旅の準備
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──旅の準備
「この不死身の体がありがたいのは、絶対に二日酔いしない点だよな」
ジークはそう言って宿の1階で朝食のパンを口に放り込む。
「そうだな。何をしようと明日にはケロリだ」
昨日飲み潰れたはずのセラフィーネも今日はあとに引いた様子は全くない。
「今日は旅の準備をしよう。それが住んだら明日には出発だ」
「女を買うのは諦めたのか?」
「そういう気分じゃなくなったんだよ……」
朝食の席にてセラフィーネがからかうように言うのにジークは落胆したようにそう返した。昨日のことはまだ尾を引いているようだ。
「しかし、旅の準備といっても何をする?」
「まずは食い物。それから衣類。防寒具とかな」
「どれも別になくても困らないものばかりにように思えるが」
「服は困るだろ、服は」
不老不死であるジークたちは病気にもならないし、飢えて死ぬこともない。
それでも衣類はなければならない。不死身だろうと、そうでなかろうと全裸で過ごすわけにはいかないのだ。神の気まぐれによる不老不死は流石に社会的な死までは防いでくれないので。
「それに東の方って結構寒いんだろう? 俺、寒いの苦手だし」
「軟弱な。しかし、ルーネンヴァルトはそこまで寒かった記憶ないぞ」
「そうなの? じゃあ、普通に替えの衣類だけ準備しておこう。あと食い物ね」
「分かった、分かった」
ジークが念を押すのにセラフィーネが渋々というように頷いた。
それからジークたちは宿を出て、商店が立ち並ぶ商店街の方に向かった。昨日と違って花街の輝きは消えており、代わりに賑わっているのは商店街の方だ。大通りに面していて、多くの店が軒を連ねる場所をジークたちは見渡す。
「いろいろとあるな」
「ああ。世の中楽しいことはいっぱいあるけど、どれも金が要るのが難点だ」
目を引く商品は数多あれど、ジークたちには金がない。
「必要なものだけ今回は買うとしよう」
そう言ってジークは旅人向けの装備を販売している店に入った。
「いらっしゃい」
大柄な男性店員がジークたちを歓迎する。いい感じの店だ。
「携行食糧、置いてる?」
「ええ。ありますよ。うちの店のは美味いって評判なんです」
店員は自信をもって自分の店の商品を披露する。
携行食糧は基本的に保存食だ。長い旅の中で持つようになるべく水分を飛ばし、塩漬けや砂糖漬け、あるいは乾燥させてある。
しかし、ここ最近では魔法によって作られた缶詰というものもある。こっちは油漬けになっていて、密閉された金属やガラスの容器に収められているのだ。
ジークは以前にも缶詰を食べたことがあるが、これがなかなかに美味いのを知っていた。ぱさぱさしていたり、塩辛かったりするこれまでの携行食糧は打って違っていて、楽しめる味なのだと。
「おお? 缶詰の種類がいろいろあるな? 野菜缶? へえ~!」
ジークは缶詰をいろいろと物色し、セラフィーネの方は退屈そうに店の中を見渡していた。そこでセラフィーネはあるものを見つけた。
「これは地図か? 珍しいな」
地図は基本的に売られていない。地図とは軍事機密であり、許可なき測量はスパイ行為だからだ。治世者にとって地図など広まらない方がいい。なので、旅人向けの店とは言えど地図があるのは珍しい。
「お? それに目を付けますか? 領主様に特別に許可を得た地図ですよ。この都市の周りだけですが地図になっています」
「ふむ。しかし、随分と高いな……」
この街の周りだけの地図だというのに地図はかなり高い。
「仕方ありませんよ。本来なら出回らないものですから」
「ああ。手が出そうにない」
セラフィーネは地図を珍しがったものの、すぐに諦めた。別に地図が必要だということはないのだ。遭難しようと道に迷おうと時間はたっぷりあるのだから。
「こいつを包んでくれ」
