33-2 共に過ごした日々 ルナ対ガイウス②
「はじめっ!」
審判の合図とともに小さなルナが空中に飛び上がると、ルナ自身が白く輝き、きらきらとした残像が尾を引いた。大演舞場に対して小さすぎるルナを目で追いやすいようにとの剣術部側の工夫らしい。
「きゃあ可愛い! チンクルベルそのものだわ!」
「チンクル?」
「ああいう妖精が出てくるお話がありますのよ、ルナーっ! チンクルー!!!」
尋ねてきたリリアンはアンジェがはしゃいでいるのを見て首を傾げたが、アンジェは気付かないふりをしてルナに声援を送った。大演舞場内は音で天井が破れるのではないかと思うほどの大歓声で、ルナは観客サービスと言わんばかりに手を振りながらあたりをくるくると飛び回り、ガイウスは剣を構えてそれを視線で追うが、時折──ルナが自分の目線より上に行き、鍛え抜かれて尚しなやかな脚線美がぎざぎざスカートの裾から伸びているのが目に入るたびにどうしても動揺してしまうようだった。
この対戦カードでは、どれほどルナが強くとも体格差がありすぎるということで、若干のルール変更が為されている。通常ならば場外、降参、そして気絶後の十秒カウントが勝敗を決めるが、それに加えてそれぞれ胸元に薔薇のコサージュをつけ、相手のものを手を触れずに散らすことが出来れば勝ちとなる。薔薇コサージュによる勝敗決定は、体格差や性差を考慮しない混合試合などでよく用いられるが、小人サイズの人間に適用されるのはおそらく史上初だという。更に通常の剣術試合では身体強化する魔法は禁じられているが、この試合に限り、ルナはライトニングダッシュや重力魔法を使うことが許可された。ガイウスから見ればルナは小さくて良く動く非常に狙いにくい的ということになる。一方ルナから見れば、ガイウスは凶悪ともいえる膨大なエネルギーをもって自分に攻撃を仕掛ける巨人に他ならなかった。
「さあファンサは終わりだ、行きますよ部長!」
小さなルナは空中で高らかに笑うと、空中を蹴るような動作と共に急角度の方向転換をし、ガイウスめがけて落下しているかのような速度で突進する。どぎまぎしていたガイウスは面差しを引き締める間もなく剣を翻す。ルナのつまようじのような双頭刀と、ガイウスの重量のある長剣が触れ合う、誰もがルナが吹っ飛ばされることを予想したが、ガキン、と想像以上に重い剣戟の音があたりに響き渡った。ガン、キィン、ガガガガン! 小柄なせいか素早い連撃を繰り出すルナ、ガイウスは剣を動かさずに済んでいるのか、あるいは動かすことができないのか、歯を食いしばって衝撃に耐え、鋭い突きを繰り出した。ルナはガイウスの剣先を蹴って空中でくるりと回転する。そこをすかさずガイウスが追撃し、ルナは空中をくるくると踊るように避け続ける。容赦なく上段から振り下ろしたガイウスの剣を、ルナは数ミリの差で避け、ふわりと剣先も届かぬ空中へと飛び上がった。
「いいじゃないか部長! もっと来い!」
「ほざけ!」
わあああ、と沸き上がる大歓声に、ルナはニヤニヤしながら手を振って応える。アンジェが身を乗り出して両手を振っているのを見ると、ルナは空中をくるくると周り、両の拳を頬にあて、膝も曲げて大変可愛らしいポーズをとってみせた。
「ああっ大きさといい飛び方といいまさしくチンクルだわ……! 魔法って素敵……!」
「ねえリオ、アンジェ様が時々ルネティオット様見て変になるのってなんで?」
「だからボケリコは何でもかんでも俺に聞くな。自分で聞けよ」
「えー」
リリアンが不思議そうな目で自分をちらちら見てきているが、アンジェは尋ねられるまでは知らないふりをしようと決め込んでルナに手を振り続ける。ルナはニヤニヤしながらウィンクして見せ、それからまたガイウスへの猛攻撃を開始した。
