9 止まない雨は無いというが、まだ止まない『ぽよ』に、
空になったグラスに、ワインを注いで、
「しかし……、そうすると、さ?」
「ぽよ」
と、またドン・ヨンファが話を振る。
「いや、まあ、何が『そうするとさ』って、話なんだけど……、ほら? なんか、この事件ってさ? ガイシャの、綺麗にアレンジメントされた写真が出回ってるじゃない」
「ぽよ」
「……」
と、また『ぽよ』かよと、ドン・ヨンファの顔が若干ピキッ――となる。
まあ、今は『ぽよ』の設定が上がっているのだろう。
それはよしとして、
「その、SNSとかでさ、『自分も作品にしてほしい』っていうような声が、けっこう、あるじゃない?」
「はぁ、みたいね」
「ほら、展示会場でも、『私もこんなふうになりたい』って、野次馬の中で、誰かが言ったじゃないか」
「そう、だったけ?」
と、パク・ソユンが唇に苺タルトの赤い残骸をつけつつ、首を傾げる。
「うん、確かにいたよ。てか、昨日の今日のことじゃないか? もう忘れたのかい?」
「はぁ、」
ドン・ヨンファは聞くも、パク・ソユンの反応は薄い。
そうしつつ、
「ちょっと、借りるよ」
と、ドン・ヨンファはパク・ソユンのノートパソコンに手を伸ばした。
「はぁ、」
曖昧な相づちするパク・ソユンの傍ら、パソコンからは、
『ああ”あ”ー――』
などという、ちょうど何かの断末魔らしき音声とともに、ウインドウが閉じられる。
そうして、ドン・ヨンファがパソコンをいじって、SNSを開く。
検索するのは、結晶華事件と、その遺体に関するポスト。
いくつか出回っている遺体の写真とともに、関連するポストを見ていく。
『ああ……、美しい。もしフロリストが私のポストを見ているなら、どうか、次は私も作品にしてほしいな』
『不謹慎だけど、美しい……、こんなふうに、美しく最後を迎えれたら幸せなんだろうな』
『こんな社会で独り、醜く老いるぐらいなら、今の美しいまま死ねるならアリ。正直、ある意味で被害者が羨ましいくらい』
「――だって」
と、そこまで確認したところで、ドン・ヨンファは読み上げながら言葉を結んだ。
「“これ”は、どういうことなんだろう、ね?」
「ぽよ」
「……」
と、止まない雨は無いというが、まだ止まない『ぽよ』に、苦虫を嚙み潰したような顔になりそうになりながら、
「いや、『ぽよ』じゃなくて、」
「まあ、その、書いてあるとおりなんじゃない」
「いや、まあ、そうなんだろうけど……、これは、どんな現象とみるべきか?」
と、ドン・ヨンファはワインを手に、何か考えるような顔をしてみせた。
「はぁ、どんな現象、とは?」
「まあ、僕も、美容だったりね、そういうビジネスも扱っているから分かるってわけじゃないんだけどさ……、ソユンも、他のモデルの子たちと同じように、思ったりすること、ないかい?」
「ん? 何を?」
パク・ソユンが、聞く。
「その、年老いて――、まあ、言い方は悪いかもしれないけどさ、醜く年老いて死ぬよりもさ? このまま、今の、最高に美しいままの状態で死にたい――」
「……」
「そう思うこと、ないかな?」
「はぁ、別に」
パク・ソユンが、あまり関心なさそうに相づちしつつ、
「私は、まあ、もし歳をとってなら老いていくなら、酒でも飲みながら健全に不摂生して、枯れるようなババアになって、ポックリ逝ければいいとは思う」
「何だよ、健全な不摂生って……。てか、酒飲みながらって、やっぱ、お酒は絶対やめてないじゃないか」
ドン・ヨンファは、ここで『お酒は絶対やめた』理論の破綻に気づき、つっこむ。
また、パク・ソユンが、
「まあ、でも……、そうね? 確かに、他のモデルの子たちとかインフルエンサーに限らず、若い子たちに、もしかしたら、“そんなふうな願望”っていうのは、少なからなず、あるのかもしれないわね」
「まあ、若く美しいままでいたいって、男女問わず、古今東西からある普遍的な願望のひとつであるからね」
「それに、いまは美容医療だったりの技術の発展っていうのかな? より美しく、寸分の歪みや、ムラ、キズの無いつるつるな顔、肌っていうのを、皆が実現することができるようになった――」
「……」
ドン・ヨンファが、ワイングラスに口をつけたまま、パク・ソユンが話すのに耳を傾けて、
「――だけど、その分、皆、心のどこかで不安になっているんじゃないのかな?」
「……」
「美しい状態を、より維持できるようになったけど、あくまで、まだ“人間”――。サイボーグになった、わけじゃない」
「……」
淡々と、語るように話すパク・ソユンに、ドン・ヨンファは言葉を挟まずに聞くことに徹底して、
「ゆえに、日々のストレスだったり、時々の不摂生で、不可逆的に、劣化もしていくわけで……、それが、より美しさを維持するということに敏感に、かつ、美しくなくなることに恐怖を感じる社会――」
「……」
「美しいことによってもたらされる、刹那的な楽しさと、美しくなくなった後に訪れるであろう長い時間が、ただ苦で、意味のないものに感じる」
「……」
「そうすると、さ? もし、いまここで、美しさを結晶の中に閉じた作品とならないか――? と問われると、“そっち”を選んじゃう人も、いるんじゃないかしら?」
「……」
「そして、犯人の、フロリストは、そう上手く仕向けるように、被害者を教唆だったり、魅力的な何かで、誘惑しているんじゃないか、って――」
と、パク・ソユンはここで、ひととおり話し終えた。
「ほ、う……」
と、そこまで聞いて、ドン・ヨンファも感心したように唸った。
もし、このパク・ソユンの仮説のように、被害者の願望と犯人の動機というか目的が一致したものだとすると、フロリストの犯人像というのを、一般に考えられるような、ただ拉致して犯行に及ぶような異常者とは違うものとして考える必要があるのかもしれない。