放課後サイダー戦争
六月の教室は、なんだか全部が中途半端だった。
窓の外では野球部がうるさいし、教室の中では扇風機が「もう無理です」と言いたげに首を振っている。エアコンはまだ解禁されない。うちの高校は変なところで厳しい。
「暑い……死ぬ……」
机に突っ伏しながら、私は遺言みたいにそうつぶやいた。
私の名前は佐倉ひまり。高校二年生。得意なことは昼寝、苦手なことは努力。
「死ぬ前に購買行く?」
隣の席から声が飛んできた。
親友の高橋奈々だ。ショートカットで元気のかたまりみたいなやつ。こいつは夏でも冬でもだいたいうるさい。
「行く……サイダー飲みたい……」
「また? あんた絶対サイダーで血液できてるでしょ」
そう言いながら奈々は笑って立ち上がる。
私はのそのそとついていった。
購買は今日も戦場だった。
パン争奪戦に負けた男子たちが床に崩れ落ちている。焼きそばパンを勝ち取った女子が英雄みたいな顔をしていた。
「すごいな……」
「毎日見てるのにまだ感動するんだ」
私は冷蔵ケースに向かう。
そして、固まった。
「……ない」
「え?」
「メロンソーダが、ない」
この世の終わりだった。
私は三秒くらい本気で膝から崩れそうになった。
「嘘でしょ……私の生きる意味が……」
「重い重い」
奈々が呆れながら肩を叩く。
すると、背後から声がした。
「あの、これ……」
振り返ると、男子が一本のメロンソーダを差し出していた。
同じクラスの神谷湊だった。
身長高め、黒髪、成績優秀、無駄に顔がいい。女子から妙に人気があるやつだ。
私は固まった。
「……え、いいの?」
「うん。別に俺、炭酸苦手だし」
「なんで買ったの?」
「なんとなく」
なんとなくで最後の一本を買うな。
心の中でツッコミつつ、私はありがたく受け取った。
「ありがとう……命の恩人」
「大げさだな」
神谷は少しだけ笑った。
その笑顔がなんか自然で、ちょっとだけドキッとしたのが悔しかった。
奈々が横でニヤニヤしている。
嫌な予感しかしない。
「ひまりー? もしかして今ときめいた?」
「黙れ」
「図星じゃん」
「黙れって言ってるでしょ!」
私は奈々の背中を叩いた。
神谷は困ったように笑って、そのまま購買を出ていった。
「へぇ〜」
奈々が肘で小突いてくる。
「青春してるねぇ」
「してない」
「してるって。顔赤いし」
「暑いだけ!」
私はメロンソーダを開けて一気に飲んだ。
炭酸が喉に刺さる。
たぶん今の私は、この炭酸より落ち着きがなかった。
それから少しだけ、神谷を意識するようになった。
いや、少しだけだ。本当に。
授業中にふと目が合うとか、廊下ですれ違うとか、その程度。
なのにそのたびに心臓がうるさい。
なんなんだ、これ。
「恋だね」
奈々が断言した。
「違う」
「恋だよ」
「違うってば」
「じゃあなんで神谷くん見てるの」
「見てない!」
教室で騒いでいると、不意に奈々の表情が曇った。
「……あ」
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
でも、なんでもない顔じゃなかった。
私は少し気になった。
奈々は基本的に明るい。でも時々こうして、急に静かになる瞬間がある。
その理由を、私は知らなかった。
帰り道、思い切って聞いてみた。
「奈々、なんかあった?」
奈々は少しだけ黙ったあと、笑った。
「実はさ、うち引っ越すんだよね」
「……え?」
「お父さんの転勤。夏休み明けにはたぶん転校」
時間が止まった気がした。
嘘みたいだった。
「なんで……言ってくれなかったの」
「言ったら絶対空気重くなるじゃん」
「なるよ」
「でしょ?」
奈々は笑ったけど、目は少し赤かった。
私は何も言えなかった。
ずっと一緒にいると思っていた。
当たり前みたいに、明日も隣にいると思っていた。
でもそんな保証、どこにもない。
「ひまり、そういう顔しないで」
「どういう顔」
「今にも泣きそうな顔」
私は慌てて顔をそらした。
「泣かないし」
「嘘つけ」
奈々は少しだけ優しく笑った。
「残りの時間、楽しく過ごそうよ」
その言葉に、私は小さくうなずいた。
夏休み前、終業式の日。
私は購買でメロンソーダを二本買った。
一本は自分用。もう一本は奈々用。
屋上で二人並んで飲む。
「最後のメロンソーダ乾杯だね」
「縁起悪いこと言うな」
缶を軽くぶつける。
炭酸の音がした。
「ひまり」
「なに」
「ちゃんと青春しなよ」
「なんで上から目線なの」
「神谷くんとか」
私は危うく吹き出しかけた。
「今それ言う!?」
「だって気になるし」
「別にそんなんじゃないって」
「ふーん」
奈々は笑う。
少しだけ寂しそうに。
その横顔を見て、胸がぎゅっとなった。
「……奈々」
「ん?」
「離れても、友達だから」
奈々は一瞬きょとんとして、それから大げさに笑った。
「当たり前じゃん」
「うん」
「むしろ連絡無視したら許さない」
「しないよ」
「既読無視もダメ」
「細かいな」
二人で笑った。
泣きそうだったけど、笑った。
青春ってもっとキラキラしてるものだと思ってた。
恋とか、部活とか、文化祭とか。
でもたぶん、それだけじゃない。
こうやって、当たり前だと思ってた時間が急に大切に思える瞬間も、きっと青春なんだ。
空になったメロンソーダの缶を見つめながら、私は少しだけ大人になった気がした。
……たぶん気のせいだけど。




