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時刻98 突然の告白

 § メイヤの村 宿屋


 誰かといる時間は、時として何もかもを忘れられる時間である。しかし、その反動はやがて一人になると押し寄せてくる。

 ベッドの上に転がったトキヤはしばらく天井を見つめていたが、なかなか睡魔は襲ってこない。

 網膜にこびりついた記憶、ナインズティアに来てからは様々な死に直面した。

 過去の記憶を思い出す度に眠れなくなる。そこにまた新しい記憶が加われば、今後も忘れられなくなるだろう。

 それでもまだ眠れる。眠ることはできるはず。もし今の未来を掴み取れていなかったらどうなっていた?

 考えるのはよそう。トキヤは起き上がると、嫌な気持ちを振り払うため、部屋の入口へと足を向けた。


「――折り入ってお話があるの」


 ドアノブに掛けた手が止まる。ほんの僅かに開いてしまった扉の向こうから、話し声が聞こえたからだ。

 レナの声。隙間からこっそり覗いてみると、淡い光の中でシスティアの姿も確認ができた。


「ダメ」

「まだ何も話していないわ!」

「だってトキヤ君のことでしょ?」


 その場にいない当事者の名が出てトキヤは焦る。

 記憶を探ってみるが、レナには助けられただけで特別何かをしたわけではない。妙な熱視線を感じただけだ。けれども、それが原因だとすぐに分かる。

 レナが少しだけ顔を背けると、薄暗い中でも恥ずかしそうにする素振りが見て取れたからだ。


「……あの方からはただならぬ魅力を感じたわ。一目惚れというのかしら……。シアが気に入るのも分かる」

「な、何を? 私は別に、そんな」

「気に入っているわけではない? ならなぜ? なぜシアは彼を近くに置いているの? 彼は貴族でも、騎士でも、貴女の使用人というわけでもないのに」

「それは……その、護衛として」

「彼より強い貴女が護衛に、ね」


 床を鳴らし、システィアの後ろへと移動するレナ。立ち止まると、そのままの状態で会話を続ける。


「一目見たときから、ここで彼と出会えたのは運命だと思った。身分の違いさえなければ、どれほど良かったか」


 レナの顔が暗く染まる。システィアは何も言わないままだ。


「貴族ではなく、騎士でもない。それでも、わたくしが抱いたこのときめきは間違いではないと思う」

「何が言いたいの?」

「……彼をわたくし専属の執事にしたいの」


 ――専属の、執事? レナが会ったばかりの俺を?


 いきなりのことで頭が回らないトキヤは、その話の行く末を見届けるため、もっと耳を寄せた。


「ダメ、ダメよ! ダメに決まってる! そもそもトキヤ君だってそんなの」

「トキヤさんが良いと言えば納得するのね?」

「それは……!」

「彼は貴女の使用人でも、貴女の騎士でもないのよね。ただ気に入ったから側に置いている。違って?」

「…………」

「沈黙も答えよ。わたくしなら彼を危険な目には遭わせない。同時にナインズティアでの最高の暮らしを与えられるわ。悪いようにはしないし、エルデヴァイン家ならフローレンス家以上の待遇を与えることだって可能だもの」

「私から友人を奪おうと言うの、レナは」

「それは違うわ! ただ……ただ貴女といても彼は飼い殺しにされるだけでしょう⁉ だって貴女には――」

「っ……! 誰っ⁉」


 木の床がギシっと鳴り、二人の視線がトキヤのいる部屋に向いた。

 前のめりになりすぎた。思わず態勢を立て直そうとした影響だ。

 今からベッドに戻って寝たふりをするか? まさか。もう遅すぎる。これは観念するしかない。


「トキ……ヤ君」

「どうやら、起こしてしまったみたいね」

「悪い、盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」

「いいえ、話が早くて結構だと思うの」

「え?」


 レナはかぶり振りながらトキヤに近づくと、両手でトキヤの手を握った。


「どうかしら? トキヤさんさえ良ければ、わたくし専属の執事になってくださらない? もちろん、白の領土で行える最高の暮らしを約束するわ」

「い、いや……その、俺は」


 真正面からぶつけられるレナの視線。それを避けるように、トキヤはシスティアの方へと視線を移した。


「…………」


 顔を俯かせたまま、システィアは何も言わない。

 いつからだろうか、誰かの顔色を窺いながら過ごすようになったのは。そして、それはこのナインズティアでも遺憾なく発揮される。

 ああ、良くない。誰からも嫌われたくないという欲が出ている。穏便にすませたいという欲が。

 美しい女性にここまで熱烈に言い寄られて、好意を持たれることに悪い気は起きない。同時に否定するのがとても難しくなる。これは特有の悪い癖か?

