天城の公爵家
天城帝国。
東の大陸一番の勢力を誇る巨大な国。
その城下町ともなれば、他国の商人たちのみならず、観光客たちも多く訪れ、まるで別世界に迷い込んだような賑わいをみせていた。
「スオウさん、とりあえず宿の確保はできましたけど・・・。」
ここでよかったんでしょうかと不安な声を出す私に、スオウさんはにっこり笑って頷いた。
横にいる通行人の女性たちがぽかんと口をあけてスオウさんを見ている。
頼むから横にいる私をそんな目で見ないでほしい。
「でもこれくらいが普通の宿だよ、リンシャ。今までどんな宿に泊まってたの?」
「野宿か他の人に軒先を貸してもらっ・・・」
「うんよくわかった。」
さえぎられてしまった。
「いいかい、リンシャ。君は一応そうは見えなくても女の子なんだから。」
ちゃんとした所に泊まらないと危ないでしょう、と真面目に諭すスオウさん。一フレーズ余計だが本当に良い妖魔族だ。
ちなみに前回のお仕事で貰った報酬はスオウさんに持ってもらっている。
大金を前にするとどうも私の手が震えてしまうからだ。
もはや病気だ。
貧乏性という名の。
ちなみに私の財布の中には1000ガルド程度を残してもらっている。
これでも私にしてみれば大金だ。
「それにしても凄い人ですね・・・。」
とん、と誰かにぶつかって謝罪しながら必死でスオウさんの方へ行こうとするが、なかなか上手くいかない。
「そうだね。だからこういう人も多くなるんだよね。」
先ほどぶつかった人の手を捻りあげるとぽろりと手から落ちる茶色い物体。
「あああああ!私の財布!!!」
「気をつけてね、リンシャ。・・・あれ?君女の子?」
手を捻られている人物は逃げるそぶりも見せずじっとスオウさんを凝視している。
というより彼の美貌にぽかんと見惚れているのだろう。
無理もない。
しかし事態はそれだけに収まらなかった。
「ウヅキ様!!!!」
「・・・・どなたですか?」
「・・・僕の偽名の一つだねえ・・・。」
女性は喜びの声を上げ、スオウさんに取りすがる。
「こんなところでお会いできるなんて・・・!覚えていらっしゃいますか?アヤカです!」
はらりとフードを取ると、それはそれは美しいお嬢さんが出てきた。
漆黒のつややかな髪は腰まで流れ、瞳はサファイヤブルー。
着ている衣装も物腰も大変育ちの良い部類に入るのに、盗みを働くなんてどういう了見だろう。
「・・・もう少し静かな声で。公爵家のご令嬢がなぜこんなところにいるのかな?」
少し抑えた声でスオウさんがアヤカさんを嗜めた。
・・・今、公爵家って言った?言ったよね。
しかしアヤカさんは私のことは完全に見えていないらしい。
・・・目線はやはりスオウさんに釘付けだ。
「こんなところではなんですからこちらへ。優秀な魔術師であるウヅキ様にご依頼したい件がございます。」
「盗みもそれに関係あると?」
「はい。とても困っているのです。どうか、どうかお願いします!」
可憐な美少女に瞳を潤ませてお願いされたらだれでも助けてあげようと思うだろう。
私も当然そうだろうと思った。・・・思ったが。
「悪いけれど急いでるんだよね~・・・。」
「ウヅキ様!!」
「いくらくらいだせるのかな?」
「さ、30万ガルド・・・。」
「よそをあたってね。」
「さ、36万ガルド!!!」
「65万ガルド。」
「えええ!そ、そこをなんとか40万に・・・。」
「64万ガルドかな。」
鬼。鬼だ。鬼がいる。
そう思ったところで久々にスオウさんの美しい微笑が私を襲った。
・・・ごめんなさいお好きにどうぞ。
それにしても周りの目が痛くなってきた。
幸いにも片隅で騒ぐ私たちよりも商品が気になる人も多いが、やっぱり美男と美少女が争っているのを見て面白半分に冷やかそうとしている連中もいる。
・・・今度からスオウさんにもフードをかぶってもらおう。
私は固く決意した。
「44万ガルド!」
「60万ガルドからはビタ一文まけるつもりはないけれど?」
「そんな・・・。」
とうとうお嬢様は泣き出した。
しかし次に出てきた言葉がスオウさんを動かすことになる。
「サクラ姉さまがあんなことになっているのに・・・・!!!」
「サクラ、が?」
一瞬動揺したようにスオウさんの動きが止まった。
