その日(前編)
その日は、とても長い一日だった。
玄関前の階段がひしゃげ、表面のレンガが剥がれ落ちた家。
インターホンのついた塀が傾き、倒れそうになっている家。
庭土を止める塀が崩れ、土の断面があらわになった家。
レンガを敷き詰めた駐車場に入った亀裂から湧いた水が土砂に代わり、各家の駐車場を泥で埋めていた。
傾いた家から延びる電線は今にも切れそうなくらいピンと張り、電柱そのものも傾いていた。
道路に入ったひび割れは、端から端まで横断するほどに長く、強く力がかかったらしい場所がめくれ上がっていた。
道路で不安げな顔を見合わせた近所の住人たちは、少ない情報を交換しあっていた。
交換する情報がなくなると、駐車場の土砂をかきはじめた家、車で避難した家、車に必要な物資を積み込む家など、それぞれが行動しはじめた。
3人の小さいお子さんを抱える主婦さんは、お子さんたちを車に待機させ、家の中に戻っていった。
強い余震の度に、お子さんたちが必死な声で、
「お母さん、地震! 早く出てきて!!」
と叫んでいたのが思い出される。
我が家は大人3人ですら、不安だった。
しかもこの時、電話の使用制限がかけられていたのだ。
小さいお子さんを3人抱え、旦那さんが仕事で不在だった主婦さんの不安はどれほどのものだっただろうと思う。
(旦那さんは比較的すぐに連絡が取れた、とのことだったが、帰宅困難者に近い状態となっていたらしい。)
停電中で、TVやPCを使っての状況確認はできなかった。
携帯は電話もメールも繋がらなかった。
携帯で状況を調べることもできただろうが、充電できないことを考え、携帯はほとんど使わなかった。
(やはり、携行ラジオと電池式の充電器は必要である。)
この日はまだ寒く、コートを羽織っていても外に立ったままではやはり震えた。
だが、傾いた家の危険度が分からず、余震も頻発していたため、中に戻るのも怖い。
そこで、周囲の状況を見て回ることにした。
住宅地はどこも同じような状況だった。
場所によっては恐ろしくアスファルトがめくれて持ちあがり、車の通行ができないような場所もあった。
家々はそれぞれ、ちぐはぐな方向に傾き、どれがまっすぐなのかわからなかった。
レンガの塀が崩れ落ちたところもあった。
だが、見たところ、倒壊した家はなさそうだった。
すぐ隣にある国道は全く綺麗なものだった。
車が普通に流れ、道行く人がいて、そこには日常があった。
だが、そこから騒音防止壁の内側に目をやれば、茫然と佇む人がいて家が傾いている非日常があった。
液状化で湧き出た泥は駐車場だけでなく、家の裏にも堆積していた。
場所によって厚さは違うが、5センチから25センチほど。
家の裏は広くないとは言え、直線にして幅約1メートル、長さ約15メートルの全面が泥で埋まっているのである。
その量は半端ではない。
スコップで、排水溝の穴の周囲だけを掘り、雨が降った際に土砂が流れないよう、周りに山を作った。
泥はどちらかと言うと砂のように細かく、色も砂浜にあるような灰白っぽいものだったので、やっぱりここは海だったんだなぁ、と思った。
余震が少し落ちついた感がして、薄暗くなりはじめた頃に家族は家の中に戻った。
17時少し前頃だったと思う。
ブレーカーを確認したところ、落ちていたので戻したら、すぐに電気がついた。
家の中が寒かったため、エアコンをつけたら動かなかった。
どうやら室外機が液状化の泥に埋もれた為らしかった。
ガスの元栓を手順に従って戻せば、ガスも復旧した。
ガスヒーターをつけられるようになって、暖を取ることができた。
だが、残念ながら、水は一滴も出なかった。
台所で倒れたレンジ台を元に戻そうとすると、傾きで引き出しが開いてしまい、その自重でまた倒れてしまうため、レンジ台の下に新聞や古雑誌などを詰めて倒れないようにした。
上に乗っていた電話や電子レンジは床に落ちていたが、どちらも壊れていなかった。
(電子レンジは相当の年代物だが、案外丈夫にできていたらしい)
あれだけ揺れたにもかかわらず、皿やコップは1つも割れなかった。
戸棚の中で動いた形跡があったが、磁石がついていたためか、扉が開かずに被害が出なかったらしい。
家具で壊れたのは、驚いたことに、出窓に置いてあった花瓶数点だけだった。
倒れたガラス製の花瓶は欠片をまき散らしていたが、内側に窓ガラスがついているタイプの出窓だったので、片づけは出窓の狭い空間だけで済んだ。
(傾きが逆だったなら、いろんな棚が倒れて被害甚大だったと思う。幸いにして、一番被害が少ない方向に傾いてくれた。家具が集中する方に沈んだわけではないので、家そのものの重心が真ん中でなかったのか、地盤の緩い場所があったのかは謎である)
窓や家中の扉を開閉させて確認したが、どうやら家が基礎ごと傾いているだけで、ゆがみなどが顕著に出ているわけではなさそうだった。
傾いているからどうしても扉が下方向に向くが、普通に開くし、抵抗なく閉まる。
ただ、場所によっては床が極端にたわみ、張っているのが歩くたびに足の裏で感じられた。