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29-12 疑惑と思惑 にゃんじぇ様の鮮烈

 涙はほどなくして止まったが、アンジェはフェリクスとリリアンに泣いた理由を最後まで説明できなかった。アンジェ自身もまだ漠然とした大きな感情の波としか認識できておらず、とてもまだ言語化は出来そうにない。理由を告げずにごめんなさいと謝るだけのアンジェに、リリアンはあれこれ尋ねたそうな顔をしていたが、フェリクスが優しく微笑んで頷くだけだったので少女もそれに倣ったようだった。フェリクスはアンジェより二つ年上なだけだが、こうした時の気遣いは大人のような──大人以上に細やかだとアンジェは思う。その後は文化祭の準備状況について話しているうちに時間が来てしまい、アンジェとリリアンは退出する運びとなった。フェリクスはとても寂しそうで、二人とも泊まったらいいじゃないかとしきりに誘ったが、リリアンは頑として首を縦に振らなかった。


「私は殿下とやらしーことは出来ません」

「やらしー? 何のことだ?」

「ちょっ、リリィちゃん!」


 ギョッとしたアンジェは慌ててリリアンの口を手で塞ぎ、フェリクスは首を傾げた。それでもリリアンはまだ何か言いたそうな顔をしていて、アンジェは挨拶もそこそこに、リリアンを抱えて逃げるように退出する羽目になった。アカデミーの寮まで送る馬車の中、アンジェは王族に憶測で無礼なことを言ってはいけないと懇々と説教したが、リリアンはむくれるばかりで何も言わない。何も言わないまま、説教すればするほどアンジェにピッタリとくっついてきて、最終的には腰に腕を回されてがっしりと抱きつかれてしまった。


「……殿下は、すごいです。すごいからずるいです。私のアンジェ様なのに……ううん、それだって分かってて……」

「……フェリクス様は、星の数ほどいる殿方の中でも、とても稀有な方だと思いますわ。あの方がフェアウェル国王となられたら、慈愛ある素晴らしい治世をなさることでしょう」

「はい……」

「でもね、わたくしはフェリクス様ではなく、リリィちゃんの恋人でしてよ。それは紛れもない真実だわ。どうかそれを忘れないでいてくださいましね」

「……はい、アンジェ様」


 まだむくれている様子が愛しくて、アンジェはリリアンを抱き寄せ、ストロベリーブロンドの頭に自分の頬を寄せた。リリアンがくすぐったそうに身じろぎし、顔を上げてアンジェの少し瞼が腫れた瞳を覗き込んでくる。アンジェは思わず腫れた目を手で覆いたくなったが、それより前にリリアンが手を伸ばしてきてアンジェを捕まえ、柔らかな頬の上で、ちゅ、と水音を立てた。至近距離で重なる視線。互いの吐息が頬に触れて熱い。ああ、なんて美しい瞳なの。なんて柔らかな唇。貴女はわたくしがやすやすと触れてよいものだったのかしら? 胸が灼けるように熱い、指先の痺れすら愛おしい、触れたところの感覚が研ぎ澄まされていく。貴女はわたくしにやきもちを焼いてくださるけれど、貴女こそがあの素晴らしいフェリクス様のお相手だったかもしれないの……。


「……もう」


 まだ熱い吐息を漏らしながら、リリアンが不満そうに呟いた。


「もう少し、にゃんじぇ様になってくれてもいいのに」

「にゃっ、にゃんじぇって……」


 アンジェは狼狽えてリリアンの肩をつかんで身体の距離を離す。


「結局、貴女もフェリクス様も、どなたも教えて下さらないのよ。あの時わたくしはどうなってしまったの? 教えて下さらないと、出来るものも出来なくてよ」

「…………」


 リリアンは紫の瞳をくりくりさせて、じっとアンジェの顔を見た。何も言わないまま数秒が経過する。五秒。十秒。リリアンを真っ直ぐ見つめる形になっていたアンジェが徐々に気まずくなってきた頃、リリアンがくすりと笑った。


「そんなに知りたいですか?」

「し……知りたいわ」

「じゃあ……」


 リリアンの潤んだ瞳が、とろりととろけているように見える。


「私が、にゃんじぇ様役をやりますからね。アンジェ様は私ね」

「えっ」


 リリアンはクスクス笑ったかと思うと下を向き、そのまま這いつくばるような形でアンジェのところまで身を寄せた。肩に手を置いて、耳元に唇を寄せて、くすりと笑うのが聞こえる。

 

「にゃーん」

「えっ!?」


 驚いたアンジェはまたしてもリリアンを自分から引きはがしてしまう。リリアンはそのまま上目遣いにアンジェを見上げると、ひどく悩ましげに目を細めた。


「にゃーん……にゃー」

「きゃっ、ちょっと、リリッ……」

「うにゃーん」

「ひあっ!? えっ、えっ!? リリィちゃん!? 今、ななな、なめ」

「にゃーん」

「ま、待って、駄目よ、駄目だわ、これ……リリィちゃん待って……ひゃんっ!」

「にゃおーん」

「ひゃうっ駄目っ……またっ……リリッ……!」


 ……ほどなくして思いの丈がアンジェの鼻から鮮烈となって溢れてしまい、リリアンはニコニコしながらいつもの様子に戻った。アンジェは羞恥とは少し違う未知の感覚にとらわれ、馬車の隅で丸くなって鼻をハンカチで押さえたが、動悸は一向に収まりそうにない。全身が汗だくで、あちこちから湯気が出ているのではないかと思うほど熱かった。


「アンジェ様、私、絶対誰にも負けませんからね」

「も……もう少し穏便に勝ってちょうだい……」

「嫌です」


 きちんと行儀よく座りなおしたリリアンは、アカデミーに到着するまでずっと上機嫌に鼻歌を歌っていたのだった。

 




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