「それにしても、お前のお守りうまく使えてるみたいだな、さすがパイセン」
急上昇に急降下、急発進など、およそ生き物とは思えない機敏すぎる動きのルナを見て、エリオットは感心して目を見開く。
「うん、実戦の前に試せてよかったって言ってた」
リリアンも視線をアンジェからルナに移して得意げな顔で頷いた。ルナは刺突しては逃げ、刺突しては逃げを繰り返し、ガイウスは必死にその行く先に剣を繰り出している。
「リリィちゃんが作った、ライトニングダッシュのお守りのことですわね?」
「そうです」
アンジェが話しかけるとリリアンはにこりと微笑み、やっとこっち向いた、といいながらアンジェの腕にしがみついた。ルナはどれだけ練習してもライトニングダッシュと重力魔法を同時に発動できるようにならなかった。リリアンがルナのために二つを同時に発動させる特別な詠唱を編み出したのだが、正しく詠唱し印を結んでも発動できない。それは当人の魔力が発動に至るには不足しているということだった。ルナは仕方ないと笑っていたが、リリアンは更に知恵を絞り、宝飾品に祝福を込めるやり方を応用して、簡単な詠唱でライトニングダッシュを発動、維持できるお守りを作り出すことに成功したのだ。
「いいなあアレ。俺にも作ってくれよ」
「えー、だって魔法サッカーはそういうの禁止でしょ?」
「いや、お前おんぶして戦う時とかにあったら楽かなーって」
「そっかあ……でもあのお守りだと、早さとか高さとかの調整もお守りを通してになっちゃうから、リオはたぶん自分でやった方が簡単だと思うよ?」
お守りは黒曜石を使った小さなブローチで、ルナは今はキャラクターを模したシニョンの飾りとしてつけているようだ。リリアンとエリオットはそれぞれルナを視線で追いながら話し続ける。それぞれの瞳がルナに合わせて右に左に動くのを見て、アンジェは子猫におもちゃを見せているようだなと、静かに微笑む。
「え、じゃあパイセンのあの動きはなんなんだよ、めちゃくちゃ機敏じゃん」
「ルネティオット様、お守り渡してからめちゃくちゃ練習してたよ。私もいっぱい微調整したもん」
「はぁー……まだお守り出来て何日だよ? ほんと剣に関しちゃパねえなパイセンは……」
「すごいよねえ、そういうところは尊敬する。私も頑張ろう」
「あ、お前、尊敬しないところもあるんだな?」
「うん。やらしーし意地悪なとこ」
「分かる……」
リリアンとエリオットは、互いではなく同じものを見て話をしている。それはリリアンがまだエリオットに恋い焦がれていた頃の切羽詰まったような眼差しとは違い、柔らかな信頼に満たされているようにアンジェには思えた。少年はフェリクスのように二人の関係性に干渉しようとしないし、ルナのようにからかうこともない。彼女を想って涙を流し、身を引くことが出来る少年の選択の先には、どうやらアンジェも入れてもらえたようだ。
「絶対中身はおじさんだよね。アンジェ様もルナおじさんって言ってるし」
「パイセンの下ネタはヤバいだろ……本物のおじさんはもうちょっとマシだぞ……?」
(バレてましてよ、ルナ……)
二人の会話に耳を傾けながら、アンジェは笑いを嚙み殺す。ルナの前世のユウトは祥子より十歳ほど年上だった。祥子が三十代半ばで事故死し、そこから彼もまた事故死するまで少し年月があったとすると、享年は五十近かっただろう。ルナがこれまでに語った限り、ユウトがメンズモデル以外の仕事をしていた様子はないから、その年齢まで現役として活躍し続けていたことになる。前世でもおちゃらけていた反面、仕事とコスプレとメロディアには真摯、誠実、ストイックに取り組む姿勢は、まさに今のルナの在り方そのものと言っても良かった。
(ルナ……)
