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1-1 すみれが鳴らす鐘の音は

 主催席から見る大講堂の景色は、オープニングムービーとは全然違っていた。


「新入生入場!」


 華やかなファンファーレと共に講堂の扉が開き、色とりどりの花びらや紙吹雪が降ってくる。画面ではただの演出でしかなかったけれど、こちら側から見ていると、講堂の二階から誰かがせっせと振りまいてくれていたのだとよく分かる。来賓席、主催席、講堂内の全ての列席者が拍手をする中、まだあどけない顔つきで新品の制服を着た生徒達が一列に並んで歩いて来た。


「ようこそ、フェアウェルローズ・アカデミーへ!」


 隣で、柔和の権化のような顔をした青年が朗々と告げる。明るい直毛の金髪に若草のような緑色の瞳、王妃によく似た整った顔。けれど国王譲りの切れ長で意志の強さを感じさせる眼差しが、彼は男で王子なのだと見る者に悟らせる。現に歩いている新入生の何人かは、こちらを見て顔を輝かせたり頬を染めたりしていた。そうでしょうそうでしょうと内心ほくそ笑みながら、彼女はちらりと彼を見上げる。


 彼──このフェアウェル王国の王太子フェリクスは、隣に立つアンジェリークの婚約者だ。


 そしてここは、アンジェリークことアンジェが前世でプレイしていた乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」の世界。アンジェは拍手をしつつ微笑みつつ、背筋がヒヤリとするのを感じる。


 一年前、アンジェ自身がフェアウェルローズ・アカデミーに入学する一ヶ月ほど前。アンジェは季節外れの風邪を引いて高熱を出し、一週間ほど寝込んだ。その時、アンジェは現代日本を生きた安藤祥子という女性の生涯の夢を見た。仕事人間の祥子は通勤時間と帰宅後にプレイする乙女ゲームが唯一の息抜きで、「セレネ・フェアウェル」ではフェリクスが最推しだった。職場ではキャリア志向で、仕事をきっちりこなすからこそ冷たい印象を持たれがちな祥子。彼女はゲームの世界でフェリクスのようなスパダリに徹底的に甘やかされるのが至福のひとときだった。


 高熱にうなされながら、アンジェは自分が誰なのか分からず混乱した。夢は祥子が昼休みが終わって帰社する途中、「セレネ・フェアウェル」をプレイして歩きスマホをしているところで終わってしまった。何かとても重いものに身体中が押し潰される感触が苦しくて悲鳴を上げると、額に冷たいものが乗せられた。のろのろと目を開けると、フェリクスが心配そうにアンジェを覗き込んでいる。その時は夢の続きで自分は祥子だと思っていたので、夢に推しが出てくるなんて最高、と思った。どうやらそれは声に出てしまったらしく、フェリクスが「オシ?」と聞き返して来たのを覚えている。そこからまた意識がどこかに引きずり回されて、何日か眠り通して、それでようやく自分がアンジェであることを思い出した。


 祥子の生涯の記憶は、夢と済ませるにはあまりに重く鮮明だった。祥子の記憶が道の途中で途切れていることと、夢の中で何かに押し潰されたことがいやに生々しく感じられた。それと同時に、アンジェリークとして十五年間過ごして来た記憶も確かにある。そして自分がアンジェとして暮らしているこの世界はあまりにも「セレネ・フェアウェル」に似ていて、自分はその中の悪役令嬢と名前も外見も瓜二つだった。祥子最推しのフェリクスの婚約者で、フェリクスと近しくなる主人公を疎んで意地悪をしてくる役柄。フェリクス攻略ルート中盤で愛想をつかされて婚約破棄され、フェリクスと主人公の仲は加速する。


(乙女ゲームの悪役令嬢に転生した、というやつなのね……)


 ゲーム内での正規ルート攻略対象で、ユーザーからもスパダリと評判だったフェリクスは、実物になるとその好人物ぶりがずば抜けていた。二つ年上の王子はもうアカデミーに入学していたが、婚約者が寝込んだと聞くや、学業の合間を縫って何度も見舞いに訪れていたらしい。寝込んだアンジェの額を絹のハンカチで甲斐甲斐しく拭いながら、ベットの脇で何時間も見守っていたとか。回復したらすぐさま花束を持って現れ、体調に合わせて食べやすい小菓子や果物を差し入れ、僕のアンジェ、本当に良かった、と瞳を潤ませてアンジェの手に頬を寄せた。それはフェリクスとアンジェの関係性としてはごく当たり前の事だったが、祥子の記憶が頭をよぎり、慌てふためいて頬が熱くなるのを隠すので精一杯だった。


 アンジェ、アンジェ。ご覧よ、二人で植えたバラが美しく咲いたよ。贈ったドレスを着てくれたんだね、君の髪色に映えてとても美しいね。父上が珍しいお菓子を手に入れられたんだ、君と一緒に楽しみたくて分けて頂いたよ、さあお茶にしよう。おいでアンジェ、大丈夫。いつも通り堂々と微笑んでいればいいんだ、父上への挨拶が済んだら、足が擦り切れるまで踊り明かそう。


 フェリクスの熱の入れよう、世話の焼きようはまさしくスパダリ王子の二つ名にふさわしかった。公爵令嬢アンジェリークは、ゲームのスチルに描かれたいかにも意地悪そうな険のある悪役令嬢などではなく、年上の恋人に愛されて幸福の只中にいる一人の少女だった。フェリクスが微笑みかける度にアンジェは、アンジェの中の祥子は飛び上がって頬を染め、それとともに罪悪感とも恐怖心とも言えぬ暗く重いものに喉を締め付けられるような思いがした。


(どうしてよりにもよって、悪役令嬢(アンジェ)なのかしら……)


 こんなに好きでも、こんなに愛されても、フェリクスはいずれ「セレネ・フェアウェル」の主人公に心変わりしてしまう。少なくとも三十近くまでは生きた祥子の記憶を持っていると、高貴な生まれで容姿にも恵まれ苦労らしい苦労も知らなかったアンジェ、彼女が最愛のフェリクスを失うかもしれない時に感じるであろう恐怖、怒り、嫉妬、そんな突き刺すような感情は痛いほど理解できた。それがゲームと二人を盛り上げる虐めにつながってしまうことも。そんなことをしてもフェリクスの心は取り戻せないことも、それでもアンジェも祥子もフェリクスを愛さずにいられないことも、よく分かっていた。


 ここがゲームの世界で、主人公が来るのは避けられないかもしれない。

 だとしても、卑怯なことはせず、女として正々堂々と恋を賭けて戦おう。

 フェリクスを失わないで済むとしたら、可能性は低くともそれに賭けるしかない。


 そうして今日──新入生にセレネス・シャイアン候補がいるという噂は打ち消されないまま、入学式が始まった。


「緊張しているかい、アンジェ」

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