35-1 レーヴ・ダンジュ新作披露会 いい男
フェアウェルローズ・アカデミー服飾部のローゼン・フェスト・ファッションショーは、大講堂にて開催される。
正面奥のひな壇から正面入口までランウェイが敷設され、そこを見上げる形で椅子が並べられる。ランウェイの最先端の前は貴賓席であり、出席予定の王族たちのためにランウェイと同じ高さの物見台が別途用意された。いつものひな壇は緞帳で仕切られ、奥でつながる控室と共に演出魔法担当やモデルたちの控室となっている。窓という窓は緞帳で覆い隠され、昼前だというのに講堂の中は灯がないと自分の指先も見えぬほどの暗さだった。
「……素晴らしい出来栄えですこと。本番が楽しみだわ」
魔法ランプの小さな灯の中、服飾部から託された進行表を覗き込みながらアンジェは微笑む──自信たっぷりに、何一つ問題などないと見る者が安堵するように。
「セルヴェール様のおかげです!」
「き、緊張してきちゃいましたっ」
たった今リハーサルを終えた服飾部の面々は、ぴんと張った空気を緩めて口々に喋り出した。リハーサルと言えど衣装を着て初めてランウェイを歩いた興奮を語る者。衣装にほつれがないか確かめ合う者。一同に混じったリリアンが寒さ除けのケープをかき寄せながら、アンジェを見てにこりと笑う。アンジェ自身も同じケープを着ていて、同じようにかき寄せたが、とても目を合わせていられそうになくてさっと視線を逸らした。
「さあ、あと少しでお客様がご入場なさるわ。控室に戻って、甘いものでもいただきましょう」
「そうだわ、リリアンさんがショコラボンボンを作ってくださったんですって!」
「きゃあ、素敵、お茶と一緒にいただきましょう!」
少女たちはさざめきながらめいめい魔法ランプを灯し、奥の控室へと移動を始める。リリアンはアンジェの方をちらりと見て、もう一度にこりと微笑み、美しく手入れしたストロベリーブロンドをなびかせて先に歩いて行った。
* * * * *
フェリクスは結局のところシャシンを百枚以上購入したようで、天秤クラスの生徒たちは興奮冷めやらない様子だった。王子の慈善事業の決算書を見せてもらったことがあるアンジェは、彼の個人資産のごく一部でしかないことは理解できても、一枚あたりの価格がそれなりのレストランでの一回分の食事代程度なのだ、脳裏を帯封をした紙幣が羽根をはやして逃げ去っていくイメージがつきまとってしまう。
「では後ほどね、アンジェちゃん。夕食も一緒にいただきましょう」
「ありがとう存じます、イザベラ様。楽しみにしておりますわ」
にこやかに手を振るイザベラに頭を下げ、アンジェ達はクラスルームを退出した。ルナもイザベラに一言断ってから三人に続く。廊下で四人は互いの顔色を窺い、ルナが苦笑いしながらため息をつき、フェリクスに向かって膝をついて頭を垂れた。
「……殿下。この身に余る過大なお心遣い、痛み入るばかりです」
「よしてくれ」
かしづかれたフェリクスは腐ったものでも食べたかのように顔をしかめる。
「君にかしこまられると虫唾が走る。すぐにでも顔を上げろ、ルネティオット」
「御意に」
ルナはため息をつきながら立ち上がり、今度はアンジェとリリアンに頭を下げる。
「悪かった。空気読んでなかったな」
「……読むも何も……」
アンジェが唇を噛んだ様子を見て、ふ、とルナは薄く笑う。
「ま、現実なんてこんなもんだ」
微笑んでいるはずのルナの顔は、悲しみが幾重にも押し潰されているようだった。薄皮のような作り笑いを何枚剥がせば、その下に隠した本当の感情が露わになるのだろう。アンジェがルナに向かって差し出した手は震えを堪えられていない。
「だって……だって……」
「ありがとうな、アンジェ」
ルナはアンジェの手を握り、反対の手で肩をポンポンと叩く。その口調は、叩き方はユウトが祥子を励ますときの仕草そのままで、アンジェはルナの手をきつく握り締めた。ルナは苦笑いしながら自分をじっと見つめているリリアンとフェリクスに視線を移す。
「……私からしたら、殿下がいる場で話題に出したことの方が驚きなんだがな」
「殿下が仲間に入れて欲しいって仰ったんです。ね、殿下」
