狼が導くもの
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──狼が導くもの
「お~い……。戻ったぞ~……」
げっそりとした様子のジークとその隣でどこか肌艶がいいアレクサンドラが、ロジーの待つ医務室に戻ってきた。
「勇者ジーク。何事もなく?」
「何事もなく。本当に何もなかったよ……」
「それは何よりなのです。信じていたのです、勇者ジーク」
ジークとアレクサンドラの間に何もなかったということにロジーは随分と満足げであった。彼女はジークを勇者として信じていたのだ。
「それでは魔力漏れの治療に映りましょう、アレクサンドラ館長」
「は、はい」
そこでアレクサンドラがジークの方をちらりと見る。どこか申し訳なさそうなそんな視線をジークに送っていた。彼女としてもジークに悪いことをしたという意識はあるようである。
それからアレクサンドラの魔力漏れの治療が始まるのに、ジークはへとへとになって医務室を出ていった。
それからジークが中庭に戻るとガルムの姿がない。
「あれ? ガルムは?」
ジークがそう尋ねるとセラフィーネがやってきて肩をすくめて見せる。
「分からん。突然中庭から出て行って、そのままいなくなった。追おうにも素早くてな。見失ってしまった」
「そっか。まあ、ケガも治って腹も満ちたから、ここにはもう用事はないって思ったのかもな」
「随分と身勝手な獣だ」
「獣ってのはそんなものだろう」
そういうところも含めて可愛いもんだとジークは笑って言う。
「またお腹が減ったら戻ってくるかもな。それよりアレクサンドラの方はどうにかなりそうだぞ。しっかり吸血鬼として回復したみたいだからな」
「それは朗報だ。アレクサンドラが回復したら、改めて作戦会議だな」
「ああ。まだ黒書結社に関しては分からないことだらけだ。パウロ隊長も調査してくれているから、彼からも話を聞いておかないとな」
パイモンは倒したが、まだ悪魔崇拝を行う黒書結社に関する情報が全て明らかになったわけでも、問題が全て解決したわけでもない。
ジークが不老不死と解くための手段を探すためにヘカテによって封じられている大図書館を開くには、まだまだやるべきことがあった。
「ところで、ジーク。お前から血の臭いに混じって男が興奮した臭いがするんだが、本当にアレクサンドラとは何もなかったのか?」
そこでセラフィーネがじろりとジークの方を見てくる。かなりの疑いがこもった視線である。セラフィーネの鼻はジークが流した血の臭いに他に男性が興奮した際の汗に混じるホルモンの臭いも嗅ぎ取っていた。
「何もなかったよ……。というかさ、吸血行為で性的興奮が生じるって与太話じゃなかったのか?」
「私自身も確認したわけではないからな。全くないとは言い切れない」
「そうですかい」
ジークはそれが与太話ではなく事実であることを確認したが、面倒なことになるので言わないでおくことにした。
「……アレクサンドラとは出会ったばかりだろう?」
そこでセラフィーネが少し寂しげにそう問いかける。
「あいつとの時間は私とお前が過ごした時間よりもはるかに短い。お前の女の好みは分からんが、私との間にあるほど深い関係は結べていまいだろう?」
さらにセラフィーネは咎めるようにそう言ってくる。
「なんだよ。あんた、アレクサンドラに嫉妬しているのか?」
「……そういうわけではない」
ジークが苦笑して尋ねるのにセラフィーネは憤慨した様子でそっぽを向いた。
そこでジークは改めてセラフィーネの方を見る。いつもの軍用外套と黒いワンピースはまだ乾燥中であり、神殿で借りた祭服のままだ。祭服のスカートのスリットからは白くて細いふとももが見え、いつもはブーツで隠れている足に指までもがサンダルの間から見える。
それに祭服の上着は体にフィットしており、セラフィーネの女性的な体のラインが露になっていた。こういうのを見せられるとジークとしては先ほどまで抑えてきた性的興奮がよみがえってくるのを感じて焦りを覚える。
いかんいかんとジークはセラフィーネの方から視線をそらし、また別のことを考えようとしたが一度生じた性的興奮というのはすぐには取れないものだ。
「ああ。事件が一段落したら一度ヴェスタークヴェルまでいかないとなぁ……」
などということを呟くジーク。
彼はヴェスタークヴェルの花街で絶対に遊ぼうと決意したのだった。
* * * *
それからアレクサンドラの魔力漏れの治療が終わったという知らせがジークたちのもとに届いたのは、アレクサンドラにジークが血液を提供した2日後の朝のことだった。
「おお。顔色がよくなってるな、アレクサンドラ。具合は?」
「も、もう大丈夫です。問題ありません。ご迷惑おかけしました……」
ジークがすっかり体調が良くなって見えるアレクサンドラを見て笑いかけるのに、アレクサンドラはそう言ってペコペコと頭を下げる。
