デートの騒動があってから、傷が癒えるには十分な時間が立っていた。
そのことに、気づいていたが、私は彼に積極的に傷のことは聞けないでいた。
だが、はっきりと今、分かった。
私と彼をつなぐ『傷』はもう無い。
ならば彼にとって私は必要のない存在だ。
頬にあたる彼の手を押し戻し、私はとびっきりの笑顔を作って見せた。
「でしたら、もう、あなたに会う理由はありませんね」
彼に触れる手を放す。
震えるな私の声。
「あなたに、会いたくないんです」
あなたを想って、胸が苦しいから。
「さようなら」
私は、ランプの灯る廊下を走り去った。
愚かな私は、彼が追ってくれる事を心の片隅で期待していた。
しかし、飛び込んだ王宮の資料室でうずくまった私を包むのはいつまでも静寂のみで、月が空高く上る頃まで一人、私は泣いた。




