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34-3 色褪せない記憶 しょうもない理由

「ありがとう存じますフェリクス様! リリィちゃん待って、リリィちゃん!」


 アンジェはフェリクスの手が完全に離れるや、ばね仕掛けのおもちゃのように飛び出し、校舎へと歩いていくリリアンを追いかけた。リリアンは振り向かないがびくりと肩を震わせるのが見て取れる。そのまま真っ直ぐに前を見て、淡々と、だが大股に歩みゆく恋人に追いつき、アンジェは横に並んで歩く。


「おはようリリィちゃん、昨夜はよく眠れて? お疲れになったでしょう」

「……おはようございます」


 リリアンは独り言のように呟いたが、視線は前を向いたままだ。


「あのね、わたくし、昨日はリリィちゃんにとても無神経なことをしてしまったと思いますのよ……軽率な発言を心から悔いたわ」

「……朝ごはんを食べる時、寮の人が話してました。アンジェ様が殿下のことを秘密の愛称で呼んでるって」

「そっ」


 アンジェは一瞬言葉に詰まる。


「そのようね、記憶操作の魔法なのかしら、アシュフォード先生とあの魔物のことは知れ渡っていないようですわね」

「良かったですね、アシュフォード先生と私と殿下の三股かけてる、みたいな噂にならなくて」

「ええ、そうね、でもリリィちゃん聞いてちょうだい、あれは前にもお話した夢の中のことなのよ、本物のフェリクス様とアシュフォード先生のことではないの……とてもよく似ているけれどわたくしの中では明確に違うのよ、ナマモノと二次元を混同してはいけませんの、それが大切なんですのよ」

「別に私、怒ってないです」

「ええ、そう、でもわたくし、貴女に申し訳なくて……」

「怒ってないですってば」


 焦る気持ちがだんだんとアンジェを早口にさせる。リリアンはひたすらアンジェの方を見ようとせずに前を見ていたが、鞄を持つ手をきつく握り締めると、やおら玄関口の方へ駆け出した。


「リオ! おはよう!」

「お? おーちびリコ、はよ」


 ちょうど校舎に向かってのんびり歩いていたエリオット少年が、まだ眠そうな声でこちらを向いた。ぱたぱたと駆けて来るリリアンに目を見開き、その後ろで呆然としているアンジェを見てギョッとし、更にその後ろを見て驚いて、げんなりとため息をつく。つられてアンジェが振り向くと、上機嫌極まりないフェリクスがニコニコとこちらに向かって歩いてきているところだった。


「……はざっす、セルヴェール様」

「おはようございます、ご機嫌よう、アンダーソンさん」


 アンジェが小走りにエリオット達のところまで駆け寄ると、エリオットは顔をしかめ、すぐ横のリリアンをちらりと見た。リリアンはアンジェが自分を見ているのを確かめると、ギッと睨むようにエリオットを見上げる。


「リオ今日はクラスの店番って言ってたよね、私今日見に行くから」

「お? おー、ありがとな」


 リリアンの勢いに身構えるようにエリオットは一歩引いたが、リリアンは更に一歩前に出た。


「それで店番終わるまで待ってるから、その後一緒に回ろう?」

「は?」

「いいでしょ別に」


 リリアンはギョッとしたエリオットの手を取ってぶんぶんと振り回す。


「幼馴染で身元引受人なんだから。デートしよ、デート」

「ハァ!? おま、何言ってんだ!? 俺今日は」

「いいから! 約束したからね!」


 リリアンはエリオットの手を投げるようにして離し、その胸を拳で力いっぱい殴った。傍らのアンジェをもう一度見上げ──呆然と、何も言えずに瞳を見開くしか出来ないアンジェがどれくらい傷ついたのかを推し量るようにじろりと見遣ると、フンと鼻を鳴らして校舎の方にかけて行ってしまった。


「……痛ってえんだよ、バカリコの奴……」

「おや、行ってしまったね、アンジェ」


 エリオットは苦い顔で叩かれた胸をさすりながら毒づいた。追いついたフェリクスが気の毒そうに顔をしかめつつアンジェの肩を優しく叩く。アンジェはのろのろと手を上げたが、王子の手を払うことが出来ず、ただそっと触れるだけになってしまった。


