34-9 色褪せない記憶 子リスちゃんに渡された包み紙
食事をしているうちに、生徒による星空と星座の解説が始まった。フェアウェル王国の星座を祥子の記憶と照らし合わせると、占いに用いる十二星座はそのままで、他の星々や星座は配置が名前が違うようだ。祥子は占いは好きだが他の星座は詳しくなかったため、重複するものもあるのかもしれないがそれを確かめるすべはない。生徒の説明に応じて魔法の夜空は特定の星が瞬きを増したり、一部が拡大されたり、想像図が浮かび上がったりと、見る者を飽きさせない工夫が随所に凝らされている。
「太陽の化身、王国の守護神であらせられるヘレニア神は、十二の宮殿を通過して、一年ごとに破壊と想像を繰り返しています。冬至祭から春分祭までの間は、一年間の総まとめと次年度への準備期間であると言われています」
リリアンは食べるのも忘れて生徒の解説に真摯に耳を傾けているようだった。アンジェは星空の様子が鮮やかに変わる仕組みの方が気になったが、恋人が後で話題に出した時に困らないようにと、カナッペをつまみながら耳を傾ける。
「ヘレニア神にあやかり、春分の日以降に新しいことを始めると幸先が良いと古くから言われています。フェアウェルローズ・アカデミーでも、最高学年の山羊、水瓶、魚クラスで、アカデミー生活を振り返り、卒業後に各人が進むべき道筋を探っています」
フェリクスはサンドイッチを食べながら、クラスメイトが解説したり魔法で星空を動かす様を見てニコニコと頷いている。星座の成り立ちやそれにまつわる神話の解説は、フェアウェル王国史を子供でも俯瞰できるような構成になっているようだ。可愛らしいテーブルコーディネート、他部門から協賛を得た運営方法、学生にしてはかなり高度な魔法の操作。フェリクスがクラスに所属するということは、ローゼン・フェスト期間中に必ず国王夫妻の天覧があるということだ。それを前提にクラス一丸となってしっかりと準備し、見て楽しくそして学びもある展示を作り上げたのだろう。フェリクスも何かの係を担当し、学友と気さくに話しながら製作を進めたのかもしれない。
(王族のご学友の多くは、卒業後に要職に取り立てられることが多いと聞くわ……)
(宰相殿も、アカデミーでは陛下のスカラバディだったと聞いたことがある……)
アンジェは紅茶のカップを手に取り、隣のフェリクスをちらりと見上げた。フェリクスは辺りに気を配りつつアンジェの目線にも気が付き、嬉しそうに微笑み返してくる。アンジェが何を言っても──それこそ婚約破棄し、セレネス・パラディオンになってリリアンと恋人になりたいと言っても、さして動じずにアンジェは自分の婚約者だと宣言し続けている王子。フェリクスと限りなく対等に近しい立場で交流できるクラスメイト達も、アンジェと同じように彼と親しいと言える間柄になり、卒業後もその縁を大切にしていきたいと思っているのだろうか。
「ご静聴いただきありがとうございました。引き続きお食事と夜空をお楽しみください」
解説係の生徒が司会台の横でぺこりと頭を下げ、アンジェはすぐさま拍手をする。リリアンがぴゃっと飛び上がってそれに続き、フェリクスも満足そうに頷きながら手を叩いた。柔らかな称賛の音がクラスルームに満ちるとともに、雑談の喧騒もまた戻ってくる。
「リリィちゃん、熱心に聞いていらしたわね」
アンジェがリリアンに話しかけると、リリアンはまだどこか茫然としながら頷いた。
「こんな風に、絵と一緒に星空を見たことってなかったので……知ってるお話も、全然知らない初めての物語みたいでした。すごいです」
「ええ、わたくしも感動いたしましたわ。解説の方のお話もとても分かりやすくて」
「気に入ってもらえたようで何よりだよ、アンジェ、リリアンくん」
「フェリクス様は何を担当なさいましたの?」
「僕は歴史や神話を調べるのと、全体の構成の監督かな」
「まあ、さすがですこと」
