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夜明けのクロニクル  作者: うにうにリレー団「夜クロ」執筆陣一同
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その2

「シャルムさん」出撃前のシャルムを、タリアが呼び止める。「コレを…」そう言ってタリアは、シャルムに何か手渡した。彼女の手は包帯でグルグル巻きになっている。「?」「お裁縫なんて…めったにやらないんですけど…」それはタリアが作ったお守りだった。「タリア…」「私は連れて行ってもらえませんでしたけど…だから代わりに、コレがアナタを守ってくれるようにと」「……」シャルムはギュッと、そのお守りを握り締めた。「ありがとう、タリア」シャルムを乗せた馬が、彼の軍を率いて去って行く。続いてやって来たテッドがタリアに言った。「心配するな」「テッドさん…?どうして…?」今回出撃するのはシャルムだけだと、タリアは聞いていた。「俺も出るよ。奴は隊長で…俺は副長だからな」「…ズルイです」「その代わりと言っちゃなんだが…この戦いは勝って終わらせて見せる」・・・・・・・「来たぞ!王国軍だ!!」マサカドが大声で告げる。「騒ぐなマサカド!病人の前だぞ!!」そんなマサカドをアレンが叱咤する。彼らの部屋にはメルデネスが寝ていた。「こんな時に…!」アレンは焦りと不安で、苦々しく声を漏らす。「行こう、マサカド」「!」そう言ったのはソラだった。「アレン、アンタは大将だ。取り乱すなんてみっともないぜ?」ソラの笑顔に釣られて、アレンの顔も少しだけ緩む。「…そうだったな」そしてアレンは手を翻して言った。「総員出陣だ!ティターンズゲートで迎え撃つ!!」・・・・・「また…ここか」テッドが呟いた。ティターンズゲートはシャルディーニが戦死した場所だ。「来たぞ…!」シャルムがテッドに諭した。「武運を祈る、シャルム」「ああ、鋼の王国騎士団と共に!」そう言って二人の隊は二方向に別れて行った。「行くぞ!!この森を突破すればガノスだ!!」テッドは全軍に激を飛ばしながら、向かって来る敵を次々と斬り倒して行く。「さぁ死にたい者は前に出ろ!!我は王国の槍、テッド=ヴァルファーレンだ!!」「荒々しい騎士様だ!!」「!?」テッドの横合いから、剛剣が唸りを挙げて斬りかかる。「ちッ…!」それをテッドは受け止めた。「でやあぁッ!」二合、三合と斬り結び、そして鍔迫り合いへ。睨み合う二人。「!お前…!」テッドが何かに気付く。斬り結んでいた相手とはマサカドだった。「エバラスティンにいた…!?」「ぬ…貴様はあの時の…!?」同様にマサカドも思い出したらしい。ニヤッと笑みを浮かべた。「そうか…まさかあの時の父娘が彼の有名なテッド様だったとはな!!ここで再び会い見えたのも何かの縁!その命、頂戴するぞ!!」奇妙な二人の因縁。そして或いはテッドは知らないのであろう。彼の敬愛するシャルディーニを討ったのもまた、このマサカドであった。「ほざくな謀反人め!王国騎士団をナメるなァ!!」・・・・一方森の東側では、シャルムの隊が奮戦していた。「深追いはするなよ!また何か罠があるかもしれない!」そう指示を出したシャルムの隊に、矢の雨が吹き荒れる。パリスの弓隊だ。「えぇいッ!」シャルムは迫り来る矢を薙ぎ払いながら、弓隊に突撃していった。「こんな所で死ぬワケにはいかないんだ!!」次々と前線の敵を倒していくシャルム隊。そしていよいよパリスの本隊と対峙した時だった。「さすがは騎士団師団長だ」シャルムと、弓を引くパリスの目が合う。「あ…!」矢は、シャルムの胸目掛けて放たれた。・・・・・「はあぁあッ!」テッドの剣が、マサカドの剣を腕ごと弾く。「しまッ…!」「もらった!!」―ドンッ!そして一閃、無防備になったマサカドの肩を、鎧の上から切り裂いた。「ぐッ…!」「浅いか…だが!」再び剣を振り上げた時だ。テッドの剣を、矢が弾き落とした。「…!」矢の軌跡の向こうには、額から血を流したパリスがいた。「退くぞマサカド…隊長は討ったが、こちらもかなりの被害を受けた」「何…!?」そのパリスの言葉にテッドの顔が歪む。「シャルムが…!?」パリスの後から遅れて、シャルム隊で戦っていたルイズがやって来た。「テッド副長!」「ルイズか」ルイズの姿を確認したパリスとマサカドは、舌打ちをして退く体勢に入った。テッドもそれを追おうとはしない。「テッド殿よ!この次こそは決着をつけよう!!」マサカドはそう言い残し去って行った。「ルイズ…」「副長…シャルム総長が…!」・・・・・戦いの痕。散乱する矢と血と刀と屍。そこに、左胸に矢を突き立てられたシャルムが倒れていた。「シャルム…!」テッドがシャルムの傍らに座り込む。「隊長は…敵に射られた後、その弓手に斬りかかり…そのまま…」ルイズは涙ながらに、必死にテッドに告げる。「馬鹿野郎…!お前はアイツを泣かせるつもりか…!」そう言ってテッドは、シャルムの体を抱き締め、嗚咽を漏らした。「ゲホッ…!」「…?」そのシャルムが小さく咳き込む。「シャ…ルム…?」テッドは慌てて矢を引き抜いた。「コレは…!?」刃の先端に僅かに血がついてはいるものの、後は糸クズが。遅れてシャルムが目を開け、ゆっくりと起き上がった。「シャルム!」「隊長!」「情けない、どうやら気を失っていたようだ…」そう言ってシャルムは、懐からボロボロのお守りを取り出す。「お前…それ…!」お守りの真ん中には、ザックリと矢の痕が残っていた。「怒るかな…壊してしまった」タリアのお守りは、あまり見栄えのいい出来じゃなかった。返し縫を何度もしてあり、糸だらけになってしまったのだ。だがそれが幸いし、何重にも縫われた糸の壁が、奇跡的にも矢の侵攻を食い止めたのである。「タリアが守ってくれたらしい」そう言ってシャルムは小さく笑った。この戦いで、王国騎士団はその尊厳を守る結果を残した。


 「大丈夫か!?」アレンが傷付いたマサカド達に駆け寄る。もともと医者だったので、アレンの治療は手際良かった。「…と言っても…こんな設備じゃ満足に出来ないが」「いえ、充分です」頭に包帯を巻かれたパリスは笑顔で返す。彼の傷は出血の割に軽い。シャルムの放った一撃が力無かった為でもある。「さすがは我らの殿だ。医術も心得ているとは」そう言って笑うマサカド。「まったくです」「!」横合いから声を挟んだのはメルデネスだった。「おお、メルデネス。もう起き上がっていいのか?」「ええ。まだ安静にしていなければなりませんが…しかし少しなら」アレンも安心した様に、しかしまだ用心してメルデネスに椅子を勧める。「メルデネスに打たれた毒は、どうやらストリキニーネの様だったよ」「ストリキニーネ?」「うん、神経系に作用する薬物でね。摂取すると麻痺や痙攣を起こして危険なんだが…少量だったのと処置が早かったのが幸いしたよ。神経剤にも使われるしね」メルデネスが比較的身長が高かったのも、彼が助かった要因の一つかもしれない。小柄なパリスなら、あるいは死んでいた可能性もある。「ダムに流されていたのも同じ薬だった」と、アレンは付け加えた。「しかし…今回の敗戦は痛いな」「悪い、俺が上手く戦えなかったせいだ」アレンの言葉に、ソラが頭を下げる。「俺の隊…ほとんどやられちまったし…」「やめろよソラ」そんなソラに言うパリス。「それなら俺の隊だって同じだ」今回アレン軍が敗戦を喫した理由。その一つがパリスの弓隊だ。シャルムを食い止めたとは言え、シャルム隊の働きによってパリス隊はほとんど全滅に近い被害を受けたのだ。そしてもう一つに、マサカドがテッドに抑えられた事が挙げられる。常に先陣を切って敵隊を討って行くマサカド隊だが、今回は見事テッド隊によってその機能を封じられてしまったのである。「アングルでは当代武勇に優れた者にレイピアの称号が与えられるらしい」「騎士団副隊長の名は伊達じゃねぇって事か」「なぁに、次こそ倒して見せるさ!」マサカドはソラの背中をバンと叩いて大声で笑う。「おう頼むぜマサカド!」ソラもドンと、マサカドの胸を拳で叩く。が、ちょっとズレて傷口に当たってしまった。「貴様ソラ!俺を殺す気か!」「ああっ!悪い悪いっ!」そんな二人のやりとりで、場の空気はいくらか明るくなった。アレンとマサカドを残し、部屋を後にする他のメンバー。「マサカド」そしてアレンはマサカドに言った。「残った、と言う事は、君も違和感を感じているんだね?」「何の事かね」「肩の傷さ」座れと、アレンはマサカドに促がす。「その傷…浅いけれど、危険な所を掠めている。下手な事をして傷が広がれば、もしかしたら…」「最初に言ったじゃないか、アレン」「!」マサカドがアレンの言葉を遮る。「戦うしか能が無いと。俺から剣を取り上げてみろ?いくらアレンだからとて許さんぞ」「マサカド!」部屋を去ろうとするマサカド。「マサカド…医者として忠告する…!僕の言う事が聞けないのなら、この先保証は出来ないぞ…!」アレンの言葉に、少しの間の後マサカドは振り向く。「最初っから…俺達は何も保証されてない。それでもやるって言うから、俺はお前に付いて来たんだ」「…!」戸を閉めたマサカドの手は微かに震えている。それは武者震いなのかもしれないし、武人のみが感じるある種の畏怖から来るモノなのかもしれない。「テッド=ヴァルファーレン…次こそは…!」次にもしテッドと戦場で戦う事があれば、その時は確実に命の賭け合いになる。何だか奇妙な気持ちの高揚を覚え、マサカドはニヤッと笑った。・・・・・・帰還したシャルム達を一番に迎えたのはタリアだった。「おかえりなさい」「ああ、ただいま」シャルムは小さく笑う。「この間とは逆だな」タリアとアガレスがマラカンから戻った時の話だ。「約束。ちゃんと守ってくれたみたいですね」「お前のお守り、見かけによらず効くらしい」そう言ってシャルムは、懐からタリアのお守りを取り出した。「悪いな。せっかく作ってくれたのに。壊れてしまった」「また作ってあげます」「そうか」また笑って自室へと戻ろうとするシャルム。そんな彼の体に、ほんの小さな振動が走った。タリアがトンと、シャルムの背中に額を当てた。「もう…アナタは帰って来ないかも、って…!」「タリア…」「もう会えないかも、って…私…!」「……」シャルムの脳裏に、あの時の情景が広がる。矢を放たれた瞬間。あの瞬間、シャルムは本当に自分は死んだのだと思った。「もう…誰かが死んで泣くのも…こんな思いをするのも沢山です…!」シャルムはタリアの方に向き直すと、彼女の頭を抱いた。「ああ…そうだな…」タリアもギュッと、シャルムに抱きつく。「絶対…絶対絶対、絶対!…死なないでくださいね…!」「ああ」シャルムは力強く答えた。「俺は死なないさ」


 マサカドはふと肩の傷を見て呟いた。「…俺に勝てる奴はいないと思ってたがな…油断したか。」…現状…ガノス同盟においてマサカドを超える戦闘力の持ち主は…いない。弓に関してはパリスに一歩譲るものの接近戦に関しては…2~3人でかからないと訓練にならない有様である。そんな実情が油断を生んだのか…?少し考えたマサカドは一つ息を吐くと、「…深く考えても仕方ねぇ。考えるのはメルデネスあたりに任せりゃいいさ。俺は…訓練でもするか。」と言うと訓練場に向かった…。「フッ、フッ、ハァ!せいやぁ~!!」立ち木に向かって一心不乱に打ち込みをしている。これはマサカドの日課といえるものだ。ティターンズゲートの再戦の後も欠かさず毎日行っている。…傷を受けようがこれをしないとどうも落ち着かないようだ。そんな時、後ろからアレンが声をかける。「…負傷しようが君は変わらないね。」マサカドは振り向くと、「…おぉ。アレン殿か…これをしないとどうも落ち着かなくてな。いつものように訓練に付き合ってくれい。」と声をかけた…。「はぁ!せい!てやぁ!」アレンの両手で放つ棒での攻撃を何の苦も無く片手であしらうマサカド…どうも、これはマサカドの修行というよりアレンの修行のような感じだ。…が、どうもマサカドのリハビリのような感じにも思える。そう。使っている片手は肩を負傷した方の手なのだ。こんな感じで1時間ほど訓練を続けた…。訓練の後、アレンはマサカドに質問する。「戦争の後で疲れてるときも平時も関係無しに訓練をするのは何故だい?戦う事が好きなのか?」するとマサカドはハハハと笑った後に、「戦いが好きと言う訳じゃない。…俺に出来る事が戦いしかないだけだ。」と返答した。その返答を聞いたアレンは、「では…もう一つ聞く。何故私を助けようと思ったのだ?」とさらに質問をした。すると…マサカドはアレンを見据えると、「…お前が気に入ったから…と言う返答では不足か?」と言った…アレンはその強い瞳に何も言えなくなった。その後マサカドは踵を返すと、「アレン殿有難う。おかげで気分が落ち着いた。」と一言声をかけたのだった…。


 三回目の戦いの後、ガノス同盟とアングル王国は膠着状態となった。その背景としては、王国はマラカンに全力を尽くさねばならなかったからであり、ガノス同盟は同盟者のカースト一族との中がしっくりと来ないからであった。あれから一年が経った。ウルメール歴499年、アングル王国はマラカン遠征を成功させた。マラカン王キヨモリとその妻ミレニアは王都キョウが落城する前に自害し、その臣でマラカン軍総帥ユリウスの姿は見つけることが出来なかったと言う。しかしその遠征の間、何者かによって先代ウルメール=バッキンガムが殺されるという事件が起こった。同じ頃、ガノス同盟は七王都の一つウェインを攻略し西に勢力を広げていた。また、今まで同盟を離れていたアトスとその仲間、メルリーナが復帰し人材を揃え同盟は今までに無く意気盛んであった。しかしその一方、カースト一族との溝は広がっていき決別直前であった。こうして今までこう着状態であった戦いは、アングル王国が遠征を終えたことによって再び火の手を揚げるのであった。


 マラカンは王キヨモリ、王妃ミレニアが死亡した事により、王権はキヨモリの弟、カゲキヨの家へと継がれる形となった。現在カゲキヨは二十一歳。彼の政治力によりマラカンはまたその国力を取り戻していく。アングルでは15年前にバッキンガムが倒れてからすぐにアガレスへと王位が継承された。当時アガレスがあまりにも幼かったため、彼自身の親政が敷かれるまでの10余年、摂政時代となった。この時の宰相の名がジギスムント=アーサーヴァレンタイン。アガレスが直接指揮を執る今、ジギスムントはアガレスの補佐役として動いている。また彼は自費で孤児院を設立するなどして積極的に国民と触れ合いを持とうとしていたため、民衆からの人望も比較的厚かった。王城の中庭では、シャルム達が並んで歩いている。「出来ることなら…キヨモリ様もミレニア様も殺さずに戦争を終えたかったのですが…」タリアは少し哀しそうに作り笑いを浮かべる。「ああ…それだけが悔やまれるな」シャルムも心底残念そうに言った。「しかし…俺達にはどうする事も出来なかった」テッドの言う事は正しい。マラカンを本気で攻め落としにかかった時に出撃したのはメテルスとライマール。それにタリアの隊だった。しかし彼女達が攻め入るよりも前にミレニア達は城に火を放ち、自らの手でその命を断ってしまったのである。タリア達がその報せを聞いたのは、マラカンに上陸してからであった。「大切な人を死なせたくないと言っておきながら、私は…難しいですね、戦争って…」「タリア…」一年という歳月は、この激動の時代では或いは短いのかもしれない。しかしその時間は確実にタリアを成長させた。「もう泣かないんだな」「泣きませんよ」そうか、とシャルムは小さく笑った。テッドの顔も心なしか穏やかだ。しかしすぐにその表情を引き締め、言った。「ああ、そんな暇は無いさ。…まだ問題は残っているんだからな」・・・・・「やはり…アングルは強い国だな」マラカン陥落の報を聞いたアレンは、小さく溜め息をつく。「国一つを落とすほどの力だ。我々が今まで戦ってこれたのは、ある種の奇跡だよ」アレンは冗談めかして言うが、周りの者達は気付いていた。無理をしている、と。「王国は…」「?」ソラが口を開く。「王国はもう、全力で俺達を潰しに来るぜ」アテにしていたカーストと離れては、現在のガノスはあまりにも規模が小さい。「俺はやっぱり、カーストの力を借りるしかないと思ってる」「私もその意見に賛成です」横からそう言ったのはメルデネスだ。「コーネリアと我我は、いまだ考えは同じです。これ以上溝が深まる前に彼とコンタクトを取るべきです」今さら上手くいくとは、当然メルデネスも思っていない。しかし何もしないでいるよりはずっとマシだと、それがガノスの在り方だと、それはアレンにも良く分かっていた。「分かったよ、ソラ。メルデネス。カーストは君達に任せる。頼んだよ」


