幸せの武術家
年も明け、正月から二週間が過ぎ、厳冬の東北地方。
奥羽山脈から吹き降ろす風の冷たさには、僕の住む町は定評がある
庭木に来る雀やエナガの群れが、寒さで身体を目一杯、膨らませている。
こんな折り、僕の合氣道教室に、他の教室から、一人の40代の男性が移籍して来る。
「すいません、皆さんがお帰りになった後、中原先生と、鈴村先生とだけ、お話がしたいのですが?」
この人のこの申し入れ、断る理由はなく、むしろ、立場上、聞かなくてはならない。でも、何だろ?
そして、全員が帰り、僕と千尋と、彼だけになり、三人で正座をして、向かい合うことに。
この新しい入門者が所属していたのは、県最大の大きな道場で、県内至る所に支部がある。
「実は、前の◯◯道場では、入会金と月謝の他に、一回三万円もする講習会に参加を強要されて、一枚一万円の道場のTシャツを買えと言われたり、断ると扱いがおざなりになって、ロクに教えてもらえなかったんです。」
「ええ!?本当ですか!?」
この証言に、僕と千尋は、驚きの声を合わせてしまう。何だよ、それ!?霊感商法じゃないんだって!
「はい。他にも、本部団体の入会金を支払ったのに入会できていなかったり、ということもありました。
指導も、怒鳴られてばかりで、何も教わった氣がしません。」
それを聞いて、”そんなの、合氣道じゃない”と言いたげに、千尋は労りの声を出す。
「そんなに、酷かったんですか?お氣の毒でした。」
美少女に、労いの声をかけられ、いくらか氣を取り直したようであるが、彼の口から出て来るのは、まだまだ耳を疑いそうな惨状である。
「他にも、私は木刀を跨いでなどいないのに(合氣道では武具を跨ぐ行為は礼に反するとして禁じられている)、指導員に、“自分の木刀を跨いだ“と、ありもしない言い掛かりをつけられて、ヤクザのように凄まれたりしました。」
「何なの!?それ!?信じられない!中原先輩、抗議しましょう!」
「鈴村さん、他の教室にまで、口出しはできないよ。」
憤る千尋を、何とか宥める。
「それが、こちらの教室に来てみますと、大変、丁寧に教えていただけて、怒鳴られることもなく、月謝も、こんなに安くていいのだろうか、という金額ですし、本当にありがとうございます。
お若いのに、中原先生と、鈴村先生の腕前も、前の教室の指導員より、はるかに上です。
さすが、恋人同士であられるだけあって、指導の息もピッタリですね。」
「え?」
僕と千尋は顔を見合わせてしまう。
「ハハハ、私と鈴村さんは、そんな関係じゃありませんよ。」
「そうなんですか?いつもご一緒で、あまりにお似合いですから、てっきり恋人同士だと思ってました。」
「だってさ~!参ったよ、ハハハ!」
自分の部屋で、膝に楓を抱きながら、ぽん太を抱いている佑夏に、僕は笑いかける。
「ふふ。その人、中原くんの教室に来れて良かったね♪」
と、姫は微笑んでくれるけど。
後日譚。
この時、彼女の頭の中を覗いていた怪猫ぽん太によれば、
「鈴村さんは、あなたと恋人同士と言われて、どんな顔してたの?
他の人から見て、あなたと鈴村さんは、そんなに親密で、お似合いなの?」
と、ずっと氣にかけてくれていたそうだ。
ありがとう、佑夏ちゃん、愛してるよ!