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時刻90 黒鉄師の短剣

 暗く、深い海の底へと沈んでいくような感覚。

 やはり届かなかったのか? 無理もない、短剣ではあの間合いを制することは不可能だった。


「俺は……死んだのか?」


 水中に居るような感覚は消えない。だけども、声は出るし息も吸える。あの世という説は払拭できないが。


『時の向こう側を見たか』

「……! 誰だっ⁉」


 不意に聞こえた声に反応するも、辺りは暗闇が広がるばかりで何も見えない。

 だが、声は確かに聞こえた。そしてそれは続く。


『聞こえたのか、こりゃまた運がいい。そうだな……答えるとするならお前がよく知っていて、よく知らない奴だよ。俺は』

「何が……言いてぇんだ」

『そう喧嘩腰になるなって。せっかくの機会だ、話せる内は話そうぜ』


 暗闇の中、索敵するかのようにトキヤの視線が険しくなる。逆に、相手はそれを見ているのかせせら笑っていた。


『誰だか知らなきゃ納得しない……ってか? じゃあ、そうだな……こんなはずじゃなかっ(・・・・・・・・・・)()と言えば、少しくらい話は聞けるか?』

 そのフレーズは過去に何度かトキヤが口ずさみ、そして脳内に響き渡ってきた言葉。


「その言葉……。前からずっと俺に語りかけてきてたのはお前なの……か?」

『正確には俺じゃない。……っと、せっかく打ち解けてきたと思ったらもうお帰りの時間か?』

「帰りの時間? 何を言ってるんだ」

『お前がこの夢から醒めるまでもう猶予がねぇってことだ。今のうちに重要なことを言っておく。忘れる可能性は高いが、ひょんなことで思い出すかもしれねぇ』

「夢……? じゃあ、俺は死んでないのか」

『死んでたら今頃、意識なんてねぇだろうさ。……いいか、よく聞け。お前にはすべき事がある。これから先、野垂れ死なないためにもな』


 その言葉に背筋がゾクリと冷たくなる。暗闇に触れられたかのように。


「死なねぇためにすべき事……?」

『ああ。お前が取りこぼした未来の中で、お前に語りかけてきた奴を探せ』

「探せって……。お前じゃないんだろ? そんな誰かも知らねぇのに、どうやって」

『お前は時魔法の使い手だ。ゆえに時と結びつきの強い場所へと訪れろ、そうすれば勝手に向こうから干渉してくれる』


 響く声が遠く、朧気になる。同時に辺りを包んでいた闇が光によって押し出され、暗い海から救い出されるかのように意識が引っ張られていく。


「おい待て! 待ってくれ! 一体何なんだよ! 時に強い結びつきのある場所って!」

『お前なら見つけられる。頼んだぜ、未来を――』


 途端、目映い光の波が押し寄せ、トキヤの体をかき消していく。思考が薄れ、彼方から聞こえていた声が完全に消え失せたとき。


「う……うぅ……」


 トキヤはか細い声を上げながら瞼を開いた。

 体には魔法を使った後かのような極度の気怠さ。

 ぼんやりとした視界を彷徨わせると目の前には白い二つ山が見え、後頭部には心なしか柔らかさを感じる。


「あ、気がついた?」

「あれ、シス……ティ? 俺、一体……」

「びっくりしたよ。急に倒れちゃうんだもん」

「倒れた……。そうか……俺、フロルミレーネと戦って――って⁉」


 山の向こうから見下ろすシスティアの視線。

 遠近感が崩れているのか、あまりにもシスティアの顔が大きすぎ――ではなく、彼女に膝枕をされていることに気づくと、体を大きく跳ね上げた。

 しかし、額を押し込まれるとすぐに定位置へと戻ってくる。


「おっと、ダメだよ。時魔法の反動が抜けてないかもなんだから、まだ横になってた方がいいわ」

「い、いや……けれども……これは。なんといいますか……天国、だな……」

「んー?」


 可愛らしく首を傾げるシスティア。

 トキヤは慌てて誤魔化すと、辺りに見えないもう一人の少女のことについて訊ねた。


「あれ……ディーナは?」

「そこの洞穴の中。聖鉄の材料を取ってくるって」

「一人で?」


 大丈夫なのか? と続けようとするが、洞穴から漏れ出てくるピッケルを打ち付ける音は嬉々としたもので、心配は杞憂に終わる。


「大丈夫、そうだな」

「うん。もうフロルミレーネもいないし」

「そっか、そうだったな……フロルミレーネと俺は戦って。……そうだ、システィ。なんであの時、捕まったふりなんてしてくれたんだ?」

「えっ? な、なんでそんなことを?」


 慌てふためく彼女を見て、確信する。システィアは嘘が苦手のようだ。


「分かるよ。捕まったときは正直焦ったけど、本当に危なくなったら否応なしに介入するって顔してた」

「私、そんな顔してた……?」

「おお、そりゃもう分かりやすいくらいに」

「う、うぅ……」


 しょぼーんとするシスティアに笑いが弾ける。

 とはいえ、意地悪で言ったわけじゃない。この疑問をぶつけたのは、次の疑問があったからだ。


「だからってわけじゃないけどさ、それならどうして俺が倒れるまで戦いを見てくれてたんだ? 実際、ディーナはすげぇ危なかったし、俺は守れるかもどうかも怪しかった。介入するには充分すぎるほどの理由はあったはずだろ?」

