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その死神は、腹黒につき




空には雲ひとつなく、吸い込まれそうなほどの青空が広がっていた。


まさに、圧巻の眺望である。

大きな屋敷で、けれども周囲には家一つとしてないはぐれ家は、その窓からの景色を遮る物などない。

そんな屋敷にある大きな窓からは、壮大で爽やかな青空を、まるで独り占めにして楽しむ事ができた。




「………そんなに面白いか?」




そう問いかけたのは、このはぐれ家の持ち主である死神で、何処か不思議そうに、それでいて呆れたような表情をしていた。



「ここは、いつ来ても不思議なお家ですね。こんなに大きなお屋敷が草原の真ん中にポツンとあれば、絶対に目立つ筈なのに、誰にも見えていないなんて」

「ああ。そうなるように作ったからな」



窓の外は、一角獣がしゃらんしゃらんと音を立てて走っている。

こちらに一直線に向かってきて、それなのにこの屋敷の付近まで来ると、自然とこちらを避けるようにどこかへ行ってしまう。


この辺り一帯には害獣はおろか、人間や虫すら跳ね除けてしまう魔術がかかっているのだと言う。




「ほら、食事の準備が出来たぞ」

「………お、美味しそうです」



熱心に窓の外を観察していると、美味しそうな香りが鼻を掠めていた。

声を掛けられて振り返れば、ダイニングのテーブルいっぱいに料理が並べられていて、この死神の器用さに胸を打たれる。




(………恐ろしい生き物のはずなのに、とてもそうは思えない繊細さだわ)




一目見れば、その料理にはたいそう手間をかけていることが分かる。

おそらく前日から仕込んでいたのであろうチキンの煮込みや、香辛料をふんだんに使っているであろう白身魚のソテー。

季節の野菜をたっぷりと和えたマリネや、私が大好きな星雲と照り葉イチョウのスープまで。


食材の鮮やかな色味を生かした盛り付けの丁寧さは去る事ながら、皿やグラスにもこだわりが垣間見える。




「………私の好きなものばかりです」

「そのつもりで用意したからな」

「………準備が、大変だったのではないですか?」

「大した事はないさ。………ああ、だが、この叢雲鱈は捕まえるのに多少手間取ったな」

「………むらくもだら、というのは………?」

「秋の満月に掛かるうろこ雲の中には、この叢雲鱈の魚群がいるんだ。………うろこ雲が見つからなくて、満月の夜を彷徨い歩いたが………。あれはなかなか疲れたな」



少し困ったように笑って話す死神に、胸がギュッと締め付けられる。


彼は、食事が大好きなのだ。

こうして事前に沢山の労力をかけてしまうくらいにはこだわりが強く、妥協もしない。


私はその立会人のような者で、それ以上の深い意味はない。

なのに、実はとても大切にされているのではないかと錯覚をしてしまうのが、人間の愚かな所である。





「では、全て美味しくいただく事で、シェヴァさんを労おうと思います」

「ああ。それが一番嬉しいよ」



取り繕った微笑みで、けれども本心を伝えれば、穏やかな微笑みが返ってくる。


きっと、叢雲鱈のソテーだけではなく、他のお料理にもそのような手間暇がかかっているに違いない。


非力で短命な人間の小娘に、どうしてここまでしてくれるのだろう。………その問いは、言葉には出さずに仕舞っておく。




(私たちには種族差がある。それは恋だなんて軽薄な言葉では埋められない差で、決して深追いしてはならない溝でもある………)




彼との出会いは偶然だった。

たまたま訪れた街の料理店で、彼と隣の席になったのが始まりだ。


その後も何度か同じ店で顔を合わせる事があり、互いによく見る顔だなという認識に育った頃には、初邂逅から二ヶ月程が経っていた。


そして、言葉を交わしたのは、市場で数量限定だった虹酔いのオレンジを巡る争いでの事だった。


それは虹のふもとに実ったもので、五十年に一度収穫できるかどうかという希少な果実だ。

見た目はただのオレンジなのだが、虹の美しさに酔いしれた樹木がその煌めきを身に宿し、果実そのものがとびきり甘くなっているという、魅惑のオレンジだった。


怒号や咽び泣く声が至る所から聞こえる中、私は奇跡的に一個のオレンジを購入することが出来た。


そして、誰かに襲われる前にとコソコソその場を去ろうとしていたその時、颯爽と歩くシェヴァと出会したのだ。

その手にもオレンジが握られていたが、彼は隠す様子も無ければ、いっそ涼やかな表情で爽やかに闊歩している。


それで思わず、隠した方がいいのではないかと声を掛けてしまったのだ。

今にして思えば、死神からオレンジを奪うなど不可能だろうし、余計なお世話には違いなかったのだが、彼は目を丸くしてそれは何故かと尋ねてきた。




(………あの時は、確かに驚いたな)




