表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

195/203

34-10 色褪せない記憶 尋ねることが出来ない弱虫

 沈黙が破られるまで永遠のように感じられたが、実際は何秒ほどだったのだろうか。


「……シエナさん、シャイアさん、お持ちいただいてありがとう存じます」


 アンジェは震えを誤魔化すようにリリアンの手を握りながら、それでもにこりと微笑んで見せた。二人の様子に戸惑っていた青チーム二人がぎくりと身体を強張らせるのが見て取れる。


(しっかりするのよ、アンジェリーク……)


「中に入っていたという砂糖菓子は、お二人とも召し上がっていらしたの?」

「え、ええ、大体はその日のうちにいただいてしまいますわ」

「講演会の復習をしながら食べましょう、って渡されるんです」


 アンジェの問いかけにおそるおそる、見えない袋の中身を確かめるようにシエナとシャイアが答える。リリアンがのろのろと顔を上げたが、まだ顔色は悪い。フェリクスは思索に耽るような顔をしているが、さりげなくアンジェをじっと見ている。


「そう。お味はいかがでしたの? 召し上がった後に、何か変わった様子になりまして?」


(包み紙が……同じだったというだけ……)

(まだ……何も、分からないのよ……)


「変わった様子……味は、普通の砂糖菓子です、とびきり美味しい……ですよね、シエナ様」

「ええ、わたくしも特に変わったところはなかったように記憶しておりますわ」

「そう……」


 アンジェは細く息を吐きだすと、失礼と断ってお茶をゆっくりと飲んだ。少し冷めたがまだ温かい液体が、茶葉の香りと共に身体の中央を滑り降りていく。その感覚をたどると、どこかぼやけてばらばらになりそうだった身体がひとつに戻っていくようだ。


「……リリィちゃん、よく覚えていたわね。わたくしすっかり失念していたわ」

「アンジェ様……」


 泣きそうなリリアンの背中をさすり、アンジェはにこりと微笑んで見せる。


「大丈夫、まだ何も分からないわ。包み紙が同じだったというだけ……」

「……そっか……」


(そうよ……リリィちゃん……)


「イザベラ様のご意志がどこにあるのか、これだけでは分からないわ。真実を確かめるまでは、あまり騒ぎ立てないようにしましょう。……シエナさんも、シャイアさんも」

「そっか……そうですよね……私てっきり……」


(だから、まだ、大丈夫……)


 アンジェの自分に言い聞かせるような言葉に、リリアンは両手で口許を隠して考え込む。シエナとシャイアは半分は真剣、残り半分は疑惑といった様子ながらも頷いている。彼女たちは昨夜の講演会でローゼンタールが怪しいことは理解していても、イザベラとクラウスの関係までは知る由もないのだ。


「……アンジェ。僕の聡明なアンジェリーク」


 フェリクスに声をかけられて、アンジェは身震いを堪え切れなかった。何も詮索しないと言った王子でも、従妹の王女の名前が出たとあれば気にならない筈もない。アンジェはリリアンをちらりとみる。リリアンは口許を隠したまま眉根に皴を寄せ、泣いているかのような瞳をしている。


(……大丈夫よ……)

(フェリクス様は、大丈夫と仰って下さった……)

 

「……はい」


 意を決してアンジェは顔を上げ、フェリクスを見る。フェリクスはアンジェの顔が強張っていたことにやや驚いたようだが、すぐに苦笑いを浮かべながらアンジェに手を差し伸べ、震えている手を包み込んだ。


「大丈夫だよ、アンジェ。君が何も話したくないなら話さなくていいと言っただろう?」

「……フェリクス様……」

「ただ……もしかしたら君達は、秘密を守りたくとも僕に尋ねられたから仕方なく答えざるを得なかった、という理由が必要な時もあるかと思ったんだよ」

「……それは……」


 アンジェは息を呑んでリリアンを見る。リリアンも茫然と、手を下ろしながらアンジェを見返す。フェリクスに話したほうがいいのか。話すとしたら何を話すのか? 彼の専属弁護士が、異母兄を旗印にしてクーデターを目論んでいること。異母兄はそれを忌避しているが、彼が思うより事は進行してしまっているかもしれないこと。また魔物が現れたこと。イザベラ専用のお菓子の包み紙と思われるものが、クーデターの隠れ蓑である講演会で配られていたこと。……彼が敬愛してやまない異母兄は、彼の従妹と恋仲と呼べるような間柄だったこと。リリアンの他にアンジェと同じだけ事情を知っているのは、ルナとグレースだけだ。クラウスはどこまで講演会のことを把握しているのだろう、フェリクスには何を話したのだろう? 彼は全て知っていて、敢えてアンジェから話すように仕向けているのだろうか?


