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27-9.5【幕間】わたくしに酷いことをするんでしょう、エロ同人みたいに!

 フェリクス王太子の誕生祝賀会の夜。


「きゃああっ、誰かっ! 誰か来てください!」


 マラキオンに嬲られたアンジェは気を失ったまま発熱した。典医も宮廷魔法使いも危険な状態だと判断し、アンジェはいつもの客室に泊まることになった。というよりあの時マラキオンと戦った面々は全員疲労が激しく、フェリクスはしっかり労わせてほしい、今夜はみな泊まっていってほしいと頭を下げたその日の夜。アンジェ、リリアン、ルナ、エリオット、クラウスそれぞれに客室があてがわれ、夕食後のひと時をそれぞれの部屋で過ごしていた頃、アンジェの部屋からフェリクスの侍女と他のメイドたちが飛び出してきた。


「なんだ、どうした」

「セルヴェール様が……!」


 声を聞きつけて客室から出てきたルナを見て、侍女はそう言ったきり言葉を失ってしまった。とても怯えた様子で、閉めてしまったアンジェの部屋の扉をじっと見ている。ルナは顔をしかめながら侍女に歩み寄った。


「アンジェがどうかしたか? 容体が急に変わったか」

「あの……お召し物をお脱ぎいただいて、湯浴みか、せめて拭いて差し上げようと思ったのです」


 侍女は閉ざされた扉を青ざめた顔でじっと見つめるばかりだ。他のメイドはブルブルと震えながら、腕やら肩やらを痛そうに押さえている。他の客室からエリオットとリリアンとクラウスと、ルナの部屋にいたイザベラが顔を出した。廊下の端の方からフェリクスが血相を変えて走ってくるのも見える。


「アンナ、どうした! アンジェに何かあったのか!?」


 侍女はフェリクスの顔を見て絶望したような表情になり、ぽろぽろと涙を流しながら首を振った。


「殿下はご覧にならないほうが良いかと思います……セルヴェール様がお可哀そうです」

「僕はどんなアンジェだって彼女に幻滅したりなどしない、何があったのか教えてくれ」

「申し訳ありません、私はとてもお伝えすることが出来そうにありません」


 侍女とメイドたちはどれだけ問い質しても口をつぐみ首を振るばかりだった。フェリクスは廊下に集まった一同の顔をそれぞれ見る。誰もが困惑した顔をしている。ルナはしばらく考え込んでいたが、やがて面差しを正してフェリクスを見据えた。


「……見に行くしかないだろう」

「勿論だ、アンジェは僕が守る」

「魔物に直に嬲られてるんだ、どんな影響が出ているかも分からんぞ。……私が駄目だと言ったら、殿下は触れてくれるなよ。分かったな?」

「……分かった」

「護衛官殿も、くれぐれも頼みますよ」

「心得た、シュタインハルト殿」


 フェリクスが苦々しい顔で頷き、少し離れたところに控えていた護衛官も沈痛な表情で頷いた。ルナは唇を噛み、ちらりとイザベラの方を見る。イザベラは扇子で口許を隠していたが、ルナの方につつと歩み寄ってきた。


「……どう思う?」

「そうねえ」


 声を潜めて尋ねたルナに、イザベラは首を傾げる。


「『私に酷いことするつもりでしょう、エロ同人みたいに!』……って、言うじゃない?」

「…………言うな」

「そのエロ同人が、快楽堕ちでないことを祈るしかないのではなくて?」

「……相変わらずエグいこと言うな、姫御前は」

「アンジェちゃん、飲まされたものを吐いていらしたし……その可能性は分かっていたとは思うわ。吐いたことで効果が薄まっていると良いのだけれど」

「……ショコラも大概か」


 ルナはクックッと笑うと、ばしんと自分の頬を叩き、アンジェの客室の扉の前に立った。緊張した面持ちでこんこん、と扉をたたく。


「アンジェ? 私だ、ルナ様だ」


 中からは何も答えはないが、ルナの五感は何かがゆっくり動く音と、扉を凝視する視線を捉える。


「入るぞ、アンジェ?」


 やはり返答はない。ルナはため息をつき、傍らのフェリクスをちらりと見てから、ゆっくりと扉を押し開けた。代り映えのない客室、部屋の奥の方にあるベッド。布団がぐちゃぐちゃになって丸まっているが、そこにアンジェの姿はない。ルナの灰色の瞳が油断なく室内を見回し──応接セットの長椅子の端に、アンジェのドレスの裾が隠れ切れていないのを見つけた。


