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30-2 まなざしが含む熱 それだけは真実

「……もう。気の遣い方がフェリクスくんそっくりね、アンジェちゃん」


 イザベラは小さくため息をつくと、脱力していた姿勢をただし、いつもの比類なく優雅な座り方になった。


「驚いたでしょう、ごめんなさいね。恥ずかしいところを見せてしまったわ」

「いえ、そんな……」

「片付けにまで気を回されて……これは、わたくしの教えが良かったと言えばよいのかしらね」


 日頃なら扇子で口許を隠してクスクスと笑いそうなイザベラは、両手は膝の上のまま、力なくにこりと微笑んだだけだった。アンジェはそのことに酷く──自分が傷つけられたような心地になり、その動揺が僅かに顔に出てしまう。しまったと思った時には、イザベラは悲しそうな顔をして、アンジェから視線を逸らした。


「……ごめんなさいね、アンジェちゃん」


 美しく戻ったはずのイザベラの瞳から、また星のかけらのような雫が転がり落ちる。


「話すことにやぶさかではないのだけれど……取り付く島がなくて。アンジェちゃんから質問をしていただけると助かるわ」

「……承知いたしました」

「まだ昼食を食べていないのでしょう、遠慮なく召し上がってね」

「ありがとう存じます」


 アンジェは頷きながら応接テーブルの上をちらりとみやった。サンドイッチなどの軽食とお茶が並んでいるが、食欲などどこかに吹き飛んでしまったようで、全く手に付ける気にはならなかった。


「その……」


 アンジェは扉の前で、従者の礼をしていたクラウスの姿を思い出す。胸に手を当てて淡々と頭を下げていた後姿。感情が静かに凪いでいる、大人の男の歩き方。アンジェ自身にはあまり経験がないが、祥子は仕事をしながらそんな男性を何人も見てきた。彼は泣き叫ぶイザベラを前にして、彼女の許から立ち去ることに、何一つ心が揺らいでいなかったのか? アンジェとリリアンに、事件について誤った情報を伝えた時も、同じように凪いだ心境でいたのだろうか?


(…………)


「……イザベラ様が、前世の記憶を思い出す前から恋をしていて……ゲーム内でメロディアさんが推していたのが……アシュフォード先生、ということで、よいのでしょうか……?」

「……ええ、そうね」


 頷いたイザベラの微笑みは、アンジェにはひどく自虐的に見える。


「その……先ほどのご様子、勝手ながら、お別れのお話をされていたのかと推測しているのですが……お付き合いをされて、どれくらいなんですの?」

「……分からないわ。付き合っていたと言えるかどうかも怪しくてよ」

「けれど……終わりにすることを伝えなければならない関係だったのでしょう? 了承の言葉などなくても、それはお付き合いをなさっていたと言えると思いますわ」

「そうね……そうかもしれないわ……」


 イザベラの声は震えている。


「アカデミーで会うことも、ほとんどなくて……今日は珍しく呼ばれたと思ったら……急に……」


 イザベラの横顔を、星屑のかけらのような雫がいくつも零れ落ちていった。アンジェはハンカチを差し出したが、王女は首を振る。


「国王陛下がわたくしの婚約について仄めかしたから、なんて言っていたけれど……どう考えても、クーデターの準備じゃない……」


 イザベラは自分の掌で落ちる涙を受け止める。


「止められなかったわ……アンジェちゃん、わたくしではクラウスを止められなかった……」


 白い掌にぽつりぽつりと水滴が溜まり、緑の瞳の王女の姿を映して揺らめく。


「クラウスには……わたくしは、それっぽっちの存在でしかなかったのだわ……! わたくしでは駄目だったのよ……! わたくしでは……!」


 イザベラは絹を引き裂くような嗚咽を漏らし、涙に濡れたままの手のひらで顔を隠した。華奢な背中の上に落ちかかるプラチナブロンドが、王女がしゃくり上げるのに合わせてするり、するりと流れ落ちる。


「クーデターを阻止するために、アシュフォード先生とお付き合いをされていらしたのですか?」

「……違うわ。それもあるけれど、それだけではなくてよ」

「お好きになられたきっかけは何だったのですか?」

「もう、子供の頃よ。この前のように、フェリクスくんの誕生祝賀会で参内していたのをお見かけして……」


 イザベラはまだ鼻を啜ったりしゃくり上げたりしていたが、アンジェに問われるまま、ぽつりぽつりとクラウスと自身についてを語った。従兄妹ではあるがさほど交流はなかったこと。初めてその姿を見かけたのは、イザベラが十歳、クラウスが二十歳の頃だったこと。幼い王女の一目惚れで、クラウスは神官そして教師として働き始めていたこと。恋する王女は素晴らしい淑女になるべく稽古に励み、アカデミー入学を指折り数えて待っていたこと。ある寒い日に風邪をひいて寝込んだ時に、不思議な夢を見たこと……。話すにつれ、少しずつ、イザベラの声は落ち着きを取り戻していく。


「ゲーム内に、王女イザベラなんていなかったでしょう。だからここが『セレネ・フェアウェル』だと分かるまで、時間がかかったの……なにか都合のいい、単なる夢の中の物語だと思っていたの」

「確かにそうですわね……」

「けれど……ルナがいたでしょう。あの子のことは妙に印象に残っていて……話を聞いてみてもいいかもしれない、と思い立ったのだわ」

「……まあ……」


 アンジェはルナから聞いた、イザベラとルナの初対面の話を思い出した。五歳という幼い頃にユウトの記憶を思い出していたルナは、相手がメロディアであることを願いながら王女との面会に挑んだのだという。


「最初は、ユウトだなんて夢にも思わなくて……驚いたわね。しかも、こんな身近に、触れれば届きそうなところにいただなんて、本当に驚き以外の何物でもなかったわ」


 イザベラはまた赤くなってしまった鼻を軽く啜り、自分もお茶のカップに手を伸ばした。


「……メロディアが、ユウトのことを心から愛していたのは覚えていたけれど。それだけで、この気持ちが消えるものでもなかったの。それでも、ルナは根気よくわたくしに付き合って……気心の知れた仲と言えるのでしょうね」

「ええ、わたくしも、そう思います」

「その時に……ルナを選ぶことが出来ていたら、今、こんなことで泣いていることもなかったのかもしれないわ……」


 王女は両手で包むようにしてカップを持つと、やや冷めたお茶をゆっくりと啜った。二人しかいない応接室に、イザベラの吐息の音が隅々まで染みわたっていくようだ。


「きっと……顛末を聞いたら、ルナも、心配なさいますわ」

「……駄目よ」


 アンジェが相槌と共に何気なく言うと、イザベラの口調がきつくなった。驚愕に身体を震わせ、なにか怯えたような表情で、何度も首を振って見せる。


「駄目よ……ルナにはこのことは知らせないで。余計な心配をかけてしまうわ」

「そうでしょうか……?」

「駄目なの……駄目。わたくしは彼女を選ばなかったのだから……弱みなど見せては、失礼だわ……ああ、でも、そのクラウスももう……」


 イザベラはまた大粒の涙をこぼした。アンジェがもう一度ハンカチを差し出すと、イザベラは今度は受け取った。目尻と頬を何度も押さえても、水滴は次から次へと転がってきて、とても拭くのが間に合いそうになかった。


「アンジェちゃん……どうしよう……わたくし、どうしたら……」

「イザベラ様……」

「愛していたの……それだけは真実だと言えるわ……愛していたのよ……」


 涙を流し肩を震わせるいたいけな少女を、アンジェはそっと抱き締めるしかできなかった。






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