「……どうして、か。一つはね、意地悪したの。ディーナってばあまりにもトキヤ君に辛辣だったから」

「ディーナへの意地悪⁉」

「も、もちろん本当の本当に危なくなったら、すぐに助けるつもりだったよ! けど、ディーナがあんな選択をするとは思わなくて、ちょっとやり過ぎだったね」


 あのとき、命を擲ってでもシスティアを助ける選択をしていたディーナ。システィアは反省をしているのか表情を曇らせている。


「……うん、本当ならもっと早くに介入すべきだった。けれど――」

「けれど?」

「そこからは二つ目。トキヤ君を……信じたかったから」


 ほんのりと笑顔を零すシスティア。イザベラとの契約があったからだけではなく、本当の意味で信頼してくれたのだろう。

 結局、最後の最後で意識を保てず、システィアの手を借りてしまったが。


「やっぱ……俺、目を抉られんのかな」

「え? どうし――」

「あーあーあー炎星姫に膝枕なんてされて良いご身分ねー。心配して損したわ」


 その声にトキヤはビクンと跳ね起き、顔を向ける。そこには頬を煤で汚したディーナの姿があった。


「跳ね起きるってことはやっぱ元気なんだ。で、どうだった? 最高の夢見心地だったんじゃない?」

「バッ――そ、そんなんじゃねぇって!」

「もうディーナ……。とにかくおかえりなさい。必要な物は取れた?」

「おうよ! この通り! トキヤ先生のおかげねー」


 ニッコリと笑いながら、パンパンに膨らんだリュックを掲げる。


「え……? 俺のおかげ?」

「そうよ? アンタがフロルミレーネを倒したんじゃない」

「うん。ほら、トキヤ君のギルドカードに(ミスト)を入れてあるよ」


 手渡されるカード。エンブレムの中心で透き通っていたはずの鏡が、まるで曇り空を吸い込んだかのように朧気に染まっている。それなりの数、もしくは強力な魔物を倒した証拠だ。


「い、いや……はは、俺が倒したことにしてくれるってのは嬉しいぜ? でも、最後の攻撃が当たったとは到底思えねぇよ。あの間合いは普通埋められねぇ」


 トキヤの前で二人の少女が互いに顔を見合わせる。

 トキヤの言葉に疑問を感じているようで、ディーナの表情が訝しげに変わった。


「……アンタ、本当に覚えてないの? その短剣のこと……とか」

「え?」

「トキヤ君が嘘をつくわけない……か。意図してやったわけじゃなさそうね、あれは」


 神妙な顔をする二人を相手に、はてなを浮かべるトキヤ。

 そんな彼をシスティアは宥めると、「とにかく今は」と夕方になる前に下山することになった。


 § 製錬街グランフリード スピニアの工房


「短剣がいきなり巨大剣に変わって、俺がフロルミレーネを一刀両断にした⁉」


 素っ頓狂な声を上げるトキヤに対して、システィアは真剣な顔で頷く。


「システィ、急に嘘が上手くなったな……。いや、表情が上手くなっただけで言動は下手だけど……」

「嘘じゃないよ! 私でも正直、信じられないくらいだったもん……」

「ま、信じられないのが普通だわね。アタシだって武器が変化するなんて見たことないし」


 トキヤから受け取った黒い短剣を、光に当てては何度も翻し見るディーナ。


「確かに不思議な力を感じる気がするけどよ。じゃあ、この短剣って一体何なんだ?」

「…………名称は知らない。ただこれを打ったのがクロクニアだってことは分かるわ」

「クロクニア? 前にも言ってたよな、確かクロクニアの短剣……だとか。何者なんだ?」


 聞き慣れない名にトキヤが疑問を返すと、システィアが代わりに説明付ける。


「聖鉄と相反する黒鉄を扱う鍛冶師の家系のことよ。スピニアとクロクニアには何らかの縁があるみたいだけど」

「相伝の精製法をバラまいた家ってことくらいしか、アタシも知らないわ。会ったこともないし」

「どういうことだ?」

「えっとね。聖鉄と黒鉄は自然界には存在しなくて、特殊な精製法によって造られる金属なの。スピニア家には聖鉄、クロクニア家には黒鉄が代々伝わっていた。けど、どうしてかクロクニア家は黒鉄の精製法をバラまいちゃったんだ。それも数十年くらい前にね。それで今は誰もが黒鉄を生成できるようになったんだよ」

「誰でも……。へぇ、秘伝の技を教えるなんて随分太っ腹な人なんだな」

「っ……太っ腹じゃないわよっっ! 普通、相伝の精製法は守ってしかるべきなの! 黒鉄で作られた剣が今はなんて言われてるか知ってる⁉ 殺人剣よ! 高名な黒鉄が今や名折れ、暴落! どこの誰かも知らない馬の骨が粗製濫造して、盗賊や犯罪者が使い回ってる! クロクニア本人が造った以外の黒鉄は黒どころか泥よ! こんなっ……美しい漆黒じゃない! クソ食らえだわ!」