 コーネリアは腕を組んでいた。目の前に広がるのは民衆が忙しく歩き回る街。「どうするか…」彼は呟いた。同刻、メルデネスとソラの対カースト作戦部は作戦会議を開いていた。「メルデネス、相手はあのコーネリウスだぜ。生半可な作戦じゃ無理だろ」「分かっている、ソラ。ここは単刀直入に行くしかないかも知れない」「単刀直入だって?」ソラが驚いた声を上げる。メルデネスは羊皮紙になにやら書き始めた。「援軍…申請…書?」ソラが横から読む。「あぁ、援軍を申し込む、それで相手に断られたら戦争することにしよう。早めに悩みの種は解決しておかないと王国が攻めてきた時に危険だ」「そうだな、それが一番か。でも誰がそれを届けるんだ?」ソラは首を傾げる。「そうだな…君が行けばいいじゃないか」メルデネスは書き上がるとソラを指した。「お、俺!?」「ああ、久しぶりに君に外交を担当してもらいたいね」メルデネスは笑う。「仕方がないな、俺が行くよ。その代わり成功したら酒をおごってくれよ」「分かった、ガノスで一番旨いのをおごってやる」メルデネスは頷くとソラに羊皮紙を渡す。「行って来てくれ。ガノスの未来のために」ソラは頷くと厩へと向かった。馬に乗ると彼はもう一度こっちを振り向いた。メルデネスが頷く。「失敗したら…死だな」ソラは呟くと馬の足を進ませた。目指すはウェイン。また同刻、ガノステルンの平原でパリスとマサカドは訓練をしていた。「はっ!」パリスが得意の短槍でマサカドを突く。しかし、それを難なくかわすとマサカドは長槍を大きく振り回した。パリスはそれを槍で受ける。あまりの勢いに止める事が出来ずパリスは吹っ飛んだ。「素早いだけじゃだめだな」マサカドは起き上がったパリスに言った。「師匠と比べられたら無理ですよ。私は師匠ほど肥ってませんしね」「まったく、吹っ飛ばされといて元気だな。ま、成長したということか」マサカドは呆れ顔で言う。それもそのはずで今まででマサカドの一撃を受けて立ってられるのはアトスだけだったからである。パリスはへへへと笑う。マサカドがそのまま見ているとパリスは倒れた。目を回したパリスを見る。「ふむ、やはり駄目だったか」マサカドは笑いながらパリスを担ぐと兵舎へと向かった。「これから戦が多くなる。王国とも。そして…カーストの野郎ともな」


 コーネリア=ギニスト。貴族というだけあって彼の屋敷は非常に大きかった。「へぇ、案外薄い警備なんだな」ソラは軽く笑って呟いた。「けど…正面切って門から入るのは無理かな」屋敷を囲んで東西南北四つの門にはそれぞれ二人、八人の門番がいる。強引に突っ切ってもいいが、ソラはそれを嫌がった。「コーネリアだけを上手く外におびき出せるといいんだけど」コーネリアは地方の重役だが、個人で動くことが多い。そんな話をソラは耳にした。『彼は変わり者だ』と。「…夜にまた来るか」ソラが一番上の階のテラスを見上げた時、ちょうど街を見渡すコーネリアと目が合った。朝は兵の街だが、夜のウェインはまた違った顔を見せる。酒場の多さも同様に、やはりアングルで一番多かった。そしてその中でもっとも高級な店、『ゴスペル・キュール』。そこにコーネリアはいた。「いつものを頼む」「かしこまりました」お気に入りの席に着いたコーネリアは、いつもと同じ酒を注文する。「ごゆっくりどうぞ」ウエイターは畏まって酒をテーブルの上に置くと、小さく頭を下げて去って行った。「さて…どうするか…」― 王国軍と反乱軍はいまだ膠着状態…  しかしマラカンを討伐したアングルが全火力をガノスに注げば…  …いや、しかし既に我らカーストも王国に牙を剥いているのだ。  今さら戻る道などない。…ここは…やはり… ―「お隣よろしい?」「!」自らの行く末を考えていたコーネリアの頭上から、涼しい声がした。ソラだ。「ああ、空いてるよ。一人で飲みたい所だがね」暗にコーネリアはソラを拒む。しかしそれに構わず、ソラはコーネリアの隣に座った。「いい席だね、ここ。静かだ」「そうだろう。しかし君が知る事が出来ないのが非常に残念だ。君が来なければもっと良い席なのに」コーネリアの皮肉を聞いて、ソラはニコッと笑った。「なるほど、アンタ面白いね。ウワサ通りの変わり者だ」「!…私を誰か知っていてここに座ったのか?…君も相当の変わり者だよ」コーネリアもフンと笑う。そして通りかかったウエイトレスを呼び止めた。「彼にも何か」「シャンディ・ガフ」コーネリアの脇からソラが声を挟む。「好きなんだよね」呆れた様にソラを睨むコーネリアに、ソラは笑って返した。「それで、何の用だ?」コーネリアは酒を飲みながら尋ねた。「何が?」「とぼけるな。私をコーネリア=ギニストと知って接触して来たのだろう?何か用件があるのではないのかね」「……」ソラはグラスを置いて、軽く笑う。「うん、まぁね」そしてコーネリアの方を見ずに言った。―「ガノス同盟って知ってる?」「…!」コーネリアは最初驚いた様な顔をしたが、すぐに落ち着きを見せた。「そうか…すると君はその一員か」「ああ」コーネリアは再び酒を口にするとソラの方に向き直した。「まさか、そちらからコンタクトを取って来るとはな」ソラはニッと笑う。「そう。ガノスはアンタ達と手を組みたいと思ってる。アンタが何を目指して反乱を起こしたのかは知らないけどね」そう言うとソラも、今度はコーネリアの顔を見て話し始めた。「カーストはもう、アングルから切り離された状態だ。ガノスと同じ様にな。兵力と財力はあっても、昔の権力は持ってない。そうだろ?」「…」「アンタの狙いは何だ?」「私か……」コーネリアの野望。それは全国に覇を唱える事。しかし今となってはそれも無理な話である。― 彼らの枠組みである、アングル王国が滅びない限り。しばらくコーネリアの様子を見ていたソラは、やがてフッと笑った。「アンタに頼みがある、コーネリア。悪い様にはならないハズだぜ?」数日後、コーネリアからソラの申し出を受けるという報せが届いた。


 こちらは王宮の一室。男は片手にグラスを持ちながら腰掛けていた。「ふ、アングルもしぶといの…。一年も隙を見せんとは…」男はため息をつく。その時、彼を呼ぶ声がした。「アコンガグア卿、プラトニアから密使でございます」アコンガグア卿と呼ばれた男は手紙を受け取るとそれを読み始めた。「ふむ、プラトニアも協力するか。そりゃそうだろうな、あそことアングルの因縁は昔からだしの」卿は呟くと、手紙を破り捨てた。そして今さっき手紙を渡した男の方を見た。「グリマートル、最高参謀長と王に気をつけろ。後少しで事は完成する」「はっ!卿、ご忠告了解いたしました」グリマートルは深く頭を下げる。卿は頷くと殻になったグラスに酒を注ぎこんだ。「プラトニア王国、エルグラム共和国、後…」そう言って卿は一度口を閉じた。再び口を開こうとした時、思い出したようにグリマートルが口を開いた。「卿、ユリウス将軍が帰還されました」「ほう、あの死に損ないか。それで、あいつはどうしておる?」「はい、汚名を返上すべく軍の要請をしております」卿はにやりと笑う。「そうか、もうあいつは要らんな。グリマートルよ、始末するがいい」その声と共にグリマートルは去った。「時代はこの国を必要とはしておらん」一言そう言って、卿はグビリと酒を飲んだ。次の日、鮮血の広場ではおぞましい光景が見つかった。「近衛隊長!鮮血の広場にてバラバラになった死骸を発見いたしました!」慌てて駆け込んでくる兵士をなだめるとシャルムは立ち上がった。「誰か判別は出来るか?」シャルムは鮮血の広場へと向かいながら兵士に問うた。「分かりません、しかし、血で名前のようなものが書置きされていました」「なんて書いてあったんだ?」横からテッドが口を出す。「そうですね…確かユ…ユリ…ウス…『ユリウス』だったと思います」それを聞いたシャルムとテッドは顔を見合わせた。「ユリウス…その名をまた聞くとわな…」「あぁ、もしかしてあいつの事だからまた策謀かも知れないぜ」「分からない…」それきりシャルムは黙った。一向は鮮血の広場へとたどり着いた。「これは酷いな」テッドは唸った。あちらこちらに手や足が飛んでおり、集団で拷問をした後かのように見えた。「近衛隊長、副隊長!これがその死体の顔になります」そう言って兵士は木箱を渡した。「やはり…ユリウスか」シャルムは見て言った。「でもなんで今頃?しかも王都で?」テッドもそれを見ながら唸った。シャルムはある考えが浮かんだ。『王国の者で王国を潰そうとしている人物がいる』シャルムは頭を振った。まさか…そんな事はないだろうと思いたかった。そんなシャルムをテッドが見つめる。「反逆者…」テッドはシャルムの呟きを聞いた。その瞬間テッドは身震いするような不安に襲われた。王国に何か不吉な影が忍び寄ってきていると。


 シャルムとテッドが不審者の影を予感として察知していた頃…ガノステルンにも王国の内情に不審を感じたものがいた。以前王都にいた者メルリーナである。タリアに仕えつつも王国の実情をアトスを通じて完全ではないが把握したのだ。ある日、メルリーナはもっとも信頼できる者…言うまでも無く自分の師であり肉親であるメルデネスに、「…兄貴。王国のことについて気になる事があるんだけど…時間とれるか?」と尋ねた。メルリーナの表情に真剣味を感じたメルデネスは、「…どうやら人払いをしたほうが良いですね。私の部屋で話しましょう。」と言うとメルリーナを自室に招く。久しぶりに入るメルデネスの部屋にメルリーナは少々の違和感を感じた。書物が多いのは以前からではあるが…百科事典や土木関係の本が増えていたりメモなどが多くなっていた。内政に関するものであろう。メルリーナは丸いテーブルの脇にある椅子に腰掛けながら一冊の本を手に取った。「…『穴掘りイタチの育て方』…?」メルデネスはメルリーナの向かいに座ると、「ガノステルンの近くにロンバニオ平原から持ってきて放牧したんですよ。」と言った。メルリーナはこの台詞からメルデネスの意図を読み、「…一石二鳥なんだな。兄貴らしいよ。」と返答した。メルデネスはふぅと一息つくと、「…そろそろ本題に入りましょう。メルリーナ。王国に何を感じたのですか?」と質問をする。メルリーナは真顔になって、「アングルの中に不審なものを感じたのさ。…王以外のところからね。」と言った。メルリーナのこの台詞かを聞いてメルデネスは少し考えた。そして、「…あの悪政の原因は王以外のところにあると踏んだのか?」と言った。メルリーナは一つ頷くと、「そういう事。どうにもアガレスがまともに見えてね。」と言った。メルデネスはその台詞に再び考える。そして…こんな事を言った。「アガレス王が危険だな。メルリーナ。後でアトスと一働きしてもらう。」…このメルデネスの言葉の意味は…?


 「ここ数ヶ月のアングルは平和なモノだな…」アレンは窓の外の景色を眺めながら呟いた。「以前の様な圧政もほとんど無い。…一年前が酷すぎた、という見方も出来るけど」「アレン」「!」アトスがアレンを呼ぶ。「ソラが戻ったぞ」「そうか。良かった」「上手く行ったよ、アレン」ソラはニコッと笑って、コーネリアからの書状をアレンに手渡した。『貴公の申し入れを受ける』シンプルな内容だがハッキリと、協力するとの意志は伝えられた。「カーストの兵力は強大だ。残ってる他の諸侯よりもな。これで少しはまともに国とも戦えるハズだぜ」「ああ…そうだね」「アレン?」ソラとは対照的に、アレンは浮かない顔だ。「どうしたんだ?アレン」「いや…」正直なところ、アレンは迷っていた。このまま王国と戦い続けていっても良いのか。今の王国は、僅かにとは言え改善を見せている。アガレスの考えなどアレンには分からないが、しかしアガレス自身に何らかの変化があったのは確かなのだ。もしこのままの様子で行けば、あるいはアングルもかつての平穏を取り戻すかもしれない。「迷うなよ、アレン」「!」不意のソラの言葉に、アレンはハッと顔を上げる。ソラは力強い眼差しでアレンを見つめた。「アンタの考えてる事は何となく分かるし、俺も少しそう思う。でもさ、アレン。王は今アガレスで、そしてそのアガレスは今までに何千、何万って命を奪ってきたんだ。今がいくら良くっても、それは変わらない。アイツは裁かれなくちゃいけないんだよ、アレン。俺達にその権利があるとか、無いとか、そんなのどうだっていい。ただ誰かがやらなくっちゃいけないんだとしたら、今それだけの力を持っているのは俺達しかいないんだ。それに、もしかしたらまた、アガレスは昔のアガレスに戻るかもしれない。俺達はまだ、矛を休めちゃいけないんだ」「…ソラ…」グッと唇を噛み締めたアレンは、ソラの手を振り解いた。「僕だって…それぐらい分かってるさ」そう、力無く言うと、アレンは部屋を後にした。「考えすぎなんだ、アレンは」アトスが開きっぱなしにされた扉を閉じ、ソラに言う。「それがアイツのいい所なんだけどな」アトスは腕を組んで、黙ったままのソラに目を向ける。「しかしお前もけっこう言うんだな、ソラ。もっと軽い奴だと思ってたけど。驚いた」「ん…ああ」ソラは小さく笑みを浮かべた。「悪い、少し熱くなっちゃったな。…ガラにも無く」そう言ってソラも、その部屋を後にした。・・・・・・・「グリマートルが戻らない!?どう言う事だ!!」アコンガグアは報告に来た兵士を怒鳴りつけた。「おのれ…!」息を荒くし、ワインのコルクを乱暴に抜くアコンガグア。(どういう事だ…!?まさか仕損じたのか?しかしユリウスなら確かに討ったとの報せが…!)「ん?貴様いつまでここにいる?」アコンガグアはギロッと、ドアの付近でもたつく兵士を睨む。「さっさと下がらんか!!」「いえ、まだ用件が」「何?」その瞬間、アコンガグアの胸に管状の矢が突き刺さった。「がッ…!?」膝をつくアコンガグア。矢の尾からは血が噴水の様に噴き出る。「貴様…何を…!?」次第にブラックアウトしていく視界。アコンガグアは自分を射た兵士の顔を見上げた。「…ユリ…ウス…!?」そこにいたのは、アングルで死亡が確認されたハズのユリウスだった。「何故…貴様…確かに…!!」ユリウスはニヤッと笑った。「貴方自身がお確かめになったワケではないのでしょう?」そう言うとユリウスは、倒れるアコンガグアの前に血で染まった勲章を放った。「コレは…グリマートルの…!」「グリマートル…彼には私の代わりに死んでもらいました」アコンガグアの顔色がみるみる白くなっていく。やがて彼の呼吸と鼓動は止まってしまった。「感謝しますよ、アコンガグア様。貴方が私を殺してくれたお陰で、より動きやすくなった」その部屋にはただ、アコンガグアの骸だけが残された。