「殿下、おはようございます」

「おはようエリオットくん、今日も良い日になりそうかな」

「はは、どうでしょう、アイツの機嫌次第っスかね」


 エリオットはフェリクスに礼をしてから、リリアンが駆けて行った校舎入り口辺りを見つめ、げんなりとため息をついて肩を落とす。


「……セルヴェール様、なんかアイツのこと怒らせました?」

「……ええ、そうなんですの……でも心当たりを弁明しても、許して下さらなくて……」


 アンジェはうつむき、フェリクスの手をようやく自分の肩から外させる。エリオットは顔をしかめたまま今にも泣きそうなアンジェを見て、その傍らのフェリクスを見て、もう一度盛大にため息をついた。


「アイツ、へそ曲げると面倒なんスよねえ。たぶんセルヴェール様から見たらしょうもない、ほんの些細なことで怒ってるんスよ」

「まあ、そうなの? さすが幼馴染はよくご存知ね」

「絶対そうスよ。そんでセルヴェール様がそれと違うことばっかり言うからますます怒ると」


 エリオットは自分の髪をくしゃくしゃとかき回す。


「……ったく、当てつけに俺を使うなよな……」

「ごめんなさい……わたくし、本当に……」


 アンジェが頭を下げると、ああ、いや、とエリオットは慌てふためいた。


「どうせしょうもないヤキモチっスよ、なんか言い方が気に食わないとか、あの時どっかの誰かをじっと見てただろうとか……」

「でも、フェリクス様のことではないと仰いますのよ……」

「……何がどうなってるのか俺は全然分かんないスけど。リコ、俺に愚痴るつもりだと思うんで、いろいろ聞いてきますよ」

「ありがとう存じます、アンダーソンさん……何とお礼を申せばよいかしら……」

「……お礼なんていいんスけど」


 エリオットは不意に面差しを正し、じっとアンジェを見る。


「アイツのこと、あんまり泣かせないでくださいよ?」

「……アンダーソンさん」


 アンジェとは色味が異なる青い瞳。少年らしくいつもきらきら輝いていると思っていた、その眼差し。

 彼の瞳は、眼差しは、こんなにも大人びた光を帯びていただろうか?


「……すみません、ナマ言いました」

「よろしくてよ、アンダーソンさん……わたくし、いつも助けていただいてばかりで……」

「魔法とか、そういうのならいくらでも手伝いますけどね。痴話ゲンカの当てつけ係は出来れば勘弁してください」

「……そうね……本当にごめんなさい……」


 アンジェが頭を下げると、エリオットはへへへ、と照れくさそうに笑いながら自分の鼻をこすった。


「そうだ、よければ殿下とセルヴェール様もうちのクラス寄ってくださいよ。気合入ってるスよ」

「ああ、もとより今日三人で行くつもりだったんだ。この分では二人と一人で別行動かな。けれど必ず訪問させてもらうよ」

「マジすか、ありがとうございます!」


 にこやかなフェリクスの言葉にエリオットは瞳を輝かせ、何度もお礼を言いつつも二人に先立って校舎の方へと向かって行ってしまった。その場に立ち尽くして放心しているアンジェの肩を、もう一度フェリクスが優しく叩く。


「……彼はとても性根が優しいのだね、アンジェ」

「ええ、そうなんですの……わたくしの魔法の先生なんですのよ」

「そうだったのか、では君のあの魔法は魔法サッカーの応用なんだね? エリオットくんは一年で正規メンバーに選抜されたと聞いているよ。道理でアンジェも筋がいいわけだ」

「ええ、本当に……いい先生ですわ。それに、リリィちゃんをとても大切にしていらして……」

「そうだね、彼を見ていればよく分かるよ」

「ええ……本当に……」

「さあ、僕たちも行こう、アンジェ。遅刻してしまう。また迎えに行くからね」


 フェリクスはアンジェの手を取ってエスコートの形にすると、ゆっくりと歩き出した。アンジェも手を引かれる形でのろのろと歩き出す。フェリクスは何も言わずに歩調をゆっくりと合わせる。機嫌の悪いリリアンのことが、エリオットがちらりとこぼした彼の心情が、アンジェを導くフェリクスのぬくもりが、歩くたびに心に染み入るようだ。


(リリィちゃん……)

(アンダーソンさんになら、お話しできることなのね……)

(わたくし、そんなに酷いことを貴女に言ってしまったのかしら……?)

(貴女が思ったり、感じたりすることに……しょうもないものなどないのよ……)

(どうかわたくしに、教えてちょうだい……)


 涙を堪えるのを誤魔化すように、アンジェはフェリクスに縋る手に力を込めたのだった。






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