命運
大体にして、僕は貧しい生まれである。
不遇に生まれた子供、いや、どんな子供の不幸な顔も、もう見たくない。
だから、苛烈な受験戦争も、しょせんは企業本位である過酷な就職戦線も無い、子供達、誰もが笑顔でいられるような場所を作りたかった。
潮崎一馬出現後も、ふてくされたりせず、児童養護施設「若葉寮」のボランティア活動を続けているのも、その為である。(人によっては、白沢佑夏への未練と取られてしまいそうだが。)
この、「パークロッヂ」は、僕の理想にかなり近いんじゃないか?ともかく、一度は見るべきだ、と自分でも思う。
むしろ、誘ってくれた佑夏に感謝すべきではないだろうか。
そもそも、一度はJリーグ入りを目指したのも、引退後に、子供らが安心して暮らせる世界を作る資金が欲しかったからだ。
それが、今はどうだ?目先の地位と金欲しさに、一般企業に内定をもらっている、理想とは逆だ。
打算でモノを考えているのは佑夏じゃない、自分の方とは言えないか?
こんなことを考えていると。
「それでは、ここで一旦、質疑応答の時間といたします。東山先生に、ご質問のある方、どうぞ。」
ディーンフジオカ添乗員が場を仕切る。よく見ると、やっぱりイケメン。
彼にそう言われて、みんな、何を聞こうか?みたいな思案顔で、考えている。
僕は、既に聞きたいことがあるんだけど、いいかな?
控えめに、右手を挙げ、
「あの、いいでしょうか?」
「はい、中原様。どうぞ。」
すかさず、添乗員は僕を指名してくれるので、聞いてみる。
「先生、月野和男さんについて、どう思いますか?」
すると、何やら、全員から、おおっ!あーっ!といった反応がある。
月野氏は、アラスカを舞台に大自然や、野生動物を撮影し続けた、日本人写真家。
高校生にして、単独で北米大陸を横断し、大学在学中には、エスキモーの集落に滞在して取材活動をしていた類いまれなる行動力の持ち主。
ロシアの湖の湖畔で行われた、日本のテレビ局の特番撮影に帯同し、羆の事故に遭い、わずか40代の若さで、彼はこの世を去った。
同じ野生動物を撮っているカメラマンとして、東山さんは、月野氏をどう思っているのだろう?
これは、長野に来る前から、聞いてみたかったことである。
「月野さんですか?私は、あの人とは面識もありませんし、正直なところ、他人のことは、良く分かりません。」
一つ一つ、考えながら、言葉を選んで、東山さんは答えてくれる。
「私は、英語もできませんしね。
一度、NHAと民放の共同企画で、何人かのカメラマンで、海外を一年かけて回っての撮影に誘われたことがあったんです。
でも、あの時も、お断りしました。ギャラは良かったんですが。」