 「ガノステルンとウェインが隣り合っているというのは幸いですね」「そうだな」ソラとメルデネスが地図を広げて話し合っている。「コーネリアは案外話しやすいヤツだ。きっと上手く繋がるぜ」「ええ…あとはアレンがその心を決めてくれさえすれば」「決まってるさ」メルデネスの言葉の脇から、ソラは言った。「全部上手く行く」・・・・・・・・・「!ジギスムントさん…」長廊下を歩くタリアは、宰相のジギスムントとすれ違った。「タリアか。ガノスの様子はどうだ?お前達に一任しているが」「いえ…」「…何かあったのか?」「……いえ…ただ…」ジギスムントから顔を背けるタリア。「姿を消していたユリウスさんが…あんな形で…」タリアもユリウスの死体を目にしたが、その有様は酷かった。「お前は見ない方が良かったかもしれんな」ジギスムントは溜息をつく。「休ませてやりたい所だが、あいにくそんな時間は無いようだ。あくまでも噂だが、遂にカーストが完全に反乱軍についたらしい」「!」「火の無い所に…と言う。心してかかれよ、タリア」タリアは額に手を当てると、深く溜息をついて自室へと戻って行った。「…フン…相当疲れているようだな。無理も無いが」軽く笑うとジギスムントも、ウルメイラの街へと下って行った。ジギスムントが創立した孤児院のうちの一つ。それが首都ウルメイラにあった。「あ、おじいちゃん先生だ!」「ほんとだ!」ジギスムントが施設の中に入ると、彼を見つけた子供達が騒ぎながら駆け寄ってくる。「おお、今日も元気だな、お前達!いい子にしていたか?」子供達が笑顔で頷くと、ジギスムントも満足そうに笑った。「みんなでお食べ」そう言ってジギスムントは子供達にお菓子を渡すと、保育士達と挨拶を交わし、更に奥の部屋へと入って行った。「調子はどうだね?」「ええ、お陰様で」ジギスムントは子供達と遊んでいた青年に声をかける。先程の子供達と同様に駆け寄ってきた子達の頭を撫でるとジギスムントは、「向こうにお菓子があるよ」と言ってその子供達を部屋から出した。「懐かれているんですね、ジギスムント様は」「ああ、かわいい宝だよ」青年はニコッと微笑む。「今の状態のタリアなら楽に落ちるぞ、ユリウス」椅子に腰掛けるその青年とは、ユリウスだった。「彼女なら今すぐにでも欲しい所です。しかし…まだ」「時期ではない、か」「ええ」頷くユリウスに、ジギスムントが言葉を返す。「私はもう15年、待った。〝時〟とはいつだ?ユリウス」再びフッと笑うユリウス。「ならば後数ヶ月、どうして待てない事がありましょう?」―「上手く行きますよ。全てね」


 アレンは馬に乗った。「時代は変わらなくてはいけないんだ」「その通りですね」横を進むメルデネスが言う。「大将!今日は勝つぜ」マサカドも近くにやって来て言う。「分かってる」アレンは応える。進むはウェインから数十キロ先にあるデモンズリバーである。戦況は刻々と変化していた。王都ではアコンガグア卿が何者かによって殺され、彼が王国に反乱を起こそうとしていた事が発覚した。王国の威勢は止まるところを知らぬように落ちていった。ウルメール歴499年春、プラトニア王国・エルグラム共和国両国が相次いでアングル王国に兵を上げた。王国側は兵を三分してこれに応戦することになった。アガレスはプラトニア王国を、メテルスがエルグラム共和国を、ライマールがガノス同盟をそれぞれ担当してあたる事となった。ここガーディアムでシャルムは驚くべき報告を聞いた。「何だと!私を諸侯にする?」あまりの素っ頓狂な声に驚いたのか使者はもう一度内容を繰り返した。シャルムは頭を抱えた。「王は本当にこう言ったのか?」シャルムはまだ半信半疑で使者に聞いた。使者は頷いた。「どこの諸侯にしようと言うんだ…」ぼやくシャルムに使者は亡きシャルディーニの土地に封すると言った。「何があったんだ?」変な雰囲気に気づいたのかテッドがやって来た。「あ、あぁ、まあな」シャルムはあいまいに濁す。テッドは使者から内容を聞くとシャルムの方を向いた。「もらっとけよ」テッドは手短に言った。「その方がお前もいいだろう。いつまでも近衛隊長やってるより」そう言ってテッドは向こうへと行ってしまった。「おいおい…まだ受けるとは言ってないぞ…」シャルムはまたもやぼやいた。使者に落ち着いてからと言い訳をすると彼は椅子に腰掛けた。「官位よりも王国の安寧が重要だ。それにタリアやテッド達とも今のように会えなくなる…」シャルムはそう言って口を噤んだ。王都から少し離れたラードバイでライマールは居た。ライマール公、正式名をライマール・クロステルン・エフレディア公はそこで兵を集めていた。総勢2万。相手が4万を超える大軍だけに最初から不安は多かった。しかし、彼はめげない。先祖代々続くライマール家のために。そして王国の盾と同じく王の守り神として尊ばれる「王城」の異名のためにも。


 「はぁ…」タリアが溜め息をつく。それを見てアガレスは鼻で笑った。「また溜め息か。これで何回目だ?」「お陰様で。心労が募っているのです」タリアは不機嫌そうに返す。ここ最近、アングルは問題が山積みだ。「今までにも国を転覆させようと言う者は幾人もいた。城の外だろうと内だろうと関係ない。今回のガノスも、アコンガグアにしても、今までと何も変わらない。だからお前一人でそんなに背負い込むな」「アガレス…」そしてその問題の内の一つ。プラトニア王国。「今は…今は目の前の敵にのみ集中しろ」「…はい」それが彼らの眼前にまで迫っていた。「何、決着はすぐにつく」同刻、メテルスはエルグラム共和国を相手に対峙していた。いかに相手が小国と言えど、いささか押され気味である。その時だ。大砲の音と共に、エルグラムの陣形が崩れ始めた。「!?」メテルスは驚いて遥か向こうを見渡す。「あの軍旗は…マラカンか!?」「あれは…カゲキヨの紋…!?でも…どうしてマラカンが…?」タリアは海より見える太陽を模した家紋の参戦に戸惑いを隠せない。「まさか…まだアングルと戦うつもりじゃ…」「逆だ、タリア」「え?」アガレスはタリアを落ち着かせる様に言った。「もうマラカンとは戦わないよ。…決してな」マラカンとの戦いが終わった後、ミレニアの弟アガレス、キヨモリの弟カゲキヨは、焼け落ちたマラカンの城の前で佇んでいた。「よもや…こんな結果に終わるとはな…」アガレスが小さな瓦礫を拾い上げて呟く。「余は…俺は…姉上も義兄上も、最後まで戦い抜く方だと、そう思っていた。…だが…」「アガレス…」カゲキヨは悔しそうに、歯を噛み締めた。「もう、こんな事は二度と無い様にしよう。アガレス。身内同士で争うなど。私も、こんなのは沢山だ」「…すまない、カゲキヨ…」アガレスはまだ燻る炎を見つめる。「お前の兄を、俺は死なせてしまった」「だが、お前の姉上も死んだ」「……」カゲキヨをアガレスの顔を見、言った。「約束しよう、アガレス」「約束?」「互いの国を決して討たぬ、討たせぬとな」「さぁ、我らが兄弟に仇名す敵を討つぞ!!」カゲキヨが軍全体に檄を飛ばした。それに呼応するかのように、マラカンの兵隊達の咆哮が唸る。「進めェ!!」こうしてマラカン軍の助太刀により、プラトニア、エルグラムは完全に押さえられたのであった。そしてラードバイにも、やはりマラカン軍の応援が加わった。数の上では互角のアングル=マラカン連合とガノス同盟。その戦火は次第に激しさを増して行く…―。


 マラカンの助力によりプラトニア、エルグラムの侵攻は阻止する事が出来た。そしてその事件により「強いアングル」を指示する事となり、以降他国からの攻撃は敬遠されるようになった。つまり当面の問題は国内の紛争。全ての国力はガノス同盟討伐に注がれていく。「現在の残存兵力は?」タリアがルイズに尋ねる。「アングル王国全ての兵力を含めれば、およそ8万かと」「ガノスは?」「はい。3万強と思われます」「…そうですか」タリアは小さく溜め息をついた。「随分大きくなってしまいましたね」「カーストがついたのが大きいでしょう。彼らの兵力は四大諸侯の中で最も大きいものでしたから」それから、とルイズが付け加える。「最近、元ロイ公領の兵士達が王国側に付くか同盟側に付くかで揺れているそうです。もともとマラカンへの遠征は反対派が多かったにもかかわらず、その戦いであの人は亡くなられてしまいましたから」「…ロイさんの所の数は?」「こちらも約3万です。もし彼らが同盟側に付けば、厄介な事になるかと」と、タリア達が話し合っている中央議事室にジギスムントが訪れた。「あ…ジギスムントさん」タリアは依然机に向かったままだが、ルイズはしっかりと敬礼する。「む、すまない。邪魔したか」「いえ、別に」タリアはコンコンと、ペンでノートを叩いてジギスムントに示す。「もう少しでチェックメイトです。…でも」「戦争は駒とは違う。何が起こるか分からない」「そう言う事です」伸びをするタリアの向かいに、ジギスムントは腰掛けた。「だが似ている部分もある」「それが今ですよ」タリアはノートの端にサラサラと絵を描いた。シンプルにデフォルメされているが、それは非常に特徴を捉えている。二本の角に二本の牙。『龍』。縦、横、斜めに盤上を自由に動く事の出来る、それ一つの存在でゲームの形勢を大きく左右する最強の駒だ。「これが有るか無いかで勝敗は変わってきますから」「それがエバラスティンの兵だと?」ジギスムントの言葉に、タリアは小さく微笑み返す。「分かった。ではそちらは私が押さえて置こう。確かにこれ以上ガノスの力が増すのは上手くないからな」そう言うとジギスムントは立ち上がり、部屋を後にした。「ルイズさん」二人っきりになった後。タリアは唐突にルイズの名を呼ぶ。「何でしょう?」「アナタはどうして、ここにいるんですか?」「…は?」タリアの言葉の意味が分からず、ルイズは間の抜けた声で聞き返す。「それは…?」「どうして私がこの席に座っているんだと思いますか?」「え…あ、ああ…それは…」何となく質問の意味が分かったルイズは、少しだけ考えた。「それは、タリアさんがこの国を大事に思っているから」「じゃあ、アナタは?」「俺は…俺も同じです」それを聞いたタリアは頷いて、ニコッと笑った。「良かったです」シャルムやテッドも、きっと同じ事を答えてくれるだろうと、タリアはそう信じていた。だが自分は少し違うと、そして彼はもっと違うと、そうも思っていた。


 戦いはより大きくなっていく。王国軍と反乱軍は、一進一退の攻防を繰り広げていた。「シャルム!いったん退こう!腐ってもあのカーストだ!このままではこちらの被害も計り知れないぞ!」「…ああ…!」砲火が荒れ狂う中、シャルムは総員に撤退命令を出した。しかしルイズが慌ててシャルムに駆け寄る。「シャルム隊長!!」「どうした!?」「どうやら向こうは退く様だな」マサカドの言葉にソラが頷く。「どうする?攻めるなら今だぜ」「ああ!行くぞ!」しかしそれをメルデネスが止めた。「いけません、二人とも!」「何?」「あの紅い軍旗を見たでしょう?あれは“椰胡姫”が軍を率いている証拠です」ソラが刀を納め、呟く。「罠かもしんねェって事か…!」「こんなチャンスを前にしてか」マサカドも悔しそうだ。「しかし、やっと我々もここまで来たのです。慎重にいきましょう」そしてメルデネスはパリスに言う。「アレンに撤退命令を出すように、と」「俺は攻めるぞ、メルデネス」しかしまだ、マサカドが喰らいつく。「マサカド!」と、そこにパリスが戻って来た。「大変だ、みんな…!」「?」「アレンが!」「タリアが戻らない!?どういう事だ!?」シャルムがルイズに掴みかかる。「タリアさんの部隊はさっき、砲撃を受けていました…もしかしたら…!」「ええい!!」ルイズを突き放し、馬にまたがるシャルム。「おいシャルム!?」「タリアを探しに行く!テッド!お前は城に戻れ!」「シャルム!!」テッドの声を聞かず、シャルムは馬を駆って消えていった。「副長…我々は…?」「…隊長命令だ。戻るぞ」「んっ…!」タリアが目を覚ましたのは、崖と崖の谷間だった。「ここは…」頭を押さえながら上を見上げる。「あそこから落ちたんですね…」崖の上から彼女の位置までおよそ20メートル。確実に死ぬ高さではないが、しかし決して無事で済む高さでもない。どうやって助かったのだろうと思っていると、岩から突き出している枝に、彼女の上着が引っかかっていた。「ああ…なるほど…」どうやら一度、落下は止んでいたようだ。枝はここから4、5メートルの位置にあるので、そこからならよほど打ち所が悪くなければ死にはしない。「…あ…」と、彼女の視界に馬の横たわっている姿が映った。死んでいる。タリアの馬だ。「……」彼女が助かった要因の一つに、この馬がクッションになった事もあった。「ありがとう…ごめんなさい…」埋めてやりたい所だが、あいにく今のタリアにそんな体力は残っていない。可哀想だがその場に放置し、タリアは上に登る手段を探そうと立ち上がった。しかし。その瞬間彼女の体に猛烈な痛みが走る。「あっ!」あまりの痛みに、タリアは思わずうずくまった。右足を捻っているのか、折れているのか、とにかくその痛みは尋常ではなかった。しかしこんな場所では救援も期待できない。不運な事に今は雨も降っている。タリアはその足を引きずって歩くしかなかった。と、少し歩いた所に流れていた小川の岸に、一人の青年が倒れていた。「…?」その青年に近付くタリア。何だか見覚えのある顔だな、と、そう思った所で彼女の視界は真っ白になった。再びタリアが目を覚ましたのは、小さな祠の中だった。焚き木がパチパチと音を立て、暖かな火を灯している。タリアは不思議に思い、上半身を起こした。「良かった、気が付いたんだね」「?」そんな彼女の耳に、優しく心地よい、ほんの少し低い声が届く。「アナタは…」「崖から落ちちゃって。目が覚めたら君がいたから、ここまで運んできたんだ」タリアの足には包帯が巻かれていた。