リリアンの率直な物言いに、フェリクスもにこりと微笑みながら頷いた。
「ああ、僕は愛するアンジェと、アンジェが愛するリリアンくんを守る。そのためには彼女たちの近くにいないことには何もできないからね」
「順調に挟まってるじゃないか、殿下」
ルナはクスクス笑うながら、アンジェの手をそっと離す。
「アンジェ。殿下はいい男だ。あんだけ挟まるのを嫌がってたお前らが、挟まってもいいと思えるくらい信頼しているんだろう」
「はさまっ……事情を共有させていただくのと、挟まるのはまた違うと思いますわ!?」
「なんか言ってるぞ、殿下」
「構わないよ、僕は自分の盤上でコマを進めるだけだ」
「ブレないな、殿下は」
ルナはクックッと笑いながら伊達眼鏡をずらし、眉間のあたりを何度か揉む。
「何だっていいさ、頼れると思うなら頼ればいい。話していいと思えたなら話せばいい」
ルナの手は目を覆い、何かを握り潰すようにして、ゆっくりと下げられる。何のことはない、目が疲れたから目のあたりを拭った、それだけの動作のようにしか見えない。
「それが出来なかった私はこのザマだ。……心底尊敬するよ、殿下」
「……珍しく弱気じゃないか、ルネティオット」
「まあな。そんな日もあるさ」
「そうか……」
アンジェはその動作に見覚えがあった。それはユウトがメロディアを叱った後に見せる仕草で、泣くのを堪えているのよとメロディアがこっそり教えてくれたことがある。叱られてむくれていたはずのメロディアは、ユウトのその仕草を見ると嬉しそうに笑い、機嫌を直して彼にぴたりとくっつくのだった──
「……ルナ……ルナぁ……」
「……また泣くのか、アンジェ」
とうとうアンジェの瞳から涙がこぼれ、アンジェはうさぎハンカチを取り出して目頭を拭う。
「……ルナ、きっと何か誤解なのよ……わたくし、どうしても信じられないわ、こんな悲しいことがあっていいの……? お二人には幸せでいて欲しいの……」
「おうおう、そうだな」
「本当よ、本当なのよ、わたくし、見ていられなくて……ルナ、ごめんなさい、わたくしがあの場でお菓子の包みを出したりしたから……ごめんなさい……」
「お前が謝ることじゃないだろう。私が出過ぎた真似をしただけだ」
「けれど、もっと考えて行動すればよかったわ、何て浅はかなことをしてしまったんでしょう」
「……殿下。子リス。どっちでもいいが面倒だからうるさい口を塞いでくれ」
「えっ」
「ちょっ……もがっ」
アンジェとフェリクスが動揺した矢先、リリアンが至極真剣な表情で背伸びをし、アンジェの口許を手で塞いだ。
「塞ぎました~」
「手っ……!」
ニコニコしているリリアンを見たルナは目を丸くし、それから吹き出して廊下中に響き渡るような声で爆笑する。
「手でっ……塞ぐ……子リス……!」
「えっ、変ですか? だってルネティオット様が塞げって……」
「んんっ! むむうむぅっ!?」
「リリアンくん、君はなんと無垢な魂を持っているのだろう……! 僕は感激したよ……!」
「あっ……なんかやらしーことだったんですね!?」
「やらしくない、やらしくないぞリリアンくん、口を塞ぐという言葉を聞いた時にどんな行動を思い浮かべるのかという、それはいわば哲学の問題であって」
「むーううむう!」
爆笑するルナ、おもちゃを取られた猫のような顔になったリリアン、頬を染めつつも慌てふためいているフェリクス、何か言わなくてはとアンジェが呻いたところに、がらりと天秤クラスの扉が開いた。振り向いた一同を、額に青筋を立てつつ優雅に微笑んでいるイザベラが、眼差しで射殺さんばかりに四人を見回す。
「……フェリクスくん」
「……はい」
「そこは廊下でしょう、騒ぐなら貴賓室にでも行ってちょうだい。うるさくてよ」
「ご、ごめ」
王子が謝罪を言い終わる前に扉はぴしゃりと閉ざされてしまった。一同その音に身震いし、リリアンがそろそろとアンジェの口から手を離し、四人は顔を見合わせる。
「……怒られちまったな」
ルナは軽薄な笑みと共に肩をすくめてみせる。
その横顔、涙の代わりのような泣きぼくろから、アンジェは長い間視線を外すことが出来なかった。