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30-3 まなざしが含む熱 称賛あるいは友情

「公爵が、用意、したのは、百枚の、美しい、ドレス、が入る、クローゼット、でした」


 セルヴェール邸のアンジェの私室の書斎にて、たどたどしい音読の声が響いている。


「公爵は、お姫様に、言いました。貴女の百枚の、ドレスより、私の、たった一着の、ドレスが、貴女の心を、つかむ、でしょう」


 窓際のティーテーブルに座ったリリアン・セレナ・スウィートが、頬を赤らめながら手にした絵本を読み進めていた。その横ではアンジェの家庭教師、サリヴァン女史が目を細め、なにかメモしながら満足そうに頷いている。


「たった一着の、ドレスとは……」


 リリアンはぺらりとページをめくると、わあ、と瞳を輝かせてうっとりとため息をつく。


「光り、輝く、けん……らん、ごうかな、ウェディングドレス、でした。……けんらんって何ですか?」

「目が眩むほど、きらびやかで美しい様子ですよ」

「けんらんごうかなドレス……素敵……」


 アンジェは自分の書斎机でサリヴァンに出された課題を解きながら、ティーテーブルの方をちらりと見る。リリアンが読んでいるのはアンジェが子供の頃に読んでいた絵本で、色とりどりのドレスの美しい挿絵に子供心に胸をときめかせていた一冊だ。アンジェの祖母がセルヴェール家に降嫁した時の逸話がもとになっており、よく絵本をもって祖母に会いに行ったものだった。懐かしい思い出とリリアンのたどたどしい声にアンジェが目を細めているうちに、お姫様は公爵の計らいに感激し、無事に結婚式が終わったようだ。


「よろしい、よく読めましたね」

「はあ~素敵……素敵でした……子供の頃に聞かせてもらってたけど、絵がつくととってもとっても綺麗ですね……!」

「そうでしょう。想像力が推察や論理的思考の礎となりますよ。授業に関するもの以外の文章にも少しずつ慣れていきましょうね」

「はい!」

「では、アンジェリークさんのきりが良ければ休憩としましょう」


 サリヴァンの言葉に、リリアンが餌を出す音を聞きつけた子犬のような顔でアンジェの方を向く。アンジェがにこりと微笑んで頷いて見せると、リリアンはやったー、と歓声をあげながら立ち上がった。傍らに置いていたバスケットをいそいそと持ってくると、かけていた布巾をぱっと取る。


「今日は、アンコのオマンジューを作ってみましたっ!」

「アンコ? オマージュ?」

「ルネティオット様に教えていただいたんです、ヒノモトの食べ物で、チョコみたいな色なんですけど、優しい甘さで、豆から出来てるんですよ! 緑のお茶も分けていただきました!」

「そうですか、貴女は本当にお菓子については貪欲に試行錯誤なさいますこと」

「えへへ~、とっても楽しいんです!」


 リリアンは頬をつやつやさせながら、パイ皿にずらりと並べられた、白く丸く柔らかな物体──祥子の思うところの饅頭を小皿に取り分けた。アンジェは侍女が持ってきた茶器セットを受け取ると、一度自分の書斎机の上に置く。二人からは見えないように背中で隠し、熱湯をカップに注いで冷ましてからポットに茶葉と湯を入れる。祥子も緑茶に対して大した知識を持っているわけではないが、それでも少しでも美味しく味わいたかった。湯の色が鮮やかな黄緑色になったのを確認してからカップに注ぎ、ティーテーブルの方に運ぶ。


「お茶を入れてみましたわ、上手くできたかしら」

「まあ、……緑色のお茶。ヒノモトの食べ物は不思議なものが多いこと」

「ですよね! シラタマクリームアンミツっていうのも美味しいらしいです!」


 リリアンはニコニコしつつアンジェから緑茶を受け取り、三人はめいめいの椅子に腰かけた。


 新学期が始まって以後、すなわちリリアンがノーブルローズ寮に入寮して以後も、サリヴァンはリリアンの家庭教師を無償で続けたいと申し出た。アンジェもリリアンも恐縮し、特にアンジェは個人資産から謝礼を支払うと申し出たが、サリヴァンは笑いながらそれを拒否した。ルネ式学習法の権利をサリヴァンに譲渡したアンジェへの謝意と、純粋にリリアンを応援したいのだという言葉に、リリアンはサリヴァンに抱きついてぽろぽろと泣いた。それ以後、週に二度、アンジェがサリヴァンの指導を受ける日は、リリアンも一緒に指導を受けることになった。アンジェと同じ日・同じ場所での指導ならサリヴァンの負担が少し減るのではないかと、アンジェから申し出たことだった。実際アンジェは分からないところを質問することはもう殆どなく、学習計画とその進捗の確認をした後は、粛々と自習に励んでいた。他の日は剣術の稽古や生徒会、お菓子クラブなどの予定がいっぱいのため、勉強に没頭できる、リリアンと一緒に過ごすことが出来るこの時間は、アンジェにとっても貴重な時間だった。


「では、いただくとしましょう。これは……なにかで切り分けるのでしょうか」

「手でつまんで、がぶって食べるらしいです」

「まあ。……いただいてみましょうね」


 サリヴァンは戸惑いつつも、おそるおそる饅頭にかじりつき、ゆっくりと咀嚼し、あら、と目を見開いた。


「本当にこれは豆なのですか? とても甘い……」

「はい、豆をやわらかーく似て、裏ごしみたいにするんです」

「何てなめらかな口当たりなのでしょう……」


(こしあんなのね……)