「フェリクス様……」


 アンジェがフェリクスの方に向き直ると、王子はにこりと微笑んだ。アンジェがリリアンを見ている間も、きっとずっと婚約者二人のことを見つめていたのだろう。名前を呼び、その先の言葉が紡げないアンジェを見て、フェリクスはアンジェの手のひらを包む手に力を込める。


「……では、一つだけ教えておくれ、僕の愛しいアンジェリーク」

「……はい」

「君達がその秘密を僕に話したとして……そのことで、一番怒ったり、悲しんだりする人は誰だい?」

「……一番……」


 予想外の質問にアンジェは目を見開いた。リリアンも首を傾げながらアンジェとフェリクスを見比べている。立ちっぱなしのシエナとシャイアに配膳係が椅子を勧めたが、二人は丁寧に断っていた。


 イザベラが傷ついたことを気に病んでいたクラウス。彼がクーデター側に行ってしまうと泣いていたイザベラ。イザベラを慮るルナ、二人の父親であるヴィクトル国王、王妃ソフィア、大公夫人オリヴィア、自分の家族、エリオット、ガイウス、級友たち。たくさんの顔が思い浮かぶ。フェリクスがアンジェの隠し事を知ってしまったと知ったら。やはりイザベラだろうか。いや、今の状況なら、彼女の失恋まで話すことはないかもしれない。クラウスならフェリクスに余計な心配をかけるなと叱責するかもしれない。ルナも同じように怒るだろうか。ローゼンタールやエイズワースのことなどどうでも良い……。


「……殿下です」


 不意にリリアンが顔を上げ、フェリクスを真っ直ぐ見て声を上げた。


「アンジェ様が気にかけているのは、殿下です」

「……僕かい? リリアンくん」

「リリィちゃん、わたくし」


 肯定も否定もしないフェリクス、何か言おうとしたアンジェを遮り、リリアンは続ける。


「殿下もご存知だと思うんですけど、アンジェ様、とってもお人よしなんです。いろんな人の心配をしています。あの人が泣いてるとか、こっちの人が困ってるとか……たくさん、たくさん、ご自分では心配しきれないくらいたくさん……私のことも、心配してくださってるとは思いますけど……」


 星の光を映した紫の瞳が、ちらりとアンジェを見上げる。


「でも、今は……殿下のことを、とても、とても、心配しています」

「リリィちゃん……」


 アンジェがフェリクスを案じている。それはひとたび言葉になると、驚くほどぴったりと心の中に収まるようだった。クラウスがクーデターを起こしたらフェリクスが悲しむ。イザベラとクラウスが恋仲で、しかも破局したと知ったらフェリクスは驚嘆する。専属の弁護士がクーデターの首謀者だと知ったらフェリクスは落胆する……。当のフェリクスは緑の瞳を潤ませ、掴んでいたアンジェの手を自分の胸元へと引き寄せた。


「アンジェ……そうだったのか……君という人は……」

「フェリクス様、リリィちゃん、わたくし、あの」


 慌てふためくアンジェを見て、リリアンはフンと鼻を鳴らす。


「私は、殿下に話したって全然いいと思うんですけどね。アンジェ様がどーうーしーてーも嫌って仰るならやめておきます。この後イザベラ様のクラスに行きますし」


 シエナとシャイアはあらあらまあまあと言いながら互いに手を取り合ってニコニコしている。


「リリアンくん、もしかして君は午前中はそれで怒っていたのかい」

「ちーがーいーまーすー」

「リリィちゃん、言葉遣い!」

「うるさいアンジェ様のバカ!」

「こら、リリィちゃん! 図星なのね!?」

「違うって言ってるじゃないですか!!!」


 リリアンが声を荒げると、プラネタリウムカフェを利用中の客がちらりちらりと視線をこちらに送ってきた。ちょうどシエナとシャイアが席の前に立っているので向こうから全容は見えないはずだが、何かと話題になる王子と婚約者二人の席から何か揉めているような声がしてくるのであれば相当気にかかるだろう。リリアンは視線に気が付いて唸りながら俯いた。アンジェはフェリクスの手を振りほどくと、リリアンに手を伸ばす。少女の小さな手は一度アンジェを拒んだが、アンジェは強引に捕まえて自分の胸元に引き寄せる。いつも通りの、しっとりと少し冷たい、きめの細やかな手だ。