 「アナタが…手当てしてくれたんですか?」タリアは足の包帯をそっと撫でながら、アレンに尋ねる。まだ痛みは残るが、しかしさっきの様に酷いモノではない。「うん…ひどく腫れてたから。足、折れてるよ」ああやっぱり、とタリアは呟く。「君も…崖から落ちたのかい?」「え?…あ…」正直よく覚えていない。目の前で砲弾が炸裂して辺りが光ったかと思うと…―そしてその後の事は記憶に無いのだ。「でも困ったな…どうやら僕は川に流されてここまで来てしまったらしい。どれだけ流されたのかは分からないけれど…」タリアはジッと、そんなアレンの顔を見つめていた。「な…何?」その視線に気付き、アレンは顔を赤くする。「いえ、ただ…」見覚えのある様なアレンの顔。しかしそれはもっと昔の事で。「静かですね…」タリアは誰にともなく呟く。もう戦いは終わったのだろうか?勝ったのだろうか?「そうだね」アレンも同じ様に言った。仲間達は無事だろうか?「あ…アナタは…お医者さんなんですか?」と、断続的な空気に耐え切れなくなったタリアが、何かないかと話題を提供する。「どうして?」「足…の包帯…こんなの、持ち歩いているなんて」「あ、うん」アレンはまた黙る。あまり女の子と話した事がないため、少し照れくさいのだ。「僕は…ケガしやすいし、僕の周りの人達も」「じゃあ、私と一緒ですね。私のお友達もみんな、いつも傷だらけです」タリアが小さく笑うと、つられてアレンも笑った。「アナタのお友達はいいですね。アナタがいるから、ケガしても安心です」「そんな」その言葉にまた笑うアレン。「本当は…」そして少しだけ、哀しそうな顔をした。「本当なら、僕なんていなくても大丈夫な世界になってほしいんだ」そんなアレンの横顔を、膝を抱えて座りながら眺めるタリア。「……そんな世界…きっと在り得ませんよ…」「え?」「どんなに願ったって人は傷付くし、どんなに祈ったって人は死んでしまいます。…だったら…」言いかけてタリアは首を横に振る。「それに…アナタがお医者さんじゃなかったとしても、周りの人はきっとアナタを必要とするに決まっていますから」長い髪の束に頬を埋め、タリアは微笑んで言った。「私は、そう思いますよ」彼女の笑顔と言葉に照れながらも、アレンも微かに笑った。「雨…止んだみたいですね…」「うん…」タリアがヨロッと立ち上がる。が、足の痛みを忘れていたのか、すぐに座り込んだ。そんな彼女の様子を見て、アレンは彼女の前で腰を低くする。「?」「乗って?その足で歩かせるワケにはいかないから」「え…でも…」ケガをしているのはアレンだって一緒だ。「いいから。さぁ」「……」タリアは「困ったな」と思いながらもアレンのその優しさが嬉しく、彼に甘える事にした。「アナタはどうして…あんな所にいたんですか?」歩きながらタリアはアレンに尋ねる。よくよく考えてみれば、あんな所に一般の人間がいるハズがないのだ。「爆発に巻き込まれてしまったみたいなんだ」アレンは苦笑しながら答える。「そう…ですか…」少しだけ、タリアの胸の鼓動が大きくなる。「私のお家…ウルメイラ、なんですけど…」「え?」アレンが少しだけ振り向いた。そしてまた、ゆっくり歩き出す。「そう…」「あっ…でもっ…!…そこまでは……遠い、から…」どうしてアレンがアングルの軍服を着ていてくれなかったのか。それとも自分と同じ様に、ただ上着を失ってしまっただけなのか。タリアの心拍はまた少し、強くなる。「だから…アナタはここで…」「大丈夫。もうすぐ着くと思うから」タリアはどうにかして、自分の緊張を解こうとした。彼の背中に触れている自分の胸から、この鼓動が伝わってしまってはいけない。もし自分と彼が誰なのか、お互いがハッキリとそれを知ってしまったら。そうしたらもう、彼の優しい声は聞けなくなるかもしれない。「ごめんよ」突然、アレンがタリアに謝った。「え?」「君はウルメイラに住んでいるから…」「…え…」木々の波を抜けると、そこからウルメイラを示す看板と門が見えた。「もしかしたら、君に迷惑をかける事になるかもしれないけれど…でも」「…アナタの…名前は…?」ウルメイラに入る一歩手前で、アレンは立ち止まる。「…僕はアレン」「!」そしてそっと、タリアを背中から降ろした。「ごめん。…でも、申し訳ないけど…ここまでしか、僕は進めない」「……」タリアは俯きながら、アレンに問う。「…ど…う…して…?」「僕はガノス同盟のリーダーだから」「ここには入れない」アレンの言葉に、タリアは哀しそうに呟いて返す。「…そう…ですか…」アレンは最後までタリアのケガを気遣うと、戻ろうとして彼女に聞いた。「君の名前は?」「…!」「?」タリアの泣き出しそうな表情に、アレンは首を傾げる。「…リア…」「え?」「タリア…って言います…私の名前…」「…そう」アレンは小さくタリアに笑いかけた。「今の戦いが終わって、平和になったら。その時は…」「…?」「君の街に行ってもいいかな…?」「…」タリアは俯いたまま唇をギュッと噛み締めた。そしてパッと顔を上げる。タリアもまた、アレンと同じ様に、その顔に笑みを浮かべて。「待ってますね」アレンの背中を見送りながら、タリアはストンと腰を落とした。拳を握り、悔しそうに地面に打ち付ける。「その時なんて…そんなの来るワケないじゃないですか…!」


 タリアに背を向け、歩くアレンは一度もタリアに振り向く事はなかった。森を進むと生い茂る葉から雨露がアレンにポタリポタリと落ちてくる。それがアレンの頬に落ちると、アレンが上を向き足を止めた。「あれが・・耶胡姫」タリアの噂は兼々、メルリーナやメルデネスから聞いていた。ウルメールの至宝。その言葉は旋律を奏でるように流れ出て必ず戦慄をもたらす。故にタリアは耶胡姫と呼ばれる。若干17歳の敵の参謀。倒れている彼女を抱き上げた時、その小ささとその軽さに驚いた。腕に当たる羽毛のような柔らかい長い髪と、整った可愛らしい顔とその全てが今アレンの中に残っている。風が吹くと木の葉から再び今度は沢山の雨露がアレンに降り注いできた。「どうか・・濡らしてくれないか」アレンの頬に雫が伝わる。だがそれは雨露ではなく瞳からこぼれる涙だった。「この森を抜けたら、私は・・。私には待っている仲間がいる」戦地に赴く男は愛した女を残して行くとき、こんな気持ちでいたのだろうか。だがそれとも違う。はっきりした事は今ある気持ちは捨てなければならないという事。そしてこの戦いで・・再び彼女に出会う時は、必ず倒さねばならないという事だ。ウルメイラに残してきたものの大きさに、だけどアレンは森で長く足を止める事は無かった。ふと過ぎるのは、抱き上げたタリアよりももっと小さかった少女の死。アレンの信念はそこにある。もう二度とあんな悲劇があってはならない。自分はその為に戦い、自分の為に、新しい夜明けの為に命をかける事を厭わない仲間がいる。森を抜けるとアレンは程なくしてマサカドやソラ達と合流したのだった。


 「明日…ですね」宿営地のテントでルイズは言った。「ああ、どう転ぶか…」シャルムは久々にグラスを傾ける。(気分が高まる…)「隊長、明日は…」「…」雨が静かに音を立てている。「ルイズ、父さんを覚えているか…」不意にシャルムが口を開く。「え、あ、はい。うろ覚えですが…」「そうか…。君の父親は…私の憧れだった」ルイズは戸惑いを隠せなかった。「た、隊長?」「君の父親は私の所為で命を失ったんだ…」ルイズは顔をハッと上げた。「隊長の所為で…?」シャルムは黙って頷いた。

あれは先代王の御世。私は戦争で先代王に拾われ、君の祖父シャルディーニ様に預けられた。それから何年かが経ち、私はシャルディーニ様の推挙で近衛団に入隊した。また何年か経ち、私は近衛団で徐々に信頼されるようになった。その年、戦いがあった。私は先代王に従って戦場に赴いた。その時、君の父親は近衛団長でだった。戦いは始まり、王の戦略によって敵は徐々にひき始めた。私は若かった。そして馬鹿だった。私は調子に乗り、自分の兵を率いて敵へとつっ込んだ。君の父親は私を止めようとしたが、勝利に興奮していた私には聞こえなかった。私は駒を進めるたびに敵が慌てて逃げるのに興奮した。私は強いんだ!そう私は自惚れた。これが敵の計略とも知らず。奥へ奥へと進んだ私は敵に囲まれた事にようやく気づいた。私とその部下は必死で本陣に戻ろうとした。一人・二人と部下は倒れていった。(あと少し…、あと少し…)そう奮い起こしながら私も剣を振るった。しかし、それもつかの間の事で私の剣は敵に絡め取られた。馬が切りつけられ、私は落馬した。(フ…終わった…)そう思って目を閉じた時、自分を呼ぶ声が聞こえた。「シャルム!無事か」君の父親は必死の形相で私を助けに来てくれた。私は君の父親に必死で近づこうとした。君の父親も私を助けようと必死で斬り進んでいた。ようやく敵の包囲に穴を開け、逃げようとなった時だった。私は剣を落とした。「あ…」私は君の父親が差し出した手を置いて剣を拾うためしゃがんだ。シャルディーニ様から貰った剣自分の宝物私は何も考えなかった。剣を拾い上げた時、私は君の父親に飛ばされた。慌てて起き上がって私が見たのは、槍が突き刺さった君の父親だった。「隊長!」君の父親は笑った。「シャ…ルム…行け…」「そ…そん…な…」私はがっくりと足を地面につけた。君の父親はゴブッと咳き込んだ。「後は…まか…せ…」「シャルム部隊長!早く」私は急かされそこを離れた。後ろを見る。君の父親は私を見て微笑むとゆっくりと目を閉じた。体が倒れていく。「た」ドンドン離れていく…「たいちょ」見えなくなる…

「そんな事が…」ルイズは呟いた。「失望したかい?」ルイズは微笑んだ。「全てを含んで今の隊長がいるんです。昔そんな事があっても私は隊長を嫌いにはなりません」シャルムは顔を上げる。「そうか…」「はい」雨は止んだ。時間が止まったような静かなテントの中、二人はグラスを傾けあった。「明日は…」「タリアはいないが、勝てるさ」シャルムは顔を上げて言った。「はい」ルイズも頷く。明日は決戦。アクシデントで一度打ち切りになった戦いの、いや俺たちの舞台の本番だ。


 ガノス同盟を討たなければ、安寧も繁栄も、きっとこの国には訪れない。討つべきものであり、討たれるべきものであり、討たねばならぬものなのである。今。それは理解している。誰を討てばいいのか、それも。アレン。反乱軍を率いたあの青年を討ちさえすれば、この内乱はきっと終わる。あの、心優しき青年を。稲穂の髪の毛。柔らかい笑みと、温かい声。それらを振り払い、討ち滅ぼしさえすれば。だから…―しかし…―タリアは後悔していた。恨んでいた。彼と出会ってしまった事を。「ここ最近、ずいぶんと沈んだ顔をしているな」「…シャルムさん…」部屋の窓から夜空を眺めていたタリアは、その声に振り返る。「またノックもしないで」「ああ」シャルムは小さく笑った。「寝ていたら悪いと思ってな」この間の一件で負った怪我がまだ治っていないため、タリアはしばらくベッドの上で生活するハメになっている。「具合はどうだ?」「悪くはないですよ。良くもないですけど」「そうか」シャルムはまた小さく笑った。あの日以来タリアはずっと暗い顔をしていた様だが、思ったよりは元気らしい。「…私は…」「!」不意にタリアは口を開く。「いつでも戦えますから」「……」険しい表情。タリアがこんな顔をする時は、いつだって理由は一つだ。シャルムはポンと、優しくタリアの頭の上に手を乗せた。「無理をしなくていい」「…え?」シャルムのその言葉に、タリアは顔を上げた。少女の顔で。「無理なんて…」「瞳がいつもよりも私の顔をよく映す」「!」タリアはパッと、拳で両目を隠す。「涙のせいかな?」シャルムは優しく言うとタリアの腕をそっと外し、彼女に微笑みかけた。「当たりだ」「……」タリアはギュッと唇を噛み締めると、うつ伏せに寝転がって枕に顔を埋めた。「何があったんだ?あの日」タリアはこれでなかなかプライドの高い所もある。シャルムは、タリアが不覚を取った事がよほど気に入らなかったのだろうと、そんな風に考えていた。「お前が思っているほど気にする事でもないだろうに、タリア。生きていたんだ。それだけでも…」そこまでシャルムが言った時、タリアが何か言った。枕に押し潰されて何と言ったのかよく分からなかったので、シャルムは聞き返す。「何だって?」今度は顔を上げ、タリアは怒鳴る様に言った。「そんなんじゃないって!そう言ったんです!」「何?」半ばシャルムから逃げる様にベッドから降りようとするタリア。よほど焦ったのか急いだのか慌てたのか。足の怪我の事をすっかり忘れていたタリアは、前のめりにベッドから落っこちた。「おい馬鹿!」シャルムが慌てて抱き起こす。「何やってるんだ!」彼女の事を心配しているシャルムは、つい声が乱暴になってしまう。「もっと自分の…!」しかしそこまで言って、シャルムは言葉を飲み込んだ。「タリア…?」子供の様に泣きじゃくる彼女に、これ以上何も言えなくなってしまったのである。「タリア…」「どうしてっ…あの人が…!あんな人が…!」タリアは涙を拭うが、それも追いつかないのか、露は彼女の桜色の頬を濡らし続ける。「私っ…イヤです…!だってっ…だって、あの人は…!」「タリア…お前…」シャルムは彼女の肩を抱くと、そっとベッドの上に座らせた。「何があったんだ?本当に」こんな風に泣くタリアをシャルムは見た事がない。それも、近頃はもう泣かなくなってきたなと、そう思っていた矢先に。シャルムの声からもその深刻さが覗える。「タリア?」タリアは首を横に振る。「タリア」今度は少し強めの語気で、シャルムは言った。「…私…もう…」「!」顔を上げたタリアの表情を見て、シャルムはハッとする。「自分でも、分からない…でも…私…どうして…こんな気持ちになっちゃうの…?」その時のタリアの顔は、シャルムが知っている様な少女の顔ではなくて。それはもう、一人の女性としての、そんな顔をしていた。「タリア…」「だから私…ホントはもう…!!」戦いたくない。声には出さなかったが、しかしシャルムにはタリアがそう言った様に聞こえた。「タリア」「!」タリアの顔にかかった長い前髪を、シャルムがそっとかき分ける。「え…?」タリアはその瞳を涙に濡らしたまま、シャルムの目を見つめた。「一つ、私の願いを聞いてもらえないかな」「お願い…?」シャルムはタリアの手を握り、彼女の膝の上に乗せる。「また、お守りを作ってくれないか?」タリアは首を傾げた。「お前のお守りはよく効く。だから…」「…シャルム…さん…」もちろん、頼まれれば作る。だけど…―「シャルムさん……」胸を刺す様なこの苦しみは何だろうと、タリアはただ、ワケも分からずに耐えるしかなかった。