襲われないためだと答えた私に、彼は困惑した表情を深めるばかりだったが、その後すぐに私に襲いかかる不埒者が現れ、シェヴァは成り行きで私を助けてくれたのだった。


その後も色々な事件や事故があったりはしたのだが、紆余曲折と一年の時を経て、今ではこうして共に料理を楽しむ友達として、お家にお呼ばれするようになった。





「お、美味しいです………!もう、反則なくらいに美味しすぎます………」

「はは。それは良かった」

「このチーズが本当に好きです………。雨音の燻製ですよね?」

「ああ。本当は霧雨の音が良いかと思ったんだが、このチーズは少しクセがあるからな。この間の霖雨で燻してある」



シェヴァとの食卓は、とても温かい。

長きを生きる彼は知識も知恵も並々ならず、その会話の引き出しも多い。


見たことのない景色をありありと言葉巧みに伝えてくれる彼のお喋りは、まるで旅行しているかのようなときめきすら運んでくれる。



私は、彼とのこの時間が何よりも好きだった。



彼が死神である以上、人間である私は道端の小石だ。

出会えた事が奇跡で、友人関係に至った事は超常現象と言っても過言ではない。

そんな彼に、私はそれ以上を望んだ事はないし、彼もまたそれを望まないだろう。




(幸せすぎて………もう座ってすらいられないわ………)




