Dive2
ハッキングとクラッキングとは、前者はコンピューターシステムやネットワークの動作解析、そしてプログラムの改造を意味しており、後者は悪意もしくはそれに準ずる意志の元、不正アクセスやシステム改変、そして操り破壊する様なことを意味している。
しかし一般的には広まっておらず、後者の意味としてハッキング、そしてハッカーと呼ばれることが多い。
ハッカーは高度な知識を有し、その技術だけで一流企業からオファーが来る人間もいるくらいだ。
表面上は犯罪者として逮捕されたとしても、司法取引でクリーンな企業の裏で働いていることもある。いや、その可能性もある、とだけにしておこう。
Dive 2
それは長いプロローグ 間
両親が死んだ後、いや俺にとっては両親は母親だけなのだが。男の亡骸はそのまま放置して、母親を背負い、病院に向かうことにした。幸か不幸か病院までここから歩いて直ぐの距離、救急車を呼ぶより早いだろうと俺は急いだ。なぜそう考えたのかは分からない、そして母親がもう帰ってこないことも既に理解していたというのになぜそう考えたのかも分からなかい。それは未だに残る疑問でもある。
病院に着いたら直ぐに騒ぎになった。それなりに夜中ではあったが文明の進んだこの国では夜中の10時でも普通に外を歩いている人は多い。歩いている時から騒ぎになっていたのだ、病院について看護師から先生からと大慌てでストレッチャーとやらに乗せ、そしてすぐに、止まった。告げられたのは一言、残念ですが。
あぁ、まぁそうだろうよ、そうだろう、そんな事は分かっている。あぁ、分かっているさ。
はは、と乾いた笑いを上げた後、母の顔をもう一度見る。まるで穏やかに眠っているかのような母は今にも起きてきそうで、でも触れたその体温はとてもとても冷たくて。そして始めて俺は泣いた、周りで肩の傷の治療を早く、と騒いでいるのだが、正直そんな事は如何でも良かった。されるがまま注射を打たれ、気が付いた時には意識を失っていた。
目が覚めたのは次の日。ぐるぐるまきの肩口を見てため息を付いた後、病室に入ってきたのは刑事と名乗る男だった。当然だろう、俺の家の玄関口で大量の血痕その上死体が転がっているのだ。時間も時間だし犯人は明確だろう。現行犯逮捕ではないが、現場証拠と証人も居る事で病室での逮捕とあいまった。ガチャリとかけられた手錠が物凄く冷たく感じられた。手錠を嵌める前、事情を話したらある程度の情状酌量の余地は有るだろうとの事、それと母親の葬儀には出させてくれるそうだ。当然刑事同席の元だが。しかし母は身寄りの無い状態、もはや肉親は俺しかいない、祖父母の事は全く話に聞かなかったし、どうなるのかさっぱり分からない。その辺は刑事さんが説明してくれるそうなのでその通りにしておけば良いだろう、とりあえず何かを考えることが億劫でしょうがなかった。
母の葬儀はこじんまりとした物だった、というより葬儀と言って良いのか疑問に思うほどだ。遺影に移っていた母の笑顔を見るとどうしようもなく空虚に囚われ、そして後悔に見舞われた。何をやっていたのか、本当に何をやっていたのか。どうして母が死ななくてはならなかった、どうして、どうして、どうして、どうして。そう、俺がきちんと殺しておかなかったから、俺がきちんとしなかったから母が死んだ。そうだそれがすべてた。乾いた笑いが漏れる、両脇に控えていた刑事が怪訝な目で見てくるが知ったことではない、そうだ、俺が全て悪い。だが、どうしてこんな目にあう? 俺が、母が何かしたのか? 俺が悪いのは認めよう。だが、貴様らも悪い、何もせず、ただ見ているだけで、差し伸べようともせず、ただ見てるだけで、そうだ、この世間も、この世界も、この国も悪いのだ! その歪んだ復讐心は、その歪んだ反骨心はこの時宿ったのだろう。落ち着かぬ心の平穏を保つ為に必要だったのだろう、壊れてしまいそうな心を支える為に、砕けてしまいそうな精神を保つ為に、何かを恨む事を糧とし、生きていたのだあの時の俺は。
