第08話 吸って
はぁ、はぁ、はぁ──。
アスナは息を切らし、街灯の下で眠るように倒れるクレアを見つける。走り出す。ずざざと座り込んで、クレアの蒼白な顔を覗き込む。
「……あれ、家を見てたんじゃないの」
「ばか」
不思議そうにするクレア。今にも泣きだしそうなアスナ。
「なんで死ぬのよ……錬金術師教えてよ……」
「……俺は吸血鬼で、元々彼方の者だ。そんな奴が、ヒトを襲っていいはずない」
弱弱しい声で話すクレアの頬に、熱い雫が落ちた。それはクレア自身のものじゃない。アスナのものだった。
「私は特別とか特別じゃないとか。あっちとかこっちとかどうでもいいよ……。私は、私のことを思考の泥沼から助けてくれたあなたのためになりたい。本当のことが話せなくって、ナンパするのに虫を見せてきちゃうような不器用なあなたに、生きていてほしいんだよ」
アスナはマフラーを取り去った。それにクレアは驚いた。そして彼の口元に首筋をあてがう。
「吸って。私の血を上げる。これからずっとあげるよ。だから、生きて」
泣くアスナの首筋に、接吻するクレア。
「長い人生だったけど、こんなに想われたのは初めてだ。出会ったばかりで結婚を申し込んだ俺がいうことじゃないけど、君もまあまあ、変な人だよね」
ふっと笑うクレアの吐息がアスナの首にかかってくすぐったい。
「過去形で話さないでよ。──いいよ、結婚しよ。そしたら、血なんていつでも飲んでいいから」
「まったく簡単に言ってくれるな。血を吸われたら、もう後戻りできないよ」
「そんなこと言ってる場合じゃない!」
「なんで君はそこまで──」
「私のつまらない人生の希望だから。迷子の私の、灯台だからだよ」
アスナのその言葉に、クレアは胸が温かくなった。こんな人に出逢えるなんて思っていなかった。クレアは幸せな気持ちに包まれた。そして、それが愛情なのだと気が付いた時、彼は彼女の首筋に鋭い犬歯を突き立てた。
「んっ──ぐっ」
そして、クレアは生きてゆくことを決めた。この先どれだけ長い時が彼を押しつぶそうとしても、もうクレアは迷わない。大切な花嫁に出逢ったから──。
***
翌朝、微睡のなかでアスナが目を覚ますと、自分が生まれたままの姿で絹の様なお布団の中にいることに気が付いた。なんか股が痛いし……。と、そこで隣にすやすや眠るクレアを見つけ、いろいろと合点が言った。私はこんな子だったかしらんと自分の軽薄さに頭を痛めるが、でもよく思い出せばその時間はとても幸せだったと思い出す。そう、その相手に一生をあげてもいいと思える相手だったからだ。ふと首に手をやると、吸血痕の他にも吸引性皮下内出血がいくつか……。クレアさんお好きですね……と隣を見やる。
大人しい顔をして中身はちゃんと大人なんだもの。面白い。そしてアスナが彼のふわふわで銀色の髪を撫でると、くすぐったいというようにクレアが目を覚ます。
「おはよう。どんな夢を見ていたの?」
「出会ったばかりの、可愛い人と、結婚する夢」
でもアスナは彼からまだその言葉を聞いていないな~。なんて思っていると、布団から上体を少し出した彼が、アスナの頭に腕を回し、額に口付けを落とした。
「君の血は美味しい。結婚しませんか」
アスナはむっとして言う。
「血が美味しいだけ?」
あわあわとするクレア。それがとっても可笑しくて笑う。でもクレアは真剣だ。
「血を飲ませてくれるくらい、信頼してくれたあなたを、愛したい。信頼に、信頼で応えたい。一生君を幸せな気持ちにさせると誓うよ──。アスナ、結婚しよう」
100点。そう思ったアスナは彼の首筋をがじっと噛んだ。
「いてっ」
「これでおあいこ。だからまた吸って良いよ。今後もずっとそう」
アスナの頬がぽっと染まって、クレアはそれに触れる。
「ふ、ふつつかなものですが、よろしくお願いいたします……」
そして錬金術師は、パートナーをぎゅっと抱き締めた。彼女のことを、ずっと幸せにするのだと、改めて心にそう誓って。
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