第05話 錬金術
まずこの世界には「彼方」と「此方」というものがある。あちら側とこちら側という意味。隠世と現世なんて言ったりもするけど、そこまであちら側が死の世界だとは俺は思わない。
それで、彼方を認識できる人間が、たまにいる。君みたいな、本当のものを嘘偽りなく見つめようとする目を持つ人には向こうから姿を現すんだ。
かくいう俺もそう。あなたが緑玉髄に扮した擬態虫を虫として見ていたから気になったんだ。
あ、いや、だからその。結婚云々は忘れて……。口がすべってしまったんだ。
ルインそんな目で見るなよ……。
俺は中でも長生きする種族で、そう、吸血鬼。でもハーフなんだ。だから基本は此方側にいる。でも、此方の知識で彼方の者を治せることがある。自分の場合は竜。ドラゴンが専門分野なんだ。
あの街には虚構竜というものを探しに行った。結局見つからなかったけれど。
え? あ、そうそう。別にあの店でなくともいいんだ。『狭間』はコーヒーを売る店ならどことでも回転扉をつないでいるから。コーヒーを売っていて、かつ扉がある場所ならどこからでもここへ来られる。極論スーパーマーケットからでもね。
逸れてしまった。それで結局俺はその竜を見つけられなかったんだけど、代わりにとても素質のある人を見つけた。あなたに、錬金術を教えようと思うんだ。
錬金術は人が作り、彼方の者が力を貸したもの。彼方と此方をつなぐ橋だ。
その目、わくわくしている? あなたは意外と子どもっぽい所があるんだね。ううん、素敵だなと──。
あ、いや、違うよ口説いてなんかいないよ。ルインその目をやめてくれないか。
それで、俺はこのあとヘルシンキに戻るつもりで、一緒に来ないかなって。もちろん無理にとは言わない。そっちにはそっちの事情があるだろうし、フィンランドなんて遠すぎ──え? 来る?
あなたはたまに無鉄砲だって言われない? ううん、弟子にするなら、これくらい威勢がいい方が嬉しいけど、あなたにも人生のレールが……。
***
クレアがアスナを心配してそう言ったが、アスナはそっと微笑みながらかぶりをふった。
「私の人生はまだ何にも決まってないの。それで悩んでたけど、あなたのおかげでそれでよかったと思えるようになった」
それはアスナの本音だった。彼女はもう、迷うことなく、フィンランドへ行くことを決めていた。錬金術の勉強? 面白そうじゃない。
その表情を見て、クレアは複雑な顔をしたが、それは一瞬過ぎてアスナにはわからなかった。切り替えたクレアは微笑む。
「なら、ご家族に挨拶をしてきて。回転扉を使えばいつでも行き来は出来るけど、何があるかはわからないから」
アスナはココアを飲み干してこくりと頷いた。
「わかった」
そして彼女は千円札を一枚置くと、ごちそうさまでしたと言って店を後にした。
ルインは千円札というものを初めてみたが、恐らく日本人が常用する紙幣なのだと理解をした。クレアがふふっと笑うと、銅貨三枚を二人分、計銅貨六枚を支払った。
「色々教えなきゃね」
クレアは楽しみだという風に言う。けれどルインは不安だった。
「あの事。話さなくて、いいのか」
「いいよ。彼女はそういうのじゃない」
珍しく鋭い返事にルインは溜息をつく。
「これは俺の問題だから」
ルインはサービスで、もう一杯ウォッカ入りココアをクレアに出した。クレアはルインがそれ以上何も言わないことに、静かに感謝した。
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