後悔との間に
下田議員のような、有力者が入門して来ると、露骨に贔屓して特別扱いする道場もある。
所謂、「ゴマすり」だ。
運営面で、何かと優遇してもらえたり、多額の寄付金を貰えることがあるから。
僕も、あの時、千尋を叱りつけて謝らせ、下田氏の機嫌を取るべきだったのか?
その千尋や、武山さんを始め、熱心に稽古に通ってくれている人達は、みんな合氣道が出来なくなってしまっているじゃないか。
道場全体のことを考えれば、僕は道場長失格じゃないか?
これから、一体、どうすればいい?
今日、そういう後悔の念に、僕が苛まれているとは知らない佑夏は、いつものように、ぽん太の世話に来てくれている。
だが、ぽん太にも言ったように、大の男が女相手に、こんな愚痴を言えるはずもない。
どうする?ここでも、何を話せばいい?
「あのね、中原くん、ちょっと聞いて欲しいことがあるの。」
助かった、ぽん太を抱いた佑夏の方から、話しかけて来てくれる。
「うん?何?」
できるだけ、不機嫌そうな顔を見せないように、答えてるつもりだけど。
「ヒルティの幸福論のお話で~す♪またか!なんて思わないでね。」
優しく微笑む佑夏。ああ、こんな時、この子の笑顔は本当に癒される。
ともかく、彼女は何でも、押し付けがましくない、ストレスフリーの僕の女神だ。
「思わないよ、当たり前だろ。」
既に、僕は下田氏のことは忘れて、佑夏の話を聞きたくなっている。
「ヒルティがね、自分の交際する人に、身分の高い人、貴族、お金持ちは、はねつけるんじゃなくて、敬遠すること、って言ってるのよ。」
!!
「それでね、身分の低い人達の方を向いていることは、たくさんの苦々しい感情から逃れる所以、とも書いてあるわ。」
どうして、分かる?
「下田事件」の核心を衝くような佑夏の言葉。
「アランとラッセルにも、そんな話出て来たかな?
今度、調べておくね。
ともかく、幸福論では、社会的地位の高い人ほど、割と下劣で、低い人ほど高潔な精神を持っている、とされてま~す!
身分の高い人だけ特別扱いして交際したがる人も、やっぱり、下劣、って三冊の中のどこかにあったと思うの。」
(おい、ぽん太!佑夏ちゃんに、下田さんのこと、思念で伝えたのか?)
(い、いいや。オレだって驚きだぜ。どうなってんだ?)
僕と、ぽん太は意識の水面下で、驚愕し、顔を見合わせる。
そして、この怪猫の解説が入る。
(ジンスケ、女の脳は男と構造が違ってよ。相手の表情から、感情や考えてることを読み取る能力が、男より遥かに優れている。
しかし、それにしても、てえしたもんだな、まるで魔法じゃねえか。)
そう言えば、千尋も、僕が武山さんと組むように言う前に、既に「指令」は分かっていた。
「あれ、どうして、こんな話、したくなっちゃったんだろ?
中原くんの顔見てたら、急になんだけど?良かったかな?アハハ!」
佑夏は、まるで当然のような顔をして笑う。