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ヒュドラ

……………………


 ──ヒュドラ



 海が揺れる。


 水面には何かが浮上してきているかのように、ぶくぶくと水泡が上がってきていた。そのことにジークたちは気づき、とっさに海から距離を取る。


 次の瞬間、海水が吹き上げ、そこから巨大な何かが姿を見せた。


「こいつは……!」


 それは9つの首を持つ青い鱗の巨大な蛇。つまりは──ヒュドラだ。


「まさかヒュドラまで飼っていたとはな……!」


「冗談じゃねえぞ。どれだけ危険な魔獣を集めまくってたんだよ!」


 セラフィーネとジークが9つの首をぐるりとジークたちの方に向けて睨みながら、蛇がやるように舌をちろちろと揺らすヒュドラを見て叫ぶ。


「ははははっ! 置き土産にするつもりでしたが、ここで使わせてもらいますよぉ!」


 パトリツィアはそう哄笑し、ヒュドラをジークたちにけしかけた。


 ヒュドラは左右からふたつの頭でジークたちを狙う。鋭く毒液の滴る牙がジークとセラフィーネを狙う。


「その程度!」


「おらっ!」


 セラフィーネは朽ちた剣で、ジークは“月影”の刃でそれぞれヒュドラの首を迎え撃つ。左右から迫ったヒュドラの首、それらはジークたちによって一瞬で切断され、切断された首がごろりと地面に転がる。


 だが、ヒュドラが脅威なのは頭が多いからではない。別にある。


「クソ。伝承通りか……」


 そう、それは再生だ。ジークたちの前で切断されたヒュドラの首が再生を始めたのだ。ジークたちが復活するときのように失われた首が肉の音を立てながら生えてくる。


 ヒュドラは不死身の蛇とも呼ばれており、その猛毒と同時に高い再生能力もまた脅威となっていた。いくらその多くの首を何度切断しようとも、ヒュドラの首はすぐさま再生していくるのだ。


「伝承ではどうやって倒したか知ってるか?」


「首を焼き、石で潰したそうだが、私はそこまでする必要はないと見ている」


「どうしてだ?」


「お前も知っているだろう。神々と今の我々以外に本当に不死身の存在などいないと」


 そうなのだ。この世のものは全て移ろいゆくもの。生があり、限られたリソースの中でそれを終えて死ぬ。ヒュドラもまたそのような生き物のひとつなのだ。


「じゃあ、斬りまっくてればそのうち死ぬか?」


「可能性はある。お前は前衛を担当してくれ。私は後衛として火力を叩き込む」


「あいよ!」


 ジークは前衛としてヒュドラの攻撃を引き付け、セラフィーネは背後から魔法で朽ちた剣を分裂させてヒュドラに叩き込む。フレシェット弾のように放たれた朽ちた剣はヒュドラの首を霧散させ、消滅させる。


 だが、すぐにその首は再生していく。


「まだまだか……! だが!」


 セラフィーネはひるむことなく火力をヒュドラに叩き込み続ける。


「クソ! 本当にキリがねえ!」


 ジークは呻き、それでも戦い続ける。


 セラフィーネ、ジークは己の役割を果たし、ヒュドラを打倒せんとしていた。セラフィーネの火力、ジークの守り、それらなくしてこの戦いで勝利はない。


「耐えろ! 持久戦になれば我々が有利だ!」


「オーケー! 何とか──」


 そこでヒュドラの首がジークを狙って突き出され、ジークはそれを回避しそこなった。ヒュドラの猛毒を帯びた牙はまさにジークを捉えんとする。


 だが──。


「────ッ!」


 その首をガルムが食いちぎり、ジークに攻撃が達するのを防いだ。


「助かったぜ、ガルム!」


 ジークがにっと笑ってそう言うのに、ガルムも笑ったように見えた。


 それからはジークとガルムが前衛を務め、セラフィーネは背後から引き続きヒュドラに強力な火力を叩き込み続けた。


 朽ちた剣が次々にヒュドラの頭を吹き飛ばすのに、ヒュドラも己の不利を悟ったようだった。ヒュドラは一度海中に逃れると、ジークたちの後方に、つまりセラフィーネの方に襲い掛かりその猛毒の牙を向けた。