「…………」


 ルナは自分の肩越しに部屋の中を覗き込もうとしていたフェリクスを制し、ゆっくりと室内に入った。気配を消そうかどうか迷ったが、敢えて消さないことにし、無造作に応接セットまで歩み寄る。


「アンジェ、そこにいるのか?」


 少し離れたところから声をかけると、見えているドレスの端が僅かに動いた。ちょうどその衣服の主がびくりと身体を震わせたら、そんな感じに動くだろうか。


「アンジェ……」


 ルナが長椅子まで歩み寄ると、緑と赤の塊──緑色のドレスを着たまま、髪を振り乱したアンジェがぱっとその場から飛び退いた。公爵令嬢は身を屈め、絨毯敷きの床に手をついて、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにしながらベッドの脇まで行き、小さく身を丸める。青い瞳が粗野な憎しみの感情を宿してルナを睨み上げ、うるるるる、と喉の奥の方から唸り声が漏れた。


「アンジェ……お前……」

「アンジェ!」

「アンジェ様!」


 ルナは思わず独白する。フェリクスが、リリアンが、他の面々が室内に入ってくる。アンジェは名前を呼ばれるたびにびくりと怯えて肩をすくめている。


「ルネティオット、アンジェは……!?」


 フェリクスはルナのすぐ隣までやってきて、アンジェがしゃがみ込んで自分の肩を抱き、唸り声を上げているのを見た。日頃の清楚かつ聡明なアンジェの姿からは想像もできない、粗暴な表情でルナとフェリクスを、他の面々を睨み上げている。


「……見ててみな」


 ルナはため息をつき、アンジェに向かって歩み寄った。親友が近づく度にアンジェは怯え、四つん這いのままじりじりと後退する。壁際に追いつめられると、小さな子供が叩かれそうになって怯えるように、両腕を顔の前に挙げて庇う。ルナがそろそろと手を差し出すと、ばしんと、力加減なくその手は払いのけられる。


「しゃーっ!!!!!!」


 猫が威嚇する時とそっくりな声で、アンジェもまた威嚇し、ルナを見上げた。


「……獣化、と言えばいいかね」

「そんな……アンジェ……!」


 フェリクスが、リリアンが、エリオットが、クラウスが、それぞれ驚愕の表情を浮かべる。イザベラは目を見開いて扇子で自分の顔を隠す。ルナは今度は両手をアンジェの方に差し出すが、アンジェは唸ったり威嚇したりしながらそれらをばしんばしんと叩き、ついにはその場を飛び出した。窓際まで四つん這いで駆けると、喧嘩をするときの猫のように背中を丸め、一同を睨み上げる。


「うなぁ──お……」


 青い瞳が、ぎらぎらと燃えて一同を睨む。


「ま、捕まえるけどな。ちょっと痛い思いをさせちまうかもしれん」


 言うが早いか、ルナは一気にアンジェとの距離と詰め、ドレスの首元めがけて手を伸ばした。だがアンジェは常の彼女からは考えられないほど俊敏な動作で身をよじり、ルナの手から逃れる。驚きつつもルナは追撃するが、アンジェはその手を叩き、爪を立て、挙句の果てには指先にがぶりと噛みついて、自分に触れることを許しはしなかった。