 ウェインとラードバイの間に流れる川、“デモンズリバー”。そこで王国軍と反乱軍は対峙した。「マサカド」メルデネスがマサカドに指示を出す。「君はいつものように…」「待ってくれ。メルデネス」と、それをアレンが遮った。メルデネスに全幅の信頼を寄せているアレンが彼の作戦に異議を申し立てた事はない。「先陣は僕が斬る」「なっ…!」メルデネスだけでなく、その場にいた全員が驚きの表情を見せた。「何を言っているんですアレン!?貴方は…!」「頼む、メルデネス。往きたいんだ」「しかし…!」そんなメルデネスの肩をマサカドが叩く。「いいじゃないかメルデネス。アレンには俺が付いて行く」マサカドは「俺の大将はそうでなくちゃいけない」と大声で笑った。だがマサカドに、今度はソラが言う。「いや、俺が付いて行くよ。アレンには」その言葉が他の者達を更に驚かせた。「マサカド。アンタはシンガリで残って、“俺達全部”を守るんだ」「ソラ…お前」例えアレンとソラが死んでも、ガノス同盟が生き残りさえすれば。『未来』はまだある。「何そんな不安そうな顔してんだよ、アンタ達。俺だってけっこう強いぜ?」ソラがいつもの調子で笑う。マサカドはソラの背中をバシンと叩いた。「俺はお前の事も信用している。いつもフザケちゃいるがな」ニッと笑うソラ。「死ぬ気でアレンを守れ。そして戻って来い」マサカドとソラはゴツンと互いの拳を打ち合わせた。「アンタこそ、マサカド。俺らが勝って帰ってきたのにガノスもウェインも墜ちました、じゃ笑えねェぜ」「ソラ」アレンに続いて出撃しようと馬に乗ったソラを、メルデネスが呼び止めた。「私だって君の力を信頼していないわけじゃない。だが…」アレンが敵を斬る事が出来るのか。ソラだって。「安心しろよ、メルデネス」ソラは涼しく笑う。「俺…これでけっこう甘くないんだよね」「…!」「メルデネス。そっちも気をつけろよ!」そう言ってソラは、一個小隊を率いて駆って行った。「…ソラ…君は…」メルデネスは何となく、言いようの無い不安に駆られた。「よう、アレン」ソラがアレンに追いつき、アレンと併走する。「ありがとうソラ」「ん?ああ」ソラがアレンに付いて来たのは、守るためではない。「つーかホントにいいのか?死ぬかもしれないぞ?」…―『今日』という日が来る事は、分かっていた。戦いの日々の中で、『今日』もまた戦う。双方の兵士達は次々と死んで逝き、『今日』また、更なる犠牲が生まれる。アレンはそれが嫌だった。戦っても戦っても終わらない戦い。そして…―戦いたくない人がいる。「眠れないのか?」窓の外の月を眺めるアレンに、ソラが語りかけた。「うん…」アレンは苦笑して答える。「少し、思う事が多くてね」「悩み事でもあんのか?」ソラは茶化す様に笑った。「まさかこんな時に『好きな人が出来ました』なんて?だったらかなり笑えるけどな」「!」ソラが冗談で吐いた言葉に、アレンはハッと顔をあげる。「…どうしてそう思う?」「え?」ソラはキョトンと、逆に聞き返した。「いや…ジョーダンだぜ?…ってまさか…」おいおいと、ソラは引きつった顔で笑いながら、アレンの顔を覗き込む。「誰だ?メルリーナはやめとけよな」男か女か分からないからと、ソラは顔の前で手を振る。「違う、そうじゃない!」アレンは失敗したという様な表情を浮かべ、ソラから顔を逸らした。「頼むソラ、今の話はナシだ」ソラは鼻で笑ったが、「いいぜ」と渋々了承した。「ソラ…君はいつになれば、この戦いは終わると思う?」「どうすれば」と、アレンは付け足す。「そうだな…」ソラもアレンと同じ様に月を見上げながら、言った。「今のままじゃダメだ。メルデネスみたく、ちょっとずつ相手の兵力を削ってくってのは」時間がかかりすぎるし、自軍の消耗だって。「だから犠牲は沢山出た」ガノスの残存兵力は、遂に一万を切った。国王軍は5万弱といった所か。「もういいだろう、アレン。もういいと思う」ソラはキッと、アレンの目を見つめた。「終わらせよう。俺達の手で」アレンは力強く頷く。ソラもニッと、笑い返した。「けど、アレン」「!」再び険しくなるソラの眼差し。「そのためにアンタは、目の前の敵を全て斬れるか?例え…――例えそれが、アンタが愛する人だとしても」「…!」ソラの瞳は、アレンの瞳の奥を見据えている。「僕は…」「アレン」アレンはまた、力強く頷いた。「ああ……――「決めた事だから」ソラはフッと笑い、アレンの肩を叩く。「そうだな」そんな二人の目に、敵軍の旗が映った。「いよいよか…」手綱を握り締め、槍の柄を持ち直すアレン。そんなアレンの前にソラが進み出た。「!」「道は俺が開けてやる」「ソラ…」「お前は一気に突っ込め!」「ああ!」ソラの隊が敵陣に斬り込む。乱雑した馬と馬、刃のぶつかり合う音。その中をアレンの隊は突き進んで行く。「アレン!」そんな中、ソラの声が響いた。「死ぬなよ!」アレンは頷くと、口の中でそっと返した。「君も。ソラ」アレンは本陣を目指した。紅い軍旗…―つまりタリアの紋は見当たらない。アレンが探したのは深紅の旗それのみだった。タリアに会いたい。会って、話がしたい。結局、戦う事になったとしても。銀色の旗がなびく。黒真珠の糸で刺繍されているのは双頭の龍。アレンは馬を止めた。「貴方は…」金色の髪と銀色の鎧はどこか威厳に溢れていて。相手がただの兵卒ではないと言う事が、アレンにも即座に分かった。「ここまでだ」“王国の盾”シャルム=ウエイン=ワーテルロー。敵軍の将が、遂にアレンの前に立ちはだかった。


デモンズリバー。かつてここに、まだ幼い少年が投げ捨てられた。15年前―“レキンの大粛清”。彼はその歪によって生まれた。「この子は謀反人の子として生まれた。ここで殺されるのは運命なのだ」「万が一あの子供の命が助かったとしたら…――それも運命か」運命。運命とは不思議なものである。「ここまでだ…反逆者」シャルムは強く、アレンに言い放った。その瞳は力強く、火の様である。兵士達の叫び声。雑踏。刀のぶつかり合う金属音。その中で何故かここだけ、いやに静かだった。サラウンドで聞こえる怒声が、より緊張感を煽る。「…シャルム」アトスから聞いていた上級将校のみが許される特別な紋章。その中で銀地に黒の双龍紋はシャルムのものだと、そう教えられていた。そして、彼と遭ったら退けと。「名は?」シャルムはアレンに尋ねる。「アレン。姓は無い」「…」シャルムは頷くと、ゆっくり槍を持ち上げた。「そうか」アレン。この名は、この名の者だけは。生かしておいてはならない。「お前が反乱軍のリーダーか」シャルムの目は、やがて怒りの色を灯した。こんなに若き青年が、この一年以上にも渡る戦いを引き起こしたというのか。この、何も分からない青年が?槍の切先はアレンへと向けられる。「抜け、アレン。ここでお前が倒れれば、全ては終わる。…平穏はまた訪れる」それは自分の心にも。「違う」アレンは背中に抱えていた矛を解いた。「僕はここでは死ねない」それは光を反射し、青鈍色に輝く。「本当の平穏は訪れない」今思えば、タリアとの出会いはあの雨の日が最初ではなかった。エバラスティンでぶつかった少女。銀色の髪緋色の瞳。愛らしい笑顔。鉄をも切り裂く槍『シュヴァルツシルト』。武器の都エバラスティンの名工が作り上げた業物である。「分かった風な口を聞くな!」シャルムの重い一撃がアレンを捕らえる。受け止めた柄がギリギリと軋み、今にも折れそうだ。「くっ…!」「正義をかざし!お前は英雄にでもなったつもりか!」シャルムの気迫に押されるアレン。「お前のちっぽけな正義感が民衆を惑わし!そして結果多くの犠牲を生んだ!」アレンはシャルムの槍を振り払う。「それは…!」「……」一呼吸ついたシャルムは落ち着きを取り戻す。「…お前は恐らく知らないだろうが…」そう前置きして、シャルムは言った。「15年前、今回の反乱と同じ様な事が起こった」「…!」武力蜂起こそ起こらなかったものの、思想家達の語った仇国。それによって行われた粛清。「それが“レキンの大粛清”だ」シャルムは続ける。「処刑されたのは思想家だけではない。その家族も。幼い子供まで、私は手にかけた」「……」レキンの大粛清。その事件の名だけはアレンも聞いたことがある。国に刃向かう様な言葉を説いた思想家とその家族。彼らの著した文書を読んだ者、教えを聞いた者までが処刑されたという。理不尽の限り。「今度も同じだ」再び槍を構えるシャルム。「また人は死ぬ。たった一人の、お前の声によってな!」迫り来るシャルムの槍を、アレンは受け止める。「たとえ仮初の平穏だったとしてもだ!誰も死にはしなかったはずだ!こんな!」「何だって…?」アレンの記憶に、いつかの幼い少女がフラッシュバックされる。「誰も死ななかった!?」槍を弾いたアレンは、そのままシャルムに斬りかかった。「貴方の様に高い所にいる人は分からないんだろう!?でも僕は知っている!!」「!!」「いつだって死んで行くのは小さな命ばかりだ!!貴方の言う平穏の中で!!その仮初のヒズミは確実に人を殺しているのに!!」今度はアレンの気持ちがシャルムを押した。「それでも平和だと言うのか!!貴方は!?」―『私のお友達もみんな、いつも傷だらけです』不意にアレンの耳に、タリアの言葉が甦った。どうしてこんな時に?―『どんなに願ったって人は傷付くし、どんなに祈ったって人は死んでしまいます。だったら…―』タリアはあの時、何と言おうとしたのだろう。アレンの刃を受けたまま、シャルムは腰からサーベルを抜く。そしてそれで斬り付けた。「!?」後ろに大きく仰け反るアレン。落ちそうになったので自ら飛び降りる。その時馬に強く鞭を入れ、シャルムの馬に体当たりさせた。もともと無茶な体勢で切り払ったために、同じ様にバランスを崩し、シャルムも飛び降りる。シャルムは槍を捨て、腰に掛けていた剣を抜いた。ルイズの父から受け取った剣、『パンツァークロウ』。この内乱を止める時はこの刃を抜こうと、シャルムは決めていた。『正義』とは。須らく個々人それぞれの胸にあるべきものだ。そしてそれは、人の数だけ様々である。誰が正しい。何が正しい。それを誰かが決める事は出来ない。何を以ってして?誰が?何を?もし世界をたった一つの『正義』で治める事が出来れば、きっとこんな事にはならなかったのだろう。


砲撃の音。太鼓の音。銅鑼の音。今日は太陽が隠れてしまっている。曇りの日は音がよく通ると言うが…―そのせいだろうか。戦火の声はウルメイラにまで届いた。様な気がした。タリアはハッと顔を上げる。胸の奥から沸き起こる、この汚泥の様な焦燥感。形にならないそれは、よりタリアを苦しめた。どんなに形作ろうとしても、支える手を離せば崩れる泥の城。「馬を」タリアは侍女に呼びかけた。「しかしタリア様…まだ、お怪我の方が…」「いいから早く!」タリアはようやく縫い終えたばかりのお守りを握り締めた。自分も戦場に行かなければならない。行っても無駄だと分かっていても、何かが彼女を手招き、呼んだ。  ━夜明けのクロニクル━アレンは再び斬鉄槍、シュバルツシルトを構えた。その瞳はシャルムの目を見据えている。“豹の爪”パンツァークロウ。その刀身は4フィートを越え、扱える者は少ない。シャルムは切先をアレンに向け、言った。「今、ここで、この剣を以って、…この戦を終わらせる」刃がぶつかり合い、火花が散る。二合、三合、四合と斬り結び、アレンは悟った。いや、元から分かりきっていた事だ。シャルムは強い。自分なんかよりも、数段。だがそんなシャルムと、押されてはいるが渡り合っている自分に妙な昂揚感を覚えていたのも事実だ。「どうしたアレン!この程度か!?」シャルムの剣がアレンの腕を掠める。「くっ…!」「もし情けない姿を見せてみろ!その瞬間、貴様の首を切り落してやる!」シャルムの言葉はきっと本当だ。目で分かる、その殺意。鍔迫り合いをしながら、シャルムはアレンに向かって叫んだ。「お前がやってきた事は!そういう事だ!!」民衆を率い、武力を以って蜂起したアレンとその仲間達。その結果出た死者の数は?犠牲は?それでもまだアレンを信じ、ついてくる者はいて。だから戦いも終わらなくて。「お前の掲げた正義が!志が!挙げた旗が!!多くの命を奪った!!簡単に退く様なら、お前は!!」「僕はッ…!」「それだけの責任がお前にはあるんだ!!」一度アレンから剣を離し、シャルムは再び斬り付ける。「そして私にも…!」アレンはシャルムの斬撃を受け止め、押し戻すと、今度は自分から刃を繰り出した。しかしシャルムは半身になってそれをかわす。二回三回と素早く斬り合うと、再び鍔迫り合いにもつれ込んだ。「国を守るという責務がある!!」「だったら何故!?」シャルムの言葉に疑問を抱き、アレンは言葉を返す。「国を守ると言っておきながら何だこれは!!誰も王に異を唱えなければそれが平和なのか!?小さな命が失われても!それに誰も気付かなければそれで平和なのか!?」「違う!そうじゃない!!」離れてはぶつかい合う刃と刃。「やっとここまで来た!!安寧も繁栄も!!それらはやがて全ての民を照らすはずだった!!それなのにお前達が!!何も知らないお前達が!!全てまた!!崩れ去った!!」平和とは砂の城の様なモノ。黄昏の時間まで身を焦がし、積み重ねても。それは簡単に崩れてしまう。小さな波でさえ、全てを奪っていく。「英雄のつもりか!!アレン!!貴様は!!」「違う!僕は…!」シャルムの声からは、焼けるような怒りが感じてとれた。「国を救うのがお前の意志だというのなら!国を滅ぼすのもお前だ!アレン!!」シャルムの一撃一撃は重みを増していく。それはアレンの疲労によってそう感じるだけだろうか。シャルムほど戦い慣れていないアレンにとって、長期戦は不利だった。「お前が余計な事さえしなければ!!」ようやくアガレスが顔を上げた。ミレニアが突き止めつつあった、前王を襲った凶手。シャルムもようやく、それに辿り着きつつあった。しかしこの混沌の中でまた城内にまで事件を起こせば、それこそアングルは崩壊していたであろう。だからこの反乱を鎮圧出来たなら…――次はお前だ。シャルムの目はアレン、そしてその先を見据えていた。永遠の国の安寧と繁栄。それらを守り通すために、シャルムは…―「僕は!!」シャルムの炎を掻き消すかの様に、アレンは叫んだ。「それでも僕は!!」シャルムの鎧と鎧の隙間を縫う様に、アレンの刃が食い込む。「ぐっ…!」一瞬の気の途切れが、こんな不覚を導いたのか。更に斬りかかるアレン。しかしそんな簡単に追撃を許すようなシャルムではない。片膝を着きながらも、アレンの斬撃を受け止めた。「貴方の言う通り、僕には皆をここまで連れて来てしまった責任がある!だからこそ…こんな所でやられるワケにはいかないんだ!!」「えぇいッ!!」アレンの槍を払い除け、シャルムは斬り返す。浅かったが、それはアレンの左腕を真っ赤に染めた。「あッ…!」「こんな所だと…!?」シャルムは肩で息しながら、アレンを睨み突けた。「お前!!私が!他の兵達が!どんな気持ちでここに立っているのか!!よくもそんな事が言えるな!!」「……!」アレンも息を整える。「…通過点だ、ここは…」「何…!?」「僕は…こんな戦いも無くて…」ふと、あの雨の日のタリアの笑顔がアレンの脳裏に甦る。そして最後に見せた、泣き出しそうな顔。「もっと自由な、平和な国に。アングルにはそんな国であって欲しい」「何を…!」シャルムは地面に剣を突き立て、ふらつきながらも立ち上がった。「戦いを起こしておきながら!何だお前は!!」そして力を振り絞り、アレンに斬りかかる。「どんなに時間をかけても!!私はやがてこの国を導こうとした!!その為に耐え!!悪と分かっていながらも間違った命令に従いもしてきた!!それなのにお前は!!お前達は!!」「そんな猶予が無い事ぐらい!!」「!!」刃が刃を削り合い、同時に二人の身も削っていく。「僕が知っているアングルは、ずっと夜だ!!記憶の中のこの国はずっと夜なんだぞ!?レキンから14年経った、僕らが剣を取ったあの日までずっと!それからも!!」シャルムの負った傷はよほど大きかったのか。遂にアレンが押し始めた。「貴方はそれを知っていて、ただ耐えるだけだったのか!?」「くっ…!」アレンの言葉を振り払うかの様に、シャルムは乱暴に剣を振り回した。「お前に何が分かる!?どうやったって崩れ去る砂の城を!!どう守れと言うんだ!!お前は!!」シャルムの突きを、もう上がらない左腕を犠牲に受け止める。そしてその痛みに耐え、鎧で覆われていないシャルム足に刃を突き立てた。「!うぐあッ!!」「朽ちるのが怖いから…もっと早く朽ちるのが怖いからって、何もしなかったのか!?」二人は互いの体から刃を引き抜き、振り上げる。狙うは首、その一点。「何も出来ないからって何もしなかったら、本当に何も出来ないままなのに!!どうして貴方は!出来るだけの力を持ちながら何もしなかったんだ!!どうして戦わなかったんだ!!それじゃ何も変わらないのに!!何故それが分からない!!」「…!」互いの刃が互いを喰い合う。“武”などとは呼べない。それは正に、命と命を懸けた死闘だった。「貴方も本当は…僕達と同じ…!!」「違う!」怒声がアレンの言葉を遮る。「お前達と私達は違う!私も…テッドも…タリアも!!」「!」タリアの名に、アレンは肩を震わせた。「タリア…!」「…!」アレンの反芻した言葉に、今度はシャルムが反応した。そして思い出す。あの日タリアが流した涙を。「…そうか…お前か」シャルムはグッと足に力を入れ、剣を構える。「お前は…タリアの心まで、持って行くのか?」「!?」シャルムの冷たい目は、アレンの闘志を凍てつかせる。「ならば尚更、生かしておくワケにはいかない!!」シャルムは長大な剣を肩に掲げ、玉砕覚悟でアレンに向かって行った。「……」アレンは槍の矛先をシャルムに向け、右手で持ちながら体全体で固定する。そして迫り来るシャルムに立ち向かった。「はあああああああああッ!!」「うおおおおおおおおおッ!!」ぶつかり合う二人。矛は鎧を突き破り、その身をも貫いた。例え仮初だったとしても、シャルムは幸せだった。テッドと互いを高め合い、シャルディーニが自分達を見守り。そして自分はタリアを見守る。―エゴイストだな。幸せなのは自分だけだったのかもしれない。いや、そうだったんだ。アレンの言う通りだった。タリアには最初から父親がいなかった。少なくともシャルムやテッドの知っているタリアには。タリアがシャルム達に懐いたのは、彼らに父親の様な安息を感じたからなのかもしれない。そしてシャルムはタリアを、妹の様に、娘の様に大切に想った。もしかしたら、それ以上の気持ちも、それを期待する気持ちも。「はッ…!」胴体を貫かれたシャルムは、アレンの肩にもたれかかる様に倒れる。彼の吐いた血が、アレンの装束を朱色に染めた。「ふーッ…!ふーッ…!」それでもまだ、シャルムの灯は消えない。「お…前…!」しかし全てを分かっているアレンは、ただ黙ってシャルムの言葉に耳を傾けた。「私を…倒し、ただけ、じゃ…!」「分かっています」頷くアレン。「この先…お前…が…!」シャルムが心配している事は、たった一つだ。「死…んだら…!!」―どうするつもりだ。誰が国を救う?二つの正義。その一つが今正に消え、もう一つまでもが消えてしまったら?―「”例え我が身が散ろうとも自由の炎は消せない”」「!」「…だから、大丈夫」見た事あるような顔だと思った。シャルムはアレンの肩の上で口の端を吊り上げ、ふふっと笑った。ヴィンセント=シュワルツ。あのレキンで、確か他の者達を率いていた男の名がそれだ。「運、命…か…」ああ、あの時の子供は生きていたんだな。シャルムは痛みよりも何よりも、可笑しさに耐えるのに苦労した。「ア…レン…」シャルムはその手にまだ握っていた剣を地面に突き刺す。「私の…願…いを…」アレンはまた、静かに頷いた。「この…剣…と…一緒、に…」アレンが応じたのを確認すると、シャルムは安心した様に目を閉じた。「良き国でありますように…」再び、静寂が訪れた。