くたくたになりながら食事を食べていると、シェヴァがくすりと笑う気配を感じる。

彼が私を気に入ったのは、こうして全身全霊で食事している姿が面白いからだそうだ。




「デザートは、グラニータにした。丁度、秋蜜柑の季節だったからな」

「最高すぎます………。このテーブルに、とろけて染み込んでしまっても良いでしょうか………」




そう言いながら、ぱくりと叢雲鱈を食べる。

ふっくらとした身に淡白で癖のない味わいは、香辛料にもよく合う。

じゅわりと油が染み出す、柔らかで香ばしいソテーは、料理店顔負けの一品であった。


勝手に顔が綻んでしまう美味しさだが、一方で正面のシェヴァは、困ったように小首を傾げている。




「今夜はここに泊まりたいと、言っているのか?」

「………シェヴァさんの深読みが、いっそ妄想の域に達しています………。婚前の乙女が、異性のお宅にお泊まりはしませんからね………」




食事の美味しさに打ちのめされていた所を、現実に引き戻されてしまう。

私がドン引きしながら困った勘違いを訂正すると、シェヴァはきょとんとした顔に変わった。



実は彼は最近、男女関係を思わせる冗談を言うようになった。

この食事会も近頃頻繁に開催されるようになってきたし、それが仲が深まってきた証かもしれないが、反応には困るので是非にやめて頂きたい所である。


決して上級者な上手い返しを出来るわけではないし、ぐむっと不自然に口籠ってしまうと、何だか負けた気がするのだ。


勿論、彼の好意に盛大に甘えてはいるものの、一線は越えないようにと注意はしている。

あくまで食事をご馳走になるだけで、陽が落ちる前には帰宅しているし、ダイニングルームにしか足を踏み入れていない。


それは私なりの彼への誠意で、美味しい料理をご馳走になるマナーとして徹底していることでもあった。





「婚前の乙女………?君もそんな事を気にするだけの思考回路があったんだな………」

「待ってください。まるで木偶の坊のような言い草ですね?私も年頃の女性なのですから、息をするように自然と、レディの振る舞いをしている筈です」

「………とはいえ、君は碌に男と付き合ったことがないだろう。てっきりその辺りは、丸ごと切り落としているものだと思っていた」

「ハムじゃないんですから………。切り落とす訳ないじゃないですか………」




たっぷりと味わいながら料理を食べたつもりが、あっという間に皿が空っぽになっている。

残念に思いつつお皿を見渡していると、すかさずデザートが目の前に現れた。




「こんな風に、君は食べ物ばかりで、そのあたりの思考回路は総じて後回しだろ?欠落と言わずに何というんだ?」

「………………………………そんなことは、ありません」

「返事に随分時間がかかったな………。やはり自覚はあるのか………」




グラニータのしゃわしゃわとした食感を楽しみながら、シェヴァの発言にむっと顔を上げる。

聞き捨てならない言葉があまりに多い。

彼の中で私は一体どんな評価なのだろうか。




「そもそもですけど、私にだって男性のとのお付き合いの経験くらいありますからね」




口の中でほどけるように崩れていくグラニータは、甘酸っぱい秋蜜柑の香りとバニラの風味が、癒されるほどに素晴らしい調和を生み出していた。


その癒しのおかげで、何とか穏やかに乙女の主張を果たした私は、ぴしりと固まったシェヴァに小首を傾げる。



「どうしてそんなにも驚いているんでしょうか。非常に不可解です」

「………君は、食事にしか興味がないのだとばかり」

「………………恋愛も、興味はあります」




部屋には、奇妙な沈黙が落ちた。

シェヴァが驚いたような表情のまま固まってしまったからだ。

それに加えるならば、彼の指摘はあながち間違いでもなく、けれどもそれを言うと更に心象が悪くなってしまいそうだったのでと、賢明な乙女が口を噤んだのもその一因だろう。




「………いいですか?私は雑草ではありません。水さえあればいいだろう的な思考で、その他の要素を削ぎ落とさないでください」




食事は、大好きだ。

けれども、ちょっとくらいは恋愛だとか流行り物にも興味はあるし、この部屋から見える景色に感動するくらいの情緒も持ち合わせている。


シェヴァからの不名誉な誤解を解かねばと、私は慎重に言葉を選んで説明した。




「………………それも、そうだな。………俺も悠長に構えていたが、………そうか。………やはり今夜は、君を帰さないべきだな」

「………………ん?もしかして、妄想が再来してます?」




シェヴァは思い悩んだように額に手を当てていたが、何かを決心したように椅子から立ち上がった。

発された言葉に誘拐犯的な要素を感じとり、私も慌てて問い返す。


彼はすぐさま何かの魔術を展開していて、部屋にはざわざわとした空気の揺れが押し寄せた。




「ちょっ………シェヴァさん?」

「………サリスタ。君の荷物はこの屋敷の二階に移しておいた」

「………………………ん?」

「もう少し時間をかけてやろうと思っていたんだが………そうすると、君は他に行ってしまいそうだからな」

「他に行く………?」 




大きくて濃い魔術の動きに、思わず冷や汗が流れた。

ばくんばくんと、心臓が跳ね上がるように大きな音を立てる。

シェヴァの纏う空気がしっとりと暗くなったのは、気のせいではないだろう。




「俺は死神だからな。死を奪うことも、与える事も出来る。………奪った事は一度もなかったんだが、君との別れは嫌なんだ。俺に奪わせてくれ」




シェヴァが穏やかに微笑んで、その美しさに息をのむ。

仄暗さを感じる、陰鬱な気配が部屋中に立ち込めていた。ぞくりと背筋が凍る。




「何を、………言ってます?」




