花街
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──花街
ジークとセラフィーネのセラフィーネの飲み比べは苛烈を極めた。
店にあった蒸留酒は空っぽになり、慌てて他の店に店員が買いに行く始末。それでもふたりは酔いつぶれず、夜遅くまで飲み比べは続いた。
しかし、ながら最後まで残ったのは──。
「くっ、もはやこれまで……」
マグを倒してばたんとテーブルに突っ伏すセラフィーネとマグを呷るジーク。
「勝ったぁ!」
「おおおおっ!」
見事セラフィーネとの飲み比べに勝ち、勝ち誇るジークを見物人たちが讃える。
「わはははっ! 流石のあんたでも飲み比べには勝てなかったな! ……で、おいくらぐらいです……?」
「こちらになります」
ジークが恐る恐る会計をするのに給仕の女性が勘定を出す。結構なお値段になったのにジークは天を仰ぎながらも会計を済ませ、酔いつぶれたセラフィーネを背負って宿へと戻っていった。
「ったく、金も時間も使っちまったなぁ。時間はどうでもいいけど金はな……」
時間は無限だがお金は有限。そしてお金がなければ勇者であろうと花街でお姉さんたちとは遊べないのである。
「旅の準備をして、宿代を払って、それで残るのは……」
ジークは街に入ったときよりすっかり頼りなくなった財布の重みから、あとどれだけ遊べるかを計算する。
「まあ、一晩だけなら何とか遊べるかね?」
楽観的にそう考えながらジークはまず宿に戻った。
宿は1階の酒場がまだ盛り上がっていたが、ジークはこれ以上飲む気はなかった。真っすぐ2階に向かい部屋に入るとベッドの上にセラフィーネを下す。
「じゃ、行きますかっと!」
セラフィーネを寝かせて出発しようとしたジークの腕がぐっと握られた。彼が慌てて振り返ると顔を真っ赤にしたセラフィーネがジークを睨むようにしてみている。
「な、なんだよ? 飲み比べは俺に勝ちだぜ?」
ジークはうろたえながらもそう主張した。
「……本当に女を買うつもりか?」
しかし、セラフィーネがそれに納得した様子はない。彼女は今も落胆と憤りの表情を見せている。
「別にいいだろ。俺だって男なんだから。こういうのは生理現象なの」
「はあ。何たる惰弱。何たる堕落。英雄たるもの、女は威を示して跪かせるか、力で奪い取るものだぞ。それを頭を下げて金で買うなど……」
「どういう野蛮な感性してんだよ、あんた!」
セラフィーネはどうやら斜め上の理由で花街に行くのを止めようとしていたようだ。
「ふん。そこまで言うならあんたを無理やり押し倒してもいいんだぞ?」
ジークはこう言えばセラフィーネが諦めるだろうと思い、意地悪げに笑ってそう言った。もちろんはったりであり、微塵も本気ではなかった。
「ほう。そうか……」
セラフィーネは一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべてジークの方を見る。
「それならば是非もなし」
そういうとセラフィーネはおもむろにまとっていた衣類を脱ぎ始めた。フード付きのマントを解き、赤い軍用外套を脱ぎ捨て、ノースリーブの黒いワンピースを肩から脱いでいく。彼女の白い肌があらわになっていくのに──。
「わわ! か、勘弁してくれぇ!」
それを見たジークはあたかも自分が襲われる側に回ったかのように慌てて部屋から逃げて行った。襲おうとしたのは一応彼のはずなのだが。
「……情けない!」
セラフィーネはばたんと音を立てて閉まった扉を見てそう吐き捨た。
* * * *
「全く、冗談じゃないぜ。心臓ぶっ刺してくる女と寝られるかよ」
宿を出たジークはぶつぶつとそう愚痴りながら花街に向かっていた。
花街というものは夜の街だ。そうであるがゆえにこの街に来たばかりのジークにもその場所は分かった。街を眺めればそこだけ煌びやかに輝いているからだ。
ジークはそれを見ると軽やかに歩き出し、満面の笑み。
さて、こういう場所ではいろいろな遊び方がある。娼婦といっても客と寝るだけが仕事ではないこともあるのだ。