運命。いつかシャルムがアレンを逃がす時に使った言葉。アレンが生き延びたのが運命ならば、彼がシャルムを斬ったのもまた、それはあの時運命付けられた事なのだろうか?シャルムを寝かせると、アレンも両膝をついて呆然とする。さっきまでの戦いは何だったのだろうか。熱かった心も、今は落ち着いている。「…やったのか?」後からやって来たソラがアレンに尋ねる。「……ソラ…」無事で良かった。と、そんな言葉を口にする余裕も、今のアレンには無かった。ソラは倒れているシャルムに近付くと、彼の顔を覗きこんだ。「…シャルムか…」そしてアレンの方に振り向いて言う。「スゲェな、アレン。コイツは向こうの頭だ」よくやったと、ソラはアレンの肩を叩いた。しかしそれをアレンは振り払う。「やめてくれ、ソラ…」「?」「人を殺してしまったんだ、僕は!だから…!」せめてもっと、悪に染まった人間であれば良かったのに。誰よりも国を想い、その志は自分より高かったのではないか?「……」ソラはしばらくアレンを見つめていたが、フンと小さく笑うと、今度は少し乱暴にアレンの胸倉を掴んだ。「バカにしてんのか?アンタは」その声には嘲りと、そして僅かな怒りが含まれている。「人を殺してしまったんだ?まさかアレン。アンタ、これまでに自分が誰も殺してきてないとでも思ってんのか?」「…え?」アレンの頬を、シャルムの血が伝う。「この戦いで、これまでに何人死んだか。アンタが知らねェワケねェだろ」「…!」アレンはハッとした。ソラの言う通りだ。シャルムにだって言われたではないか。「死んでんだよ!人はもう、何人も!アンタが始めたこの戦いで・だ!分かってんのか!?アンタの言葉で!誰も彼も戦って!それで死んでってんだ!今更甘ったれた事言ってんじゃねェ!」「ソラ…」アレンはギュッと拳を握り締め、震えた声で言う。「ソラ…僕は…!」「!」と、ソラがアレンの口の前で人指し指を立てた。「王国軍の奴らが来た。行くぞ」ソラはアレンを自分の馬に乗せると、そのまま駆り、敵軍が来る前に退いていった。──…何故…彼が…?私は…一体…どうして…──シャルムは雨露が頬を濡らすのを感じて、眠たい瞼をうっすらと開いた。「…タ…リア…」倒れているシャルムの顔のすぐ上に座り込み、タリアは泣いていた。彼女の隣にはテッドが立っている。「シャルムさん…どうして…!」霞れる声でタリアは言った。「何でこんな…!今っ…今すぐ!助けますから!」そう言って後ろにいた兵士に治療器具を取りに行くように命じる。「タリア…もう…」テッドはタリアの肩に手を掛けた。しかしタリアはそれを振り払い、シャルムの胸の傷から溢れる血をその白い手の平で押さえる。「血が…こんなに…!」もちろんそんな事で血は止まるはずもなく。「タリア!」テッドは再びタリアの肩を掴んだ。テッドも、気持ちはタリアと同じだった。しかしここで自分まで冷静さを失ってしまったら。そんな彼の思いとは裏腹に、冷静なテッドの態度が信じられなかったのだろう。タリアはテッドを睨み、怒鳴った。「どうしてアナタはそうやっていられるんです!?アナタはシャルムさんの事、好きじゃないんですか!?」そしてうつ向き、今度は誰にというワケでもなく、悲鳴の様な声を上げる。「何でも!誰でもいいから!早く助けてよ!!」シャルムの血は、タリアの指の間を抜けてドクドクと流れ出てくる。「…て…テッドさん…」「……」そして怯えた声で、顔で、タリアはテッドにすがった。「どうしよう…血…止まらない…!」テッドの顔を見上げるタリアの瞳は、絶望の色で染まっている。「止まらないよぅ…!テッドさん…どうしよう…!シャルムさん…しっ…死んじゃう…!」「タリア…」テッドがタリアの頬に触れようとした時、それより先に、シャルムの手がタリアの顔を撫でた。「!」「……」シャルムは微かに唇を動かし、微笑む。「シャルム…さん…」タリアはポロポロと涙をこぼしながら、彼の名前を呼んだ。「ごめっ…なさい…!私っ…ちゃんとお守り…作らなかった…から…!」シャルムはゆっくりと、首を横に振る。血は止まらない。シャルムの手は、もうタリアの知っているあの温かい優しい手ではなかった。氷の様に冷たい手。「いや…シャルムさん…!」タリアは小さい子供が何かを拒絶する時の様に、ふるふると首を降った。冷たくなってしまった手が少しでも温かくなるよう、しっかりと握り締めて。「……」シャルムがまた、何かを口にする。『テッド』「!」そう聞こえたテッドは、シャルムの目を見つめた。昔からちっとも変わらない、真っ直ぐな瞳。いつもお前が一番で、俺はその次だったよ。テッドは目を細めて、少年時代に思いを馳せた。『後は頼む』テッドは「ああ」と頷いた。タリアが握ったシャルムの手。それはほんの僅かに、一瞬だけ、握り返される。「シャルムさん…!」シャルムが微かに微笑むと、やがてフッと、その手から力が抜けた。「…え…?」スルリと抜け落ちる、大好きなシャルムの手。「いやっ…そんなの…!」震えるタリアの声を聞いて、テッドは歯がゆく感じた。シャルムに抱きつき、タリアは大声を上げて泣く。「いやあぁぁっ!シャルムさんっ!!死なないでよぅ!死んじゃヤダぁ!!」タリアの泣く声は、シャルムを慕っていた他の兵士の心をも揺らす。それはルイズも。ほんの何時間か前まで一緒にいたのに。やはり自分もシャルムに付いていれば良かったんだと、ルイズは自分を責めた。「タリアさん…」彼女の後ろに立っていたルイズが、すすり泣くタリアの肩を抱こうと手を伸ばす。「……ルイズさん」だがそれより早く、ゆっくりとタリアは起き上がった。長い銀色の髪は、血で赤く染まって夕焼けの様。その時のタリアの声は、いつもの様な琴の音を奏ではせずに。「私の槍を」「…え?」タリアの不可解な言葉に、ルイズのみならず、テッドや他の兵士までもが眉を潜めた。「ですが…」敵はもう退いた。足だって怪我しているのに。「聞こえないんですか!?私の槍を持って来いと!そう言っているんです!!」タリアの声にルイズは思わず肩を震わせる。こんな風なタリアを、ルイズは今まで見た事がない。「タリアさ…」「何してるんです!?早く!持ってきてよ!!ルイズ!!私の言うことが聞けないの!?アイツらみんな…っ!!」パンと、テッドがタリアの頬を叩く。「…?」タリアはジンジンと熱を帯びる頬を押さえ、テッドの目を見つめた。「え…?」今まで彼に殴られた事なんて無い。「いい加減にしろ!タリア!」今度はタリアが肩を震わせる。「だって…シャルムさんが…!」「辛いのは自分だけだとでも思っているのか!?お前は!!」「……!」タリアはポロポロと涙を溢すと、またシャルムの胸に顔を押し付け、声を殺す様に泣き出した。「…タリア」力強く言い、テッドはタリアの肩を抱き締める。「誰がこのまま終わらせるものか…!」タリアは顔を伏せたまま、頷く。「奴らは…俺が絶対に許さない…!」槍の様な殺気がテッドから放たれる。顔を上げたタリアの緋色の瞳は、黒き決意の色で染まっていた。


…戦いの後のガノステルンの某所。「…そうですか。アレンがシャルムを…。」「あぁ。悪い奴じゃなかったんだがな…。」専門書を小脇に抱えたYシャツとスラックスを身に付けた青年と短めのレイピアを腰に下げた同じくYシャツとスラックスを身につけた女が…街を歩きながら話していた。メルデネスとメルリーナである。…毎度の如くの巡視である。街の様子を事細かに確認しながらメルデネスはふとこんな事を言い出した。「…こうしてお前と街を歩くのも…久しぶりじゃないか?」メルリーナは目を閉じフッと微笑むと、「…確かにな。少なくともアレンに仕えてからはこんな事も無かったな。」と呟いた。…確かにメルリーナの言う通りメルデネスも多忙だった上に…一時期メルリーナも王都に在住してたから機会が無かったのだ。ただ…兄と妹が普通に街を歩く様子とは少し違ってはいるが。そんな事を考えていると…おねだりしてる少女と苦笑いしている青年の姿が見えた。…兄と妹みたいだ。メルデネスは微笑ましい兄と妹の図を見てクスリと笑うと、「そう言えばお前はあまりねだると言う事をしなかったな。」と言った。すると、メルリーナは微笑んだ表情のままメルデネスを見て、「昔はねだるほど余裕は無かっただろ。…貧乏だって事は分かってたよ。」と述懐するように言った。…しばらくして、メルリーナからメルデネスに問い掛けた。「…アレンとシャルム…分かり合えなかったのかな?」すると、メルデネスは悲しそうな表情をして一つため息をつくと、「…平行線なんだ…方向は近い方向を向いているはずなのに…交わる事の無い平行線…。そこで会ってしまったのも…そして戦いになったのも…ある意味宿命だったのかもしれない。」と呟いた。そしてメルリーナの方に真顔で振り返ると、「その平行線をいずれ交わらせなければならないのかもしれないがね。」と言った。メルリーナは少し困った表情を浮かべて、「…今回の事態で…あの姫…多分意固地になると思うよ。交わらせるのは難しいと思う。…もしかしたら、斬った方が早いかもしれない。」と呟いた。そんなメルリーナに真顔のままメルデネスは、「しかし、交わらせなければならない時が来ますよ…多分。そして…それを行えるのは…私と貴方、そしてアレン殿。ただ、一人でそれを行うのは無理です。時間と並々ならぬ労力は要ると思いますが…。ただ、もしその苦労が報いられ実ったなら…我々の理想に近づけるかもしれません。…時が来たら…頼みますよ。メルリーナ。」と言った。その表情には決意めいたものを感じる。メルリーナはフッと微笑むとメルデネスを真っ直ぐ見据えると、「任せときな。…アトスって言ういい相棒も居るしな。」と言いながら軽く自分の胸を拳で叩いた。そして親指を立てた握り拳をメルデネスに向けニヤリと笑みを浮かべたのだった。…メルデネスの予感…『時』は訪れるのか…?そんな未来の事は未だ分からないひと時の平穏な時間であった。


大勢の兵士に見守られる中、シャルムが中に入った棺桶は「鮮血の広場」へと向かった。棺桶は広場の真ん中に到着すると、アガレスが台に上った。「諸侯、兵士、そして市民諸君。我々はこの戦いで多くの大切な友人を失った」一度、言葉を切る。ゴクリと唾を飲み込むとアガレスは口を開いた。「ここにまた、犠牲者がでた。我らが「王国の盾」シャルム・ワーテルローだ。諸君、私は許せない。我が友人を殺した反乱者達が」そう言うとアガレスは一歩一歩台をおり始めた。誰が始めたと言うことなく兵士が歌い始める。King that we are honorable king!(王よ、我らが尊し王よ!)We are under the king. (我らは王の下にあり)King worry is our worry. (王の悩みは我らの悩み)King anger is our anger. (王の怒りは我らの怒り)Brothers! It can have the spear, and have the escutcheon. (同胞よ!槍を持て、盾を持て)Cut down the person who interrupts!(遮る者をなぎ払え!)Drive back the person who invades! (攻め入る者を跳ね返せ!)We are under the king!(我らは王の下にあり!)アガレスはシャルムの棺の前に立つと、腰にさした剣を抜いた。「シャルムよ、向こうから我らの事を見守っていてくれ」アガレスは剣を棺の中に入れながらそう呟いた。アガレスは兵士達に手を振ると王宮へと言ってしまった。「タリア、君の番だ」「解ってます」タリアは気丈に言い返すと棺の前に立った。じっと顔を見る。安らかな眠り顔。「シャルムさん、お疲れ様」タリアはそう言うとタンポポを胸の上に置いた。「もっと、いろいろ話を聞いて欲しかった…」頬を涙が伝う。タリアが花を添える終わるとテッドが立った。「シャルム、見てろよ」テッドは台に上がる階段に足をかけた。ゆっくりと上がっていく。兵士達の視線がそれを追う。頂上に上り詰めるとテッドは口を開いた。「兵よ!シャルムの遺志を継ぎ、反乱軍を討つか?」唐突な質問に一瞬広場は静かになった。少し間が開いた後、兵士の口から賛同の雄叫びが上がる。テッドは頷く。「同胞よ!我らは王と共にあり!」歓声が続く。「シャルム、お前の無念は俺が晴らす。『王国の槍』として」テッドの決意によって復讐劇は始まろうとしていた。