ずるずり、ずるずりと。

それは、底のない暗くて深い穴に引きずり落ちていくような感覚だった。


初めての感覚に指先が震え、ただ縋るようにシェヴァを見つめる。




「君を捕まえてしまいたいんだ。………俺は、君のことを気に入っているからな」

「ち、ちょっと待ってください。………捕まえる?」




まるで昆虫採集のような言い草に、顔を顰める。

こちらはもういい歳をしたレディで、意思も感情もある人間なのだ。

一体私はどうなるのだと、頭が真っ白のままで必死に彼の言葉を読み解いていく。




「ああ。人間は、すぐに寿命がくるだろう?だから、君をずっと捕まえていられるように、君から死を奪った」

「死を奪う、というのは………つまり、死なないと言う事ですよね?」




シェヴァが私を見つめる視線には、熱が灯されていた。

それは初めて見る種類の熱で、そんな事にも動揺しながら、ひたすら彼の言葉を引き出す。




「そうだ。人間の君には奇妙に思えるかもしれないが、妖精も似たようなものだ。もう歳をとることはなくなったし、俺と離れる事も出来なくなった」

「………………ちょ、ちょっと待ってください。突然の不老不死宣言は、心臓に悪いです。そして、何故全て過去形で話しているんでしょうか。ひたすら怖いです」




私たちはつい先ほどまで、食卓に並ぶご飯の話をしていた筈だった。

私が食欲旺盛な非乙女だという誤解を解くために、過去の恋人の存在を明かしただけだった筈だ。


それがどうして、この険悪で不可解な空気を生み出したのだろうか。




「たとえ私に恋人がいたとしても、シェヴァさんは変わらず、大切な友人には変わりないのですが」

「………失格だな。やはり、君にそのあたりの思考回路はないと思っていた方が良さそうだ………」




シェヴァが嫌そうな顔をしたので、こちらも顔を顰める。

そんな私を見た彼は、ふうと小さくため息をついてから口を開いた。




「そもそも、これだけ俺の求愛を受け入れているんだから、もう手遅れだぞ」

「………求愛?」

「男が女に給餌をして、何の意味もないと思っていたのか?」

「………………給餌を」



その言葉に思い当たる節があって、ハッとする。

妖精たちにとっての給餌は、たしかに求愛を示すものだと聞いたことがある。

まさかそれが、死神にも適用されるとは思っていなかったのだ。




「この半年間、俺が何の下心も無しに食事を提供したと思っていたなら、やはり君は自分に回路がないことを認めるべきだな」

「し、下心………」

「残念だが、これだけ俺の要素を身体に取り込んでいるんだ。逃げられるとは思わないでくれ」




もし彼の言うことが本当なら、シェヴァは随分と前から準備をしていたと思われるし、そのやり口も想像以上に腹黒い。

慄きながらも、その獣のような冷えた視線をじっと見返す。




「………と、友達ですよね?」

「いや。俺は君を妻にするさ」

「つ………つま………………」

「ああ。この腕の中に、ずっと居るといい。………とはいえ、俺も死神として務めは果たさないといけないからな。俺が不在の時は、この屋敷に居てくれ」

「ま、待ってください。それってほとんどこの家に居ることになりませんか?」

「そうだが?」




彼は、もはやどうあっても私を逃さないと決めたらしい。

しかも軟禁宣言まで出している、歪んだ愛の持ち主だ。

逃げた方が良いと警鐘を打つのは、生物としての本能的なものだろうか。


すかさずばっと立ち上がると、シェヴァはそれを許さぬ勢いで私を抱き止めた。




「逃すと思うか?」

「に、逃げません。………その、話し合いをしましょう」

「今話し合ったばかりだ。俺は君を逃さないし、君は俺の作った食事を食べて、ここで暮らす事が決まった」

「私に拒否権が無さすぎます………」




彼の腕から何とか逃げ出そうともがくが、彼は高身長な上に筋肉質で、私との体格差は大きい。

どれだけ全力で暴れても、爽やかにはははと笑われれば、その気もだんだんと削がれていった。


死神と魔術でやり合うなんて無謀なこともしようとも思わないので、諦めてくたりと力を抜く。




「拒むつもりか?半年は俺の魔力を取り込んでおいて、何の縁も結ばれていないと思っているなら、それは浅はかだぞ」

「………………魔力?」

「食事に込めていたからな」

「ひ、卑怯ですよ!」




この世界では、婚約式で相手方の魔力を取り込むのが通例だ。

その婚約式では、互いに用意した酒を飲み交わすことで魔力を取り込む。

本来ならば、約二ヶ月をかけて酒造りを行い、その過程で魔力を練りこむという、非常に面倒な工程を踏むものだ。




(異性から注がれるお酒は、婚約者や家族でない限りは受けないようにしていたけど………………)




それをこの死神は、料理という変わり手を使用して、一方的に独断で行っていたと言う事だ。

あんまりなやり口に呆然としつつも、抱きしめられたままだったので、背中をバンバンと叩いてやった。




「残念だが、それは襲いたくなるだけだ」

「変態は受け付けていません。………というか、私の魔力はあげていませんから、婚約は成立していない筈です。友達からやり直しましょう」

「君の魔力は、この間の口付けで貰っているからな。成立している筈だが」

「口付け………?待ってください。記憶にありません」

「この間、そこに座ってうたた寝していただろ?」

「………………………まさかの、寝込みを襲われていました」




もはやこの腹黒変態死神との婚約式が成立しているなどと、欠片も信じたくはない。

シェヴァに喉が渇いたのだと主張し、その腕から解放してもらうと、テーブルの上にあったグラスの水をゆっくりと飲み干す。

 



