信州へ
「東山は19歳の時から、最初は季節労働で、霧ヶ峰で働き始め、移り住んだのは23歳の時です。
写真の先生は、山小屋で働いている時に来られた、東京からのお客様です。」
滋賀出身の東山先生、もう、関西なまりは全然、無いな。
そりゃ、長野に40年もいれば。
ちなみに、この方は、最近になって、故郷・琵琶湖の写真集も出版している。
「その写真の先生は、山小屋の裏にある池に、毎年、カルガモの撮影に来られてたんです。
初めは断れましたが、なんとか粘って、教えてもらえました。
東山は絵も下手くそですし、写真学校に入り直す余裕も無い、だから絶対に、この人に教わるしかない、と思ってましたね。」
「その方のおかげで、私達はヤマネの写真集が見られるんですね。」
感謝いっぱいの水野さん。
「はい。今になって思えば、素晴らしい指導でした。
半年に一回は、写真を見せに来るように言われまして、霧ヶ峰から東京まで、年に何回か通ったんですが。
残念ながら、三年前に亡くなられてしまいました。
写真には厳しくても、とても面白い方だったんですけどね。」
「今度は、先生本人、素晴らしい写真を世に伝えて、恩返ししとくれやっしゃ。」
ちょっと、しんみりムードになってしまったところ、ルミ子さんが「関西のノリ」で勇氣付けてくれる。
さらに、僕達に「頑張って下さい、頑張って下さい。」と口々に声をかけられ、東山さんは氣を良くして、こんな話もしてくれる。
「まだ、30歳になる前の夏、この山小屋で働いていた私に、少し変わった人が、訪ねて来たんです。
いきなり、”君、滋賀の出身だって?私も関西だ。うちで働いてみないか?”と言われました。」
ええ?いいのか?
「他の山小屋から、堂々と引き抜きですか?そんなの、許されるんですか?」
僕が疑問を口にすると、宿の女将さんが笑う。
「いいんですよ。この辺りで山小屋やってる人達は、みんな仲間ですから。
シーズンごとに、働く山小屋を変えている人は大勢います。」
太っ腹だな。なんか、企業間の引き抜きとは、違うようだ。
「自由の国ですね~!」
佑夏が感想を口にする、君だって教員採用試験に縛られることはないんじゃ?
刻一刻と合格発表の時間は近づいている。
「ああ、そうですね、自由の国という言い方はピッタリです。
東山に会いに来た方は”族長”と呼ばれていて、日本人らしからぬ感性を持ってたんです。
廃材を使って家を作り、羊、山羊、豚、牛、豚、馬を飼っていて、半自給自足の生活をしてましたね。
族長は、特に馬が好きでした。
映画やドラマの時代劇で、そこの馬が使われたこともありますよ。」
「キャー!仁助さん!馬だって!」
ちょっと、佑夏ちゃん!