火葬が終わり骨壷と化した母を抱え、両脇にいる刑事に母の骨を海に撒きたいと告げる。何処の誰とも知らない墓の隣に、まるで引き出しの様な場所に収められるくらいなら、そしてこんな窮屈な国の中に居るくらいなら、きっと海で世界を回るほうが良い。俺のせいで仕事に明け暮れ、俺のせいで死んでしまった母にせめてもの旅行を。
「りょうちゃん、高校卒業したら旅行に行きましょう。そうね、北海道なんてどうかしら?」
「仕事は良いのかよ」
「大丈夫大丈夫、りょうちゃんの為なら2,3日休んでも平気よ」
さらさらと流れていく砂のようになってしまった骨、風に撒かれ、風に乗り、そして海へと染み込む様に消えていく。絶壁の端で、両手から飛ぶように離れていく骨粉を見つめ、そして全部撒き終わった後、後ろに控える刑事に告げる。
「ありがとうございました」
最後の微笑み。そのまま足を後ろに、そして崖から飛び降りた。
物凄い激痛が体に走る、水温が低くなかったのがせめてもの救いと、あちらこちらにあった岩にぶつからなかったのも救いだ。正直ぶつかって死ねばそれはそれで母に会えるな、と思っていた所もある。とにもかくにも死んではいない、そして意識も失っていない。上手く足から垂直に飛び込んだつもりだったが、この貧弱な体では耐え切れなかったようで全身の激痛が酷い。むしろそのお陰で意識を失わなかったのかもしれないが、今度はその痛みで意識を失いそうになる。だがここで倒れるわけにはいかない、俺はこの世界に復讐するまでには倒れる訳には行かないのだから。
だがしかしその数分後に意識を失うことになる。何処を如何流れたのかは分からないが、次に目が覚めた時は質素なベットとコンクリート剥き出しの壁。あぁ、刑務所に戻されてしまったのかな、と思ったが机のうえに置かれている黒光りする銃と、それに備え付けられている椅子に座る厳つい男を認めて認識を改めた。俺、攫われたのかもしれない、と。
結論から言うとそう言うわけではなかった。その男は某国の捜査官であり、俺を助けたのは偶々の偶然であるとの事。むしろ捨て去る気満々だったが、その手についている手錠の関係で使えるかもしれないと持ってきたそうだ。使えないなら突き出せば良い、使えるならそれで脅して使えば良い。と、そう言う訳だ。生憎と使われる気も無かったし、こんな得体の知れない野郎の言いなり等真っ平ごめんである。ふざけんなとばかりに唾を吐きつけ、殺すなら殺せよくそが、と伝えると内臓を握り潰されたかのようなボディーブローが突き刺さった。
その後は滅多打ちだ、顔の原型が無くなるかと思われるほど殴られ、ようやく終わったかと思った時、何か出来る事があるなら殴るのを止めてやろうと言われた。もはや数回気を失うほど殴られたというのにさらに殴るというのかこの男は、ふざけるな、どいつもこいつもふざけるな。もはや痛く無い所を探すのが到底不可能だろうと思われる体を動かそうとするが、ピクリとも動かない。だからせめて動く口で答えてやった。Fuckと。その後の記憶は無い。
これは後々聞いた話だが、最後の台詞のお陰で気に入られたらしい。意識を戻した俺は、1週間ほどまともに飯を食えなかった。その後俺をしこたま殴ってくれた男は兵頭と言った。とある組織の一人だそうで、先日と同じく貴様は何が出来ると聞いてきたので、コンピューター関係なら得意だと伝えた。答える気は無かったのだが、さすがに顔の横にナイフを突き刺されて抵抗するほど俺は図太くなかった。昨日しこたま殴られたのも効いていたのだろうが。
