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34-12 色褪せない記憶 実現を目指す未来

「さあ、奥に進もう、アンジェ、リリアンくん、僕の素晴らしい乙女たち」


 フェリクスは蕩けそうなほどにニコニコしながら、アンジェとリリアンを優しく押して奥へと進んだ。通路の終わりはまたしても天鵞絨(ビロード)で仕切られており、フェリクスがいそいそと生地を持ち上げる。クラスルームの天井から壁一面、そして床に至るまで灰色の光沢の全くない布が吊り下げられていて、その前で来訪客が生徒たちと何かを相談していた。部屋の奥側にも身の丈ほどもある機械の箱がいくつも並べられ、そこでも生徒たちが何やら準備をしているようだ。


「これは……?」


 リリアンがぽかんと口を開けて辺りを見渡す。灰色の布の対面側には何やら仰々しい魔法の道具が並べられ、魔法担当と思しき生徒たちが魔法の準備をしているようだ。


「ようやく来たか、ご一行」


 灰色の布地の向こうからルナがニヤニヤしながら出てきた。制服でもお菓子クラブのエプロンでもなく、誰かから借りたのか男子の制服を着ている。更にその後ろから、ルナにエスコートされた制服姿のイザベラが姿を現す。きっちりと結い上げられたプラチナブロンド、指先一本に至るまで神経を使ってしゃなりと歩いてくる様子。いつもと変わりないように見えるイザベラが、ルナと共に三人の元に歩み寄る。


「待っていてよ、フェリクスくん」


 にこりと微笑む緑の瞳はいつもと変わらないが、美しい顔は少しやつれているように見える。口許はいつものように扇子で隠していて、正面に立つアンジェからは様子を窺うことが出来ない。


「やあイザベラ、遅れてしまって悪かったね」

「よろしくてよ、アンジェちゃんの体調不良を押してまで来ていたらわたくしが張り倒していたわ」

「はは、当然だ」


 何事もないかのように王子と王女は軽口を叩き合う。リリアンがアンジェの傍に寄ってきて、不安そうな顔でアンジェのひじのあたりに触れる。アンジェはその手を握って微笑むが、自分もリリアンと同じ顔をしているような気がした。ポケットにはシエナとシャイアから預かったお菓子の包み紙が入っている。


「ご機嫌よう、アンジェちゃん、リリアンさん。具合はもうよろしいの? リリアンさんも大儀だったわね」

「……ご機嫌よう、イザベラ様。昨日は大変失礼いたしました」

「ご機嫌よう、イザベラ様」


 礼儀通り順番に声を掛けられ、アンジェとリリアンはそれぞれ頭を下げる。イザベラは満足げに目を細めると、自分の横に控えるルナの脇腹を扇子で軽くたたいた。ルナがニヤニヤしながらアンジェの方に一歩近づく。


「さて……今月号はもう見てくれたか、アンジェ」

「……っ」


 凛子、メロディア、ユウトと飲みに行くとき、ユウトはそう言いながら自分が掲載された雑誌を見せびらかした。祥子たちはその度にきゃーきゃーと大騒ぎし、ふんぞり返って俺様自慢をするユウトをメロディアがばしりと叩き、酒が進んで夜が更けていった。


「……シャシンになると、急にイケメン度が上がるんだから……」

「当たり前だ、ルナ様だぞ」


 祥子が良く言っていた台詞を真似ると、ルナはクックッと笑いながら前髪をかき上げる。


「殿下と赤ちゃん(ベベ)は大体知ってるんだったな。子リス、お前はここで何してるか分かるか?」

「ぴゃっ? 何って……シャシン? 絵がすぐ出来るって、殿下が仰ってましたけど……」

「まあ、見てろ」


 リリアンはギョッとし、アンジェの腕にしがみつき、そのままクラスルームの半分ほどの空間を見回す。グレーの布の前に椅子が置かれ、生徒と何やら相談していた来訪客のうち女性がはにかみながらそこに腰掛ける。男性がやや腰を曲げ、女性の肩に手を乗せ、顔を寄せて微笑んだ。生徒は対面の三脚の方に行き、何やら細々と箱をいじり──


「行きますよー!」


 得意げな掛け声と共に、室内がパッと赤一色に変わった。


「ぴゃっ!?」


 リリアンが驚く間に赤い光は消え、すぐさま青、黄色と明滅する。


「終わりでーす!」


 布の前の男女二人が、ほっと緊張を和らげて姿勢を崩した。機械の箱のあたりにいた生徒たちがやにわに忙しそうにあちらこちらをいじる。何かが噴出される音、機械のからくりが動く音が続き、最後に灰色の布地の表面が、ぱっと明るく光った。そこには先ほどの男女と寸分違わぬ映像が映し出される。二人は映し出された映像にしきりに感心し、それから生徒に何やら申し込んだ。生徒はほくほくとした顔で二人から紙幣を受け取る。後ろの機械と生徒たちがやにわに忙しそうに動き回り、ほどなくして一枚の厚紙が恭しく二人の前に差し出された。