「最高学年ってすごいんですね……私達、ローディーなんて作ってて、子供っぽいですね」
「そんなことはない、あれは最高に面白いゲームだったよ、リリアンくん。また遊びに行きたいくらいだ」
「ええ、とても楽しかったわ。それぞれ違った魅力があるのだもの、ご自分を卑下なさらないで?」
「えへへ……そうでしょうか」
「あの、殿下」
リリアンが二人に褒められて照れ笑いをしたところで、配膳係の生徒が遠慮がちに声をかけてきた。
「何だいルーカス、混雑してきたならそろそろお暇しようか」
「それは大丈夫、ゆっくりなさってくれ……入口に、そこの……スウィートさんに用事だって人が来てるんだけど」
「リリアンくんに?」
「ああ。お菓子クラブの青チームって言えば分かるって」
「……シエナさんとシャイアさんだわ」
アンジェの一年の時のクラスメイト、水色の髪を一本みつあみにしたシエナと、彼女のスカラバディで紺色のおかっぱ頭のシャイア。昨夜のローゼンタールの講演会でアンジェ達と共に脱出し、頭の中の魔法をリリアンに解除された二人。アンジェは昨夜の記憶に身体が強張り、二人の名前を言うのが精一杯だった。
「何のご用事だったかしら……」
「……あっ、お菓子の包み紙を持ってきてくれたんですよ、きっと」
アンジェは首を傾げたがリリアンが手のひらを胸の前でぱちんと叩き、叩いてしまってから慌ててフェリクスの方を見た。フェリクスは二人の様子を目を細めて眺めていたが、リリアンと目を合わせると、ゆっくりと頷いて見せる。
「彼女に用事があるので間違いないようだ。通してくれるかい」
「了解、すぐ案内する」
「ありがとう、手間をかけるね」
配膳係の彼は人の良さそうな笑みを浮かべると、入口の方に歩いて行った。ほどなくして彼に連れられてシエナとシャイアが馬蹄形ソファの席までやってくる。二人は天井の星空を見上げて目を輝かせていたが、三人の姿を見ると面差しを引き締めた。
「やあ、ウィンスロー嬢、モーニングスター嬢。ローゼン・フェストを楽しんでいるかな」
「殿下、お寛ぎ中のところお邪魔してしまい申し訳ありません。ご許可いただきありがとうございます」
「用事が済んだらすぐに退室いたしますので……」
深々と正式な礼をして見せた二人に、フェリクスは微笑ながらよしてくれ、と首を振る。
「同じクラブの仲間だろう、過度に畏まらなくとも良いよ。せっかく僕のクラスに来てくれたのだから、生憎この席はこれ以上座れないけれど、別席で楽しんでいくといい。席が空いたら確保するように頼んでおくよ」
「まあ、そんな、光栄です、殿下」
「ありがとうございます!」
緊張した様子のシエナとシャイアは顔を輝かせ、隣で様子を伺っていた配膳係がニヤニヤしながらフェリクスに目配せをした。
「それで、リリアンくんに用事というのは?」
「あの……」
シエナとシャイアは顔を見合わせ、不安そうにアンジェとリリアンを見る。フェリクスがいるこの場で話をしてもいいものかどうか判断しかねているのだろう。リリアンは二人を見て、フェリクスを見て、最後にアンジェを見てから、どこか強い光を帯びた眼差しで小さく頷いて見せる。
「私、いいと思います。殿下はさっきああ仰って下さったし……」
「……ええ、わたくしもそう思っていましたわ」
アンジェも頷くと、二人揃ってフェリクスの方を見る。フェリクスは何も関心がない風を装ってお茶に手を伸ばしたところで、微笑みながら少し首を傾げてみせる。
「……フェリクス様。少し、事情が込み入った話をさせていただくのですが、よろしいでしょうか」
「勿論だよ。詮索などしないから、みな安心して話すといい」
「ありがとう存じます……フェリ様」
