加護なしと蔑まれた令嬢、三度の誓約で世界を救う
「ミレイユとの婚約は、本日をもって解消させていただきます」
成人の加護式から半月後、侯爵家の応接間で、婚約者だったヴィンセントは静かにそう告げた。
「クロエ嬢の加護は、剛力。その名の通り、一騎当千の武を約束された祝福です。我が家の跡取りには、彼女こそがふさわしい」
隣に座る妹のクロエは、申し訳なさそうな顔をしながらも、どこか誇らしげだった。式の当日、クロエが手にした剣で岩を一撃で砕いたあの光景は、確かに会場中を沸かせた。歓声と拍手が鳴りやまなかったのを、今でも覚えている。祝福を受けた瞬間、クロエの周りには眩い光の粒子が舞い、居並ぶ貴族たちが感嘆の声を上げていた。
一方、私の加護は「契約」。祭壇の前で祝詞を唱えても、光も轟音も起きなかった。神官は困惑した顔で「対象と誓約を結ぶ力……のようです」とだけ告げた。地味で、何に使えるのかも分からない加護。会場は静まり返り、失望の空気が広がったのを覚えている。母は小さくため息をつき、父は苦い顔で目を逸らした。
「加護なしと変わらぬ娘に、家の未来は預けられません」
父はそう言って、目を伏せた。母は何も言わなかった。反論する気力もなかった。物心ついた頃から、クロエの華やかさの陰で育ってきた私にとって、これは驚くようなことではなかった。誕生日の贈り物も、社交界での扱いも、いつもクロエが先だった。
十二歳の頃、一度だけ母に「なぜ私だけ、こんなに扱いが違うのですか」と尋ねたことがある。母は困ったように微笑んで、「あなたは、しっかりしているから」とだけ答えた。それが慰めなのか、単なる言い訳なのか、最後まで分からなかった。以来、期待することをやめ、感情を表に出すことも、少しずつ減っていった。
「かしこまりました。お二人の幸せを、お祈りしています」
短く答え、私は屋敷を出た。荷物は最低限。振り返らなかった。
街道の途中、行き倒れかけていた私を拾ったのは、旅の学者だという青年、フィンだった。
「珍しい加護の匂いがする。あなた、契約の加護持ちだろう」
いきなりそう言われて、面食らった。
「……分かるのですか」
「僕の専門だ。加護の伝承を集めて回っている。ちなみに、あなたの加護は生涯であと何回使える?」
「三回、と言われました。使うたびに、命の一部を対価に差し出すことになると」
「――三回。それは、とんでもない代物だ」
フィンの目が、興奮したように輝いた。
「契約の加護は千年に一人と言われる希少種だ。しかも生涯三回しか使えないという制限があるのは、対象を選ばない万能の契約だからだ。人、獣、精霊、あるいは――神域の存在とすら、縛りを結べる。無制限に使える加護なら、これほどの制約は課されない。数を絞られるほど、力の底が知れない証拠だ」
「そんな、大げさな」
「大げさなものか。あなたの家は、とんでもない宝を捨てたことになる」
その言葉に、笑ってしまった。捨てられた側の私が、宝物だったと言われても、実感が湧かなかった。
「行く当てがないなら、僕の研究を手伝ってくれないか。伝承の解読でも、資料整理でも」
「それは、同情ですか」
「いや、純粋な好奇心だ。あなたみたいな貴重な加護持ちと話せる機会なんて、そうそうない」
その素直さに、少しだけ肩の力が抜けた。周囲を見渡せば、フィンの荷馬車には古い文献が山積みで、整理を手伝う人手が明らかに足りていない様子だった。
フィンとの日々は、賑やかで飽きなかった。彼はいつも古い文献を片手に、興奮気味に加護の話をしてくる。
「見てくれ、この記述。三百年前にも契約の加護持ちがいたらしい。彼女は、疫病を運ぶ呪詛の獣と契約を結び、国を救ったとある」
「呪詛の獣、ですか」
「ああ。剣も魔法も効かない、忌み子と呼ばれる存在だ。だが契約なら、力ではなく約束で縛れる」
資料に没頭するフィンの横顔を見ながら、私は自分の加護に対する見方が、少しずつ変わっていくのを感じていた。誰にも認められなかったものが、実は特別なのかもしれない。そう思えるようになったのは、フィンのおかげだった。
彼は毎朝、私の分の紅茶を淹れてくれた。研究に没頭して食事を忘れる癖があるくせに、私の食事だけは決して忘れない。雨の日には、資料が濡れないようにと真っ先に本を抱えて、自分がずぶ濡れになることもあった。
