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第9話:多摩との別れ
京都へ発つ前日、近藤は多摩の実家で妻のつねと向かい合っていた。つねは近藤と同じく、ゴツゴツとした岩石のような安心感のある女性だ。
近藤は、故郷を離れる恐怖で飯も喉を通らずボロボロと涙を流していた。
「……つね、やっぱり行きたくない。京都なんて行かずに、ここで君と大根を食べていたいんだ」
情けなく泣きつく夫を見て、つねは溜息をつき無言で特大のおにぎりを差し出した。
「……勇さん。あなたは昔から、お腹が空くとすぐ泣く。これを食べて、黙って行きなさい。あなたは黙ってさえいれば、誰よりも立派な武士に見えるんだから」
翌朝、村人たちの歓声の中、近藤は真っ赤な目で村を出た。村の境界に立った瞬間、故郷への愛着が爆発し近藤はぐちゃぐちゃに顔を歪めて号泣した。
「……う、ううっ……帰りた……っ!」
しかし、日の丸の旗を振る村人たちの目にはその涙が全く別のものに見えていた。
「見ろ、近藤様のあの涙を! 故郷を捨てて国に尽くそうとする、不退転の決意の表れだ!」
土方は、泣きじゃくる近藤を籠へ押し込み、耳元で囁いた。
「いい泣き顔だぜ、勇。さあ、もう後戻りはできねえぞ」
村人たちの万歳三唱に見送られ、臆病な岩石男は地獄の京都へと進んでいったのである。