「クソ! 不味い!」


 セラフィーネは背後からの奇襲に朽ちた剣を向けるも、遅かった。防御は間に合わず、牙がセラフィーネの右腕を貫く。ヒュドラの毒液が傷から流し込まれ、セラフィーネを苦しめ始めた。


「ぐぬ……っ!」


 血管が激しく脈打ち、心臓がきしみ、全身に痛みが走る。


 それでもセラフィーネは死にはしない。ただ回復するまでは苦痛に悩まされることになる。戦闘は困難になってしまうだろう。


「この程度の痛み!」


 それでもセラフィーネは戦った。魔法で無数の朽ちた剣を召喚して、ヒュドラに叩き込む。ヒュドラの首が再び蒸発したように粉砕され、ヒュドラは苦しみながら再び海中に逃げ込んだ。


「大丈夫か、セラフィーネ!」


「問題ない! 戦え! やつはすぐに浮上してくるぞ!」


 ジークが心配して声をかけるのに、セラフィーネはそう叫ぶ。


「分かってるよ! これ以上は攻撃させねえ!」


 ジークとガルムはヒュドラの浮上に備えて身を構え、そして再び水泡が水面に上がり始めたのを確認。


「来るぞ──!」


 ジークが叫び、ガルムが低く身を構えてヒュドラの浮上を待ち受ける。


「────ッ!」


 そしてヒュドラが勢いよく再浮上してきた。


「行くぞ、ガルム!」


 そして、ジークとガルムの1人と1匹がヒュドラの攻撃を受けるだけはなく、反撃に転じた。ジークが狙ったのはヒュドラの中央付近の首であり、ガルムの狙いも同じであった。ジークの“月影”の刃がヒュドラの首を裂き、ガルムの牙がヒュドラの首を食いちぎる。ヒュドラは苦痛に呻く鳴き声を上げながら海中でのたうつ。


「再生が遅くなっている……! 行けるぞ!」


 ジークはヒュドラの回復速度がかなり遅れ始めていることを察知した。先ほどまでは数十秒で回復したはずの傷が、今は数分経っても回復していない。


「このまま畳みかける! やるぞ!」


「────ッ!」


 ジークの呼びかけにガルムが応じ、彼らはヒュドラの首に斬りかかり、噛み千切る。ヒュドラの首は次々に裂かれてゆき、ぼとぼととヒュドラの首が海中と入り江の岸に落ちていく。


 ヒュドラは悪あがきするように暴れまわり、ジークやガルムに食らいつこうとするが、彼らはヒュドラの攻撃をもはや全く受け付けない。牙を弾き、頭を裂き、ヒュドラの攻撃を撃破していく。