「そんなに大事な本を、自分より優先するんですか」
「本より、君の方が大事だ。本はまた買えるが、君は一人しかいない」
さらりと告げられた一言に、思わず言葉に詰まった。フィンは自分の発言に気づいていないのか、涼しい顔で濡れた本を拭いている。こういう不意打ちが、彼には多かった。
「そんなに見つめて、どうした」
「いえ、あなたは変わった人だなと」
「褒め言葉として受け取っておく」
からかうように笑うフィンに、私もつられて笑った。誰かとこんな風に笑い合えるのは、久しぶりだった。
ある晩、契約の加護について調べ物をしていると、フィンがふと真顔になった。
「三回しか使えない力を、いつか使う日が来るかもしれない。その時、僕はあなたを止めないと約束はできない。でも、隣にはいる」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。誰かにそう言われたのは、初めてだった。
「実家では、この加護のことを誰も理解しようとしませんでした。何に使えるのか分からない、地味な力だと」
「地味なんかじゃない。あなたの家は、宝の使い方を知らなかっただけだ。剣は振れば分かりやすく強い。でも契約は、使う場面を選ぶからこそ尊いんだ。むやみに振り回さない分別が、加護そのものに刻まれている」
フィンの言葉は、いつも真っ直ぐで、飾り気がなかった。だからこそ、素直に胸に届いた。
「それに、あなたはまだ自分の加護の本当の価値を知らない。三百年前の記録には、契約の加護持ちが国の運命を左右したという逸話が、いくつも残っている」
「大げさです」
「大げさなものか。いつか、あなた自身がそれを証明する日が来る」
その予感めいた言葉が、まさか二月後に現実になるとは、この時の私はまだ知らなかった。
二月後、王都の外れの村で、家畜が次々と病に倒れる怪異が発生した。調査に向かった役人たちが次々と姿を消し、やがて村全体が奇妙な瘴気に包まれたという報せが届いた。
「これは、三百年前の記録にあった呪詛の獣と、同じ気配だ」
フィンの顔が険しくなった。討伐に向かった侯爵家の私兵――クロエも同行していたが、剛力の加護をもってしても、実体のない瘴気には手も足も出なかったという。斬りつけても手応えがなく、逃げ惑う村人を守ることすらできずに撤退したと、伝令の兵は震えながら報告した。王都の神殿も対応を協議していたが、有効な手立ては見つからないままだった。
「私が、行きます」
「三回のうち、一回を使うことになる。命の一部を差し出す覚悟が、本当にあるのか」
「誰も救えないまま、後悔するよりはましです」
フィンはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「なら、僕も一緒に行く。あなた一人には行かせない」
村へ向かう馬車の中、フィンは終始無言だったが、その手は私の手をずっと握っていた。震えているのが自分なのか、彼なのか、分からなかった。
村に足を踏み入れた瞬間、瘴気の奥から、獣とも影ともつかない存在が姿を現した。恐怖で足がすくみそうになるのを堪え、私は祝詞を唱えた。
「私と、契約を」
光が瘴気を割り、獣の輪郭が浮かび上がる。それは苦しみながら、長い間彷徨っていた哀れな存在だった。憎しみではなく、悲しみに満ちた目をしていた。契約の光が獣を包み込むと、瘴気は嘘のように晴れていった。
「――終わった、のか」
駆けつけたフィンが、呆然と呟いた。私は膝から崩れ落ちそうになったが、その体を、フィンがしっかりと支えてくれた。
「無茶をする。だが、見事だった」
「約束通り、隣にいてくれましたね」
「当然だろう」
フィンの声は、少しだけ震えていた。契約を終えた獣は、静かに光の粒となって空へ溶けていった。哀れな存在が、ようやく安らぎを得たのだと、なぜか確信できた。
村人たちが恐る恐る戻ってくると、瘴気が晴れた村の様子に、涙を流して喜ぶ者もいた。子供たちが駆け寄ってきて、私の手を握り「ありがとう」と繰り返す。誰かにこんな風に感謝されたのは、生まれて初めてだった。