ルナはガイウスの周りを旋風のようにくるくる回りながら高笑いをしている。どよめく観衆は翻弄されるガイウスに声援を送っているが、ルナへの応援の声も多く聞こえてくる。
「……あ、お前がちっちゃくなって、俺のポケットに入るのは? それが一番楽かも」
「いいかも! アンジェ様にお願いして、一回試してみようよ」
「おう」
ガイウスは筋骨隆々とした体型から臂力に重きを置いた戦いをすると思われがちだが、その実細かな技巧も確実に習得しており、小さなルナの想像を超えた動きにも堅実に対応できている。やはり身体が小さくなりルナの方が移動距離が大きい分、ガイウスに有利に働いているようだ。一方のルナはとかくスピード重視であり、ノブツナ直伝の正確無比な剣技を信じられない速度で繰り出せることが何よりの強さだ。試合ならばそれで十分だし、ルナたちが実戦と呼ぶ、市街地の外の荒野などで魔物と相対する時は、重力魔法で腕力を補う。ルナが自分の強みと弱みを的確に把握し伸ばしているのは、孫娘に才能を見出したノブツナの指導の功績もあるのかもしれない。
「そしたらさ、いっそリオも小さくなって、二人で隠れながら魔法を撃つのはどう?」
「二人とも小さくなったら、結局おんぶになって俺が疲れるのは変わらねえじゃねえか」
「ああーそっかあー……」
「馬鹿だなあバカリコは」
「馬鹿じゃないもん!」
幼馴染二人の会話はいかにも気心が知れた間柄といった雰囲気で、聞き耳を立てているだけでも心地よい。
(何でも語り合える友達というのも大切だわ……)
煌めく粉をふりまきながらぴゅんぴゅんと飛び回るルナは、今こそコスプレしてふざけているが、アンジェの頼もしい親友だ。昨日のローゼンタールとエイズワースと相対した時、魔法の気配にいち早く気付き、アンジェを守るために駆けつけてくれた。リリアンも駆けつけようとしたが、クラウスに止められたのだと言ってしょげていた。
【ルナ……貴女、エイズワースさんのことを、その……アレな顔ではないかと仰っていましたわね】
【ん? ……なんだ、お前、早漏も言えないのか。この箱入り令嬢め】
【口を慎みなさい、おじい様に言いつけますわよ】
【それは勘弁してくれ……】
エイズワースの魔法の攻撃は、驚きこそしたが、防御はそれほど難しくなかった。クラウスの忘却魔法のほうがよほど素早く、前動作がなく、完璧に等しいと言って差し支えないだろう。あれを防御できたのはまぐれか奇跡だ。その一方、自分を世界一だと豪語する魔法使いの魔法は、クラウスよりも遅く、前動作が分かりやすく、まだどこか無駄があるように──だからこそ、アンジェも練習すればあの程度ならできるかもしれない、と思えた。
【それで……その、実際のところは、どう思われましたの】
【あのデカブツが早漏そうだったかどうか、ってことか?】
【そもそもアレな顔というのはどんな顔なんですの?】
ガイウスは剣を素早く何度も振り下ろしてルナを追撃している。ルナはひらりひらりとそれを避け、剣先の上に立つなどしてガイウスをからかうが、剣術部部長はもう挑発には応じない。
【実際にそいつが早漏かどうかとは別だが……大した経験もないのに知識ばっかり豊富で、そのせいで本番ですぐに発射しちまいそうな奴だな。別に本番でなくても、日頃から口先ばっかり達者なくせに、現場に入ると大して動けない奴がいるだろう。ああいう奴のことだ】
【そういう事ですのね、それなら分かるような気がしますわ】
【だろう】
【ルナは、ご本人を目の前にして、やはりそのようだったとお思いになりまして?】
「わあ、わーっ、見てリオ、すごい!」
「部長さんもやっぱめっちゃ強いな!」
ガイウスの堅実な練習に裏打ちされた攻撃は、速度もあるが見た目以上に重量がある。アンジェは剣術部で鍛錬に励むうちに、部員や剣士の特徴一つ一つが分かるようになっていた。それと同様に、魔法使いにもそれぞれ得手不得手や癖があることも、ライトニングダッシュなどの練習を通して気付かされた。