教養ある会話を楽しむような、そんな客もいるということである。こういう花街の女性が文化の一端を担っていることもあるのだ。
しかしながら、そういう楽しみをするには金が要る。当然ながら上品な趣味ほど高額だ。そして、今のジークにはそこまで金はない。
「はあ。身の程をわきまえて遊ぶか……」
可愛い女性たちが客引きする花街に入り、ジークはちょっと鼻の下を伸ばしながらも店を見て回る。
「お兄さん、遊んでいかない?」
と、ある店の前でジークはそう呼び止められて足を止めた。
その店はよくある1階で飲んで、2階で寝るというような宿のようなタイプの店ではなく、貴族の屋敷を改装したような、そんな作りの店だった。つまりはそこらの店に比べるとかなり上品なのだ。
「いやあ。この店構えはやっぱりちょっとお高いんだろう?」
「旅人さんなら安くするよ~」
「そう? なら、ここにしようかな」
ジークとしては財布が少し心配だったが呼び込みの子は可愛いし、建物は清潔そうだし、ここでいいかなという気になり始めていた。
そのときである。
「きゃあああっ!」
その娼館から女性の甲高い悲鳴が聞こえてきたのだ。
「おいおい。なんだよ?」
「ま、待っててね、お客さん」
「いや。俺も行くよ。荒事になりそうなら手伝う」
呼び込みの女性が慌てて娼館の中に戻るのにジークもそれについていった。
「は、放してください!」
「はあはあっ! お、俺と一緒にくるんだ! ここから助けてやるから!」
その貴族の屋敷を模した建物の中では、ひとりの若く小柄な女性が大柄な男に手首を掴まれていた。男の手にはナイフが握られており、そのナイフで男を取り囲む用心棒たちを威嚇している。
「あれま。あれ、客だったりする?」
「で、ですね。最近来てなかったお客さんで久しぶりに来れられたんですけど……」
血走った目の男を見てジークが訪ね、呼び込みの女性がそう答えた。
「あちゃー。こりゃ不味いな。あれは酒じゃなくてドラッグの類をキメてるぞ。下手すれば女の子も犠牲になっちまうな……」
「ど、ど、ど、どうしましょう!?」
ジークが冷静に分析する中、用心棒たちは男を取り押さえようと努力していた。だが、人質をとられているのと男が興奮していることから上手くいきそうにない。
「ま、俺に任せな」
ジークはそういうと呼び込みの女性を押しのけて前に出る。
「おい、おっさん。女の子はそんなに手荒に扱うものじゃないぞ」
「な、なんだ、お前! 近づくな!」
「どうどう、落ち着け。ほら、俺はこの通り、丸腰だ。武器は持ってない」
ジークは両手を広げて男にそう言い、一歩一歩と男に近づいていく。
「あんたは女の子を放す。俺はあんたを外まで送り届ける。それで手打ちにしようぜ」
「い、いやだ! ナターシャは俺と結婚するんだ!」
「そのための金があるなら、こんなことしないよな? その子を身請けする金はないんだろう?」
「うるさい! 近づくなって言ってるだろう!」
ジークは掴まれている女性の方に気を配りながら、徐々に男に近づいた。
「はいはい。俺を刺して満足するならそうしろよ。どうせ人間を殺したこともなければ、その勇気もないだろ? ええ?」
「こ、このぉっ!」
そこで男がナイフを構えて突撃し、ジークの腹部に深々とナイフと突き立てた。ジークの腹が避け、真っ赤な血が男の手に伝わる。男は興奮状態で何度もナイフを突き立てるが、その手が不意に止まった。
いや、止められたのだ。ジークがナイフを握った男の手をがっちりと掴んでいた。
「満足したか? なら、いい夢みなよ!」
ジークはそう言い、男の顎を思いっきり殴り、ノックアウトした。男はナイフを手放し、数歩よろめくと床にばたんと倒れこんだ。
「お、お客さん! あ、あなた、刺されて……!?」
辺り一面血の海という有様に呼び込みの女性も用心棒も顔を真っ青にするが、ジークは何でもないというように手を振って見せる。
「大丈夫だ。それよりこいつが目を覚ます前に拘束するなり、憲兵に突き出すなりした方がいいぞ」