 いや、けれどもだ。


 ――一度は選んだことのある選択じゃねぇか。あの現実という世界で。何迷ってんだよ。


 ナインズティアに飛ばされず、もし過去の選択をもう一度迫られていたならば、きっと頷いていた。だけども世界は移されて、レナもあの子ではない。

 トキヤはゆっくりと首を左右に振った。


「悪い、レナ。俺は君の執事にはなれない。そういう教育も受けてないし」

「でしたら――」


 違う。もっと、はっきりと否定を示すべきだ。否定の返事に曖昧さを残すのは、自分への甘えにすぎない。


「ごめん、はっきり言うべき……だよな。レナなら多分、教育も受けさせてくれるって言うんだろ? でも、俺は白の領土に行くつもりはない。その気すらないんだ」

「でも! 今のナインズティアの情勢があまりよろしくないのは知っているはず! 今日だって危険な目に遭ったはずでしょう⁉」

「分かってる。でも、これは俺の選んだ道だから、危険な目に遭うなんて承知の上なんだよ」

「その気持ちを変える気は……?」

「ない」


 俯いていくレナの表情を見て、胸が締め付けられていく。


「……そう、です……か。それはとても、残念ね……」


 だが、これでいい。これで間違いはなかったはずだ。そう自分に言い聞かせるしか、今のトキヤにはできなかった。


「いえ、当たり前ね。ここで振り向かせてみせても、最終的にはわたくしだって貴方を飼い殺しにしてしまう。白の領土に閉じ込めたって、きっと窮屈で仕方のないものになるわね」


 俯いた顔を「けれど――」という言葉で上げると、凜とした表情でトキヤを見上げた。


「もしシアに愛想が尽きたら、いつでもいらして? 貴方なら歓迎するわ」


 それじゃ、また明日ね。と手をヒラヒラ振り、レナは宿屋を去っていってしまう。

 芯の強い女性だ。自分ではとても真似できそうにないと思うくらいに。

 残された二人。驚いてしまった顔を、体裁よく隠すシスティアにトキヤが寄る。


「……びっくりしちゃった、あの子の申し出を断るなんて」

「そうか?」

「そうだよ。レナって結構強引なところはあるけど、根は良い子だし。身分の差を重んじてるはずなのに専属の執事にだなんて、本当に気に入っている証拠」

「つーことは、俺ってもしかしてすげぇチャンスを不意にした……?」


 会って間もないトキヤには想像もつかないが、システィアが言うなら本当なのだろう。冗談交じりにそういうとシスティアも冗談で返してくれる。


「間違いなくね、私がトキヤ君なら飛びついてたかも!」

「おいおい、マジかよー……」


 コロコロ笑うシスティアにトキヤは内心ホッとする。

 この選択で間違いなかった。いや、最初からこの選択しかなかったのだ。だから、これでよかった。


「でもね、トキヤ君」

「ん?」


 床を見つめたままのシスティアがトキヤに寄ると、ぽんと彼の胸を叩き、呟いた。


「私に愛想が尽きたら、トキヤ君は好きなところ、どこでも行っていいからね」

「……おいおい、そりゃ逆だろ? 愛想尽かされるなら、きっと俺の方が早いぜ! 今までのやらかしでもかなり危ねぇってのに!」


 がははと大げさに笑ってみせるが、離れたシスティアの表情は変わらない。

 それはまるで、『これは冗談じゃないよ?』と言っているかのようで。


「ごめん、今日はもう寝るね。おやすみなさい」

「あ……ああ。おやすみ、システィ」


 振り返らず、パタンと閉められる扉。見送った後、トキヤも自室に戻ればベッドの上で目を瞑る。

 眠れない。今日だけでいろいろなことが起こりすぎて。

 気づけば、朝日は昇り始めていた。

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