「リリィちゃん……」

「…………」

「確かにわたくしは、フェリクス様のお心が穏やかでいらっしゃるように気にかけていたようでしたわ……けれどそれは、リリィちゃんへの想いとは何一つ関係ないの。どうか分かってちょうだい」

「だから、違うって言ってるじゃないですか……」


 リリアンはむくれて目を逸らす。


「もう……本題から逸れちゃってますよ。包み紙のこと、殿下にお話しするかどうかですよね?」

「え、ええ、そうね」

「どうするんですか、アンジェ様」


 改めて問われて、アンジェは口をつぐんだ。リリアンの手が自分からするりと離れる。自分がフェリクスに一連のことを話しにくいのは彼を悲しませたくないから──自分の心境に気付くことが出来ず、リリアンに言い当てられたことが指先を疼かせる。リリアンはまた怒っているのだろうか? 怒っていないというが、それは強がりなのだろうか? そうではない、今この場で、アンジェの心配事の駒を進めなくては。


「……リリィちゃん。貴女は、フェリクス様にお話しても良いと思うのね?」

「はい。殿下は弱虫じゃないと思います」

「ありがとう、リリアンくん。君とアンジェの信頼に応えてみせよう」


 成り行きを見守っていたフェリクスがニコニコと頷く。アンジェはもう一度リリアンを見て、その紫の瞳に不安げな自分が映っているのを見て、唇を引き結んだ。


「……分かったわ。フェリクス様にお話ししましょう」

「アンジェ……」

「けれど……」


 シエナとシャイアが固唾を呑んで見守っているのを、アンジェはちらりと見る。フェリクスに全てを話す覚悟はできても、シエナとシャイアにクラウスとイザベラの関係まで聞かれるのはさすがに許されないのではないか。


「この後、イザベラ様のクラスに伺うお約束でしょう? 長くなってしまうし、シエナさんとシャイアさんには申し訳ないけれど、その後に……というのはどうかしら?」

「……いいと思います」

「ありがとう……いかがでしょうか、フェリクス様」

「勿論、反対する理由はないよ」

「ありがとう存じます」

 

 リリアンとフェリクスが頷いたので、アンジェは安堵にいつの間にか握り締めていた拳の力を緩めた。


「シエナさん、シャイアさん、包み紙を持ってきてくださってありがとう存じます」

「お役に立てたようなら何よりですわ」

「本当……助けていただいて、何とお礼を言ったらいいか……」

「ご一緒にお話を一緒に聞いていただけたらよかったのですけれど……ごめんなさい、かなり込み入っていますの、お二人とも当事者ですのに……」


 アンジェが真摯に二人を見上げ、それから頭を下げて見せたのを見て、青チームの二人は慌てふためいた。


「まあ、大丈夫ですわ、アンジェリークさん。お気になさらないで」

「そうです、全然大丈夫ですから!」

「ありがとう……落ち着いたら改めてゆっくりお話ししましょうね。最近お菓子クラブばかりでしたから、サロンにしても良いわね」

「ええ、是非!」

「準備、お手伝いさせていただきます!」


 シエナはアンジェに手を差し出して強く握り、涙さえ浮かべながら何度も頷いて見せた。シャイアは仏頂面のリリアンを見て、視線が合うとにこりと笑って見せる。


「また一年会でね!」

「……うん。ありがとう」


 リリアンは何度か瞬きすると、少し照れ臭そうに笑い返して見せた。二人はそのまま配膳係に案内されて別のテーブルに着席し、メニューを選び始める。一連の様子を見守っていたフェリクスは口許を押さえてプルプルと震えていたが、さて、と至極満足そうに朗らかな声を出した。


「午後の予定と、君達の方針が決まったようだね。昼食を終えたら早速出発しようか」

「ええ、フェリクス様」

「はい、殿下」


 アンジェとリリアンは二人して頷き、アンジェはの食器に手を伸ばす。フェリクスもニコニコと笑いながら食事を再開する。リリアンの紫の瞳がアンジェをしばらく見つめていたが、アンジェとフェリクスが気付くよりも前に、何事もないようにリリアンも食器に手を伸ばした。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