1章 26話 失意と、とある夜の約束
空は雲ひとつなく、月が己を最大限に主張する絶好の月見日和。
だが、月見に目を奪われる者はこの場において一人もいない。
だからといって、それを台無しにしなくても良いのではないかと思うことは傲慢であろうか。
月に感情があれば、そんなポエミーに怒りたくもなることが起こっているのだから。
陣が取られている場所から少し離れた丘に囲まれた盆地の外側。
月の元で一人の男が吐瀉物を撒き散らしていた。
腹の中身は粗方ぶちまけたにもかかわらず、湧き上がる不快感が消える事はない。
そのことに、自分はまだそんな事に不快感を露わにする感性が残っていたことに失笑する。
基本自己中心に生きていたと自負しており、必要であれば他者を蹴落としたこととてある。
人を殺すことも躊躇いこそあったが、元々殺しの覚悟はとうについていたのだ。
ただ一つはっきりと言えることがあるとすれば、人を殺した事に後悔はかけらもないと言うことだ。
それでもなお、不快感が消えぬのだから正樹に出来るのは自分を笑うことだけだ。
吐き気が消えることはないが、出るものがないと判断すると重い体を動かして立ち上がる。
「なんだよ」
「いや…」
正樹はぶっきらぼうに投げかけると、心配して近くまで来ていた光は珍しくも言葉に詰まる。
かける言葉が浮かんでは消えを繰り返し、口を魚のようにぱくぱくする光に、正樹は何を言いたいのかを察する。
「面倒せえな。お前は自分のこと考えてろ」
「でも、あいつはオレが殺すべきだった」
正樹はそれは誰のことだとなど言わない。
普段であればすっとぼけもするだろうが、それは命の危険が無い、失敗しても支障のない時だからだ。
実際に光があの鍔迫り合っていた盗賊を殺せたことは知っていたのに加え、あれがなければ純司と咲のフォローが遥かに楽だったのは事実だ。
あの時、恋詠は光よりも前に出ており二人に二番目に近かった。
だがそんなことを言ったら、一番近くに居たのは正樹で、最初にフォローするのは必然だ。
やるべくして殺った当然の結果なのだが、光はそんなことを聞きたいわけでは無い。
「そうだな」
それがわかっているからこそ、間を置いてから正樹は相槌を打つ。
それが途方もないやるせ無さを光に覚えさせる。
「でも良かったんじゃないか。殺さなくて」
その一言に光は、下がっていた頭を勢いよく上げる。
「あの時だけ見れば、やったほうが良かっただろうけど、この先を見ればそれで良かったろ」
「だけど…」
「殺して良かったことなんてたった一つしか無いぞ。それなら殺さないほうが遥かに得だろ。はい、この話はこれでしゅーりょー」
尚も光は食い下がろうとするが、既に終わった話と切り捨て正樹は任された見張り場に戻るように動く。
それでも納得いかないような光は、握り拳をつくると吐き出すように「まて」と背中越しに呼び止める。
「後悔は、してねーのか?」
「無い。俺は殺すべきだと思ったし、殺して困りもしなかったしな。お前らが殺しなんてしたら困るだろ。咲と純司なんて、少なくともこの場じゃ立ち直れないだろ、あいつら優しいからな。下手したら一生だ。恋詠は、メンタルは大丈夫そうだけどその後が怖いだろ、色々と。お前も耐えられないだろ。だから一番問題のない俺がやった。そう言うことにしとけばいいんだよ」
光の問いかけに、キッパリと無いと言う。
正樹はそれでも納得しないだろうと、退路を潰すように自分が殺した理由を挙げていく。
これが一番合理的であるかのように。
だが、その合理という言葉だけで本当に友人を人殺しにさせて良かったのだろうか。
罪悪感の沼にハマっている光を見て再び「やっぱ面倒臭い」と呟くと振り向き、光にタイキックを見舞う。
盛大に草むらにダイブした光は、何すんだと言うために体を起こして正樹に向き直る。
「はぁー、うざいな。あのな、俺はもう人殺しになる覚悟とか前から決めてたのよ。それをしてもなく、能天気にしてたやつが横から茶々入れて。そんなに気にすんなら勝手に覚悟決めて、殺り時が来たらやれよ。お前の罪悪感を俺で解消しようとすんなよ」
目に入った人物は心底面倒臭そうにため息をつくと、光を見据える。
うざったそうにボサボサの髪を片手で掻き回しながら、イラつきを隠すこともなく光に言い募る。
そんなこと、と言う言葉が喉元まで来るが光は出し切ることが出来なかった。
反射的に出そうにはなったが、何一つ間違ってい言葉に言い返す事が出来ない。
実際に正樹から、嘘のようなものは無い。
つまり全く慰めるつもりなどない本心だということだ。