この一件は、瞬く間に王都中に知れ渡った。三百年ぶりに現れた契約の加護持ちが、たった一人で呪詛の獣を鎮めたという話は、社交界の主役をあっという間に塗り替えた。
王家からの正式な招待で夜会に出向くと、そこには青ざめた顔のクロエと、居心地悪そうなヴィンセントの姿があった。フィンと共に会場に足を踏み入れた瞬間、かつて自分を無能扱いした貴族たちの視線が、一斉にこちらへ集まるのを感じた。
「な、なぜ、あなたがここに……」
「呪詛の獣を鎮めた功績により、陛下より直々にお招きいただきました」
周囲の貴族たちがざわめく中、王家の学者が進み出て、契約の加護の正体を正式に発表した。
「剛力の加護は、確かに強力な祝福の一つです。しかし、対象を持たぬ万能の契約を結べる加護は、過去千年でわずか二例。使用回数が極端に制限されているのも、その万能性ゆえの措置です。今回の一件で、ミレイユ嬢の加護が正真正銘、その系譜に連なるものであると証明されました」
会場のあちこちから、感嘆のどよめきが漏れる。かつて「加護なし同然」と陰口を叩いていた者たちの視線が、今は驚きと羨望の色に変わっているのが分かった。それを見ても、勝ち誇る気持ちは不思議と湧いてこなかった。
「そんな……お姉様の加護が、私のものより、上だったなんて……」
「言葉を選んでください、クロエ嬢。上か下かの話ではありません。ただ、あなた方は貴重な祝福を、確かめもせず見限ったということです」
学者の言葉に、ヴィンセントが青ざめた顔で口を開いた。
「あの時は、失礼なことを言ってしまって……侯爵家として、正式に謝罪させていただきたい」
私はもう、怒りも未練も感じなかった。ただ、これまでの日々に区切りをつけるように、静かに答えた。
「お二人の選択は、お二人のものです。私は、私の道を歩みます」
クロエは何か言いかけて、結局何も言えないまま俯いた。かつて誇らしげだった妹の顔には、今は戸惑いだけが浮かんでいる。恨む気持ちは、不思議とわいてこなかった。彼女もまた、剛力という分かりやすい加護の陰で、周囲の期待を一身に背負って育ってきたのだろう。それは、それで苦しかったのかもしれない。
その言葉に、フィンが隣でそっと微笑んだ。
「行こうか。あなたの新しい家族が、あちらで待っている」
「新しい家族、ですか」
「僕の師匠だ。契約の加護の研究に、生涯を捧げたいという奇特な弟子が現れたと知ったら、喜ぶだろう」
「それは、求婚のつもりですか」
「そう聞こえたなら、否定はしない」
フィンは悪びれもせず笑った。夜会の喧騒から少し離れたバルコニーで、彼は改まったように向き直った。
「三回のうち、あと二回。その力を、これからも誰かのために使うことになるかもしれない。僕はあなたを止められないし、止めるつもりもない。ただ、隣にいさせてほしい。あなたが力を使うたび、支える人間がいることを、忘れないでほしいんだ」
不器用ながらも、真っ直ぐな言葉だった。誰かにここまで真剣に想いを言葉にされたのは、初めてだった。
「あなたのその、加護そっちのけで人を大事にするところが、好きです」
「僕としては、加護込みで君に惹かれたつもりだったんだが」
「では、どちらもということで」
二人して顔を見合わせ、小さく笑った。夜風が二人の間を通り抜け、遠くの楽団の音色がかすかに届く。
「これから先も、あなたの隣で、あなたの力を守る人間でいたい」
「守られるだけではなく、私もあなたの研究を手伝います。伝承の解読でも、資料整理でも」
「それは頼もしい。給金は払えないが、生涯の伴侶という形で手を打ってもらえるか」
フィンは軽口を叩きながら、私の額に静かに口づけを落とした。誰からも顧みられなかった加護が、今はこんなにも真っ直ぐに求められている。それだけで、これまでの日々の孤独が、少しだけ報われた気がした。
窓の外には、夜会の灯りに照らされた王都の街並みが広がっていた。加護なしと蔑まれた令嬢は、ここでようやく、自分の名で、そして誰かに愛される者として立っていた。三回のうち、あと二回。残された力を、これから誰のために使うのかは分からない。それでも、隣で支えてくれる人がいる限り、もう怖くはなかった。
完




