時刻97 輝白の姫
「トッキー!」
「ぐはっ!」
その声と共にドスンと背中へ一撃、トキノがまたしても悪質タックルを決めてくる。
「やー今回ばかりは流石の私でもダメかと――」
「馬鹿やろう! 何が流石の私でもだ! こんな無茶をしやがって、一体俺がどのくらい……! どのくらいっ……ホントに……」
あの日の自分もこんな感じだったのだろうか。
知識もなく、力量すらも弁えず、逃げるようにしてフローレンス近辺の森へと辿り着いたときのこと。『ベア・ザ・クロウはもういない。他の敵なら俺でも倒せる。それで少しでも――』。そんな甘い考えの中、事件は起きてしまった。忘れられない、血の戦い。
ジョシュアたちもこんな気持ちだったのだろうか。
これほどの憤りを感じていたはずなのに。ジョシュアが寛大な処置で済ませてくれたのは、フリッツを失ったトキヤに対しての最大限の酌量だったのかもしれない。
厳しく、等しく罰を与えるべきであるはずの大貴族、ロイヤル・ギルティ。
今になって気づく。ジョシュアの優しさにも、フリッツに尚も救われていたことを。
「……いや、無事でよかった。よかったんだよ、トキノが」
「え、えぇぇーっ⁉ ちょ、ちょっとトッキー⁉ これは流石に……恥ずかしいってぇぇ」
珍しく顔を真っ赤に染めるトキノ。ギュッと抱きしめる腕からバタバタと逃れようとするが、トキヤは嬉しかった。
怖かったのだろう。トキノの体は小刻みに震えて、和服越しに若干の冷たさを感じる。
けれども生きてる、生きている。それが何よりも嬉しい。
「は、はい! もー終わり! これ以上はお触り厳禁です! もしシスティに見られてたら、何されるか分かったもんじゃないし!」
「わ、悪ぃ。そんなつもりじゃなかったんだけど……ってシスティと俺はそんなじゃねーぞ!」
ギャーギャーと言い合っている間、目線の端でギルドカードが空を切るのを見た。助けてくれた大恩人を蔑ろにして、身内で話をするなど失礼極まりない。
「あ、あのー」
「……魔物とは思えなかったけど、霧になったということはそういうことなのね」
意味深なことを口ずさんでいる。ゴーレムのことだろうか? 確かにあれは、今まで戦ってきた生物型の魔物とは少し訳が違った。
あれもかつては生物だったのだろうか? いや、それよりもだ。ここでお礼を言えず終いなど、更に体裁が悪くなってしまう。彼女が「ん?」と気づくと、トキヤは大きく頭を下げる。
「あーえっと! この度は助けて頂いて本当にありがとうございます! ……あーほら! トキノも頭を下げて!」
「あ、はーい! えっと、ありがとうございますー! 一命を取り留めました!」
「ああ、いいのよ。人助けをするのはわたくしの仕事でもあるか――ら⁉」
「へ?」
彼女がトキヤの顔を見るや否や、表情を驚きの物に変わっていく。そしてズンズンズンと効果音が鳴りそうな勢いで、距離は吐息が交わるくらいにまで縮まった。
「あ、貴方お名前は⁉」
「えっ? ええぇぇっと」
これは――とんでもない熱視線だ。鈍感なトキヤにでも分かるほどの。
トキヤがどうしたものかと言い倦ねていると、
「トキヤくーん! 無事ーっ⁉」
絶好の助け船が来た。システィアの声にトキヤが反応すると、目の前の少女もビクリと反応する。
「この声は……まさか」
「はぁ……はぁ、あれ? レナ?」
「シア! なんでこんなところに⁉」
「なんで、って王都まで用事があったからだけど」
「だからと言ってどうしてわざわざメイヤに……」
「ほえ? 二人は知り合いなんです?」
トキヤの疑問をトキノがぶつけてくれる。レナと呼ばれた銀髪の少女は体裁が悪そうに「腐れ縁です」と言っているが、システィアは「学校からの友達」と困ったように笑っていた。
そして遅れることもう一人。カレサがこの場へやってくるがそのまま走り抜け、バラバラになった木の板と布きれの近くでしゃがみ込んだ。
「ウチの……角車が……。あの子も……」
「カレサ……」
トキヤが彼女に寄ると、近くに車輪が転がっていることに気づいた。ゴーレムに壊されたのか、見るも無惨な角車の姿。大亀の方は逃げ出してしまったのか見当たらない。
「カレサ師匠……ごめんなさい。私が上手く守れてたら」