もう用はないとばかりに振り向き見張り場に向かって行く。
その前に光は小さく「すまん…」と声をかける。
どうしようもなく情けなくて辛そうに。
「日が登るまでに整理しとけよ」
声がかかり、何度目かわからない俯きから顔を上げると正樹は止まっていた。
「そうだ、言い忘れてた。お前の面倒まで見るのは嫌だからな。光にはこのパーティー全員のお守りって使命があるだろ。それを投げ出したら俺たち全員詰みだからよろしく」
「なんだよそれ」
言われた内容に間を開けてから、苦笑が浮かんでしまう。
まさか、追い討ちをかけて人の傷に塩を塗り込んでから助けを求めるとは。
だが、正樹らしいとも思う。
いつでも天邪鬼で容赦が無く、締まりの無い友人だ。
慰めこそ貰えなかったが、立ち直る手掛かりくらいは貰えた。
その事に感謝を言いたくなるが、正樹は不意に思い出したかのように「あ」と言う。
くるりと振り返ると腰に下げだ小袋から一枚の手紙を取り出す。
「渡し忘れてたんだけど、これ」
「なんだ?」
光はいきなり渡された手紙を、不安になにらながも受け取る。
この場を咲に見られたら非常に大変な場面になるのだが幸い本人はいない。
二人ともその事に思い至り、非常に嫌な顔を浮かべて無言で頷き合う。
「俺に何かあった時の保険だな。それを冒険者ギルドにいる赤髪のオストか、黒髪を三つ編みにした眼鏡のシナってやつに渡してくれ」
「何で。てか何が書いてあるんだよ」
この言い振りに、光はそこはかとない不安を覚える。
別の言い方をすれば遺書と聞こえなくも無いのだから。
その事を予想していた正樹は、慌てることもなく説明していく。
「あぁ、別に遺書じゃないぞ。どちらかと言うと救助要請だし。中身はお前らが欲しがってるものをやるから助けに来いっていうことが書いてあるだけだから。心配なら中身見てもいいぞ」
そう言う正樹は、いつも通りの調子を取り戻したようにヘラりとおどけながら言う。
「いや、そこまで言うならいい」
「やられっぱなしも癪だからな。盛大に仕返ししてやるさ」
「そう言うとこ、マサらしいな」
あるだけの暗い雰囲気があった二人は、前のことを忘れたかのように笑い合う。
恐らくこれは、正樹の意図した事だろうと思い笑顔が苦笑に変わる。
気を遣わせるなと文句を言っておきながら、気を遣ってしまうのだから何とも難儀な性格をしていると少しの同情と大きな感謝を思う。
「マサは本当に空気読まねぇよな」
「何で光に気を使わなきゃいけないんだよ」
「それでこそだな」
言い合いながら二人して皆が見張りをしている場に戻る。
この時には既に罪悪感や不快感は吹き飛んだかのように。
いつも通りの二人であった。
代わりに、光の中には少しの不安を覚えたのだが。
●
「クソがぁぁぁあ!!」
洞窟内に響き渡る絶叫。
周囲が唖然とする中、光は弾かれたように小道があった場所に駆け寄ると、塞いでいる瓦礫を力一杯殴りつける。
だが、そんなことでは瓦礫は退く気配を見せず、表面が削れるのみであった。
それに遅れるように純司も、転けそうになりながらも瓦礫に近づくと「正樹!」と言いながらも瓦礫を叩く。
「嘘…」
「せ、先輩」
咲は立てずに呆然とし、恋詠は事態を飲み込むことを拒否してよろよろと瓦礫に近づく。
続いて正気を取り戻したアシルは、瓦礫を殴り続ける光を止めるために羽交い締めにする。
「落ち着くんだ。もうこれではどうしようもないんだ!」
「離せ!マサぁあ!」
正気に戻って欲しいと言うのもあるがなによりも、このまま叫び続けられると魔物が寄って来かねない。
それでなおも諦められないと暴れる光に、学生の中から一人の女子が向かう。
光の前に立つその女子、東城朱音は光の右頬を殴りつける。
「あなた、周りのことを考えなさいよ。叫んで状況が良くなるの?」
そんな冷ややかな言葉が浴びせられ、一瞬正気に戻るが直ぐ様に怒りに塗りつぶされる。
「んだとッ、てめぇ」
「今、正樹を助けることは不可能よ。それを認めなさい。それに、あの声は貴方達に何か託したんじゃないの?それを放棄するのは私が許さないわよ」
次で言われたのは、どこまでも強い言葉だ。
朱音の言う通り、瓦礫を退かすことは不可能。
もしも、退かす事が可能だとして魔物の大群の中に行かなくてはならないのだ。
それよりも、正樹が最後に言った言葉。
手紙を届けろ。
ダンジョンに入る前に渡された手紙を正樹は、自分に何かあったら届けろと言った。
それは保険で、これを渡せば正樹に助けが行くとも。