【ああ、まず間違いなく早漏だろうな】
記憶の中のルナはニヤリと笑う。
【早漏なだけじゃない。図体ばかりでかいが大して固くもならん粗チンだな】
【そっ……またそんなことを言って!】
【なんだ、そういう事を聞きたいんじゃないのか?】
【いちいちアレで例えないでくださる?】
【やなこった】
ガイウスの鋭い突きがルナのコサージュすれすれを掠める。風圧で白い花弁が揺れるが、どれもしっかりと花に結びつけられたままだ。
【覚えておけよ、赤ちゃん・アンジェ。男を本当に馬鹿にしたり挑発したりしたい時はな、他の何でもない、そいつの息子をこき下ろせ】
【もうおよしなさいってば!】
【試しに殿下あたりに言ってみろ、効果てきめんだぞ。男は女に息子を馬鹿にされると堪えるからな】
【絶対やりませんわ! ルナなんてさぞかしご立派だったものをなくしてしまったくせに!】
【お……おう……】
【えっ、ルナ……?】
【昔の傷を抉ってくれるな……】
【えっ、その、ご、ごめんなさい……?】
ガイウスの攻撃をかいくぐったルナが、ガイウスの胸元の赤薔薇めがけて空中を跳んだ。ガイウスは一歩引き、左手でコサージュを守りながら剣を横に凪ぐ。ルナは風圧にくるくると回転したが、すぐに態勢を整えガイウスの懐めがけて跳躍する。ルナの位置が近すぎてガイウスの長剣では攻撃が出来ない、ガイウスは舌打ちをしながら左手を素手のままルナめがけて突き出す。さっと避けるルナ、ガイウスは長剣を捨てて両手でルナを捕まえようとする。笑いながらガイウスの顔の周りをくるりと飛ぶルナ、ガイウスの手がルナの足先を掴むか──試合の行方に息を呑みながら、アンジェは頭の隅で考える。
口先ばかり達者だと評された、二人の男。
だがその一人は、王子専属となるような敏腕弁護士で。
もう一人は講演などでその名を知らしめている、有能と謳われる魔法使いで。
その二人がクーデターの首謀者だとしたら、本当に口先ばかりなのだろうか。
(……アシュフォード先生は放っておけと仰ったけれど……)
(とても、見過ごすことなど、できないわ……)
ルナがいつの間にか投げた双頭刀がガイウスのコサージュの中心に突き刺さる。
反射的にガイウスは手でコサージュを押さえるが、赤い花弁はばらばらと解けて空中に散った。
「……勝負あり!」
誰もが緊張して固唾をのんだ中、審判が叫ぶ。
「勝者、シュタインハルト!」
うわああああ、と、耳が痛くなるほどの大歓声が沸き上がった。アンジェ達もその場に立ち上がって叫びながらルナに手を振る。ルナは三人に手を振り返しつつアンジェをじっと見てきたので、アンジェは頷きながら手を打ち鳴らし、ルナの魔法を解除した。
「部長、いい勝負でしたな!」
「うおっ!!!????」
かくして上背のある少女剣士が可愛い妖精のコスプレをした姿が等身大でガイウスの目の前に現れ、ガイウスは敗北の感傷に浸る間もなくギョッとし、試合終了の挨拶もそこそこに全力で選手控え場に逃げていった。
「ルナ様ぁーっ!!!」
「シュタインハルトーっ!!!」
等身大に戻ったルナは四方に手を振って歓声に応えている。
「ね、リオ、部長さん絶対ルネティオット様のこと好きだよね」
「ええーそうかあ? 変態から逃げてるだけじゃね?」
「そうかなあ、好きだと思うけどなあ」
「俺はヴェルナー先輩に同情するね」
「わたくしも、照れているだけのように思われますわ」
「そうかなあー……そうだと思うんだけどなあー……」
エリオットは絶対ないと言い切り、アンジェも首を傾げたが、リリアンは不服そうな顔でしばらくずっと言い続けていたのだった。