第03話 回転扉
「ここ……?」
アスナがクレアに連れてこられたのは、駅前のコーヒーチェーンだった。会社員時代、たまに寄ってはたまごサンドを食べて、ほっとする場所のひとつだった。
「ええ、ここです」
クレアは普通な顔をしてそのコーヒーショップの戸に手をかけた。
「回転扉です。通る時に、今から言う言葉を頭の中で三度唱えてください」
「えっ、はい。え?」
「*******」
アスナはその言葉の発音が極めて難しいことに気がつく。だが、クレアは彼女が驚く顔を見ても動じずに扉を開く。
「では、あちら側で。俺は先に行きます」
あっ、と手を伸ばしたアスナ。しかしクレアは店の中に消えていく。そしてガラス戸の向こうに、クレアは居ない。
店員が不思議そうにアスナを見ている。今クレアが消えたことは、店員さんには見えていないみたいだ。
ひとまずアスナは言われた通りにしてみようと思った。
──できるかな……? 発音難しすぎないかな? なんて言ったっけ。ええと。
不安に溢れていたけれど扉に触れた時、アスナの脳裏にはその言葉が流れ込んで、無意識のうちに三度唱えていた。
──*******、*******、*******。
ああ、そうか。この言葉、発音は難しくても、音を脳内で再生するのには、そんなに難しく考える必要がないんだ。アスナの理解は正しく、クレアが何の心配をしなかったのもそのためだ。
言葉が脳裏で唱えられた瞬間、回転扉と呼ばれたその扉の周囲の時間が酷く遅くなったように感じ、身体がぐっと固まり、宇宙飛行士がやる訓練のようなイメージで、まさに世界自体が「回転」している、とアスナは思った。
扉に触れている手だけに力が入り、身体は四方八方へと伸展する重力を感じ、気を抜けばずっとずっと落下してしまうと感じる。
だが、それも束の間に終わり、ぱっと意識が戻った時には、アスナは優しいホコリの匂いがする場所にいた。
──カランランラン。ドアベルの音。
カチッ、カチッと古い時計が時を刻む。
バーカウンターのようなものがあるが、コーヒーの豊かな香りがする。
エスプレッソマシンの音。
観葉植物と吹き抜けになった二階への螺旋階段。入り込む日差し。
明らかにそこは駅前のコーヒーチェーンではなかった。むしろ年季の入った純喫茶のような雰囲気。
「着きました?」
バーカウンターの奥の席に座るクレアは、店に入ってきたアスナを見つけて手を挙げる。
アスナもひょこっと手を挙げる。
「いらっしゃい、世界の隙間へ」
アスナはもう踏み入れちゃったんだなと、少しむず痒い感覚に包まれた。
──でも、楽しみだな。
そしてアスナはトコトコ進んで、カウンター席に腰掛ける。
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