4章 156話 真っ黒な少女達
蹴りを入れられて苦しげに息が吐き出される。
それでも空中で体勢を整えて着地するチェルシーだが、そこそこのダメージにおもわず腹を抑える。
「こんの、クソガキぃ!」
「えぇ〜、あんたに言われたくないなぁ。あ、もしかしてそれって若作り?きっつぅ〜」
念願叶って引っ張り出せた暗殺者は野暮ったい黒ローブを羽織り、似つかわしく無い眼帯を付けた黒いエルフ。
俗に言うダークエルフの少女だった。
そんな、愛らしい姿が台無しな形相で憎々しげに睨みつけるが、殺気の込められた視線をコヨミは飄々と受け流す。
それどころか、ケラケラと心地よさそうに追加の油を注ぐ始末だ。
顔を仮面で隠しているのにニタニタしているのがありありと伝わってくるのだから、その煽りスキルは相当なもの。
「ぜったい殺すッ!その仮面剥いで八つ裂きにする!」
「わぁ、こっわぁい。育ちの悪さが滲み出てるよ。親が良く無いのかなぁ?それとも素の性格が悪いの?」
今までに感じたことの無い激情がチェルシーを襲う。
言葉だけで頭の中の何かが千切れる音を聞いたのは初めてだった。
続け様に「ねぇどっちどっち?」といやらしく聞くコヨミだが、そんな言葉が耳に入らないくらい一周回って頭が冷えていく。
「黙っちゃってどうしたの?もしかして図星?」
そうと知ってか知らずか尚も悪意を畳み掛けるコヨミだが、見るに堪えない言動の数々にバチがあたったのかゾンビモドキが襲いかかる。
折角良いところなのにと文句を言いながら、邪魔をしてくれた礼に首を刎ねてやる。
ミカのお陰でまばらと言えるくらいに数を減らしたが、それでも邪魔なものは邪魔だなと内心愚痴る。
そんなゾンビモドキを倒すために割いた一瞬の隙をダークエルフの少女は見逃さなかった。
「死ね」
呟きを置き去って小さな体が弾け飛ぶ。
仮面のせいで視線の動きが読めないことが少し面倒ではあるが、この手のことをして何十年もの研鑽を積んだチェルシーは完璧なタイミングで攻撃を仕掛けた。
音を、存在を、殺気を。
全てを置き去りに、黒い刃と化した少女は歪なナイフを振るう。
(簡単には殺してあげない。まずはその足を代価にしてあげる!)
生意気な口を聞いた代償を確実に払わせるために。
なによりも、基本に忠実に機動力を奪うためにチェルシーは最初に足を狙う。
さて次はどうしてくれようか。
経験上、今から視認して防ぐことは不可能なのを知っている彼女は、いかにすればこのクソガキを惨ったらしく殺せるかに思いを馳せる。
しかし、それはあまりにも気が早すぎる考えだ。
「育ちが悪いと手癖も悪いんだ」
ナイフに硬質な感触が伝わる。
顔を向けもしないでコヨミはナイフの軌道上に引き抜いた剣を置いた。
(どうして!?確実に見えてなかったはずなのに!)
