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幸せの湖

幸福論にある通り、乗客達がバタバタと「自分の家が家事にでもなったかのように」慌ただしく降りて行く。


 まるで、そうしなくてはならない、といった様相だ。

 これでは、楽しくないだろう。


 あずさが停車する前に、既に佑夏は、この為に持ってきたのか、マイクロファイバータオルとせっけんスプレー(化学物質無添加のこだわりがスゴい)で、窓とフードテーブルを綺麗に拭き上げていた。


 アランに同意を求めるように、僕達は顔を見合せて、お互い微笑んだ後、名残惜しさを楽しみながら、立ち上げる。


 佑夏は、さらに座席まで拭いてしまう。

 この子は、万事この調子だ。


 幸福論に、ここまでしろと書いてあるのだろうか?


 試しに、その逆を考えてみたい。


 車窓の風景には、見向きもせず、しかめっ面でスマホをいじっている。


「金出して乗ってやってるんだ。」と言わんばかりの横柄な態度で、備品を乱雑に扱って汚す。


 停車直前までアプリでも見ていたのに、到着をまるで不満のように、荒々しく席を立つ。


 アラン、ヒルティ、ラッセル、幸福論の三人も認めるだろう。


 どんな福の神でも、これじゃ逃げて行くと。


 そして、僕の女神様は、下車すると、

「足湯入りた~い!」とご希望され、足だけ温泉で、旅の疲れを癒される。


 どういう訳か、ホームの中に足湯がある。

 上諏訪駅は、全国でも珍しい駅。信州情緒、満点だな。


「素敵ね~、長野に来た!って感じがするわ♡」

 

 と、ご満悦な我が姫君である。


 なんと、100円程度で「温泉たまご」まで作れるそうだが、時間の都合で、今回は断念。


 駅を出て、諏訪湖に向かおう。

 コンビニがある、日本の何処にでもある通り。


 そして、「ふれあいの渚」と石に彫ってある、湖畔にたどり着く。

 石像がいくつも、並んでいて、なかなかカワイイじゃないか。


 秋の空は高い。


 長野独特の明るく柔らかく、涼しい日射し。

 本格的な紅葉には、まだ少し早いのが、惜しいような、寒さが無いのが嬉しいような。


 そして、信州の湖畔を歩く、美貌の女性。

 湖面から吹く秋の風に、黒いロングヘアーがなびき、佑夏は天を仰ぎ、心地良さそうに目を細める。


 降り注ぐ煌めく陽光と、水面からの光の照り返しで、粉雪より白い肌、純白の巻き貝の髪飾り、三個のシーグラスが一層、輝きを増す。

 あまりの美しさに、僕は言葉を失ってしまう。


「あれれ?」

 僕の視線に氣付いた彼女が足を止めた。


「アハハッ!どーしたの?中原くん?ひょっとこみたいな顔して。

 私の顔に何かついてる?」


(中原仁助・注釈)

 ひょっとこ。

 口をとがらせ、おどけた顔の男性の面。火の神ともされる。


 何ということか。


 怪猫ぽん太をして、「合氣道の達人」と言わしめる、この僕を伝統工芸品にしてしまうとは。


 この娘、どこまで美しいのか?


「い、いや、何でもないよ。その服、似合うね。」

 

 とりあえず僕は、その場を繕おうとする。


「アハッ、ありがと♪」

 

 佑夏は自分のトレッキングウェアを見ながら呟く


「今頃、お昼寝だねー。」


 今から棲み家を訪ねる小動物は、苔のある沢沿いを好む。

 この子は、「お家の色に合わせる」と言って、今日はグリーンのトレッキングルックに身を包んでいる。


 いつもは、レディースジャケットにロングスカートなど、教育大生らしい清楚な服装が多い彼女。


 しかし、こういう活動的なコスチュームも思いの外、良く似合っている。

 もっとも僕の場合、佑夏が何を着ても、激カワ似合いと言うだろう。


 僕はといえば、ワクワクマンで買った、登山服もどきを着ている。


 本格的な登山ではないし、これで十分。


 佑夏も、服にはお金をかけない主義で、普段はバーゲン品ばかり。

 彼女はブランドの服などは軽蔑し、「フフフ!高い服、私じゃ似合わないね。服負けしちゃうよ。♫」と言って笑い飛ばす。


 このトレッキングウェアはブランド品だろうか?

 だとしても、ルルカリなんかで買った中古に決まってる。


 ぽん太!俺と彼女は同類だ!分かったな!


 佑夏と二人、天国にでもいるような気持ちで湖畔を歩いて行く。

 すると、運命のシンクロか?


 まるで僕と、この子の現在を暗示するような。

 二本の鋭角な金属のモニュメントが向かい合って立っていたりする不思議。

 台座部分は魔法陣とも言うべきか。


 かなり高い。

 5メートルを軽く越しそうだ。

 僕達の気持ちと、天をつないでいるかのように見える。


 同じことを、僕の姫君も考えたらしい。

「じゃ~ん!運命の塔、現る!って感じかな?」

 そう、クスクス笑われる。


 さらに、この県立教育大(ケンキョー)のお嬢様は、湖畔の「運命の塔」を見上げて宣言した。

「私、明日ここで発表見る!」


 もどかしい。勇気づけてあげることもできない。

 こんな時、何て言えばいいのだろう?


 もし、本当の恋人同士だったら、優しく肩を抱いてやれるのに。


「うん。いい感じだね。」

 と、僕は愚にもつかない一言を絞り出すのがやっとだ。


 だが、本人はいたって快活に笑い続ける。

「中原くん、そんな深刻な顔、しないでよ。

 私、嬉しくなっちゃうよ♫でさー、そろそろ駅に戻ろーか。」




 佑夏に促され、再び上諏訪駅へ。

 集合場所のロータリーに、マイクロバスが停まっている。

 あれで霧ヶ峰に行くんだな。


 バスの傍らには、添乗員らしい長身の男性が立っていて、ザックを背負った女性客が既に二人。


 いよいよだ。


 僕達がこれから訪ねる小動物は、体長10センチに満たない小さな体。


 丸まって冬眠する愛らしい姿で知られる。

 モフモフの、マリモのような胴体に、クリクリした瞳。

 楕円形の愛嬌ある尻尾。


 容姿は「森の妖精」と呼ぶにふさわしい。

 写真を見るだけで、誰もがつい、微笑んでしまう。


 一説には日本最古の哺乳類で、国の天然記念物。


 ヨーロッパや、アフリカにも近縁種はいるが、日本のものは一属一種、世界中でこの国にしかいない。


 なんの変哲もない、だけど守ってやりたくなるような、儚い名前で呼ばれる。


 そのとてつもなく可愛らしい生き物は

 

「ニホンヤマネ」

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