29-7 疑惑と思惑 お詫びのケーキ会
王宮に数ある謁見室の中でも日当たりの良いテラスを持つ、比較的豪奢な調度の部屋にて。
「えへへ……」
フリルとレースをふんだんにあしらったエプロンをつけたリリアンが、ニコニコしながら喫食用のワゴンを押して入室した。アンジェも同じエプロンを身に着けてその後に続く。
「お待たせいたしました、殿下」
「お気に召しますかしら、フェリクス様」
「おお……」
一人テーブルに座ってそわそわと待っていたフェリクスは、揃いのエプロンを身に着けて並んだ二人を見て、感嘆に緑の瞳を大きく見開いた。
「アンジェ……リリアンくん。とても素敵だよ」
「ありがとう存じます」
「ありがとうございますっ」
アンジェはいつものように優雅に、リリアンは少し照れ臭そうに笑うと、ワゴンを王子が待つテーブルの脇につけた。ワゴンには真っ赤なゼリーソースが塗られたホールケーキと、クリームやら砂糖菓子やらのトッピングがずらりと並んでいる。
「ではこれから、アンジェ様と一緒に仕上げをさせていただきます」
「ありがとう、楽しみにしているよ」
「ではアンジェ様、まずこの粉砂糖を……」
リリアンは頬をつやつやと輝かせながら隣のアンジェに手順を伝え、アンジェはふむふむと頷きながら指示に従い作業していく。その様子を、フェリクスが蕩けそうな笑顔で眺めている。
先日のフェリクス誕生祝賀会にて、マラキオンがアンジェを狙い襲撃したことにアンジェは強く責任を感じていた。宗教上の教義では魔物は生ける者、特に人間の心の隙に忍び寄りつけ込むため、狙われた人物が非難されることはない。むしろ魔物の誘惑に打ち勝つことが出来れば、その魂は高潔であるとして称賛される傾向がある。非難され忌避されるのは魔物との取引をしてしまった魔物憑きと、自らの意志で魔物を信仰する邪教徒だ。リリアンはこれらの定義について幼少のころから王国の守護神から聞かされていた、とアンジェに解説して元気づけた。
「わあ、お上手です、アンジェ様。お菓子クラブの成果が出てますね」
「まあ、そうかしら? 嬉しいわ」
リリアンがニコニコしながら、赤いゼリーの上に粉砂糖を振るうアンジェを褒めちぎる。
リリアンの魔物憑きの解説はきっと正しいのだが、それだけでアンジェの罪悪感が拭えたわけではない。アンジェは迷った末、フェリクスになにかお詫びが出来ないかと申し出た。フェリクスは驚いたが謙遜して遠慮するのではなく、はにかみながら「お揃いの服を着た二人と一緒に三人でピクニックがしたい」と伝えてきた。婚約がどうこうだとか、あるいは王宮に泊ってくれだとか、またリリアンを怒らせそうな要求をされることも覚悟していたアンジェはいささか拍子抜けし、安堵もした。リリアンにその旨を伝えて相談したところ、リリアンは目をくりくりさせながら「ピクニックは暖かくなってからすることにして、お揃いのエプロンでケーキサーブするのはどうでしょう?」と提案してきた。これもアンジェにとっては意外すぎる反応だったが、機嫌よさそうにニコニコしている恋人を見て、ともあれその案に従うことにした。
「素敵です、アンジェ様、綺麗な色ですね!」
お詫びのケーキ会のために三人は休日に丸一日予定を開けていたのだが、ローゼンタールに面会を申し込んだところ、この日なら、とわざわざ予定をぶつけるかのような日取りで回答してきた。お詫びなのだから別日にしようとアンジェは言ったが、フェリクス自身が構わないと言ったので、ケーキ会は午後から開催となったのである。
「そうかしら」
「素敵です、とても優雅な雰囲気だと思います」