「それを言ったら私だって……。村の中だからって安心せず、ちゃんとカレサに着いていけば」
「……いいんや、トキノが無事でよかった。シスちゃんもウチのためにありがとな!」
その笑顔は、悲しみを隠すための笑顔だったのだろうか? 読めない本心にトキヤは、きっとそうだと自分の無力さを恨んだ。
§ メイヤの村 レストラン
冷えてしまった料理は再度温められ、店主の顔色も良くなっている気がする。
先程の少女、レナがここに顔を出してからだ。店主と話し終えた後、トキヤたちの元に戻ってくる。
「ごめんなさい、待たせたわ。けど、同席してもよいのかしら?」
「もちろん! トキヤ君たちを助けてくれたんだし、おもてなしくらいさせて欲しいな」
「せっかくだし、俺も同席してもらいたいかな」
「シアからはともかく、貴方様が仰るならもちろん!」
「レナって、ところどころ私に嫌み言うよね!」
「それはその服と髪色のせいではなくって⁉ 赤のフローレンスなのに、どうして貴女はこっちのモチーフである白ばかり――」
「ふふん、似合ってるでしょ?」
「うぐっ、似合ってない! 似合って……なんか!」
システィアの手の上で踊らされている。思った以上に分かりやすい子だ、嘘を言えないタイプなのだろう。
「それで……さ、システィ。紹介してもらっても?」
「あ、そうだったね。この子は――むぎゅ」
「申し遅れましたわ! ……コホン! わたくし、輝白街エルデヴァインの次期当主、レフィナ・エルデヴァインと申します。親しみを込めて『レナ』とお呼びくださいませ」
レナは紹介しようとしていたシスティアの頬を押し退けると、スカートの両端を上げ会釈をする。前者の行いはともかく、仕草は紛れもなくお嬢様のそれだ。
レフィナだから『レナ』。そして、彼女がシスティアを『シア』と呼ぶのも最初と最後の文字を取ってというわけか。
「あ、ああ……よろしくな、レナ。俺はトキヤ。トキヤ・ホシヅキ。輝白街の次期当主ってことはその、やっぱり大貴族の?」
「ええ、よくご存じで。光栄であります。トキヤ様は……ホシヅキ家ですね? ……ええっと、すみません、浅学なものでして。確か高名な貴族の……」
「いや、そういうのじゃないよ。だから様付けとかじゃなくて、もっとフランクに話してくれれば」
「お優しいのですね、ではトキヤさんと。貴族ではない……ということは騎士殿でしょうか?」
「き、騎士? いや俺はシスティとジョシュアさんに良くしてもらってるだけで」
「え?」
レナの表情が訝しげに変わる。途端、システィアがトキヤに助け船を出した。
「レナ」
「あ。あぁぁ、ごめんなさい! わたくしってばとんでもない失礼を」
「いや、別に失礼とか」
「では、普通にお話しましょう! 食事を交えて!」
レナがパンと両手を叩くと、机に突っ伏していたトキノが顔を上げた。
「う、うぅ……そろそろ食べて……いい?」
「おわっ! トキノがグロッキーだ! 我慢せずに食べろ食べろ!」
「やたーっ!」
みんなが食べ始めるまで待ってるとは、なんて律儀な。トキヤは苦笑するとレナの方を窺う。
さっきまでの熱視線は薄れ、対応も若干変わった気がするがこっちの方がやりやすい。システィアの助け船に心の奥で感謝を述べた。
「そういやさ、レナ。どうしてこの村って疲れた顔をしてた人が多かったんだ?」
「……それは」
「多分、魔物のことよね。白の立場からして、赤に隠したい気持ちは分かるけど」
「っ……そうよ。それで王都から直々にわたくしが来たの、放ってはおけなくて。村近くの魔物はあらかた片付けたから、しばらくの間は安全だと思うけれど」
どこも同じ、ね。システィアが僅かに呟く。
フローレンスの町にも現れたという魔物。既に町中でも安心できなくなってきている。
こんな小さな村だ、レナが帰ってくるまで村人も警戒を解けずに疲れ果てていたのだろう。
「あれ……? レナって輝白街じゃなくて王都にいたの? どうして?」
「要請があったことを知らないの? シアが王都に行く理由はてっきりそれだと思っていたのに」
「何の話?」
「星屑列車の。もうすぐ祭があるでしょ? 魔物が多くなってるのは王都も把握しているようで、守りを固めるためにもある程度一掃したいんですって」
「それでわざわざレナを? 王都にはそれなりの魔導士がいるはずなのに」