そこでジークが缶詰と固く焼いたパンを抱えてカウンターにやってきた。そこそこの量があるが、値段的には予算の範囲内だ。
「はいよ! お買い上げありがとうございます!」
店員はジークの持ってきた商品を梱包し、ジークは会計を済ませると背負っているカバンの中にそれらを詰め込んで店を出た。
「よーし。次は衣類だ。あんたも代わりの服はいるだろ?」
「今ある服でも別に不便はしていない」
セラフィーネは古いマントと赤い軍用外套のほかには黒いノースリーブのワンピースと下着を身に着けているのみだ。足に履いている革のブーツはまだまだ状態がいい。
「そういうなよ。金はまだあるから、何か買っておこうぜ。次はいつこういう街まで来るかわからないしな」
ジークの方は昨日娼館で受け取った男性向けの上等なシャツとズボンにぼろぼろのブーツで、衣類はともかくブーツは買い換えたいと思っていた。不老不死は死ぬことはないが、その分合わない靴の痛みは永遠に受けるのだ。地獄である。
そういうわけでジークたちは次に靴屋を訪れた。
「いらっしゃいませ」
先ほどの店より上品な雰囲気の店を選んだジーク。つまりはお高い靴の店だ。だが、歩くのが人生のほとんどの時間を占める以上、靴にかける金はケチらない方がいいというのがジークの持論である。
「どうも。旅歩きに使う頑丈なブーツを探してるんだけど。男物と女物ね」
ジークはこの際だからセラフィーネの分も強引に買い換えることにした。
「男性向けはこちらになります。女性向けはあちらに」
ジークたちは店員に案内されていろいろなブーツを眺める。どれも革製ながら作りはいろいろと違っていた。店員の説明を聞きながら、ジークはまずは自分のブーツを選ぶことに。
「これがサイズ的に良さそうだ。履いてみても?」
「ええ」
靴は履いてみないとわからないところがあるので、ジークは今のぼろぼろのブーツを脱ぎ、新しいブーツを履いてみる。サイズはぴったりで履き心地も文句はない。値段もちらりと見たが予算内だ。
「こいつにするよ。会計をお願いしよう」
「ありがとうございます」
ジークはさっさと自分の靴を買い、それからセラフィーネの様子を見に行く。
「どうよ? いい感じの靴はあったかい?」
「ふん。確かに靴を作る技術もここ数年で大きく進化したようだな」
「あんた、そのブーツいつから履いてるんだ?」
「10、20年前からか? ちゃんと手入れはしてきたぞ」
「手入れしてもそんなに年月が経ってたらダメだろ」
ジークはセラフィーネの言葉に渋い顔をして、女物のブーツを見渡す。
「これなんかよさそうじゃないか?」
ジークが指さしたのは編み上げの脛の真ん中ほどまで長さのあるブーツだった。
「そういうのが趣味なのか?」
「趣味っていうか。可愛いじゃん、こういうロングブーツ履いてる女の子」
「へえ」
そこでセラフィーネがからかうような視線をジークに向ける。
「さては、お前、女の足に興奮するタイプか? 一度踏んでやろうか?」
「ちーがーいーまーすー。普通にファッションとしての話ですー」
セラフィーネの冗談にジークはそう言い返した。
「しかし、よさそうな靴ではあるが予算内か?」
「大丈夫だ。買えるぞ」
「では、これにしよう」
セラフィーネの靴も決まり、彼女は古いブーツを脱いで新しいブーツに足を通す。白くて傷などないとても細い足だ。彼女自身の謎の妖美さもあって、ブーツを履くだけでも艶めかしく感じる。
「さて、次は服だな。それを買ったら飯食って宿に戻ろう」
ジークはそういうと商店街をさらに進む。
街の一角では鎧を作っている店やギルドもあるが、昔ほどは繁盛していない。というのも、ここ100年ぐらいで銃という武器が出回り始めたからだ。
銃というのは鉛玉を火薬の力で発射する武器で、ちょっとした鎧など簡単に貫通されてしまう。そして、多くの軍隊が既にその銃を手にしていた。
