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34-13 色褪せない記憶 友情

 眩暈に引きずり込まれそうなアンジェの手が、誰かに強く握られる。


「……イザベラ様」


 アンジェの横で声がする。小さな手を腰に回し、寄りかからせるようにして自分より背の高いアンジェを支えたリリアンが、紫の瞳で真っ直ぐにイザベラを見つめた。


(……リリィちゃん)


「そのお菓子の包み紙……シエナ様とシャイアさんにいただいたんです」

「まあ、そう」


 イザベラが微笑みながら首を傾げた。フェリクスが気配を察してアンジェとリリアンのすぐ後ろあたりまで近付いてくる。ルナは三人の顔を見て、アンジェの震える手が持つものを見て、凛と立つ王女の横顔を穴が開くほど凝視する。


「おい……子リス、マジで言ってんのか」

「まじです」

「貸してくれ」


 ルナはアンジェが答える前に菓子紙を奪うように取る。何か大切な秘密が書いてあるのを探すように表も裏も必死に見つめ、やがてため息とともに肩を落とし、眼鏡ごと顔を覆う。


「……おい……御前……」


 少女の造形をしたルナの顔は、壮年の男が悔恨するように歪む。


「お前、まさか一人で……」

「それがどうしたって言うの?」


 王女の言葉には若干の棘が含まれている。


「わたくしがどこで何をしようと、わたくしの自由だわ。貴女にも、他の誰にも制限される謂れはなくてよ」

「……そうか」


 ルナは小柄な王女を見下ろし、ぎりと唇を噛んだ。二人を見比べるリリアンがアンジェの手を強く握り返すが、その手も震えている。アンジェは腹に力を込めて自力で立とうと踏ん張ると、フェリクスが二人の肩にそれぞれ手を置いた。


「……制限なんかしない。俺はただ」

「お控えなさい、ルネティオット。わたくしを誰と心得ているの」

「……おい……」

「もう一度だけ言いましょう。わたくしがどこで何をしようと、わたくしの自由です」

「…………ッ…………」


 ルナはもう何も言わずに膝を折り、君主に対する武人の恭順の礼をとった。かしづいて膝の上に置かれた拳が、筋が立つほど強く握りしめられているのが見える。


【記憶の中にずっといた最高の女が、また俺の前に現れてくれたんだと思った】


 ルナの伊達眼鏡と泣きぼくろを凝視するアンジェの脳裏に、いつかのルナの言葉がこだまする。彼女は──いや、彼はまだ妻のことを愛している、けれど相対する妻は、妻であって妻ではないのだ。


(ユウトさん……メロディアさん……)


 同じようなやりとりを、ユウトとメロディアもよくしていた。メロディアの帰宅時間が遅いとユウトは心配して迎えに来る。それを過保護だとメロディアは笑う。仕事で都合がつかず三人で飲む時も、ユウトは必ず迎えに来た。子供じゃないんだから、という口調とは裏腹に、メロディアは嬉しそうにはにかんで、夫の腕を抱き締めるようにして帰っていくのだった。


(こんな……こんな……!)


 二人の不協和音を、アンジェは初めて目の当たりにした。


(ルナ……!)


 イザベラの顔から微笑みが消え、緑の瞳から光が消える。無感動なまなざしで、ルナのポニーテールが床に触れているのを見て、真一文字の口許を扇子で覆い隠した。


「それで……何だったかしら? リリアンさん」

「あ、あの……」


 リリアンは完全に怯えてしまい、隣のアンジェを見上げた。アンジェは気を抜くと嗚咽が漏れてしまいそうだが、リリアンの手を握り返して必死に立ち続ける。フェリクスの手が自分を支えている……。彼の骨ばった手がアンジェとリリアンの肩を軽く掴むようにすると、王子はこほんと一つ咳払いをした。


