幸せの演奏
いつの間にか、客席は全て埋まっているな。
急な日程にも関わらず、これだけの人数が集まるのだから、潮崎氏は、音楽家としての名声も、それなりにあるのだろう。
!武術家としての、僕の勘が、後ろからの氣配を感じる。
ちょうど、僕の座っている席の脇を通り過ぎ、男性のシルエットが壇上に登る。
背中には、カラフルで巨大な鳥の羽を三本背負い、当然、頭から足まで、ケニアの民族衣装に身を包んでいる。
潮崎一馬!この男か!
太鼓のような楽器が数個並んだ席に、彼が座ると、周囲の女性達から、ため息が漏れる。
写真で見るより、ずっと端正なイケメンなのである。
並の女性なら、この甘いマスクだけで、参ってしまうんじゃないか?
ちょっと、氣になって、隣の翠を横目に見てみるが、彼女は普段通りの凛々しい表情を崩さずに、潮崎氏を見つめている。
まあ、勝氣∞のこの子は、キャラ的に、男性の容姿にキャーキャーいって、陶酔してしまうタイプじゃないが。
「皆さん、こんにちは。潮崎一馬です。今日は、僕のライブに足を運んでいただき、本当にありがとうございます。
まず、ご挨拶代わりに一曲、お聴かせさせて下さい。」
挨拶もそこそこに、いきなり演奏が始まる。
何ていう楽器なんだ?ケニアのドラムが神秘的な深い音響を響かせ、彼の歌声と溶け合っていく。
悔しいが、上手い!
胸に迫る感動を湛えた美声は、佑夏の男性版と言っていいくらいだ。
この歌声に、会場の女性達のテンションはますます上がり、身を乗り出して聴き入っている人までいる。
たった一曲で、彼は聴衆の心を完全に掴んでしまっている。
佑夏ら、「踊り手」はまだ姿を現さず、今のところ彼一人。
しかし、当たり前だが、リハーサルで僕の姫は、この演奏と歌声を繰り返し聴いたに違いない。
これは、やはり潮崎氏の魅力にKO負けを喫してしまったのではないか?
この音楽家に、愛しい最愛の女性が、遥か遠くに連れ去られてしまったような氣が、僕はしている。
ん?肘のあたりに、何やら女性の指の感触が?
見てみると、翠が人差し指で、僕の肘をつついている。
さらに、翠は、僕の耳元に顔を近づけてくるのだ。
ええ!?ドキっとする、何すんだよ?神野?
「.....ビビんな.......。」
潮崎氏から視線を外さずに、まるで試合中のスポーツチームの監督のような厳しい表情の翠、その凛とした声。
「え?」
「中原の合氣道だって凄かったぞ。佑夏、感動して、涙、流してたからな。」
「ええ!?そうなのか?」
さらに、ドラムをギターに代えたりして、潮崎氏の独奏、独唱は続いていく。