「おらおらおら! くたばりやがれ!」


 もはやヒュドラの首は全く再生しなくなり、1本、また1本と消えていく。


 そして、もはや3本の首だけがヒュドラに残されていた。3本の首はうねりながら、ジークとガルムを仕留めようと暴れた。


 ヒュドラは左右から2本の首で、そして上からひとつの首でジークたちを狙う。


 左右からの攻撃はジークとガルムで受け止められる。だが、上からの攻撃は防げるか分からない。3方向からの同時攻撃は対処が難しい。


 そこで朽ちた剣が飛来し、ヒュドラの首を刎ね飛ばした。


「ジーク! 残りを片付けて、パトリツィアを捕らえろ……!」


 セラフィーネだ。まだ毒に苦しむセラフィーネが朽ちた剣を放ったのだ。


「了解だ!」


 そして、ジークとガルムがヒュドラに残された2本の首を引き裂いた。


 ヒュドラは全ての首を失い、ぼごぼごとまるで傷口が沸騰したように血液を漏らすと、そのまま入り江の岸に倒れ込み、自らの重量によって海の中に消えていった。


「よしっ! やったぞ!」


 ジークはその姿を見て勝利を確信する。


 だが、まだ勝利を祝うには早い。パトリツィアを捕らえるのがまだだ。


 それを知らせるようにガルムが唸り、凍り付いているパトリツィアの方を見る。パトリツィアはヒュドラが倒されたことが信じられないという顔で硬直していた。


「パトリツィア! ここまでだ! 大人しく投降しろ!」


 ジークはパトリツィアに“月影”の刃を向け、そう叫ぶ。


「ひっ……! こ、こ、こ、降伏しますぅ!」


 パトリツィアは自害するわけでもなく、あっさりと両手を上げて降伏。


 彼女は直接戦う術を持たない。魔獣を操り、それで戦うしか方法がない彼女にとって今の状況は丸腰も同然である。魔法が使えないわけでもないのだが、セラフィーネには及ばないし、もちろん万全のジークやガルムが倒せるはずもなかった。


 彼女が自分で言うように生きることに執着しているならば、投降するのは当然だ。


「オーケー。今、憲兵隊を呼ぶから大人しくしてろよ」


 ジークはパトリツィアを拘束し、憲兵隊に引き渡すために準備する。


「いくらムカついているかは分からんが、こいつに噛みつくなよ」


 それからパトリツィアを見て唸るガルムに向けてそう言い、セラフィーネの様子を見に行く。彼女は毒の激痛からついに記憶を失っていたが、不死身である彼女にとっての身体的な影響は全て回復するだろう。


「しっかりしろよ。じきに憲兵たちが来て、神々の神殿まで運んでくれる。そうすれば治療が受けられるはずだ」


 ジークはセラフィーネにそう呼びかける。


 それから憲兵たちが来たのは30分後であり、彼らはパトリツィアの身柄を拘束し、それからセラフィーネを神々の神殿へと護送したのだった。



 * * * *



 黒書結社に関する事件はこれで終わった。


 パトリツィアは憲兵による取り調べに応じ、憲兵は黒書結社の構成員を次々に摘発していった。黒書結社の幹部であったロタール、オスヴァルト、パスカス、そしてパトリツィアも無力化されたことで同組織の活動は瞬く間に衰退していったのだった。


 つまり、これによってルーネンヴァルトにおける悪魔崇拝問題──黒書結社問題は解決したのであった。


「ん……」


 パトリツィアの拘束から半日後、セラフィーネがヒュドラの毒から回復した。本来ならば命が助かるはずもない猛毒なのだが、不死身であるセラフィーネにとっては回復可能なものである。


「セラフィーネ様。起きられましたか?」


 目覚めたセラフィーネを神々の神殿の神官が確認し、すぐに水を持ってきた。半日も気絶していたセラフィーネはその喉がからからだったので、すぐに水を飲み干し、状況を確認しようとする。


「パトリツィアは? 黒書結社はどうなった?」


「パトリツィアは憲兵の取り調べに素直に応じているようです。幹部であったパトリツィアの証言があれば、憲兵隊は黒書結社を全て摘発できるだろうと見ています。この問題もようやく終わりそうですね」


「そうか……」


 セラフィーネは神官の言葉にそう呟く。


「すぐにジーク様をお呼びしますね」


「いや。もう大丈夫だ。私から会いに行く。あいつはどこに?」


「ロジー様の容態を聞きに行かれました。隣の部屋ですよ」


「そうか。ありがとう」


 セラフィーネはそれから起き上がり、ジークに会いに向かう。少しばかりまだ足元がよろめいているが、まだまだ大丈夫だ。そう彼女は思い、体に残る違和感を引きずりながら、部屋を出て隣の部屋に向かう。