「すごいわ、アナタ、鏡みたい!」

「本当だな!」


 男女が手にしているのは、まさしく先ほどまで三人が見ていた肖像画に他ならなかった。画家が書いた精緻な肖像画に比べればどうしても粗く見えてしまうが、それでも本人によく似ている姿絵は、まさしく現実をそのまま写し取ったと表現してよいだろう。リリアンが好奇心を押さえ切れずにその様子を覗き込んでいると、男女はフェリクスとイザベラに挨拶をしてから厚紙を見せてくれた。


「すごい……肖像画だぁ……」

「うふふ、気に入っていただけたかしら、リリアンさん」


 イザベラが微笑みながらリリアンと共に厚紙を覗き込む。


「はい、すごいです、たった今の目の前のことが、こんなに綺麗な絵になるなんて……」

「イザベラ様、想像以上の仕上がりで……まさかシャシンが実現するなんて夢にも思いませんでしたわ」

「ええ、わたくしも不可能かと思っていましてよ」


 アンジェは極めて自然になるよう努めてイザベラに話しかけると、イザベラはいつものようにふわりと相好を崩した。


「光を感熱紙のようなものに当てて薬品に漬けて現像する、なんて……知っていても、紙や薬の配合なんてお手上げでしたのよ。けれど魔法があるのだから、わざわざギンシオのやり方でなくても、インクジェットプリンタのように印刷してしまえばいいと思ったの。ルナがアールビージー三原色なんて言っていたおかげだわ」

「まあ、ルナも時には役に立つことを言いますのね」

「おいこらクソアンジェ、もう一回言ってみろ」

「ルナも、時には、役に立ちますこと」

「この野郎」

「ふふふ、およしなさい二人とも」


 互いに小突いてじゃれ合うアンジェとルナ、それを見てクスクスと笑うイザベラは、少しやつれているが、何もおかしなところはない。礼儀正しく典雅にふるまい、アンジェに優しくルナには少し我が儘な、いつものイザベラだ。リリアンもフェリクスも三人のことを──イザベラをじっと見ている。リリアンはもちろん、プラネタリウムカフェでイザベラの名前を聞いてしまったフェリクスも、イザベラの様子を窺っているのだろう。


(……ルナも、イザベラ様も、まだお菓子の紙のことを知らない……)

(フェリクス様がそれを知ってしまったことも……)


 一同に肖像画を見せてくれた男女は、生徒にお礼を言い、王族二人に恭しく礼をしてから退室した。イザベラ、ルナ、天秤(ヴァーゲ)クラスの生徒の他はアンジェ達三人だけとなる。


「よし。お待ちかねだな、殿下」

「ああ、待ちかねたが、どうして君がここにいるんだい、ルネティオット」


 無邪気に聞き返したフェリクスに、ルナはおもちゃを見つけた犬の顔でニヤリと笑う。


「殿下はどう考えても上客だろう。上客には上客のためのサービスをしたいからと、姫御前からご要望を賜ったのさ」

「ええ、是非ともたくさん買っていただきたいし、フェリクスくん自身も撮らせていただきたいわ。そうねえ、まずは、一番素直そうなアンジェちゃんから行きましょうか」

「おう、気張れよ赤ちゃん(べべ)

「が、頑張りますわ」


 ……かくして世界レベルのモデルの前世を持つルナの指導のもとアンジェは灰色の布地の前でポージングさせられ、「いいぞアンジェ、可愛いぞ」「そこで小生意気に首を傾げてみろ」「殿下を射殺せ!」「子リスを悩殺しろ!」と訳の分からない掛け声に乗せられていくうちに、大量のアンジェの肖像画──殺人級の曲線美と類まれなる美貌が強調された、グラビアアイドルのような肖像シャシンが完成した。首を傾げていたフェリクス、訝しげだったリリアンは、シャシンが投影されるたびに目を輝かせ、フェリクスが即断で購入を決意し、リリアンが羨ましそうにそれを眺め、フェリクスがニコニコしながらリリアンにも一枚買ってやる。学生の感覚では決して安くはない現像代がかさんでいく様子に、イザベラは極めて満足そうに微笑みながら扇子を広げ、ルナもニヤニヤしながら謎の掛け声を続けた。