アンジェが砂糖菓子を配置している横で、リリアンはピンクのグラデーションのクリームでせっせとバラを作り続けている。作業台の上で作ったバラを料理用のはさみでつまみ取り、ケーキの側面にずらりと並べていく。アンジェは自分の手がバラクリームに当たってしまいそうで気が気ではなかったが、リリアンはさして気にせずにひょいひょいと作業を進めていた。
「ああ……二月なのにこんなにたっぷりベリーを使えるなんて……! お城の大厨房って何でもあるんですね……!」
「ありがとう、彼らもきっと喜ぶよ」
リリアンはアンジェがラズベリーとブルーベリーを並べているのを見ながらうっとりと目を細める。その横顔を見ていると、フェリクスがどうこう以前にまた王宮の菓子厨房に入りたかっただけなのではないか、という気がしないでもない。アンジェはリリアンに割り当てられた担当分の作業を終え、少女がケーキの側面に真剣にクリームを絞っているのをじっと眺める。髪が落ちかからないようにゆるく結んだ少女の横顔は、どんな時よりも凛として輝いている。
「お待たせいたしました~」
クリーム飾りを終えたリリアン特製ケーキは、ラズベリーレアチーズケーキを土台として、その上にフェリクスへのメッセージを粉砂糖のステンシルで書き、砂糖菓子とベリーをちりばめ、リリアン作の美しいバラクリームで彩られ、大変可愛らしい仕上がりとなった。
「まあ、リリィちゃん、本当に可愛らしい仕上がりね。きっとフェリクス様もお喜びになるわ」
「えへへ、ありがとうございます」
フェリクスは目の前のテーブルにホールケーキがそのまま置かれた時も嬉しそうにしていたが、アンジェとリリアンがやってきてケーキを覗き込んでいるのを見て、二人を拝むようにしながら何度も何度も頷いて見せた。
「素晴らしい、素晴らしいよリリアンくん。君とアンジェが僕のために協力し合ってケーキを作ってくれるだなんて、僕はなんと幸せなのだろう」
言いながら王子はその場に立ち上がると、様子を伺っていた執事を制し、アンジェの手を取って椅子を引き、完璧なチェアサービスで座らせた。同じようにリリアンにも手を差し伸べると、リリアンはぴゃっとその場に飛び上がり、もじもじし、それから観念したようにフェリクスの手に自分の手を置く。フェリクスは笑いながら椅子を引き、聖女もアンジェの隣に腰掛けさせた。
「なかなか平等というのは難しいものだね……出来る限りそうしようと努めてはいるのだが」
「もう、まだそんなことを仰いますの、フェリクス様。取り分けいたしますからお待ちくださいませね」
「ああ……その前に。二人してこう……素敵なケーキの前で、もう少し近くに、寄り添うようにしてみてくれないだろうか? この幸せな光景を、もう少し堪能させて欲しい」
フェリクスはニコニコ笑いながらもどこか遠慮がちに頼んできた。アンジェとリリアンは顔を見合わせる。自分の表情を伺うようなアンジェの様子を見てリリアンは少しばかり唇を尖らせたが、ちらりとフェリクスを見てにこりと笑い、手を伸ばしてぼふりとアンジェに抱きついた。
「きゃっ、リリィちゃん!」
「こうですか? 殿下」
「そう、そうだ、リリアンくん! アンジェもこう……彼女に手を添えて!」
「……こ、こうかしら」
アンジェは顔を赤くしつつ、そろそろとリリアンの華奢な背中に手を回す。アンジェの柔らかな夢に頬を寄せるリリアンは、嬉しそうにアンジェの二の腕あたりをそっと撫でた。
「ああ……! 素晴らしい……!」
フェリクスはとうとう両手で顔を隠して天を仰いだ。王子の耳と、腕の隙間から漏れて見える首筋と、どちらもラズベリーソースのように赤く染まっている。しばらくその状態で震えているばかりのフェリクスを見たリリアンは、アンジェの腕をきゅっと掴み、ぽそりと何事か呟いた。
「……なにか仰いまして? リリィちゃん」
「何でもありません、アンジェ様っ」
リリアンは至極機嫌よくニコニコと微笑んだのだった。