「ジーク」


「セラフィーネ。起きたのか?」


 ジークはベッドの前にいた。ロジーが眠っているベッドだ。


「ああ。もう大丈夫だ。ロジーは?」


「まだ眠っている。女神であるヘカテをこの小さい体に宿したんだ。相当な無茶をしている。しばらくは目覚めないかもしれない。少なくとも神官たちはそう言っている」


「そうか……。私が不甲斐ないばかりに無理をさせてしまったな……」


「不甲斐ないのは俺も同じだ。パスカルとの戦いでは結局一度はやられちまったし」


 セラフィーネが悔やむのをジークが励ますようにそう言う。


「しかし、聞いたぞ。黒書結社の完全な摘発は間近だそうだな。これでようやく大図書館が開かれるのではないか?」


「ああ。それを期待している。ヘカテのお使いをしたらご褒美として大図書館の知識を探らせてくれるって話だったんだ。それを反故にされたから困るぜ」


 セラフィーネがにやりと笑って言うのにジークも苦笑してそう返す。


「ようやくだよな……。変な話だが不老不死を解く──すなわち自分が死ぬ方法を探せるのがこんなに嬉しいことだとは思わなかったぜ」


 ジークはそうぼそりと呟くようにそう言った。


「……何も不老不死を解いたからといってすぐに死ぬわけではないのだろう?」


「俺としてはそのつもりだが、運命が俺をどう導くかは分からない。いきなり路上で黒書結社の件で俺を憎んだ人間にでも刺されればそれで人生は終わりだ」


「……そうだな」


「今までは不老不死ってのに甘えていたけれど、そういうものが全部なくなる。そう考えると緊張してきたぜ」


 ジークはそう言いながらも愉快そうに笑っていた。その緊張感こそ彼の求めていたものなのかもしれない。


「なあ、本当に不老不死を解くのか……?」


 しかし、セラフィーネの方はどこか納得していない様子で、いや、どこか寂しげな様子でそう尋ねてくる。


「ああ。そうだよ。どうしたんだよ、今さら……?」


「……私を置いていくのか……?」


 ジークが怪訝そうに尋ねるのにセラフィーネはそうか細い声で尋ねた。


「それは……」


「いや。何でもない。気にするな」


 うろたえるジークにセラフィーネはそう言ってロジーの部屋から立ち去っていた。


「……何だったんだよ……」


 ジークはセラフィーネの言葉と態度に怪訝なものを感じながらもロジーが回復するのを彼女のベッドの脇で待ったのだった。


 ロジーが復活すればヘカテから言葉を授かれるだろう。


 ジークの不老不死を解くために、大図書館を再び開くこと。その許しを得るため言葉を。ジークが500年待ち望んできた天寿を全うするということへの権利へのアクセスを。


「やっと……なんだよな……?」


 だが、ジークはまだ確実に前進できてるか疑問に感じていた。



 * * * *



 パトリツィアの取り調べは続いていた。


 彼女が憲兵による拷問を恐れ、すぐになんでもぺらぺらと喋っていた。幹部であったパスカルたちの隠れ家や同志であった悪魔崇拝者たちの名前まで。これが彼女なりに生きるということなのだろう。


 しかし、その生にも終わりが近づいていた。


 彼女は憲兵隊本部の留置所に拘束されている。見張りの憲兵は3名いて、2名は留置所の外の入り口に1名は留置所内で見張りに当たっていた。


 そんな留置所にいるのはパトリツィアだけ。


 そんな夜だ。


 月明りもない新月の夜。


 松明の明かりが灯されて、憲兵たちは暇そうにしている。入り口の2名の憲兵は眠気覚ましにひそひそと雑談をしていたが、不意にそれが聞こえなくなった。しんとした不気味なほどの静寂が訪れたのだ。


「ん?」


 そのことを怪訝に思った憲兵がパトリツィアの牢の前を出て、階上に向かっていく。だが、戻ってくることはなかった。


「ど、どうしましたぁ……?」


 パトリツィアも疑問に思って牢の中から呼びかける。だが、返事はなく、逆に聞こえて来たのは小さな足音。子供のそれがパトリツィアの方に近づいてくる。


「やあ、パトリツィア。元気にしているようだね?」


「ひいっ!?」


 現れたのは白髪の少女──フォーラントだ。


「今の君の態度は困るんだよね。せめて戦って死んでくれていればよかったんだけどな。生きていてこうしてべらべらと黒書結社の内情を喋られるのは、そう、とても困る」


 フォーラントは囁くような声でそういう。


「特にね。君は()()()()()()と私の関係を知っている。それを憲兵たちに今ばらされるのは困るんだよ。というわけでね」


 フォーラントはパトリツィアの方に手を伸ばす。細くて真っ白な腕を伸ばす。


「ここで死ね」


 邪悪さをにじませた声で彼女はそう言い放った。


……………………

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