妄想
焚き火のそばに座る場所を作って、地面に直接腰を下ろす。メイド服が汚れるなんていうことは特に気にしていないし。
焚き火を見ていると、だんだんと吸い込まれて意識が現実から遠のいていく。けれど瞬きを忘れて見入ってしまうと、目が痛くなって再度現実に引き戻される。そこでふと思うのだ。もし私が火の持つ不思議な力に魅入られて、この世界に戻ってこなかったら。別の世界に行ってしまったらと。
私はこの世界に生まれ落ちた瞬間から『不幸』と世間的に言われる人生を送ってきた。けれど私には自分以外の子供がどのような暮らしをしているか、そんなのには興味がなかったからか自分が不幸とは思っていなかった。私にとっての日常は周りからすれば不幸でも、私からすれば足りた生活をしていた。流石に満ち足りた生活とまでは言い切れないが、ある程度楽しかったのだ。
だから私は今までの人生で何か不自由だと思ったことや、理不尽だと思ったことはあまりない。でも考えてしまうのだ。もし私が奴隷の生まれじゃなかったら?どこかの貴族の生まれで良い生活を送れたら?
そんなあったかもしれない世界のことを夢想したことは何度もある。人を殺すたび、自らの背中に輪廻のような重たい鎖が加算される。鎖は重く、そして動きにくくさせる。そしてその鎖がある日、私の体を完全に封じ込めるのだ。前に進めなくなって、かと言って後ろにも戻れない。そんな時に私は違う世界を夢見て、その世界に行きたいと思う。暗殺を生業とせず、パーティーで華々しく踊り、平和に暮らしている自分を。平和ボケと言われてもいい。だって危険なことを知らない無知な状態ってことだから。世の中には知らなくていいことだらけのはずなのに、私はその内の何個を知ってしまい、この目で見てきたのだろうか。
そこでふと、エルフの耳を持つ友の顔が思い出された。
「暗殺者っていいよな。身軽で世界各地を動き回れて。私みたいな下っ端騎士はずっと同じ場所で鍛錬しているし。私が知ってる世界は狭いよ」
いつかの夜、こうして一緒に焚き火を見ながら言われた言葉。そのときになんて返したか覚えていないが、彼女の言葉は記憶に鮮烈に残っている。
「やっぱり暗殺者は良くないよ……。メモリア」
私の口から言葉が漏れた。彼女は自分が知っている世界は狭いと言った。けれどそれでいいじゃないか。見たくもないのに拷問の現場を見せられたり、人に紛れ込む訓練だと言って顔すら知らない人間の血を体に塗りたくったり。知れば知るほどこの世界の闇から目を背けたくなる。
「はぁ……。今あいつは何してるんだろうか」
前に2人であった時、彼女と軽く剣を交えた。森厳騎士団長という多忙な身でありながら、未だにこんな私のことを大切にしてくれている。本当のいい奴だ。純粋で正義感が強く、時より見せる隙がなんとも愛らしいことか。
ま、まあ、それはさておき。あいつはちゃんと訓練を怠っていないのだろうか?私の言いつけを守っているのだろうか。次あったらしっかり確かめないとな。
今私がいるのはアンドレ王国の中心から少し北に行ったところ。対して彼女がいるであろうバイフォレストは西の西。物理的な距離は遠くても、今も同時に月を見上げていると考えると、なんだか心が和む気がした。
まあ…フィニも感傷に浸りたいことがあるんですよ。きっと。