「………………………待ってください。普通に飲んでしまいましたが、まさか、このお水は」

「月の雫だな。一昨日は美しい三日月だったから、それを集めたものだ。確か、好きだっただろう?」

「い、いえ、そうではなく………」

「ああ。俺も魔力も込めてあるから、安心して飲むといい」

「大馬鹿者でした………………」




ここでふと、食事会を重ねるごとに、私好みの料理や味付けが増えた謎が解き明かされたように思えた。




「………私の好きなものばかり用意していてくれたのは、いっぱい食べるように差し向けるためですか?」

「ああ。勿論」

「………では、近頃食事会の頻度が上がっていたのは………」

「人間の婚約者は、頻回で会わないといけないと聞いたから、それに倣ったつもりだ。………あとは、俺の魔力を取り込む程、逃げづらくなるしな。確実に捕まえる為にでもあったが」




計画的かつ悪質な確信犯に、もはや腹黒いという言葉では可愛らしすぎるのではと思えてくる。

この死神、陰険がすぎるのだ。


体の力が抜けて、再びダイニングチェアに座り込む。

そんな私を、シェヴァは満足そうに見つめていた。




「君に恋人がいた事は想定外だったが………。そんな男の事は、二度と思い出せないように記憶から引き剥がしておいてやるからな。安心してくれ」

「………安心できるわけないでしょうが!」

「さて。あとは俺の魂を切り出して、妻である君に祝福を授けようか。何が欲しい?」




しっとりとして、それでいてどこか人懐こい微笑みを浮かべたシェヴァは、かつかつと靴音を鳴らしてこちらに歩み寄ってくる。




「魂を切り出す………?そんな怖いこと、しなくて良いんですけど………」

「おっと。それは俺がやりたい事なんだから、君はただ受け取ってくれ」

「………あの。婚約者とはいえ、友人にちょっと毛が生えたような感じでしょうし、もう少し穏便に行きませんか………?」

「残念だが、婚約後も継続して俺の魔力を渡し続けているんだ。………体の関係を持ったくらいには注いだから、友人というのは言葉が軽いな?」

「計画的な変態です………」




シェヴァが私の背後に立った。

ぞくりとして顔だけ振り向けば、髪の毛をするりと掬われ、体が硬直する。

今までは、この線を越えぬようにと、必死に調整をしていた筈だった。


まさか、そんな計画が進んでいたとは思わなかった。

彼が私に抱く感情に、名前がつくとは思っていなかった。


身じろぐ事も出来ぬまま、シェヴァが私の頭を撫でて微笑む。

優しくて穏やかな微笑みなのに、どこか仄暗い影がある。

こんな笑い方をする時は、楽しいことを考えている時なのだと言うことを、私はよく知っている。




「………あとは人間の仕来りを満たすのに………そうだな、首輪………いや、ネックレスか指輪を渡そうか。それを俺の魂から切り出したものを使えば、もはや揺るぎようもない夫婦だ」




今、聞き間違いでなかったなら、首輪と言っていなかっただろうか。

この死神は、本当は私と夫婦になりたいのではなく、実はペットを飼いたいのではないか。そんな考えが浮かび、全身から血の気が引いていく。


慄きで上下左右に体を震わせながら、シェヴァをじっと見つめる。




(………うん。求めているのが妻がペットかは分からないけど、とりあえず本気の顔はしているわ………………)




彼がいつから私をそうしようと決めたのかは分からなかったが、どうやら軽はずみに決めた事でもなさそうなので、ならばと私も腹をくくる。


全て思い通りにされるのは癪に触るので、頭を撫でていた手を躱してから、睨みつけるように彼を見上げる。




「指輪でお願いします。………そして、その魂の欠片は、ムカついた時にバキッとやってしまっても良いのですよね?」




私の言葉にシェヴァは驚愕の眼差しを向け、そして淡く微笑んだ。




「うーん。やはり、君といると飽きなくていいな………。因みに、壊されても死にはしないが、死にかけはするので、やめてくれ」








その日の夜は、空いっぱいに流星雨が降った。



雲の陰り一つない柔らかな月影に照らされて、職場への退職届を書き連ねた私は、けれども夫となったシェヴァと共に、初めてお酒を飲み交わしたのであった。


なお、妻なのかペットなのかの確認が出来たのは、それから五年後のことだった。

散々罵られてしまったので、永遠の乙女としては傷ついたが、それはまた別のお話である。



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