その後
余震が治まった時、家は更に傾いていた。
私はこの時、勝手に東海地震かと思っていた。
(関東直下型ならこの程度で済むはずはないし、まさか遠い東北沖の地震で家が傾くとは予想すらしなかった。常の地震ならば即座にテレビを点けて震源地と震度を確認するのだが、この時にその考えが働かなかったところを見ると、やはり冷静さを欠いていたように思う)
真っ先に頭に浮かんだのは、二人の兄弟のことだった。
一人は都内に住んでいるため、東海地震ならばそちらの方が被害がひどかったかもしれなく、もう一人は市内の高層ホテルで働いていて、酷く揺れたことは想像に難くなかった。
次いで、自分たちが避難しなければならないのではないかということ。
この時点で、私は外に出れるような格好ではなかったため、着換えろと母が言い。
私は母に、猫のケージを出すように頼んだ。
この先避難場所に行くにせよ行かないにせよ、次に地震があれば家から出ないと危険かもしれない。
その時に一人一匹ずつ猫を抱えていては、貴重品や消耗品など、何も持ちだせないからだ。
しかし、我が家にはケージが一つしかなかった。
今まではそれで事足りていたのである。
代わりに何かあるかと、鞄やスーツケースを持ちだして、結局、プラスティック製の洗濯籠にタオルを敷き、段ボールをかぶせて蓋をする簡易ケージを作った。
トイレに行ったら電気がつかず、水も流れなかった。
二階トイレは相当傾いていて、余震があったらこのまま崩れるんじゃないかと気が気ではなかった。
(私は前日に生理になったばかりだった。この時は幸いにして生理用品もトイレットペーパーも充分にあったものの、そうでなかったらと思うとぞっとする)
トイレに入った後に手を洗えない事態に泣きそうになったから、まだ少し心に余裕があったのかもしれない。
母は貴重品と共に車に積むための毛布、食料、救急道具などを用意し、私も貴重品とノートPC、生理用品・タオルなどの消耗品を用意した。
(私はコンタクトも使用するが、コンタクトは持たないことにした。水が使えない以上、いつどこで脱着できるかわからないからである)
用意する間、何かあってもすぐ外に出れるように、家の中で靴を履いたまま動いた。
その間に、外で近所の方が、
「水の元栓閉めてー!! 閉めてくださーい!!」
と大声で叫びながら回っていた。
理由はわからないながらも、家中の蛇口をしっかりと閉めた。
(後日確認したところ、その方はパニックになっていて、水の栓を閉めることには特別理由はなかったそうなのだが、それでも避難の準備より先に近所を守ろうとしたその姿勢は敬意に値すると思う)
外で騒ぎが起きていた。
駐車場から水が湧き出てきたというのである。
まさか液状化を体験することになるとは、というのが正直な心境だった。
とりあえず、道路とは反対側に傾いた家の中よりも道路の方が安全だろう、と車に避難することにした。
ケージに入れた猫を母と一匹ずつ抱え、私は地震後初めて一階に降りた。
台所で棚が一つ倒れ、その上に乗っていたFAX兼用電話と電子レンジが床に落ちていた。
玄関を開けると、二段ほどの階段があって駐車場があるのだが、階段の下が池になっていた。
階段一段分には届かないが、運動靴で入ればくるぶしまで浸かる程度。
道路と駐車場はフラットだったはずなのに、5センチ程度の段差ができていた。
道路にはところどころにヒビが入り、水があふれ出ている個所もあった。
そのあふれた水が、下がった駐車場に川となって流れ込んでいる。
住宅街の同じ通りにある家はどれも同じように、駐車場から水が湧き出ていて、中には泥に埋まりつつある車もあった。
どの家も車を道路に出し、不安げな顔を合わせた。
我が家も、二台ある車のうち一台を道路に出し、そこに猫を入れた。
通りの家全てが避難するこの状況は、現実感が乏しく、激しい違和感がした。