 アンジェはサリヴァンの饅頭初見の反応にニコニコしつつ、自分も饅頭を手に取った。リリアンは指導の日の度に手製のお菓子を持ってくるが、老齢のサリヴァンはクリームやチョコレートをたくさん食べるのは胃に負担がかかる様子だった。それに気付いたアンジェは、リリアンとルナにヒノモトのお菓子を作ってみてほしいと頼んだ。理由は適当に食べてみたくなったから、異国の菓子は文化祭の目玉になるのではないか、と押し通すと、リリアンはしたり顔で納得し、ルナは何か言いたそうな顔で笑いを噛み殺していた。


 この饅頭は、実物を試食してから作ったのだろうか、表面にはちゃんと片栗粉がはたいてある。柔らかく懐かしい触感を摘まみ上げて、口許を手で隠し、わくわくしながらぱくりとかぶりつく──


「……いちごっ! いちごが入ってますわ!!!!」


 思わず叫んだアンジェに、リリアンは得意げにニコニコする。


「ルネティオット様が、絶対こうすると美味しいって仰ってたんです」

「ええ、ええ……いちごの酸味を、あんこがまろやかに包み込んで……少しだけ添えられたクリームが、甘みをまとめて……皮の柔らかさも愛しいこと、リリィちゃんのほっぺたのようだわ……!」

「まあ……本当だわ。いちごが出てきました」

「うふふふふ、美味しくてびっくりしますよね~」


 リリアンもニコニコしながら両手で饅頭を持ち、ぱくりぱくりと食べ出した。ひまわりの種を食べる子リスのようだなとアンジェが思いながら自分のいちご大福を食べていると、サリヴァンが二人の様子を見比べながら、そういえば、と声を上げた。


「先日、アンジェリークさんもローゼンタールと面会したのでしょう」

「はい、おかげさまで、いろいろお話しさせていただくことが出来ました」

「それは良かったですね。あの子は息災でしたか?」

「息災……だったかとは、思いますわ」


 ローゼンタールの執務室の、山のように積み上げられた読みかけの本の山を思い出し、アンジェは少しばかり首を傾げる。


「その……本当に、寝食以外のほぼ全ての時間をお仕事に費やされておられそうなご様子でした」

「どうせ机の上が散らかっていたのでしょう、あの子はいつも勉学以外には興味がなくて、よくロッカーを片付けろ、制服をちゃんと着ろと叱ったものです」


 クスクスと笑うサリヴァンに、アンジェとリリアンは顔を見合わせ──


「ローゼンタール先生は、サリヴァン先生の教え子でいらしたのですか?」

「ええ、そうですよ」


 代表して問いかけたアンジェにサリヴァンは頷くと、懐かしそうに目を細めて窓の外に視線を遣った。


「私の退官前の最後の年に、最高学年となっていました。もうその頃は担任など持たず、単科で論理学を教えていただけでしたが……クラウス・アシュフォードと並んで、とても優秀な生徒でした」

「まあ、ローゼンタール先生はアシュフォード先生と同学年でいらしたのですか?」


 思いがけないところでクラウスの名前を聞き、アンジェは思わず身を乗り出した。


「ええ。アシュフォード、ローゼンタール、エイズワース、この三人で首席を争っていたんですよ」

「まあ……!」


 驚いて見せたアンジェを、ニコニコしているサリヴァンを、リリアンの紫色の瞳がじっと見つめている。


「アシュフォード先生も、ローゼンタール先生も、何も仰らないから、わたくし今の今まで存じ上げませんでしたわ……!」

「ふふふ、そうでしょう。三人は何をするにも一緒で……アンジェリークさんとリリアンさんを見ていると、彼らに通じるものがありますね」

「えっ、ええっ、サリヴァン先生、そ、それは……!」


 リリアンがギョッとして、手にしていた大福を口の中に押し込んだ。そのまま頬をぱんぱんに膨らませてもぐもぐと食べる。名を呼ばれてリリアンの方を見ていたサリヴァンは、リリアンの小動物めいた動作にクスクスと笑った。


「恋人というわけではないですよ」

「なーんだあ、びっくりしましたぁ」

「……三人で首位を争うと言いつつ、何をやらせてもアシュフォードが頭一つ抜きんでていましてね。それをローゼンタールとエイズワースが称賛しているような様子でしたね」

「……アシュフォード先生を……称賛……」


【血筋だとか家柄だとか……魔力があるだとか】


 思わず呟いたアンジェの脳裏に、あの底の知れない弁護士の声が思い起こされる。


【そうした根拠のないものがもてはやされて、真に評価されるべき者が日の目を見ないのは、王国としても機会損失だとは思いませんか】


 フェリクスが信頼を寄せているはずの弁護士と話した時の、居心地の悪さ。巧妙に何かを隠しているのではないかと疑いたくなるような、どこかずれた物言い。アンジェは舌が急速に乾いていくのを感じ唾を飲み込むと、その動作が身体の中でひずみを作り出していくように感じられた。


「何にせよ、教え子が活躍している様子を風の便りに聞くのは嬉しいものですね」

「ほんとですねっ、私もどん底から学年首席とかで自慢していただけるように頑張ります!」

「ほほほ、面白いことを仰りますこと」


(……お二人が……学友……)

(もう一人、エイズワースというのも、どこかで聞いたことのある名前だわ……)


 窓から差し込む光の中、ニコニコと笑いながら話しているサリヴァンとリリアンが、遠く手の届かない別世界にいるように思えてならなかった。






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