タリアは自分の部屋の壁にトンと背中をつくと、ズルズルと崩れ落ちるように座り込んだ。「死なないって…言ったのに…!」―「俺は死なない」「約束…守るって…!」膝に顔を伏せて、シャルムの言葉を思い出す。互いに先に死なないと、そう誓ったはずなのに。シャルムは死んでしまった。小さな火の灯が揺れ、雨で冷えてしまった体を温めてくれる。狂い出しそうな足の痛みも、優しい声が和らげてくれた。―「本当は…僕なんていなくても大丈夫な世界になって欲しいんだ」「…!」瞬間浮かんだのは、何故かアレンの言葉。「え…」タリアは僅かに戸惑い、シャルムの顔を思い浮かべる。いや、浮かべようとした。しかし。どうしてだろう。どうしてもシャルムの顔が思い出せなかった。覚えている。忘れるワケがない、忘れる事など出来るハズがない、大好きなシャルムの顔。ただ…―先に浮かぶのは、アレンの笑顔だった。「どうして……!」泣いたり、怒ったり、笑ったり。情緒というのは大人になるにつれて落ち着いてくるが、それが不安定になる時期もある。誰にでも訪れる時期であり、成長の過程であるから、放って置けばいい。いずれ落ち着くのだから。「何だ…この霧は…?」アレンはいったん馬を止め、辺りを見回した。「霧というより、これは埃…灰?」メルデネスもアレンに並ぶ。手にかかるその粉は、磨り潰すとなるほど黒く滲んだ。七王都が一つ『クレスクレイ』。そことラードバイとを結ぶ森『ニブルヘイム』。アレン軍はウェインを経由し、この場所まで進んできていた。「どうした?」後方からやってきたソラとアトス。と、急に馬を止めたソラに向かって、アトスが言った。「早く行かないと置いてかれるぞ」「戻った方が良さそうだな」「何?」ソラはニッと笑うと、方向を返した。そしてアトスに言う。「お前も行かない方がいいと思うぜ?」「今回はどう戦うつもりなんでしょう?」ルイズがテッドに尋ねる。ラードバイ寄りの丘に陣を張った王国軍は、反乱軍の進行を待ち受けていた。「さあな。この戦いを仕切っているのは俺じゃない、タリアだ」アイツに訊け、とテッドはルイズに言うが、そのルイズはタリアから目を逸らした。『私の槍を持って来いって!そう言ってるんです!!』シャルムが死んだあの日。タリアのいつもと違う顔を思い出したルイズは、ゾクッと体を震わせた。―「何してるんです!?早く!!持ってきてよ!!ルイズ!!  私の言うことが聞けないの!?アイツらみんな…っ!!」ルイズの知っているタリアの声は、もっとフワフワしていた。毅然とした態度で話す時でさえ、それでもその声に可憐さを見せる、そんな声。それなのに。「アイツらみんな」テッドに遮られたその言葉の続き。タリアはあの時、何と言おうとしたのであろう。「ルイズさん」「!」不意にタリアに名を呼ばれたルイズは、ビクッと肩を震わせる。「弓と矢を」「え…?」ニブルヘイムを見下ろす様に眺めるタリアは、右手だけをルイズに差し出す。「おいタリア」困惑するルイズの心を代弁するかのように、テッドが言った。「お前、何考えている?そんな弓一本で何をしようって言うんだ?」「花火」「何?」「シャルディーニさんが死んだ時に言ったでしょ?テッドさん。…シャルムさんも。『弔いならするさ。もっと派手にな』『この敷地にある花だけでは、あの方の手向けにならない』…もっと大きな花がいい、って」タリアは手にしたエバラスティン製のHジャベリン『レイヴァテイン』の刃を地面に噛み付かせた。岩を削るように地面と矛とを摩擦させると、小さい爆発音と一緒に火が灯る。「だから」布が巻かれた鏃にその火を移す。「シャルムさんにも、大きな花を」「来たぞ」アレンがメルデネスに言う。王国軍と反乱軍の兵士がぶつかり合った。アレン達は隊列の真ん中あたりにいたが、灰の雨が視界を曇らし、状況を確認することが出来ない。「これではダメだ、メルデネス!いったんニブルヘイムの外へ出よう!」「…そうした方が良さそうです」メルデネスは他の兵達にもそれを伝え、全軍に行き届くように指示する。「先に戻ってください、アレン」メルデネスは先に進んだ仲間達をまとめてから戻ると、アレンに示す。「ああ」「ソラ、アトス!」アレンが森を抜けると、彼らと彼らの隊の兵士達がアレンを迎えた。「どうして」アトスは腕を組みながらソラに目をやる。「ソラ?」「見ろよアレン、この視界の悪さ。これじゃ何も出来ない」ソラは肩をすくめて言った。「さっきウチのヤツに皆を呼び戻させに言ったけど…」「ああ…僕らもそう思って、今メルデネスが…」強風が吹いたかと思うと、次の瞬間、爆炎がニブルヘイムの森を包み込んだ。「軍を退く!総員急いでください!」メルデネスの声は他の兵達を伝い、反乱軍全体に広げられていく。ふと森の向こう側の丘を見上げると、フラッと少女がこちらを見ているのが見えた。森に向けて弓を構えている。―銀…色の髪…?そして紅い衣。アトスやメルリーナから聞いていた特徴と合う。―あれは…タリア!?矢の先が赤く光るのが分かった。ユラユラと空気を揺らし、わずかに歪ませる。火矢だ。と、彼の顔に巻き上げられた灰が微かにかかる。指で拭き取り、メルデネスはその灰をジッと見つめた。「!?まさか!!」タリアの弦が弾かれ、矢が放たれる。「全員早く逃げるんだ!!」メルデネスの叫び声は、爆音に飲み込まれていった。「これは…一体どういう事だ!?」燃え上がる森を見てアレンが怒鳴る。「炭鉱なんかじゃよく起こる…あの埃、多分“粉塵爆発”ってヤツだ」ソラの瞳は炎を映している。「言ったろアトス?行かない方がいいって」「ソラ…お前…」アトスは眉を潜め、ソラを見つめた。「それよりメルデネス!メルデネスは!?」「…」ソラが無言で指を指した方向に、爆発で吹き飛ばされたメルデネスが倒れていた。「はははっ!」眼下に広がる炎が、タリアの顔を照らす。陰が緋色の瞳を暗く濁らせていた。思っていたよりも燃えるんだな、と、タリアは小さく笑った。「タリア…お前…!?」テッドがタリアの肩を掴み、乱暴に振り向かせる。「何をしているんだ!!今の爆発には我々の仲間も巻き込まれたぞ!?」「ああ…そうみたいですね」目だけは、依然として炎を追っていた。「死なせたくないと言ったのはお前だろう!!何だこれは!!?」タリアはスッと目を細め、テッドを睨み返す。「どうせ死ぬんだから、いいじゃないですか」「…何…?」「戦いなんて長引けば長引いた分だけ犠牲が出る。考えが甘かったんです。だったら」「タリア!!」テッドは思わずタリアの言葉を遮った。タリアは煩わしそうな顔を見せ、再びテッドから顔を逸らす。そして彼の手を振り払い、近くにいた兵士に問う。「あとどれくらい残ってます?さっさと終わらせちゃいましょうよ、こんなの」「タリアさん」「!」ルイズがタリアの前に立ちはだかった。「良かったですね、ルイズさん」タリアは軽く笑って炎を見下ろした。「あの中にシャルムさんの仇、いたかもしれませんよ」ふふっと笑うタリアの顔は幼くて、しかし残酷なものに見えた。「こんなやり方で戦いを終わらせても…!」「はい?」ルイズは声を震わせる。「こんなの!!隊長が見たらどう思うか!!悲しませるだけですよ!!」「……」タリアはゆっくりとルイズに歩み寄ると、顔と顔とを思い切り近づけた。そして囁く様に言う。「でも、シャルムさんはもういないでしょ?」「!?」ルイズは己の耳を疑う。タリアがこんな事を言うなんて思ってもみなかった。タリアは冷たくルイズの眼を睨むと、トンと手の甲で彼の胸を叩いた。「最近ルイズさん、ちょっと生意気ですよ」去って行くタリアの後姿を見つめながら、ルイズは歯を食い縛る。「あんなの…僕の知っているタリアさんじゃない…!」


…ガノステルンのとある診療所。頭から顔、胴体に至るまで包帯でぐるぐる巻きになった男がいる。そして、横には白衣の男・肌の浅黒い男・眼光の鋭い少年のような男がいた。…包帯を巻かれた男はメルデネス。そして、アレン・ソラ・アトスである。幸いにもメルデネスは生きていたようだ。…が、体表面の1/4くらいが火傷を負っていた。もう少し面積が広かったら死の危険もあっただろう。…とっさに馬から飛び降り伏せるような格好になったのが幸いしたらしい…。が、この状態では戦場に出る事はおろか執務を行う事すら無理である。しばらくメルデネスは床に伏せる事になるだろう…。そんなメルデネスではあるが意識は取り戻している。震える手で3人に向かって手招きをした。アレンが顔を近づけると小さいが精一杯の声を出し、「…メルリーナを…呼んで下さい…。」と告げたのだった。…しばらくしてメルリーナが現れる。辛さを押し殺したような表情をしている。メンバーが揃ったのを見てメルデネスは起き上がろうとした…が、アレンの「…無理をしてはいけない。今…君が欠ける訳にはいかないからね。」との言葉に仰向けの状態のままゆっくりと話し始めた。「…このような…事態を…災難と…思っている…ようだが…逆に…この状況は…敵の油断を…誘えます…。」…メルデネスとメルリーナ以外の3人はこの台詞を不思議な面持ちで聞いていた。が、メルリーナはこの台詞に2回ほど頷いた。その後メルデネスはさらに、「とりあえず…内政という面では…不安が残りますが…私の代行は…メルリーナ…頼みます。」と言う。頷きながら、「分かったよ。兄貴。」と言うメルリーナ。メルデネスはそんなメルリーナを見て軽く微笑むと…突然こんな事を言い出した。「…私を…死んだ事に…してください。」この台詞を聞いて驚くアレン・ソラ・アトス。それから、ゆっくりとではあるが…メルデネスはある計を話し始めた。…まずメルデネスが死んだとして偽の葬式を挙げる。それと同時にメルデネス死亡の噂も流す。そして…王都にも噂が伝わるようにする。屋台骨を失ったガノス同盟にはもうほとんど力は無い…と思わせる。…そこがこの計の重要なところではあるが…。油断した敵は何らかの行動を起こすであろう。その反応がどう出るかは分からないがそこに期待するのである。で、その間メルデネスは自宅でひっそりと療養し代行をメルリーナが行う…このような計だった。ここまで話し終えてメルデネスは、「…アトス殿…貴方は…噂を広めてください。傭兵達を使って…ソラ殿は…偽葬式の…準備を頼みます。そして…マサカド殿には…この事を…伝えないように…。最後に…アレン殿…メルリーナを連れて…街の見回りを頼みます…。」と言った。そして…目を閉じた。一同は一瞬驚いたがメルデネスは寝息をしている。…一安心したメルリーナは苦笑して、「…兄貴…こんな時でも…食えない人だよ。」と言った…。この捨て身の計…王国側に如何なる反応を示させるのか…?


こうなる事は分かっていた。と思う。人の焼ける臭いは胸にこびり付いて、どんなに洗い流そうとしても落ちてくれない。だがそれよりも、目に焼き付いて離れない、あの光景。炎。思想家の首を撥ね、彼等に準ずる者を焚刑に処した、15年前のあの大粛清。幼き日に見たそれと重なって吐気がする。胸を焼く炎は確実に、その身を蝕んでいった。「…そうか」報告を受けたジギスムントがゆっくりと頷く。「タリアとテッドを呼べ」今回の『ニブルヘイム』で失われた双方の兵力。“時だ”と、ジギスムントは思った。「しかしタリア…期待以上に働いてくれるな」反乱軍の兵力を半分程度にまで減らしてくれればそれで上出来か、などと考えていたジギスムントだが、今の反乱軍はもはや風前の燭。潰そうと思えば簡単に潰せる所まで来ている。「問題はこちらの建て直しだが…」王国軍の主だった兵力は王家直轄の『トラディショナル』。それに加えメテルス、ライマール。そしてジギスムントが平定した元ロイ領。現在はロンギヌス=ギュールと言う男が治めている。対する反乱軍は、アレンを筆頭とする残り僅かな親革命派の民衆と、コーネリア率いるカースト家とその兵のみである。メテルス、ライマール両家の兵力はもう相当に弱まってきているが、ロイ改めロンギヌス領の再盛が著しいため、戦い抜くには充分すぎるだけの力が残っている筈だ。「ジギスムント様」テッドとタリアが連れだって彼の前に現れた。ジギスムントは立ち上がり、二人に椅子を勧める。「ああ…いや、先日の戦い、ご苦労であった。そこに掛けなさい」黙って座る二人。普段ならタリアあたりが何か言いそうなものだが、今日の彼女はいつもと様子が違う。「どうしたタリア?顔色が優れないが」「ジギスムント様。何か用件があって我々をお呼びになったのでは?」タリアが眉を微かに潜ませるのに気付いたテッドが言葉を挟んだ。誰が見たってシャルムが死んでからこっち、タリアはおかしい。そしてそんな事情を知っているのであればそれを察しろと、目の前のジギスムントに対する僅かな憤りがテッドにはあった。「しかしタリア…お前の働きには、死んだシャルムもさぞ喜んでいる事であろう」「ジギスムント様!」テッドが思わず立ち上がる。彼自身の怒りだ。だがタリアは静かに座ったまま、息を吐く様に笑った。「ルイズさんもそうですけど…死んだ人が悲しむとか喜ぶとか。本気で言ってるんでしょうか」そして目を細め、言う。「用件は?」「……」ジギスムントは少し驚いたが、直後フッと笑った。─良い顔になってきたな…「反乱軍の中に軍師と呼ばれている男がいたらしいが…どうやら先日の戦いで死んだ、との事だ」「軍師…」マサカドの事ではないな、とテッドは口の中で呟いた。「奴らが我々とここまで渡り合ってこられた要因の一つにその男の存在が挙げられる」「…それで?」タリアは「だから何だ」と、ジギスムントを急かした。「ここで一気に叩いてしまってはどうだろうか」「…」その言葉にタリアはまた、小さく笑い返す。「言われなくても分かってますよ、そんなの」「ならば…」「て言うか」ジギスムントの言葉を遮るタリア。その声はいつもよりも少し重い。「誰が死んだからどうする、とか…そんなの関係ないんですよね、私には…!誰が死んでようと、生き残っていようと…─…だってみんな、殺すんですから」しばしの沈黙。「それだけですか?」ジギスムントが頷くのを確認すると、タリアは少し乱暴に席を立った。「では」軽く会釈し、ドアのノブに手をかける。そこで顔だけジギスムントに向け、タリアは言った。「アナタがいちいち干渉しなくても、役割は果たします」残されたテッドとジギスムント。タリアの足音が遠のくと、ジギスムントは笑みを浮かべた。「いい女になったな」「このままでは良くない」テッドも席を立つ。「何がだテッド?」笑いながら聞き返すジギスムントを、テッドは睨みつけた。「今お前達がすべき事は反乱の鎮圧であろう?あのタリアがようやくそれに徹しようと言うのだ。悪い事など何一つ無いではないか」「……」ジギスムントもテッドを睨み返す。「…失礼します」軽く一礼すると、テッドも部屋を後にした。─『後は頼む』シャルムが最期にテッドに遺した言葉。後は頼む、などと。何故そんな言葉、敢えて遺す必要があったのか。頼まれなくても、テッドとて自分のすべき事は分かっている。国の安寧と繁栄。その為にすべき事。だから、シャルムがテッドに託したのは、それ以外。敢えて念を押す必要があった事。そしてタリアに、ではなく、それはテッドにしか託せなかった。「タリア…」テッドはタリアの部屋の扉をノックした。返事は無い。「その…いつまでもそのままにして置くワケにも行かないから…」テッドは腰に手を当て、うつ向いて息を吐く。「シャルムの遺品の整理をしなければならない。…お前、どうする?」タリアはベッドの中で丸まったまま、テッドの言葉を聞いていた。「私、知りません」瞼越しの日の光でさえも憎らしい。照らされるのが嫌で、タリアは毛布を頭から被った。彼女の声は少しくぐもる。「勝手に捨ててしまうぞ」「どうぞ」「いいのか?」タリアは毛布を跳ね除け、喉が切れるぐらいに怒鳴った。「どうして私に言うんですか!?ほっといてよ!!好きにしたらいいじゃないですか!!」バシンと、扉の向こうから重たい衝撃音が響く。多分タリアが枕でも投げつけたのであろう。「…悪かった」テッドはまた溜め息をつくと、シャルムの部屋へと向かった。パサッと、今の振動でタリアの机から何かが落ちる。あの日以来、一切触れていない机。それはシャルムに渡せなかった、あのお守りだった。「……」タリアはフラフラと立ち寄ると、その場でストンと座ってお守りを胸の中で握り締める。「…ふっ…!」どうしてこんな事になってしまったんだろう。息が詰まる。胸が苦しい。「…っ…!」泣くな。泣くな、泣くな。今泣けば、これから先戦えなくなる。反乱軍に属する者全てを殺すと、あの日誓ったのだから。だから…─息を吐く様に泣き声を漏らすタリア。誰が悪いとか、何が悪いとか。戦争にそんなモノ無い。今までずっと考えないように割り切ってきた。でも、今回ばかりは何か、確たる“悪”を作らねばタリアは立っていられなかった。そうでもしなければ狂い出しそうな程、憎い。誰が、何が悪い?焼ける様な焦燥と怨恨。恨むべき、憎むべき、確たる“個”を探す。─「僕はガノス同盟のリーダーだから」「……」悪イ ノハ 誰?戦イ ヲ 起コシタ ノハ 誰?蜥蜴の尾。いくら切っても、切っても切っても、また生えてくる。もし殺そうと思ったら、一番簡単なのは頭を潰す事。悪イ ノハ…──…アレン。もし、間違った場所にピースを置いたとして、それでも組み上がってしまったら、そのパズルはパズルと呼べるのだろうか。シャルムの部屋に入った途端、テッドは彼らの少年時代を思い出した。まだ入隊したばかりの頃に当てがわれた宿舎。みんな同じ部屋のはずなのに、どういうワケかシャルムの部屋だけが妙に広く感じられた。よく整頓されていたのだ。そう言う所はずっと変わらなかったんだなと、テッドは小さく笑った。そして同時に、言い様のない悔しさと怒りに駆られる。「シャルム…どうしてお前が死ななきゃならない…!」誰よりも国を愛し、誰よりも国に尽してきた男。そんなシャルムが何故、一人の国民に討たれねばならなかったのか。「…!」テッドがふとシャルムの机の上を見ると、そこには一冊のノートがあった。赤茶色の表紙に、消えかかった金色の文字。『KEEP OUT(見るな)』と、彼の筆跡で書かれている。それを見て、テッドは少し、泣きそうになる。『おいシャルム、お前いつも何書いてんだ?』勉強机に向かうシャルムと、そんな彼を後ろから除き込むテッド。まだ本物の剣など握らせてもらえず、木刀を振るっていた頃の話だ。『日記だよ』『何?』『毎日の出来事をさ、こうやって残しておくんだ』シャルムが記帳を隠そうとするので、テッドは余計に気になって横取りする。『見せろ!どんな事書いてんだ?』『あっ!よせ!』それをシャルムが奪い返す。『見るなよ!絶対!』結局あれから一度も、テッドはシャルムの日記を読んだ事がない。ずっと気になってはいたのに。テッドは本を開こうとして、しかしやめた。「化けて出られても困るしな…」口の中で呟いて整理を始めようとした時、ガツンと机を蹴ってしまった。「あっ…!」そしてその拍子に、シャルムの日記帳も床に落ちる。開かれた状態で。「……読んで欲しいのか?」テッドは笑いながら、その本を拾い上げた。パタンとそれを閉じる。「…今の問題が片付いたらな」燃やしてやるのが一番のハズだろう。しかしそれが惜しくて、テッドは赤い日記帳を懐にしまった。