「いいってことよ~。それより改めて作戦会議をしないとな。クラーケンやスライムからパイモンまでつながった線がまた途切れちまったから」
「ええ。そうですね、勇者ジーク。そのことについてパウロ司令官からも報告を受けることになっているのです」
「オーケー。じゃあ、早速動き始めよう」
いつものように神殿の礼拝堂にジークたちは集まり、パウロが来るのを待つ。パウロはジークたちが集まってから1時間ほどでやってきた。
「パウロ司令官。何か新しい情報はありましたか?」
ロジーが早速やってきたパウロにそう尋ねる。
「まだ黒書結社の核心に近づくほどの情報ではありませんが、パイモンことロタールの周りの人間に聞き込みをした結果をお知らせします」
パウロはそう前置きして報告を始めた。
「まずロタール本人がスライムやクラーケンを飼育していたということはないと判明しました。彼の自宅や職場を調べ、聞き込みも行いましたが、魔獣を飼育しているような痕跡は一切見つかりませんでした」
憲兵隊はロタールの自宅から職場、聞き込みで判明した関係している場所を徹底的に調べたが、どこからも魔獣を飼育していた痕跡は見つけられなかった。
つまり、クラーケンなどの魔獣を飼育し、けしかけた人間は別にいる。
「しかしながら、アンデッドや武器を準備したのはロタール本人で間違いなさそうです。彼が隠していた倉庫から死霊術に必要とされる機材や人間の死体が発見されています」
「人間の死体? それって不味いんじゃないのか?」
「不味いと言えば不味いのですが、どれも魔法学園に献体として提供されていたもので、ロタール本人が人を攫って殺したわけではありません」
「それは喜んでいいのか悪いのか分からんな……」
少なくとも黒書結社による被害者が増えたというわけではないのだが……。死者が冒涜されたという意味では、問題なのかもしれない。
「それからですが、ロタールが学園理事に就任した経緯を捜査したのですが、彼の理事への昇格には悪魔学部のパスカル教授が関与していたようです」
「パスカルが?」
パウロの言葉にセラフィーネがそう反応する。
「そうです。パスカル教授がロタールの理事就任に強く働きかけています。どうやら彼とロタールの間には何かしらの関係があったようで、それを今憲兵隊でも調査しているところなのです」
「ロタールの専攻も悪魔がらみだった、とか?」
「いいえ。ロタールの専攻は医療系の魔法でした。少なくとも表向きには悪魔とは全く関係のない分野の研究を行っていたことが確認されています」
「ふうむ……」
少なくともパウロの調査で共通の学問という線は消えてしまった。ジークは他に思いつくことがなく、黙っておくことに。
「パスカルが、か……。パスカルの死について憲兵隊は調査したのか?」
「ええ。焼死体を確認し、放火の痕跡を自宅から発見しています。まだ犯人は逮捕できていませんが……」
「そうか」
セラフィーネは何か思うところがあるのかパウロの答えに考え込み始めた。
「そういえばどうしてロタールはドーラ棟にいたんだろうな? 何か理由があったと思うんだけど、あれからあそこの調査はやったのか?」
「調査は行いましたが、何せあの爆発ですので分かったことはあまり」
「ううむ」
パウロに尋ねるもまたしても手がかりになりそうなものがないことにジークは落胆する。しかし、ここでロジーがその話に興味を示したように前に出る。
「確かに妙なのです。ロタールがなぜドーラ棟いたのかというのは。まして悪魔学で高名だったパスカル教授がロタールと関係しているかもしれないという情報が入った状況ではなおのこと。調査してみる価値はありそうなのです」
ロジーは学園の悪魔学部に何かしらの悪魔崇拝につながるものがあると考え始めていたようだ。
「だが、悪魔学を学ぶ上でまず教わるのは『悪魔を信じるな』だぞ。そう徹底して教え込まれた人間が悪魔崇拝者を生むなど」
「戒律とは守られるために存在するも、破られることが定められたものです。戒律がなぜそこに書かれているものを禁じているのかいえば、それがたびたび犯されてきた過ちであるからなのです。そして起こり得るものは必ず起きるのが世の常です」
「……それはそうだな……」
どんな法律も制定されている限り誰も法を犯さないということはない。法律にできるのは正しいことと過ちを明確に提示して、社会の秩序を維持すること。法律そのものに犯罪を根絶する力はない。
同様に『悪魔を信じるな』という戒律があったとしても、実際の悪魔崇拝が完全に消えるわけではないのだ。
「もちろん、あたちは悪魔を研究している全員が怪しいとは言いません。ですが、中には道を踏み外したものがいる可能性があるとそう言いたいのです」
「分かりました。では、憲兵隊の方でも悪魔学の研究者について調査しましょう」
「お願いします」
パウロがそう了承したときだ。