「さてね、手短に事を済ませたいってところじゃないかしら。それに呼ばれたのは魔導士のわたくしだけじゃなく、黒もいる」
「ゼフォン……も」
口ずさむシスティアの顔が苦々しく染まる。黒の領土について、あまり好んでいなかったことはトキヤも知っている。マーカでの現状を思えば、当たり前だ。
「……他にと言えば、新しく王都で『姫』の称号を授かった魔導士が生まれたらしいわ。そんな子がいるなら、わたくしが呼ばれる理由があったのかしらと思うけど」
「そんな子が? もしかして五重色?」
「いいえ、四重色だと聞いてるわ。五色も使えたなら、『姫』どころじゃ済まないでしょ。もし気になるなら会ってみたら?」
「いいよ。剣士なら興味あったけど、四重色の魔導士なら目の前にいるし。縁があれば、会える日は自ずと来るだろうから」
「な、なんか聞き慣れねぇ単語ばかりでちんぷんかんぷんなんだが……」
「ああ、ごめんなさい。食事の席で話すようなことではなかったですね」
そうして話が一旦終わりを告げると、皆が食事に手を付けている中、何にも手を伸ばしていなかったカレサがふと言葉を零した。
「ウチは、どうすればいいんかな」
「……カレサさん、だったわね。角車のことは悪いと思ってるわ、まさか村の中まで」
「このご時世や。ウチもシスちゃんたちから離れとったし、弁償せえなんて言われへんのは知っとる。けどあれがないとウチ、商売できひん……」
素人のトキヤが見ても分かる。商売人にとって、角車は命の次に大事な商売道具だ。
カレサが落ち込むのも無理はない、正直トキヤたちも困っていた。カレサの角車を失った今、明日からは徒歩で王都に向かわなくてはいけないのだから。
「……シアたちは王都に行くつもりだったんでしょう? その件については、わたくしが火車で無事に送り届けることを約束するわ。それに角車もうちの領土で、更に町中という限定的な状況で壊されてしまってる。一時金くらいなら下りるはずよ」
「ほんま⁉ レナちゃんほんまなん⁉」
「え、ええ……多分だけど」
パァっと明るくなっていくカレサの表情。現金だなとは思ってしまうが、トキヤたちもレナの申し出は願ってもなかった。
「よかったー! じゃあ、私が角車の後ろに隠れて潰したのは無罪放免ですね!」
「ウチの角車が潰れたのはトキノが原因かいな‼ んぐぐ……まぁ、トキノの命が助かったというなら儲けもんか……」
商売人だったとしても、金より命を優先したカレサの発言にトキヤは表情を柔らかくした。
角車に隠れでもして時間を稼いでいなければ、もっと早くにトキノは――。
「なぁ……あのさ。もし――」
全員の視線がトキヤの方を向く。
――俺が少し先の未来が見えるって言ったら、みんなはどうする?
途端に声が震え、言葉を続けるのが怖くなった。言ってしまったら、非難されそうで。
「トキヤ? どしたん?」
「あ、いや……もし少し先の未来が見えたら、良かったのになーって。はは、ははは」
「なに言い出すかと思えば……そんなん見えたらウチも苦労しとらんわ」
「未来が見えたら確かにこんなことは起きなかったかもしれない。トキヤさんは随分と平和主義者ね。そういう想像もいいと思うわ」
「レナちゃん、それって普通変だって言うんだよ? トッキーって変人だから、オブラートに包んじゃうと分からないかも」
「ぐっ、なんか言いたい放題だな……」
いや、これでいい。これで。
信じられるわけがないのだ。未来が見えるなど、到底信じられない。だから、これで。
けれども、システィアは――
「私は信じたいな、トキヤ君の言うこと」
「ほんまにー? シスちゃんはトキヤに甘過ぎやで」
「そうそう、ウチにも甘くしてやでー」
「そ、そうかな? ってトキノ、カレサの口調移ってるよ!」
「これが⁉ ウチは認めへんで!」
「なんやで! 認めてやで!」
「そもそも信じるとか信じないとか、そういう話ではないと思ったのだけど……」
「ははは、まぁそうかもだけど……ありがとな、システィ。そう言ってくれるだけで嬉しいぜ」
そう告げると、システィアは柔らかく微笑んだ。
曖昧でも構わない。止めてしまった本当の言葉に、彼女が相槌を打ってくれたことがとても嬉しかった。