「しゃーっ!!!!!!」

「痛ってえ……」


 噛まれた方の手のひらを軽く振りながらルナは苦笑いをする。再びアンジェに向かおうとしたルナを、沈痛な表情のフェリクスが引き留めた。


「ルネティオット。……僕に行かせてくれ」

「殿下、おい、見てただろ? 噛まれて怪我するぞ、あれをアンジェだと思うな」

「構わない」


 次期国王は唇を噛み、両手を広げながらゆっくりと腰を落とし、アンジェのほうに向き直った。


「アンジェ……僕だよ。フェリクスだ」


 アンジェはびくりと怯えて身を縮める。


「可哀そうに、怯えているね……何も怖いことはしないよ。身体を綺麗にしよう。おいで、アンジェ」


 フェリクスは優しい声音で語り掛け、屈んだ姿勢のまま少しずつ前進する。フェリクスとの距離が縮まるにつれて、アンジェは唸りながら身を低くする。


「アンジェ……おいで。大丈夫だから……怖くないよ。身体を綺麗にして温かくしよう、アンジェ……」

「うなぁ──……」


 アンジェの口から、迷っているような声が漏れる。微笑んだままのフェリクスの手が、ゆっくりとアンジェに向けて差し出される。身を屈めたアンジェの頬に、もう少しでその指先が触れる──


「にゃっ!」


 アンジェはフェリクスの手をばしりと叩き落すと、その脇をすり抜けて再びベッドの端の方に戻ってしまった。


「アンジェ!」


 フェリクスは立ち上がってアンジェを追いかける。アンジェはその様子に、立ち上がったフェリクスの身長が高いことに驚いてその場に飛び上がり、ベッドを飛び越え、サイドテーブルを蹴飛ばし、部屋の中を四つ足で駆けて逃げる──クラウスがイザベラを背後に庇い、エリオットもリリアンを引き寄せようとしたところを、アンジェが少年の手をばしんと叩き落した。勢いに負けてエリオットはたたらを踏む。引き離されて一人きりになったリリアンの前で、アンジェはすっくと立ちあがる。呆然とするリリアンを、獣が獲物を見定める目つきでアンジェはじっと見つめる──


「子リス危ないぞ逃げろ!」

「リリアンくん!」


 ルナが、フェリクスが、フェリクスの護衛官が、アンジェめがけて駆け寄ろうとする。アンジェは彼らなど眼中にないとばかりに、立ちすくむリリアンを見つめ──


「にゃあ──お……♡」


 甘く鳴きながらリリアンの肩をがしりと掴み、自分の頬をリリアンの頬にすり寄せた。


「ぴゃっぴゃぴゃぴゃ、あ、アンジェ様!!!!!!」

「んなぁ──……♡」


 ニコニコと子供のような顔で笑いながら、アンジェはリリアンを抱き締め、すりすりと頬ずりをする。


「あっ……あ、あ、アンジェ様!? アンジェ様ァ!?」

「んにゃあ──……♡」


 慌てふためくリリアン、しかしアンジェは全く手加減していないようで、抱き締める腕の力は弱まらない。藻掻けば藻掻くほどアンジェの手の中に収められていく。


「あっ……アンジェッ……!!!」


 フェリクスが顔を真っ赤にして絶句する。ルナは爆笑してその場にしゃがみ込む。エリオットとクラウスは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていて、イザベラは扇子で顔を隠しつつ、にやけているのが隠しきれていない。


「あのっ……これはどういうっ……あ、アンジェ様、落ち着いて……!」

「んなぁ──お……♡」

「あっ、あああ、アンジェッ……アンジェッ……! リリアンくん……!」

「……アレだな、猫化して野生の本能が、的な展開だったんだろうな」

「……そうね」

「今もその影響で、自分の欲求に歯止めが利かない、ってとこかね」

「ツンデレキャラがこうなると、本心が分かって楽しめるものだけど……アンジェちゃんも忙しくしてたから、その範疇なのかしらね」

「ええっ!? あっ、あのっ、アンジェ様っ!!!???」


 ルナとイザベラが頷き合い、フェリクスがわなわなと震える前で、アンジェは嬉しそうにリリアンの頬をぺろぺろと舐める。顔を真っ赤にしつつリリアンはじたばたするが、とすんとその場にしりもちをついてしまう。一緒に倒れ込んだアンジェが、リリアンの上に覆いかぶさるような形になる。自分の下に寝転がるリリアンを見ると、アンジェはにこりと笑い、ぺろりと自分の唇を舐め──