逡巡した様子から、話を聞こうと心が動いているのがわかる。
「とにかく来てください!」
アヤカさんが泣きながらスオウさんのすそを引っ張った。
「あのー、私宿で待っていましょうか?」
とりあえず声を掛けてみる。
驚いたようにアヤカさんがこちらを見、驚きに目を丸くした。やはり私のことは気づいていなかったらしい。
「あの、こちらは?ウヅキさまの従者の方ですか?」
「いや、僕の連れ。リンシャって言うんだ。リンシャ、こちらはサイオンジ公爵家のアヤカ姫。」
サイオンジコウシャクケ、と脳内にインプット。とにかく物凄い身分が高い方だということはわかった。
とりあえず頭を下げておく。
アヤカ様は驚いたまま硬直してたが、我に返ると訝しげにこちらを見、それでも優雅に一礼した。
さすがお貴族様。仕草が大変美しい。
「もしよければリンシャも付き合ってくれる?」
「え、いいんですか?貴族様の事情に私なんかが首突っ込んでもよいものかと・・・。」
「かまわないよね?アヤカ姫。」
スオウさんは美しく微笑んだ。
背後にリンシャも一緒でなきゃ絶対行かないと文字が浮かんで見える。
恐ろしいものを見たようにアヤカ様は首をコクコクさせた。
この場合仕方ないだろう。
「はあ、では、ご一緒させてもらいます。」
「じゃあリンシャ。まずは宿にキャンセル入れてこよう。タダで高級宿屋へ泊まれるよ?」
アヤカ様が顔を引きつらせた。
・・・やっぱりそういうことですか。
*******
・・・・。
あの、壷、いったいいくらするんだろう。
多分私の命よりも高いに違いない。
・・・などと現実逃避気味に部屋を見回してみるが、何処を見てもまるで御伽の世界の如く煌びやかな家具とそれが似合いすぎている恐るべき妖魔族様の姿しか目に留まらない。
今私たちはスオウさんの言うところの高級宿屋、公爵様のおうちにお呼ばれしているわけなのだが。
「こちらでお待ちください」と部屋に通した執事さんはまだ帰って来ず、手持ち無沙汰に家具を物色するしかすることがないのだ。
ちなみに荷物はお手伝いさんたちがかっぱらって行ってしまった。
今から客室を用意するとのこと。
「リンシャ。そろそろアヤカ姫が戻ってくるよ。」
スオウさんに声を掛けられ、ドアのほうに意識を集中した途端、がちゃ、と音を立ててアヤカ様が入ってきた。
「お待たせしました。姉さまがお会いなさるそうですわ。」
ええと、という感じでスオウさんのほうを見遣ると、スオウさんが解説してくれた。
「この公爵家は現在公爵ご本人様、その妹姫お二人しか住んでいないんだよ。多分公爵殿は出仕しているのかな?」
「ええ。ですから今この家で一番偉いのは姉さまということになります。」
なるほど。だから皆その「サクラ様」にお伺いをたてに行っていたのだな。
アヤカ姫の案内で豪奢な廊下を抜け、いっそう煌びやかになったホールを通り、突き当りの部屋の金の扉の前に立つ。
「こちらです。」
こんこん、とノックを二つ。
「お入りなさい。」
中から鈴の鳴るような声が聞こえた。
「失礼致します。」
アヤカ様が優雅に一礼して中に入る。私にはそんな礼は無理ですが。
「ウヅキ様、ならびにそのお連れの方ですわ。」
「まあ!ウヅキ様。」
そこには寝台の上に横たわった美女がいた。
なるほど妹がこれなら姉も凄い。私の妹には劣るが。
妹よりもしっとりとした雰囲気と肉感的な美貌を兼ね添えた美女は、おそらく怪我のせいであろう、やや青白い顔をしていたが、スオウさんの姿を見た瞬間頬を桃色に染めた。
そのまま起き上がろうとするのをスオウさんが慌てて止める。
サクラ様はそのまま体制を崩し、計算したんじゃなかろうかと疑ってしまうぐらいすんなりとスオウさんの腕の中に納まった。
「危ないよ。まだ怪我が治っていないと聞いた。」
「申し訳ございませんわ・・・。こんな見苦しい姿で・・・。」
サクラ様は悩ましげな様子で息を吐いた。女である私でさえもぞくりとする。
「今回の件、わたくしの魔術ではどうすることも出来ませんでした。どうぞ、お力をお貸しくださいませ・・・。」
その目は何か苦しいものをたたえ、スオウさんだけを見つめている。
何処からどう見ても絵になるというかなんというか。
やはり私は宿にいたほうが良かったのではないかと若干後悔した。