アンジェが愛称とともに微笑むとフェリクスはギョッとし、手が揺れてカップとソーサーがかちゃりと鳴った。リリアン、シエナ、シャイアは目を丸くし、配膳係は顔を輝かせ、それでもフェリクスは極めて平静を装ってお茶を飲んだが、耳が赤く染まっているのまでは誤魔化せない。ニコニコと立ち去る配膳係の背中をフェリクスが恨めし気に眺めた頃、リリアンがアンジェの手を掴んで握ってくる。それは骨と骨がぶつかるかと思うくらい強い力で、アンジェはクスクスと笑った。
「お名前をお呼びしただけよ。いい子になさって、わたくしの可愛いリリィちゃん」
「……もう。アンジェ様のバカ」
「はいはい。お二人とも、どうぞお話しになって」
「はい、あの、ええと」
唐突に話題を振られたシエナは慌てふためいたが、制服のポケットから白い封筒を出し、更にその中からクリーム色の薄い紙を取り出した。端がレース模様に美しく切り出され、型押しもされた、如何にも上品な菓子店の包み紙と分かる紙だ。アンジェとリリアンは差し出されたものを覗き込み──リリアンが、あっ、と声を上げた。
「これ……」
「リリィちゃん?」
アンジェが声をかけても、リリアンは応えない。紫の瞳がじっとその紙を見つめる。アンジェの愛しい恋人の顔が、一同が見守る中で見る間に白くなり、青ざめ、震え始めるのが分かる。
「……リリィちゃん?」
「……シエナ様。中身のお菓子って……砂糖菓子でしたか?」
「え、ええ……美しい花の形の、ええ、確かに砂糖菓子でしたわ」
「……やっぱり……」
リリアンは唇を噛んでうつむく。震える手がアンジェの方にそろそろと差し出され、アンジェは咄嗟にその手を握る。
「リリィちゃん、どうなさったの、何か心当たりがありますの?」
「アンジェ様……」
リリアンがアンジェを見上げる。
「私……あの時、どこのお菓子かなって、結構調べたんです。リオとか、動物にも手伝ってもらって……首都の目ぼしいお店は大体見たはずなんですけど、……どこにもなくて」
「……何ですって、あの時? 何を仰っているの?」
「専用の、特別なものかなって、思って。そういうものかなって……今まで、忘れてたんですけど」
リリアンの手は震えたままだ。必死にアンジェを見上げ、フェリクスを見て、シエナとシャイアを見上げ──次の言葉を発するかどうか迷っている。リリアンは何を言おうとしているのか? アンジェは見当がつかず困惑するばかりだが、フェリクスがお茶のカップをゆっくりとソーサーに戻し、小さくため息をついた。
「……大丈夫だよ、リリアンくん。僕とアンジェは勿論、ウィンスロー嬢とモーニングスター嬢も、君の秘密を守ってくれるだろう。そうだね、二人とも?」
「えっはい、勿論です」
「誰にも言いません!」
二人が慌ててその場で姿勢を正したのを見て、リリアンは今にも泣きそうな顔になる。それでももう一度、それぞれの顔を見て、アンジェの手を握り続け──顔が見えなくなるほど深くうなだれて、小さな小さな声で呟いた。
「……同じなんです」
みつあみの垂れた背が、どうしようもないほどに震えている。
「私が、イザベラ様にいただいて……駄目にしてしまったお菓子の包みと、同じです」
今年度の初めての生徒会で、生徒会付に任命された動揺したリリアンを諭した後、手渡された小さな包み。
【可愛い子リスちゃんに、おやつを差し上げましょう】
微笑みながらそれをリリアンに渡したのは、アンジェのもう一人のスカラバディ、フェリクスの従妹にして比類なき典雅の化身、王女イザベラ。その時の包み紙と同じものが、今、ローゼンタールの講演会の土産としてシエナからここに持ち込まれた。首都ではどこの菓子店でも取り扱っていない、おそらく王女のために特別に誂えられた包み紙が。
(それは……つまり……)
「……イザベラ様が……?」
リリアンは俯いたまま頷き、ほとんどアンジェの膝にすがるようになる。アンジェはその手を猶も握る──
「アンジェ様……どうしよう……アンジェ様……」
「リリィちゃん……」
リリアンの手を握ってやっているのか、自分の心が音を立てて崩れ落ちないためにそこに縋り付いているのか、アンジェにはどちらだか分からなかった。