その後すぐにどれほど使えるのか試すと言われ、隣の部屋に連れて行かれた。そこには数名の男がたむろしており、色んな野次を飛ばしてくる。さっさと殺してしまえとまで言ってくる男も居たので、そいつの顔をしっかりおぼえておく事にした。渡されたPCは最新機種であり、開くとアイコンが表示されパスワード画面が出てきた。要するにこいつを解け、と言ったところだろう。正直拍子抜けだ。空きスペースで解析ソフトを即席で作り上げ、およそ2分でパスコードを認識、綺麗にバラしてやった。これでどうなんだ、とばかりに振り返ると部屋が静まり返っていた。そして暫くした後に兵頭と名乗った男が馬鹿みたいに笑い出した。これも神の思召しか、と。神だと、ふざけるなそんな者がいるなら俺が真っ先に殺してやる。ギリ、と奥歯をかみ締め吐き捨てる。返ってきたのは威勢の良い餓鬼だ、と、一言だけだった。
この組織には2年ほどいた。いや、正確には2年しかいられなかった、か。その2年で俺はかなり有名なハッカーになれた訳だが、どこぞの中央情報局に突き止められ逮捕されたというわけだ。俺が所属していた組織は簡単な話テロリストだ。驚くべき話だが、日本海を漂っていた俺をボートで偶々引き上げたそうなのだ。最初に起きた場所はすでに海外だった。今更ながらに思うが、捜査官なんざ良く言ったものだ。ものの見事にその敵対してる所だったじゃねぇか。逮捕される時、目の前で脳髄をぶちまけた男に内心で恨み言を言う、正直すでに過去の話だから如何でもいいのだが。
俺も銃殺か、死刑かね、と思っていたら司法取引を持ちかけられた。どうやら今までの実績を高く買ってくれたらしい。若干19歳で情報局のサーバーに進入し、そして形跡も残さず情報の抜き出しをしたり。監視システムの画像の入れ替えから、Nシステムの改竄。さらに航空会社の名前修正等々。ネットワークが有る所に不可能は無いと言われるほどの功績を残していた。良いことではないので功績ではなく悪行と言うべきだろうが。どちらにせよそのハッキング能力とプログラミング能力を買われて司法取引との事だそうだ。そしてこの時俺は出会う、きっと、最初で最後の愛を教えてくれた人と。
「あら、まだ全然ボウヤじゃない」
「シャリー、油断するな。彼はあのナイトキラーだぞ」
「くすくす、また大層な名前をマスコミは付けたものよね。私から見ればただのボウヤよ」
「ふぅ、まぁ気をつけろ。彼の能力があの計画に必要だとしても必須ではないのだ。危険を犯す必要は無い」
はいはい、わかりました。と返すその女性、ブロンドのウェーブがかった髪をバストトップほどの長さで切りそろえており、目の色はブルー。少しきつめに見えるその顔もその美しい目の色で幾分和らいでいる。彼女の名前はシャリー=リファリオット。VRシステム技術開発部門AIシステム設計開発局の局長である。
最初はこんどは色仕掛けか、と思った。思ったとおりに告げ、目の前でストリップしてくれたら考えても良いぜ、と言ったら平手打ちが飛んできた。とんでもねぇ女だ、さらにその挙句、見たいなら私を口説き落としてみなさいと来たもんだ。まったく、交渉ごとにむいてねぇんじゃねぇのか、と思わないでもない。生憎と死なないのならそちらの方が助かるので司法取引に不満はない。だがつまらない事をやらされる、そして過度な監視は勘弁してもらいたいと告げる。彼女からの返答はイエス。ただし此方の望む実力があれば、との事だ。
テストは無事合格、なにも問題はない。あえて問題があるとすれば保護観察者が彼女である事だ。俺が何かすれば彼女に迷惑がかかる、それは別にどうでもよかったのだが……。
「刑務所卒業って所かしらね? 気晴らしに旅行にでも行く?」
時間が止まる、彼女の顔がだぶって見える。もうこの世にいない誰かの顔と。
「……仕事は、いいのかよ」
「あら、構わないわよ。貴方の為なら二、三日休んでも大丈夫でしょ」
「……そうか、いや、それはまたの機会にしよう。あんたの名前、なんだったか?」
「失礼ね、シャリーよ。シャリー=リファリオット。一応貴方より5つは上なんだから敬いなさい。それと見えないかもしれないけど、私も天才って言われてる一人なんだからね」
少しだけ、そう少しだけ泣きそうになった。けれどそんな資格は俺には無い。もう俺には無いのだ。




