海辺の町で
「でもね、一人だけ、私のこと、見捨てないで、ずっと勉強教えようとしてくれてた人がいたの。
潮騒に住んでた、親戚のお姉さん。私、”真帆姉ちゃん”って呼んでた。」
瞳を潤ませ、震えている佑夏、まだ地震のショックから立ち直っていないな。何か、飲み物でも。
「佑夏ちゃん、お茶、淹れようか?」
膝の楓を下ろし、僕は、中座しかけたが、
「ダメ!ここにいて!怖い......、あ、ゴメンなさい。」
うん、うんと頷き、僕は座り直す。
また、何とか姫は語り始めてくれる。
「私、幼稚園に入る前から、真帆姉ちゃんのこと、大好きだった。
潮騒に行く度に、“遊んで~!“って、飛びついたけど、嫌な顔されたこと、一度も無い。
いつも、ニコニコして、一緒に遊んでくれたの。」
「その人、佑夏ちゃんと、いくつ違うの?」
庭のレオナは、すっかり落ち着き、横になって、眠っている。
「え~と、真帆姉ちゃん、遅生まれで、八歳、年上だったんだけど、すごく大人に感じたわ。
絵がとっても上手なのよ。」
「佑夏ちゃんだって、メチャメチャ、絵が上手いじゃない?家系なのかな?」
僕が笑うと、姫は全力で否定する。
「全っ然!私なんかと、レベルが違うわ。それで、真帆姉ちゃん、美術の先生になりたい、って言ってたの。
私には、“お絵かきの先生“、うん、そう言ってた。難しい言葉は使わずに教えてくれる人だったから。」
何!?この子より絵が上手いのであれば、相当なものだ。バケモノか?
「私のことは、”ゆうかちゃん”じゃなくて、”ユーちゃん”って呼んでた。何だかね、頭悪い私の為に、いつも少しでも、言葉を短くしてくれるのよ、ふふ。」
少しずつ、落ち着きと笑顔を取り戻していく姫君。
「真帆姉ちゃんのお家、海から少し離れた丘の上にあってね。戦争で、いったん焼けてしまったんだけど、また同じ造りで建て直したんだって。
戦争の前は、手作りの鋏を作ってて、工房は焼けずに残ってたわ。
私、真帆姉ちゃんと、そこに入るの大好きだった!映画に出て来る魔法の部屋みたいで、ドキドキして、とっても楽しかったの。」
潮騒?鋏?何処かで聞いた話だな。
「佑夏ちゃん、もしかして、あの鋏って?」
実は彼女が、その左手で、鋏を熟練の美容師のように使うのを僕は知っている。
「うん、そーなの。戦争の前に、そこで作られたのよ。出来てから、何十年も経ってるのに、あんなに切れるの。スゴイでしょ?
昔は、”石森さんの作った鋏じゃないと使えない”って言って、東京からもお客様が買いに来てたそうよ。
まだ、潮騒まで来るの、大変な時代だったのにね。」
真帆さんの本名は「石森真帆」であると知る。