「……その前に、いいかな、イザベラ」

「……何かしら、フェリクスくん」


 イザベラが眉をひそめる。フェリクスはアンジェの隣に回り込み、泰然とした様子でイザベラとルナを見比べると、悲しそうにため息をつく。


「僕は、君とルネティオットの間には何か特別な友情があるのだと思っていたよ、イザベラ」

「……ええ、そうね、そうとも言えるかもしれないわ」

「いつも一緒にいるし、何かとエスコートも頼むし……祝賀会の時もそうだったね。僕にはルネティオットが君の頼みごとを楽しんで引き受けているように見えたよ」


 ルナは未だに膝をついて頭を垂れたままだ。フェリクスの穏やかなまなざしが、ルナの背中を、うつむいて露わになったうなじをじっと見つめる。


「だが……イザベラ。どんな事情があるにせよ、跪かせるような関係を友情ということは出来ないよ」

「…………」

「ルネティオットは君を心配してくれたのじゃないのか? どうしてそれを無下にするんだ」


 イザベラは何も言わずに、垂れ目がちな緑の瞳をゆっくりと瞬かせる。


「ルネティオットは僕の剣術の姉弟子で、アンジェとリリアンくんの良き理解者だ。僕と君の大切な友人を、その友情にふさわしく丁重に扱ってくれるね、イザベラ」

「…………」

「殿下、もういい」


 イザベラの扇子を持つ手に力が籠められ、うつむいたままのルナが唸る。


「いいんだ、殿下。私が姫御前のご不興を買った。ただそれだけだ」

「ルネティオット、だが僕は」

「……お立ちなさい、ルネティオット・シズカ・シュタインハルト」


 イザベラの言葉に、ルナの肩がびくりと震えた。アンジェは咄嗟にリリアンの手を握り締める。のろのろと立ち上がったルナの瞳をじっと見てしまう、そこに涙を探してしまう。ルナはいつも通りの涼やかな目許で、だが険しい顔でじっとイザベラを見た。イザベラは小さくため息をつくと、扇子を畳み、そのまま視線もルナから外す。


「……言葉が過ぎましてよ。ごめんあそばせ」

「私などにそのような、姫御前」


 ルナが立ったまま胸に手を当てて頭を下げ、イザベラは冷ややかな表情でそれを受けた。フェリクスは何事もなかったかのように穏やかに微笑む。


「ありがとう、イザベラ。さあ、アンジェ、リリアンくん、イザベラに話があるのだったね」


 三人のやり取りを茫然と見るしか出来なかったアンジェとリリアンは、名前を呼ばれて顔を見合わせる。リリアンはまだ怯えと戸惑いがありありと見て取れる。それでもこの子は、衝撃に倒れかけたアンジェを支えてくれたのだ。それだけでどれだけ心強かったことか。


「……イザベラ様。わたくしが申し上げてもよろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ、アンジェちゃん。初めは貴女が話していたものね」


 ようやく微笑んだイザベラの眼差しが、今日は喉元をぐさりと刺してくるように思える。


「この包み紙は……フェリクス様の専属弁護士でいらっしゃる、ローゼンタール先生の講演会でのお土産でいただいたものだそうです。そのことについて、イザベラ様にお話をお伺いしたいのです」

「そう……」

「……イザベラ様は、件の話について確信が持てないと仰っていたように思います。それは今もお変わりないのですか? それとも、イザベラ様は……」


 クーデターに与する側でいらしたの。


 その言葉を口にしようとするだけで、こんなにも汗が、悪寒が止まらなくなるものなのか。言わなければ、今すぐに。王女を問い質して、きっぱりと否定してもらわなければ。けれどどうしても言えない。リリィちゃん、貴女の言う通り、わたくしはフェリクス様が失望なさるのが、お嘆きになるのが怖い……。


「アンジェ様……」


 リリアンがアンジェの顔を覗き込む。アンジェは生唾を飲み込むが舌は思う通りに動きそうもない。心配そうなフェリクス、睨むようにアンジェを見ているルナ。扇子で隠さないイザベラが、淡々とアンジェの様子を観察している。やがて王女は細く息を吐き、手のひらに軽く扇子を打ち付けた。


「何でもお話するわ、アンジェちゃん。けれどここはクラスルームで出展中なのだもの、場所と時間を変えましょう」

「……はい」

「叶うなら貴女お一人がよいのだけれど、お連れ様はそれを許して下さるかしら?」

「それは……」


 アンジェがリリアンとフェリクスを振り仰ぐと、リリアンは真剣な表情で、フェリクスは微笑みながら頷き返した。


「そう、良かったわ。では今日は終業後に王宮(うち)にいらしてちょうだい、アンジェちゃん」

「承知いたしました……」


 アンジェは頷き、ルナの様子を盗み見る。天才少女剣士はどこか呆けた表情で、じっと王女を見つめているばかりだった。




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