「そ、そこまで言わなくても……競争相手が居なくなるのはかえって都合が――」

「ストップ、トキヤ君。ディーナは鍛冶師だから、思うところがあるのよ」


 ディーナはギリっと歯を軋ませるが、それでも敬意を払うように短剣を丁寧に机の上に置く。

 クロクニアの短剣。刀身は光を吸い込むが如く美しく、造形も、使用感もトキヤにとって文句の付けどころがなかった。

 ジョシュアが持たせてくれたアルフレドの形見であるこの短剣に何があるというのか、トキヤでは理解が及ばない。


「トキヤ君はこの短剣を握ってから何か感じることはなかった? フロルミレーネを打ち倒したとき、ううん、それよりもほんのちょっとだけ前」


 朧気な記憶を探り、意識が薄れていく前のことを思い出していく。


「…………相手の動きが、手に取るように見えた」

「そうだね。私にもトキヤ君が先読みしているかのように見えてた」

「だからって、短剣が巨大剣に変わるか?」

「アンタ言ってたでしょ、『あの間合いは普通埋められねぇ』って。でも、実際にはそうじゃなかった。あんなの目の当たりにしたら、あり得ないなんてこと自体があり得ないんじゃないかって思えてくるわ」

「じゃあ……本当に……」


 その先にも何か見ていたような気がする。夢のような朧気な記憶だが、上手く思い出せない。

 頭に手を当てて記憶を探るが、代わりに出てきたのはジョシュアの言葉。


『これは出回っているそこらの物とは違う。もっと特別な……いや、お前なら使いこなせるかもしれん』


 ジョシュアはどこまで知っているのだろうか。そして、この短剣は一体何なのか。

 薄れた記憶にそれらしき手掛かりは見当たらない。今ある疑問への解決方法として、一番良いのは製造者に会うことだろう。


「カタリナ・クロクニア」

「え?」

「黒鉄師カタリナ・クロクニア。その短剣の製造者よ、そして黒鉄の精製法をバラまいた張本人。クロクニア作の新しい武器はもう出回ってないし、バラまいたのも数十年前だから生きてるかも怪しいけど」

「それじゃ意味ねぇじゃねぇか……」

「ううん、案外そうとも言い切れないよ? 亡くなっていたとしても、これは普通の短剣じゃないし、もしかしたらどこかに(しるし)()きが残されてるかも」


 システィアにそう言われ、パッと明るくなるトキヤ。とにかく秘密に近づけるならなんとしても、だ。


「そ、そうか! じゃあディーナ、場所は知ってんのか? その人が使ってた工房とか!」

「そこまでは……。極力、人と会うことをしなかった人物らしいし、言ってたようにアタシも会ったことはなかったからね。王都ならそういう情報も集まるんじゃない?」


 聖鉄師であるディーナですら知らない謎の人物、黒鉄師カタリナ・クロクニア。

 またしても王都に行く理由ができた。


「さぁてと……話のキリもよくなったことだし、アタシは剣を打とうかしらね。アンタたちもそろそろギルドに行った方がいいんじゃない?」

「そうだった! せっかくの給金、ある意味纏まった俺の初給料だぜ!」

「あ、ちょっと! トキヤ君!」


 ばひゅーんという効果音が出そうな勢いで、扉を潜っていったトキヤ。システィアも慌てて後を追おうとすると、ディーナが肩に触れた。


「システィア。これ、アイツに渡して」

「あ、聖槍……」

「こ、これでも結構感謝してるのよ。すごく困ってたんだから、フロルミレーネに」

「それ、トキヤ君に言うつもりだったんじゃないの?」

「う、うるさい! アタシが素直じゃないのはシスティアも知ってんでしょ! 簡単に返すかっての!」

「あれぇ? 兄様には結構素直だったって思ってるけど?」

「ぐっ、この妹はぁ……!」

「うふふ、ちゃんと返しておくね?」


 システィアが聖槍を受け取ると、ディーナが「ふん!」と鼻を鳴らしながら工房へと向かっていく。


「あ、あとさ! もし、カタリナ・クロクニアの工房が見つかったら、輝白街(きびゃくがい)のアタシの家まで手紙をくれない?」

「……? いいけど、どうして?」

「え、っと……その……あ、ああアタシも……もっと上手く武器を造りたい……のよ。稀代の天才って言われたカタリナの工房をちょっくら見てみたい……? とか」


 本当に素直じゃないんだから、もじもじと肩を震わせるディーナにシスティアはクスリと笑った。


「存命してたらいいね」

「っ……バカ! 知らないわよ!」


 くしゃりと握り締められた紙を投げつけられ、キャッチと共に笑いながら退散するシスティア。


「あれ、どうして紙? あっ……」


 くしゃくしゃな紙を開いたシスティアはまた一つ微笑みを零すと、トキヤが待っているであろうギルドへと足を急がせた。

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