「は、はい!」
用心棒たちが慌てて男を縛り上げ、娼館から連れ出していった。
「ありがとうございました! 本当に助かりました!」
「いいってことよー」
呼び込みの女性と男に掴まれていた女性が揃ってジークにそうお礼を述べる。
よく見ると掴まれていた女性はまだ年若い。20代前半ほどだろうか? 長く伸ばした黒髪が印象的な青い瞳の女性で、スレンダーな体系に上品なドレスをまとっている。
「それより、これって洗ってもらえる? 流石に血まみれで通りを歩いてたら、次は俺が憲兵に捕まっちゃうしさ」
「もちろんです。今、代わりのお洋服を準備いたしますので」
そう言って呼び込みの女性が屋敷の奥の方に向かっていく。
「あの、本当にありがとうございました」
その女性が去ってから年若い女性の方が改めてお礼を述べた。
「気にしないでくれ。よくあることってわけじゃないんだろう?」
「ええ。こんなのは初めてです……。とても怖かった……」
「もう大丈夫だ」
年若い女性はまだ手が小さく震えている。
「自己紹介がまだでした。私はナターシャ。お客様は?」
「ジーク。旅のものだ」
「ジーク、ですか。かつての大英雄様のお名前と一緒なんて運命を感じます」
ここでジークがそう言われてぴくりと眉を動かした。
「勇者ジークの話、知っているのかい?」
「ええ。もちろんですよ。お話ししましょうか?」
「お願いしようかな」
ジークはそう言って広間においてあった椅子に座った。
「それはこれから500年も昔の話です……」
ナターシャは美しい声で勇者ジークの話を語り始めた。
それは500年前。まだ世界が神秘に包まれていた時代の話。
平和とは決して呼べないが、神々の下で繁栄していた世界に、外なる世界の邪神が攻めいこんできたことから物語は始まる。
邪神はその悪魔の軍勢を以てして地上のものを殺戮して苦しめ、さらにはこの世界の神々に挑戦した。悩んだ神々は勇者としてひとりの男を選んだ。
その名はジーク。
その生まれは王家の血筋を引いているとも言われ、国王のご落胤ともうわさされた。だが、男は何より戦いに非常に長けており、神々を信じる信仰心と勇敢さの両方を持ち合わせていた。
男は神の加護を受けた剣を手に仲間とともに戦い、13柱の邪悪な悪魔と打ち取り、最後には邪神すらも討ち取った。ジークは神殺しを成し遂げた最初で──恐らくはは最後の人間となったのである。
彼が邪神を討ち取ると神々は彼を讃え、地上の民衆も彼を大英雄として讃えた。
「──そして、物語はハッピーエンドとなるのです」
ナターシャはそう言って物語を語り終えた。
「ハッピーエンド、か。そうだな。邪神は倒され、世界は平和になった」
「ええ。この物語は私が一番好きな英雄譚なんです。辛いときは大英雄ジークのことを思い出すんですよ。彼の信仰心の強さや勇敢さ、それから何よりその心優しさを……」
ナターシャはそう感慨深く告げる。
「うん、うん……。大英雄の方のジークはいいやつだよ……」
まさかナターシャがここまで憧れてくれたジークが花街に女性を買いにやってきたとは言いづらく、なんだか気まずさを感じ始めてきたジーク。
「お客様。お待たせしました。代わりのお洋服です」
「ああ。ありがとう」
ジークは代わりの服を受け取り、それに着替えるとナターシャにいい笑みを浮かべた。さっぱりとしたようなそんな笑みだ。
「じゃあ、今日はここも大変そうだし、失礼する」
「またいつでもいらしてください!」
ジークは結局その日は花街で遊ぶ気になれず、悶々とした気分で宿に戻った。
「……ただいま」
「なんだ、えらく早かったな? それに血の匂いがするがどうした?」
セラフィーネは黒いワンピース姿で鼻をふんふんと鳴らす。
「はあ。なんか興が削がれちゃった……」
ジークはそういうとぱたんとベッドに横たわった。
ほとんど忘れられたとはいえ、英雄でいるのも大変だ。
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