神々の神殿の外から狼の遠吠えが聞こえてきた。
「これは?」
「ガルムが戻ってきたのかも。見てくるよ」
パウロが怪訝そうにするのにジークはそう言って神殿の外に出る。
「おお、ガルム。戻ってきたのか? 腹が減ったのか?」
いたのは白い巨狼、ガルムだ。ガルムはじっと赤い瞳でジークを見てくる。
「どうしたんだ? 腹が減ったわけではないのか?」
ジークがそう尋ねるのにガルムはついてこいというように視線で前方を示す。
「分かった、分かった。ついていくよ」
ジークはガルムに続いて神々の神殿を下る階段を降りていく。
ガルムはジークに合わせた速度で進み、ときおり背後を振り返ってジークがついてきているかを確認していた。どうやらよほど一緒に来てほしい場所があるようだ。
「って、おい。市街地に入って大丈夫か……?」
ガルムは神殿のある丘を下りきると街中に入っていった。ジークはガルムが誰も襲わないことを祈って後についていく。
「うわっ! お、狼!?」
「お、狼だ! 狼が出たぞ!」
「きゃー!」
案の定、ガルムが街に入れば大混乱。人々は叫んで逃げ散り、店舗や家屋の扉は閉ざされてしまう。
「あーあ。あとで怒られそう……」
ジークは申し訳なさそうに周囲を見ながらも、引き続きガルムに続く。
「でさ、どこに向かうんだ?」
ガルムにそう聞いてもガルムが応えるはずもなく、ガルムは人が引いた市街地を我が物顔で進んでいく。そうやってたどり着いたのは──。
「ここは……」
ガルムが導いたのは何やら怪しげな路地裏の店舗。
看板には『カルテンバッハ標本店』と書かれている。どこかで聞かされたような名前だが、ジークはすぐにはそれがどこで聞いた名前だったかを思い出せずにいた。
店構えは大きな両開きの扉があり、それ以外は窓も何もない。そのため外から中の様子はさっぱりである。
この店舗に用事があるのか、ガルムはじっと店舗を見つめ、それから空に向けて遠吠えを上げた。すると、店の中からその遠吠えに応じるような声が僅かに聞こえてきたのだ。そのことはジークの耳も捉えている。
「もしかして、ここに仲間がいるのか?」
ジークがそう尋ねるとガルムは低く唸りながら店舗の方を睨むように見ていた。
「どういうことだ。まさかここが悪魔崇拝に関係している場所なのか……?」
ガルムをジークにけしかけたのは、間違いなくタイミング的に悪魔崇拝者であるはずだ。そう考えるならばガルムの仲間がいると思われるこの標本店の中にいるのは悪魔崇拝者の可能性が高い。
「ガルム。俺が様子を見てくるから、ここから動くなよ」
ジークはそうガルムに言い聞かせて、標本店の方に進む。
「お邪魔します」
ジークがそう言って扉を開くと、暗い店内には無数の昆虫の標本や動物の剥製が飾られていた。その数の多さにジークは一瞬圧倒される。
「おーい。誰かいないかー?」
ジークは異様な形態の昆虫や見たことのない動物の剥製を横目に店内を奥の方に進んでいく。だが、ジークに接客をしようという店員はひとりも出てこない。
「何だが不気味だな……。寒気がしてきたぜ……」
薄暗い店内に物言わぬ標本たち。ジークは何か恐ろしいものが潜んでいるような気がしてきて背筋に寒いものを感じていた。
「誰かー? 誰もいないのかー?」
そのとき再びガルムが遠吠えを上げ、店内から確かにそれに呼応する声を聞いた。
「奥の方だな。踏み込むか……!」
この際、怒られたらあとで謝ろうと思ってジークは店の奥に無断で侵入。声の主を探して店内を進んでいく。
そして、ジークが店の奥に達すると声の主が見えた。
それはやはり狼たちだった。ガルムほど大きくはないが、人間にとっては十分に脅威に思えるそれが檻の中に閉じ込められていた。どれも白い毛皮のそれであり、ガルムの仲間であることをうかがわせている。
「どんぴしゃりか、これは……」
ここが悪魔崇拝者の隠れ家である可能性が出てくるのにジークが警戒を強める。
「まずはパウロ隊長たち憲兵隊に来てもらわないとな。俺は表向きは民間人だし、証拠を破損したりしたら怒られる」
ジークはそう呟いてここは引こうと考えた。
だが、この部屋の主はその撤退を許可するつもりはなかった。
かさりかさりと昆虫が立てるような足音がジークの耳に捉えられ、ジークは恐る恐るそちらの方向を見ると──。
「うげえっ!?」
そこにいたのは巨大な蜘蛛。毒々しい赤と黒の模様を有し、その大きさは成人男性ほど。そんな化け物がジークの方を複数の目で見て、その牙をカチカチと鳴らしていた。さらにその数は後ろから新手が来ることで増えている。
「クソ、ここから逃がす気はないってか!」
ジークは迫る脅威に“月影”の刃を抜いた。
不気味な蜘蛛たちは数を増しながら、ジークのを取り囲みつつある……。
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