そのため鎧は胸を守る胸甲と頭部を守る兜ぐらいになってしまった。昔のような全身を完全に覆うプレートメイルの類はすたれたのだ。
「戦争も変わったな……」
そんな売れない鎧を展示している鍛冶屋を見て、セラフィーネがそう呟く。
「そりゃそうさ。500年や700年経てば何だって変わる。ただそれに合わせて価値観を変えて生きていくってもの結構大変だよな……」
「そうだな。私も古い戦争に囚われたままだ」
誇り高き騎士たちが名乗りを上げて一騎打ちをし、王たちが英雄のように前線で戦う戦争にとセラフィーネ。
「そりゃあ古い戦争だな。今日日お目にかかれるものじゃない」
今の時代、名乗りを上げる騎士はいないし、王様は前線に出ないとジーク。
「しかし、戦争は戦争さ。人はどんな時代も殺しあうものだ。またはどんな形でも。だから、今も戦神は信仰を失っていない」
「ふっ。それは確かにな」
励ましているのかどうか分からないジークの言葉にセラフィーネは小さく笑う。
「さて、どんな服にしようかね」
ジークたちは服屋を巡って回り、ジークは旅に適した頑丈なシャツとズボンを購入。また寒冷地に備えてぼろぼろだったマントを新調した。まあ、どれだけ寒かろうが彼が凍え死ぬことはないのだが。
「あんたはどうする?」
「さっきも言ったが私は不便していない。しかし、そうだな、金があるならワンピースと下着を新調しておこうか」
「オーケー。見に行こうぜ」
ジークはそう言って女性向けの衣類店に入った。
「いらっしゃいませ~!」
元気のいい女性店員の声に出迎えられ、セラフィーネが店内を見渡す。
「いろいろとあるぞ。どうする?」
「あんたの感覚で選べよ」
「難しいな」
セラフィーネは一枚一枚、衣類を見ていく。
「その軍用外套ってここ最近ものだろう? どうしたんだ?」
ここ最近って言っても20年、30年スパンだけどとジークが訪ねた。
「ああ。前に私が傭兵として参加した国の軍に所属していた将校からもらい受けた。命を助けてくれた礼だと言っていたな。なかなか優秀な軍人だったが、今もまだ生きてるかどうかは分からん」
「へえ。思い出の品ってわけ? なら、それに合わせないとな。店員さーん!」
ここでジークが服屋の店員を呼ぶ。
「はい。なんでしょうか?」
「この外套に合うワンピースを選んでもらえます? 連れはそこらへんのファッションセンスがなくてさ」
「畏まりました」
そう言って店員はセラフィーネにあれやこれやと服を選び始めた。
「今は黒のワンピースをお持ちのようですが、黒にこだわりが?」
「ああ。血を流しても相手から悟られにくい」
「は、はあ。でしたら、こちらが黒のワンピースで似たような意匠のものになります。ですが、これは刺繍が入っていて華やかですよ」
「ふむ……」
「試着なされてみてください」
店員が選んだのは今セラフィーネが着ているワンピースよりも上等な生地で作られ、赤いバラの刺繍が入ったものであった。
セラフィーネは店員に押し切られて、それを試着する。
「おお? 似合ってるぞ! いいんじゃないか?」
「そうか? なら、せっかくだ。これにしよう」
似合っているといわれて気分は悪くなかったらしくセラフィーネは満足げに笑うとその選んだ服を購入した。
それから下着などを選び、旅の支度を終えたジークたちは食事をするために適当な店を探す。商店街に近い位置にあった大衆食堂から香ばしい香りがしていたので、ふたりはそこに入った。
そして、料理を注文して待つと──。
「──聞いたかよ。トリニティの連中がまた領内に入ってきたらしいぞ……」
「領主が傭兵を募集していたのはその件か……。物騒だな……」
何やら男たちがエールを手にひそひそと話しているのが聞こえてきた。
こういう場所での情報収集を怠らないジークはそれに耳を澄ませる。
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