視線も意識も完全に外せていた。
証拠にチェルシーが動いた時にコヨミは何の反応も示していなかったのだ。
それがどうしてナイフが当たる直前になって反応できたのかが全く分からないと目を見開く。
「よそ見してると思った?残念、視えてるんなぁ」
危険を感じ取ってチェルシーが身を引こうとした時には、剣がその身を切り裂いた後だった。
コヨミは見失ったのではない。
“視えているのだから”見る必要が無いに過ぎない。
「うぐぅ…」
途中で身を引いたお陰で何とか致命傷を避ける事に成功したが、その身からは少なく無い血が零れ落ちる。
意表を突いたつもりが手痛い反撃をもらう結果になり、少しの冷静さを取り戻すのは流石とも言えるのかもしれないが、どうしようにも相手が悪かった。
「そんな怒んないでよぉ、ただのクソガキの戯言なんだし。そんなに気に障ったならあやまるよ?堪え性の無い性格のこと?救いの無い環境のこと?それとも…」
チェルシーは何百もの人を直接手にかけて、何千もの人をその悪意で不幸にしてきたのかもしれない。
しかし、こと悪意に関して言えばコヨミは遥かに上を行く邪悪に他ならない。
環境に恵まれず、親に恵まれず、常人離れした才能に恵まれなかった少女は、その美貌を踏み台に悪意の泥沼の中から這い上がったのだ。
暴力などで簡単に解決できない、人と人の駆け引きの中で培われた話術と演技は、ある意味殺人鬼のチェルシーを軽く上回る邪悪を育て上げた。
「どうしようも無くダメなパパママのことぉ?」
ニタァ…
チェルシーは勘違いをしている。
先に隙を見せたのは他でも無い彼女自身だということに。
少しでも言葉に反応したが最後。
コヨミは相手の心情心理を読み取り、そこから弱みを見つけてどこまでも執拗に痛めつける。
ギリリと歯を食いしばる。
「………ぁ…」
「はい?会話は良く聞こえる声でって習わ…」
「その汚い口を開くなァ!!」
戻った冷静さを遥かに上回る憤怒がチェルシーを突き動かした。
チェルシーは元難民であった。
幼少に戦争に巻き込まれた彼女は父母と共に当てのない流浪の旅を強いられる。
エルフ同様に珍しいとされるダークエルフではあるものの全く姿を見ないと言う訳ではないし、アルジア大陸の中に異種族の差別意識の低い国はそれなりにある。
なのに両親と各地を彷徨う羽目になったのには彼女に原因があった。
『蠱惑の魔眼』
一定条件以下の人や動物をある程度操れるといった魔眼で、珍しくはあっても強力なものではない瞳。
これを所有しているだけであれば大した問題は無いのだが、彼女はこのスキルをうまくコントロールすることが出来なかったのだ。
彼女と目を合わせると意識がおかしくなる人々が続出し、気味悪がられながら行く先々で追い出されるの繰り返し。
最終的には魔物だと断定されてしまい、立ち寄った町の者達に討伐されそうになった。
それでも今尚生き永らえているのは、こんな自分でも愛してくれた両親が命を賭して守ってくれたからに他ならない。
片目を切り裂かれ、父を切り刻まれ、母を吊るし首にされた。
あの時の憎悪は半世紀近く経った今でも忘れない。
同時に忘れることのない最愛の両親。
そんな二人を貶したコヨミを彼女は決して許さない。
怪しく光るチェルシーの瞳にコヨミはおどけながらも、わずかな不快感から警戒心を高める。
目に異変が現れるのは魔眼系スキルの特徴だ。
(変な感じがしたし、自分じゃなくて他に干渉するタイプのやつぽいかな。ウチは揃いも揃って自己強化系だし、イマイチ分からないなぁ)
何も無いことに肩透かしをくらうものの、ガサツ気味なコヨミでも何も無いと考えるほど楽観的な性格はしていない。
分析に勤しんでみるが、言葉や演技での駆け引きは得意分野であっても、こういう能力の推測が混じるタイプはどうにも慣れないせいで難しい。
なにより、アニメや漫画などの知識が人並み以下の彼女にはこういう読み合いはそもそもが無理な話ではある。
なので、考えることを止めはしないものの、一先ず脇に置いてチェルシーの動きに神経を研ぎ澄ませる。
「およ?」
その甲斐あってか、コヨミは直ぐに些細な異変をキャッチする。
訝しむ彼女を他所に両サイドから挟むように襲い来るゾンビモドキ達。
知性の無い彼らにしては連携らしい連携になっているその行動に、他の者なら珍しい程度の考えで終わっただろうが、彼女の目にはそうでは無いことが映っていた。
コヨミは今回もゾンビモドキを見ることもなく、剣の刃を通り過ぎる軌道上に置くだけで対処しようとするが、寸出の所で二人は急停止をする。
そして、攻撃のタイミングをずらしたことでカウンターをやり過ごしてから、再度襲いかかる。
今までに無かったフェイントと言う行為は、丁度対処に慣れ始めた者達にとっては意表を突くに充分の効力を発揮するだろう。
「けど、ざーんねん」
フェイントに引っかかったフリをしたコヨミは、お見通しだと身を屈めてやり過ごしてから二つの首を切り落とす。
そんな得意げになっている彼女にチェルシーは這うように突貫していた。
勿論、目を離してはいないコヨミは少し手間が増えた所で問題なく対処できると、双剣で迎え撃つ。
(おもぉ!?こんなちっさいのに重過ぎでしょ!)