 そのまま、熱烈に、唇を重ねた。


「アンジェ!!!!!! リリアンくん!!!!!!!!!」


 フェリクスがくわっと目を見開きながら絶叫する。ルナは爆笑しながら床をばんばんと叩いている。イザベラも肩を震わせ、エリオットも顔を真っ赤にして目を見開き、クラウスは気まずそうに口のあたりを手で覆う。


「んぁっ……」

「……んなぁ──お……♡」


 蕩けるようなまなざしをして、アンジェがリリアンの耳元で鳴く。リリアンは何とか身体を起こしてその場に座り込むと、アンジェはそのままがばりと少女に抱きつき、またもとのように押し倒してしまう。


「あのっ、これは、なんなんでしょう、アンジェ様おかしくなっちゃったんでしょうか!?」

「おかしくというか……本来の自分に戻ったというか……」

「えっ!?」


 ルナは肩を震わせながら続ける。


「こいつは形から入る性質だからな。セレネス・パラディオンになるのに必死で、お前とろくに話もしてないんだろう。だが頭の中は子リスのことでいっぱいで、大好きちゅっちゅしたくてたまらなかったってことさ」

「ええっ……アンジェ様……そうなんですか……?」

「うなぁ──……♡」

「殿下の手は邪険に払ってたのに、子リスにゃこの有様だぜ、間違いない」

「アンジェ様……」


 リリアンは自分に抱きつくアンジェの顔を覗き込む。


「ほんとに……私のこと……ほんとに……?」

「にゃあ……♡」


 アンジェは幸せそうに蕩けた顔で、リリアンの頬をぺろりと舐める。リリアンは紫の瞳をゆらりと揺らめかせ、アンジェの顔を覗き込む。ルナとイザベラは互いに顔を見合わせる。フェリクスは自分で自分を抱き締めるようにしてその場で悶えている。


「さあさあ、にゃんじぇはセレネス・シャイアン様に任せておけば大丈夫だ。衆人監視なんて野暮なことはしてくれるなよ、全員部屋を出ろ。護衛なら私がしてやる」

「ずるいぞ、ルネティオットばかり! 僕も残る!」

「殿下は挟まろうとするから駄目だ。風呂に入れたりもするんだぞ」

「うなぁ──お……♡」

「嫌だ! 僕も残る!」

「護衛官殿、殿下はお疲れでいらっしゃる。丁重にお部屋までお連れして差し上げろ」

「御意」

「アンジェ……アンジェ! リリアンくーん!!!」

「うにゃあ……♡」


 フェリクスは最後までじたばたと暴れていたが、護衛官が頑張って部屋の外へと押し出した。エリオットは点目にならんばかりに呆然としたまま、クラウスは気まずそうに、イザベラはニコニコニコニコしながらフェリクスの退出に続く。残されたルナは、アンジェがリリアンを組み敷いてキスの雨を降らせているのを見て、クックッと笑い、アンジェからリリアンを引き剥がして立ち上がらせてやった。


「……本当に嫌だったら助けるから、いつでも呼べよ。体内の毒を浄化すりゃ、明日には元に戻るだろ」

「うなあ──……」


 立ち上がったリリアンに、アンジェが後ろから抱きついてくる。リリアンは仏頂面になりながら、自分を抱き締めるアンジェの腕にそっと触れた。その手から治癒魔法の優しい光が立ち上り、ふんわりとアンジェを包み込む。


「……ルネティオット様の意地悪!」

「にゃお……♡」


 リリアンの叫びに、ルナは爆笑しつつ二人に背を向けたのだった。




 


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