我、事において後悔せず
県会議員、下田欲蔵氏は誇大妄想狂で、「幸福の義務」を果たしておらず、彼に幸せが訪れることは決してない。
別に、下田氏の不幸を願っている訳ではないが、一応、溜飲を下げられる言葉ではある。
ふいに、姫が僕にリクエストしてくる
「ねえ、中原くん。武術の本にも、幸福論みたいな、人の生き方についての本、あるでしょ?
例えば、宮本武蔵なんか、どう?私、聞きたいな~♪」
「あ、ああ。そうだね。」
ともかく、佑夏には、ひどく世話になった氣がする。
せっかくのリクエストだ、お返ししなくては。
それにしても、宮本武蔵か?なぜ?まあ、いい。
「佑夏ちゃん、武蔵が死の直前に書き残した“独行道“っていうのがあるんだけど、分かるかな?」
「独行道?う~ん、名前くらいは聞いたことあるような?」
佑夏の聖書が幸福論なら、武芸者である僕の聖書は、武蔵の言葉だ。
「独行道には、人の生き方の指針になることが書いてあってね。
その中にさ、“我、事において、後悔せず“っていうのがあるんだよ。」
言いたかった一言。
「武蔵が、そんなこと書いてるの?へぇ~、カッコいい!」
佑夏は、利き腕の左手を結んで、自分の胸に当てる。
胸ドキなの?佑夏ちゃん?
武道の話になると、僕は止まらなくなる
「有名な空手の先生が、挫けそうになった時、この武蔵の言葉を思い出して、頑張ったんだってさ。
”後悔などは、いい加減に上手く立ち回ろうとした者がすることだ”、そんな風に自分に言い聞かせてね。」
「そうなんだ。強そ~!」
「他にもね、独行道には”善悪に他を妬む心なし”、”自他共に恨みをかこつ心なし”、そうも、書いてあるんだよ。
なんだか、アランの言ってることと、似てるよね。」
「ホントね。すごく男らしくて、素敵!」
姫の髪の白い貝殻が煌めく。
「俺、思うんだけどさ。
普段から、アランの言うみたいに、思考に恨みや妬みなんかを載せてなければ、後悔そのものが生まれないんじゃないかな?」
「あ~、そうね!恨んで妬んで、ホントは後悔してるのに、後悔しちゃダメ~!みたいな感じで、自分を押さえつけたら、苦しそうだわ。」
「独行道の解釈は、人それぞれだけど、武蔵はきっと、後悔しない考え方ができてたんだね。
もちろん、武術の修行も大きいと思うけどさ。俺、いつも見習ってるよ。」
「そうか~、中原くんは、武蔵みたいに後悔はしない人なんだね。
憧れちゃうな~♡」
ニッコリ笑って、褒めてくれる姫に、僕までにやけてしまい、
「そうだよ。俺は、どんなことがあっても、後悔なんかしないよ。」
!!佑夏に......誘導.........、された.........?
もちろん、この子は県会議員・下田欲蔵氏のことなど、何も知らない。
だが、どうしてか、僕が何かに後悔していると、全てを見透かしていたようだ。