速度と言う力を得た攻撃は、上級の肉体を持ってしてもよろめかせる威力だった。
コヨミも小さい方ではあるがチェルシーはそれよりもさらに一回り小さい。
そんな幼女一歩手前の身体からの攻撃とは思えない威力に内心愚痴っていると、背後から人間砲弾が迫っていた。
予知でそれも察知していたコヨミは身体を捻って斜めに倒れ込むように避けたものの、そこへ執拗にチェルシーがナイフを突き刺す。
それも間一髪で全て避け切ってやっとの思いで上体を起こしたコヨミだったが、目の前には視界を覆い尽くす量のゾンビモドキが飛びかかっている最中であった。
(何が残念だクソニンゲン。ママとパパを侮辱した罪はその命で贖え『鏡の導』!)
チェルシーは仄暗い歓喜を叫びながら、何重にも仕掛けた罠の最終仕上げを執り行う。
誰の物かも分からない剣に、歪なナイフが突き立てられる。
本来硬質な金属音が鳴るハズの行為は、バターに突き立てたかのように何の抵抗もなく刃が沈み込む。
そのまま剣を引き裂くと不思議な亀裂が出来上がり、その先には見るも腹立たしい白い団服の後ろ姿と他を覆い尽くすゾンビモドキの姿。
これがかねてより予想されていたチェルシーの持つ空間移動系のスキルである『鏡の導』だ。
姿を映し出すことの出来る物体同士を出入り口にすることが出来ると言った能力で、条件としては傷つけた光を反射出来る物体同士を起点にして空間を繋げることが出来る。
今回の場合は予め付けていた武器の幾つかをゾンビモドキに持たせて突撃させ、その中から背後をつける武器と近場にある反射物を繋げてみせた。
(しねぇ!!)
確実に獲ったと確信を抱きながら空間の切れ目にもう片方のナイフを突き出す。
肉を切り裂く感触。
吹き出す鮮血が策の成功を祝うかの如く盛大に吹き荒れた。
「イギャァァァァア!!?」
騙し合い勝負はコヨミに軍配が上がった。
激痛から腕を引き抜いてみれば腕が無くなっていた。
何故だ何故だ何故だ!!
夥しい出血をする腕を抑えながら、チェルシーは信じられないと自問自答する。
よくもよくもよくも!と自分の腕を奪った怨敵を歪んだ顔で睨みつけようとするが、赤く染まりながらも蠢く人の団子を前にすれば、行き場の無い怒りにやるせなさを感じた。
(最後の最後で一矢報いたつもりなの!!?)