「儀葬式の準備ねぇ…」ソラはパリスに手伝ってもらいながら、簡単な買出しを行っていた。「葬式って、何を用意すればいいんだ?」「さあ?」パリスも首を傾げる。と、そこにアトスが戻ってきた。「メルデネスに言われた通りにしてきたが…上手く行くかな」アトスの顔は少し不満そうだ。「ああ、アトス!ちょうどいい所に」パリスと二人揃って尋ねるソラ。「葬式やれって、何すればいい?」「俺に訊くな。葬式なんてやった事ない。弔ってやりはするがな」「…ふーん」ソラは腕を組んで考え込む。「埋めたり焼いたり?」「まぁ、そんなところだ」「死んだら英雄も罪人も平民も変わらないもんな」ソラは軽く笑って言った。「ああ…そうだな」アトスは広場の時計塔を見上げた。「そろそろジャンと落ち合う時間だな」「そっか。もうそんな時間か」アトスとは別に行動していたジャン。夕刻になったら合流しようと、そう言う事になっていた。「どうだ?ジャン」「適当にばら撒いてきたよ」言いながらジャンジャンは肩を竦める。「上手く伝わるといいが」「どうだろうな」ソラは小さく笑って、頭を掻いた。「伝わったところで、向こうは対応を変えるかな」「戦力が落ちた事に変わりは無いんだ。なんらかの変化を見られるとは思うが…」シャルムが死んだ後、確かに王国軍の攻撃は激化した。残酷性を増したと言ってもいい。レキンの大粛清。あの悪夢の再現に近いものが為されようとしている。「やっぱアガレスってのは、とんでもないヤツだよな」ソラは腕を組み、ちょっとだけ感情的になる。ニブルヘイムに始まって、その時爆発に飲まれた反乱軍の生き残りは捕えられ、拷問を受けて死んでいっているらしい。「アイツがやらせてんだろ?」「そう聞いているがな…」ソラの言葉にアトスは頷くが、どうにも釈然としないものがあった。やるならもっと早く、シャルムの様な優秀な人間が倒れる前に、王国軍は反乱軍を全力を以って叩けばよかった。確かに途中、色々な事件が重なってそれどころではなかったのかもしれないが。だがこの戦い方の転機に、アトスはもっとドロドロとしたモノを感じていた。「話は変わるが…コーネリアは兵は貸してくれているが、何だかそれだけだな」協力的ではあるが、同盟とは呼べないと、アトスは感じていた。「元傭兵のお前が言うと何か笑えるな」ソラは吹き出して言う。「何だ、“元”って」口では否定しながらも、アトスは「それもそうかもな」と思った。もう自分は『傭兵』という形ではいられないと。「ま、最後に生き残るのは“芯”のあるヤツさ。そういう意味じゃアレンも」ソラの言葉はどうも適当に感じるが、しかし何となく、説得力もある。「アイツが倒したシャルム…アトス、お前は知ってるかもしんねェけど、シャルムってのは『天才』って呼ばれていたんだ」「ああ…」アトスが王国軍に潜り込んでいた時、マラカンと戦ったことがあった。その時シャルムの隊に組み込まれたアトスであったが、その戦いぶりは確かに、他を圧倒する空気を生み出していた。「形として敵になってしまったが…」人格的にも他の力を見ても、上に立つ人間として申し分なかったシャルム。「シャルム…あの人はきっと、こんな所で死ぬべき人間じゃなかったのかもな」アトスが他の人間を高く評価すると言う事はそんなに多くない。付き合いの長いジャンはそれを知っていた。「そういえばソラ…お前こそ妙に詳しいな?」「ん?ああ」ふと疑問に思ったパリスの投げ掛けに、ソラは軽く笑って答える。「俺は昔ウルメイラに住んでいたからな」ウルメイラにある孤児院。そこに姿を隠しているユリウスは、ジギスムントから逐一情報を受けていた。「あのシャルムが一騎討ちで敗れたのには驚きましたが…どうやら面白い方向に流れているようですね」彼の正面にはジギスムントが座っている。「ここ数年シャルム、テッド、それに加えて参謀総長となったタリアが実質この国を支えてきたが…」ジギスムントは施設の一室を締め切った。「まさに大黒柱とも言うべきシャルムは死んだ」「そのせいでしょうか?彼に懐いていたタリア嬢も、ひどく不安定になっているそうですが」愉しそうに笑うユリウス。「まだ幼い分、あのテッドよりずっと扱い易いでしょう」「君はどう思うかね?…ロンギヌス」そしてそこには新たにエバラスティンを治める事となった男、ロンギヌス=ギュールの姿があった。「あの娘…案外と脆いな」ロンギヌスは鼻で笑う。この男、名家の生まれであり文武共に優れた能力の持ち主ではあったが、人格、品格的に問題があった。「生意気な小娘をいつか泣き顔にさせてやりたいと思っていたんだ、俺は」一人でニヤニヤと笑うロンギヌス。「このまま頭でも股座でも使えるだけ使ってやりゃあいい」可愛い顔をしているからな、とロンギヌスは下品に笑った。だがユリウスの冷めた目に当てられたのか一つ咳払いをし、言い直した。「今のままなら放って置いても反乱軍を潰すだろう」「我々がしているのはそういう話ではないんだ、ロンギヌス」そんなロンギヌスを、ジギスムントが諭す。「いいかね?我々の目指す場所はそんな小さな事ではない。もっと別な、大きな意義があるのだ。…見誤るなよ」


アガレスの年齢は現在19歳。15年前の『レキンの大粛清』当時は僅か4歳だった、と言う事になる。ここで幾つかの疑問が生じる。まず「何故暴動は起こったのか」という事だ。『幼き王の強大な権力が方向性を見失い、それによって生まれた国政の歪が民衆の暴動を引き起こした』と、そう残されている。だが、この時アガレスの傍には、先代の王から仕えていた宰相ジギスムントがいたハズである。彼が居ながら何故、国は乱れたのか。ジギスムントは摂政を執らなかったのであろうか。次に「誰が粛清を命じたのか」という点について。『鋼の王国騎士団』によって行われた、とあるが、では命令を下したのは誰か。もしジギスムントがこの時まだ任に就いていなかったのであれば、それはアガレスという事になる。だが当時アガレスは僅か4歳の子供であった。そんな幼子に、歴史に残るような大虐殺が行えたのか。あるいはそれは、やはりジギスムントか、もしくは武官関係の責任者的立場の者が下したのかもしれない。例えばシャルディーニの様な人間が。そしてもう一つ「これまでの悪政を誰が行ってきたのか」。アガレス自らが親政を執り始めたのは、彼が15歳の時であったという。レキンから11年経ったその日から、アングルは再び暗雲に包まれる事となった。何故アガレスはその様な政治を敷いておきながら、今また先代王の時代の様な国へと建て直しを図り始めたのであろう。


すべき事。出来る事。望む事。それが必ずしも一致するとは限らない。「さー葬式だ葬式!」ケラケラ笑いながら火を起こすソラ。「バカ、ソラ!笑いながら葬儀する奴があるか!」パリスのツッコミが入る。「だってよー、メルデネス生きてるし。俺さ、演技っつーの?そういうの苦手なんだよね」「まあな…」アトスは腕を組みながら溜め息をついた。「あまり効果は期待出来ないだろうな、この策は。…あのタリアを相手にするには、安すぎる」「つーか」ソラは肩をすくめる。「絶対乗ってこねェと思うぜ、アイツ」「?」「ニブルヘイム思い出せよ。仲間ごとブッ飛ばしやがっただろ?タリア。こっちの誰が死んでようとお構いナシだ。アイツはもう反乱鎮圧で済ます気、無いぜ?」「まるで良く知っているみたいな口ぶりだな」じゃあどうするって言うんだ?アトスは軽く笑いながら尋ねる。パリスもジャンも、次のソラの言葉に耳を傾けた。ソラも笑って答える。「レキンの再現」王室中央議事室。「さて、軍議を始めようか」ジギスムントが場を仕切る。彼の両脇にはタリア、テッド。そして二列の長机にはロンギヌス、メテルス、ライマール。加えてルイズを含めた十数人の将校が席についていた。「反乱を鎮圧するに当たってだが…タリア。今後我々はどう動くべきだ?」「ガノスに暮らしている人達って、もう親革命派なんですよね?」頬杖を付きながら、タリアはジギスムントに言う。「そう聞いているな」「だったら、あの街ごと焼き払っちゃって下さい」その言葉に、議事室がザワつく。「タリアさん!」ルイズが机を叩いて立ち上がった。「正気ですか!?ここにはガノステルン出身の人だって居るんですよ!?」「……」タリアの眉間にシワが寄る。「何か勘違いしてますよね、ルイズさん」「…え?」「私とアナタって、同列じゃないんです。少し慎んでもらえません?」テッドは拳を握り締めた。今のタリアには、きっと何を言っても通じない。「…ガノス生まれの人」名乗り出るようにと、タリアは促す。五人の男が手を挙げた。「ガノスを守りたければ、どうぞ。帰って結構ですよ」再びザワつく。「その代わり戦場で会ったら敵同士。残念ですけど」殺すと、暗に示すタリア。しかしその態度に、遂にテッドは怒りを露にする。「いい加減にしないか!」「!」「どうしてしまったんだ!?お前は!!シャルムが死んだから、奴等が憎いから!だからと言って何をしても許されるという事はないんだぞ!?」タリアを睨みつけるテッド。その視線に真っ向から、タリアは反抗して見せた。「アナタこそ…」「何?」「許さないと言っておきながら、アナタこそ何です!?シャルムさんの親友だったクセに!!悔しくないんですか!?アナタは!!テッドさんだって見たでしょ!?シャルムさんはっ…!」そこまで言って、タリアの言葉が詰まる。「しゃ…シャルムっ…さんのっ…死体…!」思い出さなければ良かった。胸から流れ出る血。冷たい手。タリアの目からボロボロと涙が溢れる。「タリア…!」テッドだってタリアの気持ちは分かっている。そして同じだ。だが、ここで自分までが暴走するわけにはいかないのだ。「だからと言って…!」「よせ、テッド」まだ何か言おうとするテッドをジギスムントが遮る。「タリアの言う通りではないか?奴等を、それに属する者を、荷担する者を、同調する者を、討ってはならぬ理由がどこにある?」「しかし…!」「いや、違わないな」ロンギヌスが良く通る声で言った。「俺もタリアに賛成だ。敵は全部ブチ殺せ」「ロンギヌス!言葉を選べ!」「この際どうでもいいじゃないか、テッドさんよ」ニヤッと笑うロンギヌス。彼は立ち上がるとタリアの傍まで行き、彼女の肩をポンと叩いた。「俺はお前がやりたい様にやるぜ?なぁ、ジギスムント様?」ジギスムントも頷く。タリアはゴシゴシと涙を拭うと、顔を上げて言った。「私のやり方が気に入らなければ、どうぞ出て行って下さい…敵となったら、その時は容赦しませんけど…!」「何でこんな事に…!」会議が閉廷した後、廊下を歩くルイズは、隣にいるテッドに投げ掛けた。「タリアさん…どうしてあんな…!」「ヤケになっているんだ」歯噛みするテッド。「シャルムが殺されたから…だから…!」テッドは壁に拳を打ち付けた。「みんな間違ってる!!タリアも…ジギスムント様も!あのロンギヌスだって…!」高圧的な物言い。「確かにそれで戦いは終わるかもしれない…!だがそんな事をすれば…!」国が国を焼く。それこそレキンの再現だ。「タリアさんがあんな風になってしまったのは…シャルム隊長が討たれたからなんですよね…?」「ルイズ…」ルイズが悔しそうに声を漏らす。「だったら僕が…仇を討つ…!!」


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