恐らく、こうなる可能性が高いだろうと考えていたのだろう。
あまりにも段取りが良すぎるからだ。
そう考えると、光に冷静さが少し戻る。
届けたところで、正樹が生存している可能性は低い。
だが、それは今ここで騒いだとて同じ事だ。
それならば、逃げ延びて生きている事に賭けて、正樹が確信を持って自分を助けられる人物に託した方が遥かに良い。
何よりも、騎士にでは無く外部にわざわざ頼むと言うことは、騎士は当てにならないと言うことだろう。
創神教に裏があると怪しんでいる時点で、正樹は既に外部につてを用意していたのだろう。
そう思い直すと「純司、行くぞ!」言うと、と力無く瓦礫を叩きつける右腕を引っ張り、パーティーメンバーが固まっている一角に大股で移動する。
「いいか。正樹は生きている。だがオレ達にここを直ぐに抜け出すぞ。この手紙を届ければまだ助かるかもしれないんだ」
「そんな手紙が何になるんだ!」
普段の口調を崩した恋詠が光に噛み付く。
これは予想していた事だし、光自身も同じだ。
だが、これは正樹が光に託した事でありこの状況もどうにかなるから託したのだ。
神宮正樹は無駄なことはしないし、自分の利益はしっかりと確保するのだ。
それが周りから慈善に見えたとしても。
「これは正樹が渡してきたものだ。それから正樹は自己犠牲なんてしない。これだけ言えば分かるだろ」
「そんなことっ」
「分かった、直ぐに出よう」
それでも尚、食らいつこうとする恋詠を制して純司が弱々しく同意を示す。
恋詠は正気かと純司を見るが、辛そうな顔をしていても確固たる意志があった。
これに恋詠は内心で先輩信者がッ、と盛大に悪態をつく。
「ヨミはマサの行動を無駄にするのか。したきゃすればいいが、マサが戻ってきた時にどうなるかは分かるよな?」
「でも…」
「気持ちは分かる。だけどオレ達には力が無いんだよ!どうにも出来ないんだ!無力なのを認めろ!!」
「っ…!」
尚も駄々をこねる恋詠に、鎮めていた怒りが表に出るように光は叫ぶ。
これは変えようの無い事実だ。
全員、弱くて無力なのだ。
それを突きつけられた恋詠は、二の句が出ずに目の端に涙を溜める。
「とにかく、ここに残っても出来ることなんてねぇぜ。シンイチとシュウタ、お前らもいいな」
「は、はい…」
「分かった…」
光の怒りを鎮めるために深呼吸をした後に聞かれた二人は、焦燥としつつも光の言う通りなので素直に頷く。
そうこうしているうちに、隊列の再編が終わっていたようで話の区切りがつくまで待っていたアシルが話しかけてくる。
「話はまとまったな。では君らには中央部で全体のサポートを頼みたい」
「配慮、ありがとうございます」
ここでこの意味がわからない光では無い。
今の正樹班は、とてもでは無いが戦闘をできる状態では無い。
指揮を取っていた正樹の不在に加えて、全員の精神状況。
ちらりと咲を見ると、魔力切れに加えて精神的な負荷のせいで気絶していた。
これでは誰かが咲を運ばなくてはならないために、さらに戦力が減る。
戦力外通告とも言えるが、個々の能力は高いので無理矢理使えなくも無いが、それよりも全体の調和を求めたのだろう。
イレギュラーが起きた時に崩れにくくなるように。
直ぐに移動し始めた周りを見て、光は咲を背負うと立ち尽くす恋詠に行くぞと声をかける。
ここで残るようなら縛ってでも連れていこうと考えていたが、それは杞憂なようで魂が抜けたようではあるが光の後ろをついて行く。
その際に、殿になった朱音の班が光達の後ろに着くように下がってくる。
その際に隣には周りに止められるように勇樹が食ってかかっているのが見える。
しかし、朱音に怒鳴られて班員に引き離されて前衛に引き摺られるように連れていかれる。
殿の位置に行く際に、光の隣をすれ違うように抜けようとしたので先程のことで礼を述べる。
「さっきはすまなかった。おかげでどうにか持ち堪えられた」
「礼には及ばないわ。私も何も出来ずに幼馴染を見捨てたような物だから」
そう言う朱音は強く握り拳を作る。
だが、それは一瞬のことで軽く頭を振ることで、気持ちを落ち着ける。
「気落ちしているだろうけど頑張って。あなた達に何かあったら正樹に合わせる顔がないから」
光としても、これ以上の犠牲を出す気はさらさらない。
これは決定事項であり、絶対に果たさなければならない使命だ。
合わせる顔がなくなるのはこちらとて同じことだ。
それに同意するように「そうだな」と呟くと、歯を大きく食いしばる。
何も出来ない無力な自分を呪うように。