「よし、じゃあ子リス、ちょっとアンジェの横に立ってみろ」

「ぴぇっ!?」


 リリアンは素っ頓狂な声を出したが、意外にも嬉しそうにいそいそとアンジェの横に立った。


「いいぞ、まずは普通に手をつないでニコニコしてみろ……笑顔が固い。じゃあせめて距離を近付けろ」

「違う、ルネティオット」


 フェリクスがまるで高級なワインを嗅ぎ分けたソムリエのような顔で首を振る。


「咲き初めし百合の美しい風情をよく表しているじゃないか。まずはこの雰囲気で一枚頼む」

「……ぶふっ!?」


 ルナは耐えきれずに吹き出したが、イザベラがカメラ係の生徒に指示を出し、フェリクスの希望のシーンが撮影された。


「ああ、そうだアンジェ……リリアンくんの肩に手を乗せて。いつものように優しく微笑むんだ……そう! リリアンくん、その戸惑いの顔のままで!」

「手をこのように絡めて……髪に顔を埋めるようにしてくれるだろうか?」

「ああ、そう! 額と額が触れるか触れないか、睫毛が触れるか触れないか……! そう、そうだ! 素晴らしい!」


 爆笑するルナが指導する間もなくフェリクスが次々と指示を飛ばし、アンジェとリリアン二人のシャシンが大量生産され全て購入された。リリアン単独のシャシンではアンジェが「リリィちゃんもう少し上目遣いに!」「なんて可愛いの!」「妖精のよう、妖精のようだわ!」と大騒ぎし、その様子を眺めたフェリクスがこの世の全ての幸福を煮詰めて飲み込んだかのような顔をして全買いしていた。ルナが作ったらしい乙女ゲーム『セレネ・フェアウェル』のタイトルボードをフェリクスとリリアンに持たせて撮った際、二人は首を傾げていたが、ゲームスチルの再現度の高さにルナだけではなくアンジェとイザベラも噴出した。フェリクスのシャシンはルナの入念な指導のもと、どう見てもブロマイドとしか思えないものが数点、男装ルナと共に模造刀を構えたツーショットも撮影された。フェリクスは出来栄えにはにかみつつも自分で購入し、アンジェとリリアンにプレゼントした。生徒たちは金貨の山を目の前にした大富豪のような顔をしながらシャッターを切り、シャシンを現像し続けた。


「さて……いいかな、アンジェ、リリアンくん。こちらにおいで」


 フェリクスは当然とばかりにアンジェとの二人のシャシンも所望し、それはそれは仲睦まじい夫婦のごときポーズで何枚も撮った。更にリリアンを呼び、二人の肩を抱くような形でも撮影する。ルナは床を転げまわって身悶え、イザベラも扇子で誤魔化し切れないほどニヤニヤしている。出来上がった三人の写真はさながら家族の肖像画のようで、出来上がった厚紙を受け取ったフェリクスは感動にむせび泣いた。


「僕が……二人の間に挟まっている……! 素晴らしい……!」

「ねえ、殿下、いつもじゃないですからね? 今日は特別なんですからね?」

「ああ、勿論だともリリアンくん、けれどこれは僕の宝物にさせてもらうよ、それは構わないね?」

「ええー……まあ……アンジェ様のやつたくさん買ってくださったし……」

「それを気に病むことはない、僕が君にも買いたかったから買ったんだ」

「うーん……はい……」


 リリアンが嫌そうな顔でフェリクスの手元を覗いている横で、アンジェはリリアンとフェリクスが『セレネ・フェアウェル』のタイトルボードを持っているシャシンを眺めた。背景の違いなどはあるが、懐かしい文字とキャラクターに胸が締め付けられる。


(ゲームで何度見たことでしょう……)

(わたくしは悪役令嬢だから、タイトルが出るようなスチルには殆どいなかったのだわ……)

(クーデターでは……その旗印となって……)


 アンジェは小さなため息とともに制服のポケットにそっと触れる。そこに隠されたお菓子の包みをそっと取り出す。ルナに事前に話しておいた方が良かっただろうか? いや、彼女もアンジェ以上に何か知っている様子はなかった。大丈夫、まだお菓子の包み紙が似ていたというだけだ。それだけで、彼女が何をしているのかを決定づける証拠にはならない。恋人は、アンジェがフェリクスを心配していると言ったけれど、やはり彼女自身のことも気がかりだ。


「イザベラ様、よろしいでしょうか」

「何かしら、アンジェちゃん」

 

 いつもの通り、王女は振り向いて微笑む。アンジェは唇を噛み、息を吸い、じっとイザベラを見つめた。


(お願い、どうか──)


「こちらの紙……ご存知でしょうか、イザベラ様」


(否定なさって……!)


「こちら……?」


 イザベラは目の前に差し出されたクリーム色の紙に視線を落とす。


「わたくしのお菓子の包み紙じゃない。それがどうかして?」


 王女は扇子をぱたんと畳むと、何でもないことのようににこりと微笑んで見せた。





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