散り際まで性格が悪いコヨミに、目の裏が明滅するほどの怒りを覚える。
殺しただけでは気が済まない。
この場にはまだ他のアレクレア騎士が居ることも忘れて怒りを表す様にチェルシーは人間団子に近づく。
「ゴミどもそこをどけ!!」
在らん限りの大声で命令を下すと、蠢いていた人の塊は動きを止めて緩慢な速度で解けていく。
早く早くと一先ずクソ女を挽肉にしてやると決意を浮かべるチェルシーは、今か今かとコヨミが姿を現すのを苛立たしげに待つ。
そろそろ姿が見える頃か。
どんな醜い姿に変わっているのかを想像し、少しでも唾棄を下げようとするチェルシーだったが、怨敵にナイフを突き立てるよりも先に自分の胸から剣が生やされた。
「なッ、んでッ………!?」
「なんででしょう?」
ありえないと目を見開くチェルシーは、その一言を最後に剣を引き抜かれて地面に倒れ込む。
最後にも憎たらしい言葉を余裕綽々の態度でかけたコヨミだが、その実かなりの綱渡に心臓をバクバクさせていた。
(あ、危なかったぁ!?予知無かったら余裕でお陀仏だったぁ…)
チェルシーと相対してから『予知』のスキルを使い続けていたコヨミは、彼女の罠はある程度看破していた。
とは言え、数秒先しか見通せないせいでゾンビモドキに囲まれる状況はどうしても回避することが出来なかった。
そこからは、取り敢えず後ろから差し出された腕を貰い、そのあとは死に物狂いで針の穴を通すようにゾンビモドキの間をすり抜けて脱出に成功した。
(服のお陰で切り傷が無いのは嬉しいけど、身体中が痛いなぁ…)
代償として変な動きや色々な物がガシガシ当たったせいでまぁまぁのダメージを受けはしたが、そこは必要経費だと割り切るしか無い。
せめてもの救いは団服のお陰で体が傷物にならなかったことだ。
それともう一つの幸運は最後の最後でチェルシーが油断したこと。
腕を奪ったとは言え、彼女最大の強みはどう考えても足の速さと厄介やスキルだ。
冷静さが一欠片でも残っていれば、その脚とスキルで逃げ仰られた可能性は非常に高いだろう。
見た目ほど快勝では無い辛勝に加えて、コヨミは体の痛みに半ベソをかきそうになりながら、鞭を打って他の手助けに動いた。
『こっちは終わりましたぁ…疲れたんで出来るだけって、あれ?』
『ヨミちゃんお疲れ様。ゾンビの相手は私に任せて、少し休んでてね』
『それは嬉しいんですけど、先輩居なくないですか?』
小走り程度の速さで戻ると、ワウルと共にゾンビモドキを蹂躙途中のミカが労いの言葉をかけてくれる。
随分と余裕そうな状況につい甘えを出そうとするが、いつの間にかマサキがいない事に気がつく。
『あはは…なんか野暮用とかでどっかに行っちゃったんだよね』
『えぇ、こんな時に!?あんの人、ホント自由過ぎじゃないですか』
司令塔が仲間を放り出して単独行動を始めるなど、ありえることなのだろうか。
コヨミですら呆れる迷惑行動なのだが、それでもこの程度で済むのはオスト小隊の緩い空気故。
他の隊なら懲罰物の問題行動だ。
『うーん、今回はストレスの爆発のせいなんじゃないかな。急に元気になってたし、気持ちが振り切れた!みたいな』
『先輩のストレスを溜めるタンクって穴空きじゃ無かったんですか?』
『穴は空いてるかもだけど、全部が出る訳じゃないからね。たまに爆発してるよ』
コヨミの発言がいつも通り失礼なのはともかく、ミカを持ってしても似た様な認識だ。
異才奇才集団のオスト小隊の中でも目立って奇行の多い彼だが、ミカはマサキも同じ人の子だと言うことをしっかりと理解している。
『それって大丈夫なんですか?』
付き合いとしては比較的新しい方のコヨミはそんなマサキを知らないので、少し不安に思ったらしい。
『大丈夫と言えば大丈夫だし、大丈夫じゃないって言えば大丈夫じゃないかなぁ。けど、私たちには変な事は起こらないからあんまり気にしなくていいよ』
『なんなんですか、その怖い言い方!』
やんわりとした中身の無い説明に余計怖さを掻き立てられたコヨミは、不安を紛らわせる様にゾンビモドキの数を減らす。
お陰で少しだけ効率が上がったのは、ここだけの話であった。




